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「茨城46億年後の一期一会 .7」1996

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<高萩 - 犬吠埼・ブレード走行記7 4日目最終日>

4日目/8月3日(土)「割烹旅館かわたけからゴール犬吠埼まで」

女将さん大いに喜ぶ!

4日目の朝も大変だった。朝食を終え、クソをしようとトイレへ行ったら、新妻君もいて連れグソとなった。それはいいのだが、トイレがみな塞がっていたのだ。そりゃあそうだ。サッカー軍団が一気にクソをし始めたのだから。

「オー、マイ、ガァッ!」想わず頭を抱える新妻君。
仕方無く、二階のトイレへ行ってみたのだが、ここもいっぱい。
「オー、マイ、ガァッ!」またもや頭を抱える新妻君。

中では同じようにあぶれた少年達が、青ざめた顔で右往左往している。どうしようもないので、歯を磨いたり荷物を整理したりして時間をつぶし、クソラッシュが終わるのを待つことにした。

そして、ようやく用を足し、三人全員の準備が終わって出発と言うことになったのだが、料金を払うためフロントへ行くと、出て来た女将さんが何やらニコニコして、やたら上機嫌なのである。しかも、

「今日は気分がいいから、ひとり7'000円のところ1'000円ずつおまけして6'000円、消費税もビール代もおまけしとくわ」と言い出したのだ。

と言うことは・・
、三人分合計23'175円のところ、18'000円。つまり、5'175円も得をすると言うことになる。ふとっぱらー!。いやはや、有り難いことは有り難いが、いったいどうなってんだ?

初めは、スポーツ合宿の騒々しさのお詫びなのかと想った。しかしそれなら、「申し訳無いから」とでも言いそうなものである。それが「気分がいいから」と来た。これにはもっと違う意味が有るはずだ。話しをしながら、あれこれ考えた結果、キャプテンの心当たりはひとつだけだった。それはブレード隊が・・

「心から感謝を込めて食事をいただいた」と言うことに違いない。

夕食も朝食も、とにかく食事だけは粗末にはしなかった。たぶんその話しを、調理係のオバサンから伝え聞いたのだろう。それを、サッカー軍団のひどい「食い散らかし」と比較してしまったものだから堪らない。「なんて気持ちの良い青年達なの。ナイスガイ!」などと感動してしまったのに違いない。だから「気分がいい」のである。

それしか考えられなかった。何しろほかに取り柄の無い男達なんだから。勝手な解釈だったが、だんだんこっちまで気分良くなって来た。それはいいが、まずいことにキャプテンがその気になってしまったらしいのだ。なんと彼は、フロントのカウンターに肩肘ついてシャに構え、一番いい声など使って話し始めたではないか。ナイスガイのつもりなのか?

表に出て出発の準備をしていると、女将さんも出て来て「ブレード」を見ながら言った。
「それでずーっと滑って行くの?。転ばない?」
「それが、めったに転ばないもんなんですよ」
キャプテンと森広君が同時に答える。

・・と言った直後、森広君が旅館の駐車場で、足慣らしの最中に転倒してしまったからたまらない。みんなで見て見ぬふりをするのだった。

それにしても、初めて出会った人に好感を持ってもらい、こちらも気分を良くして出発する、これこそが『一期一会』の神髄であり、ブレード隊が目指して来たものではなかっただろうか。

訳も分からず、何かの衝動に駆られて始めてしまった長距離ブレード走行。その意味を、4年たってようやくその本人たちが理解し始めたのだ。

「すべては、うまく行く、必ず・・」

準備が終わって出発。・・朝、目が覚めたときには小雨模様だったが、今はもうやんでいる。路面もほとんどが乾いていた。ただ、曇り空は取れず、やや肌寒い景色の中を進むことになった。昨日、走行中に『〇〇サイクリングロード』と言う標示板を確認しており、今日はそのサイクリングロードを行ってみることになっていた。

国道124号から離れ、『ホテル・リオ』の看板が有る交差点から、利根川方面へと進む。サイクリングロードだから川沿いに有るはずだ、と確信を持って行ったのだが、川っぷちには、それらしき道は見当たらなかった。利根川の川面が汚れた灰色にテカっていて、何とはなし気分が沈みがちになる。

「わかった、向こう岸だ」と言うことで、そのまま1kmは有るかと想われる長い橋の歩道をよたよたと渡り、「向こう岸」まで来てみた。しかし、やはりサイクリングロードは無いようである。いや、土手沿いに細々と続いているあのジャリ道がそうなのかも知れない。だとしたらダメだ。ジャリ道ではブレードは進めない。三人はそのまま先へ進むことにした。

利根川を渡り切って、土手下まで道を下る。真っすぐ行けば国道356号に出るのだが、途中、川沿いの田んぼの中に狭い道を見つけ、そこを行くことにした。その道は路面状態が非常に良く、車も通らない。ほとんどサイクリングロードみたいなものだった。そこからずっと数百m、田んぼだけの道を、無言のままゆったりと滑り続けた。

静かだった。そして流れる風には、実り始めた稲穂の匂いが含まれていた。その匂いは、一瞬の内にキャプテンを、幼い日の夏休みに引き戻してしまうのだった。

強く熱い風にゆったりと波打つ田んぼ。そして大きな影を落として通り過ぎる雲。・・あの日、あのあぜ道の上に置き忘れたものを、今こうして拾い集めているのだろうか。

曇り空と灰色の川面に沈んでいた心が、次第に解きほぐされて行くのが解る。
このまま、何も考えずにずっと滑って行けたら・・

しかし、そうも行かなかった。田んぼ道が終わり、家並みの中に入って行くと、それまで滑らかだった路面が粗くなり、道も入り組んで来た。そして工事中などで迂回したり、見知らぬ家の間を縫っている内、何度か迷い、最後はとうとう行き止まりにはまってしまった。

その後も、いくつか道を選んでは走行を試みるがダメ。とうとう交通量の多い国道356号に出なければならなくなった。

「あっち、行って見ませんか? 線路の向こう」
新妻君が、356号を渡って、反対側に伸びている脇道へ行こうと提案した。それは『成田線』の踏み切りを越え、その向こうの山すそまで続いている道だった。

「ためしに行ってみるか・・」
と言うことで進んで見ると、線路を渡って間もなく、山伝いに走る旧道らしき道に突き当たった。その道は国道356と平行に銚子方面に向かっているようで、しかも立派な歩道がついていた。

「オーケー、この道を行こう」
そこからは、ほとんど苦労なしに滑ることが出来た。新妻君の状態を考慮してスピードは抑え気味だが、彼も想像を絶する忍耐力で滑り続けている。何より、疲れても明るさを失わないのが良い。これなら、よほどのことが無い限りリタイアは無いだろう。

そう言えば・・、キャプテンは、新妻君に関するあるエピソードを想い出していた。それは出発の数日前のこと。彼に、ブレード走行に参加するか否か、確認の電話をした時の話しである。

受話器を取った新妻君はかなり酒に酔っていた。「ブレードですかあ? 行きますよー、行くしかないでしょう。有森・・、女子マラソン? 見ましたか? あれですよ、有森」

「ああ見たよ。たぶん見てるだろうと想って、終わるのを待ってかけたんだ」
「初めて自分を誉めたい、ですよ」

どうも彼は、アトランタ・オリンピックの女子マラソンを見て感動し、そのハズミでブレード出発の意志を固めてしまったようなのである。

つまり、『オリンピックが無かったら、平凡な夏でした』と言うコピーをバックに、「四年前は水泳始めるって言ったんだよな」と家族にバカにされながら、「ほな、行って来るわ」と夜のジョギングに出発する、月停八方。あれが新妻君なのである。

まてよ、そう言えば、新妻君が初めてブレード隊に参加したのも確か、4年前だったんじゃないの? ・・さて、単なる偶然なのでしょうか?。ともかく、コマーシャル通りに行動する人間もまた、貴重だと言えよう。


ついに銚子市に到達!

356号の裏道は想っていた以上に快適な道だった。何より車の数が少ないのがいい。つい速度が上がり気味になってしまう。そのまま、知らない内に『銚子市』に入っていたようだ。

今日はずっと雲が取れそうにない。路面温度は25℃に満たず、肌寒ささえ感じる。

キャプテンは、目的地の長崎海岸の様子が気になっていた。このまま曇り続けたら海で泳げなくなるかも知れない。ブレード隊はそれでもまあ良いが、今日合流するはずのゴブリンズのメンバーはガッカリすることだろう。そのことを想い、少しピッチが上がった。

夏の海と言うのは、とにかく天気さえ良ければ全てが許されてしまうのである。多少幹事に不手際が有っても、宿や料理に問題が有ったとしても。しかし、この天気では・・。今回のキャンプの総合幹事・新妻君を、出来るだけ早めに到着させ、色々準備を済ませて待ち受けたいところだ。ただし、本人はそれどころではない様子だが。

幾つか小さな町の、小さな商店の前を通り過ぎ、小学校を横目に前進する。次第に汗が流れ始める。湿気が多いのだ。

いつの間にか歩道が無くなり、路側帯も無い田舎道となった。何度か登り下りを繰り返し、時折り新妻君の姿を確認しながら、目の前の山や森の姿を眺めていた。

風景もまた『一期一会』に違いない、そんなことを考えた。こんな場所へ来たのは初めてだし、再び訪れるとも想えない。目に映る全ての風景が、ほんの一瞬ブレード隊の背景となり、流れては消えて行く、それだけなのだ。

いや、それは本当は逆で、ブレード隊の方が、道の彼方から果てまでの舞台を横切る通行人として、ほんのチョイ役で登場しただけなのかも知れない。その土地は、彼らが来る以前も、そして去ったあとも、同じようにそこに存在し続けるのだから。

「だとしたら、オレ達はいったい何処へ行こうとしているのだろう」

田舎道には案内板も無く、番地表示のプレートも見当たらない。しんと静まり返った路面には、ただホイールの転がる音が響いているだけなのである。

坂を上り切ったところに、運送会社の広い駐車場が見えて来た。その前で止まり、今日最初の休憩を取ることになった。

座り込んで地図を取り出し、おおよその位置を確認する。それによると、もう少し行ったところで成田線の踏み切りを渡ることになるらしい。そこを過ぎて、残りはあと15kmほど。新妻君の足を考慮し時速5kmと言う設定で行けばあと3時間、午後1時半には到着出来ると言う見込である。

日曜日、運送会社は休みだった。ブレード隊は駐車場の隅で立ちションをし、それから先へ進むのだった。

坂を下って間もなく、踏み切りを渡る。そこから山深い道を抜けて少し広めのT字路を左に行くと、また交通量の多い356号に合流した。ブレード隊は『銚子市市街方面→』の標示板を確かめた。

356号の歩道を滑り初めてすぐ、道には商店が並び賑わいを見せ始めた。人通りも多く、緊張を強いられての走行となる。街なかと言うことで、新妻君がまた人目を気にするのではと想ったが、四日間も滑っているので大丈夫そうである。あとのもう一人、森広君は「羞恥心の無い男」なので心配は無い。

それより気をつけなければならないのは、脇道からの自転車や車の飛び出しだった。つい調子に乗って速度を上げると大変なことになりそうだ。それでも、道が平坦なうちにスパートをかけておかなければならない。このさき犬吠埼の岬近くは、アップダウンが多くなると予想されるからである。

ところが新妻君にはその意図が伝わらないらしく、珍しく機嫌が悪くなって来た。大変なのは解っているが、ペース配分はキャプテンが把握しているので、頑張ってもらうしかない。そうやって完走すれば必ず、「自分を誉めてあげたい」と言う気分になれると想う。

銚子駅に続く交差点の隅で休憩することにした。朝、東京を出発しているはずのゴブリンズのメンバーと連絡を取ろうとしたが、携帯電話にかけると留守電になっていてつながらなかった。

その間に森広君は、商店街にソバ屋を見つけたようで、「ソバでも食いますかあ」などと言い始めた。時間はちょうどお昼時だが、ここではまだエンジンを切りたくない。午後1時前に海岸まで出てしまいたいのだ。そこで、

「もう少し先に行ってからにしよう」

と言ったのだが、そのあとで、そうか森広君の場合は、腹が減ると機嫌が悪くなると言う傾向が有ったのだ、と想い出した。そう言うキャプテンには、機嫌が悪くてイライラしている人を見ていると、いい加減にしろよと機嫌が悪くなってしまう性質が有り、まずい、このままだと三人とも機嫌が悪くなってしまうぞ、と言うことで、恐る恐る出発することになったのである。


銚子にてライスカレーを昼食に

駅前に続く歩道は、石畳でガタガタと滑りにくい。そこで車道に降り、路側帯を行くことにする。何度か道を確かめ、標示板を見ては『犬吠埼方面』を選んで進んで行く。

やがて、駅前の賑わいを離れ、せまい雑然とした民家の立ち並ぶ道へと入って行った。その道は想ったより急な登り坂だった。おまけに犬吠埼と銚子市街との抜け道らしく、車の数が多くて想うように進めない。

イメージとしては、もっと港寄りの平坦な道を想定していたのだが、いつの間にか山側に迷い込んでしまったようである。しかしガッカリすることはない。この旅にはツキが有るはず。この道を通ることになったのも、初めから予定されていた意味の有ることに違いないのだ。

ほとんど神憑りだ・・。そんなことを考えながら、最後の難関となるであろう登り坂を、一歩一歩確かめるように上って行った。

さっきから新妻君は、「だあ!」とか「おっりゃ!」とか、奇声を発しながら進んでいた。それは、ふざけていると言うのでは無く、激痛で失われる寸前の気力を奮い立たそうとしている気合なのだった。もう無理は出来なかった。新妻君の足は今度こそ限界なのだ。

間もなく登りのピークを過ぎ、ゆっくりと下り坂が始まった。民家も途切れがちで、少し殺風景な見晴しとなっていた。新妻君は相変わらず大声で気合を入れている。「大丈夫か?」と声をかけるが、黙って何も答えない。

下りに身を任せながら滑って行くと、やがて海が見えて来た。そのまま港まで降りて行く。とうとう関東の東突端まで来たのだ。海鹿島海水浴場の近くである。道沿いには土産物屋などが見え、観光地っぽくなった。

海岸通りを進み、竹久夢二詩碑のある辺りを過ぎて、岬に沿ってカーブして行くと、視界が開けて大きな海が見えて来た。その先には、遠く犬吠埼の灯台も見えている。

これで到着したも同然だ。灯台まで視覚的には遠いが、距離は1kmちょっと。同じく灯台からキャンプ地の長崎海岸までが1kmちょっと。つまり計2km強で完走だ。時間にして約20分と言うところか。ただし、灯台近辺で昼食を取ろうと想っているから、あと1時間ぐらいはかかる。時刻はいま午後1時、たぶん到着は2時過ぎになるだろう。

三人はスピードを出さず、歩くより少し早い程度で滑っていた。もう急いでも同じである。それよりも風景を楽しもう。空はずっと曇ったままだが、煙った海にも風情が有る。

弓なりにゆっくりカーブして行く海岸通りを、何台もの車が灯台に向かって通り過ぎて行った。その間に、少しずつ灯台の姿が大きくなって、上っている観光客の姿が確認出来るくらいになった。・・あそこからブレード隊も見えているのだろうか。

その灯台を見ながら、やっとのことで犬吠埼入り口に到着。新妻君にはそこでブレードを脱いでもらい、キャプテンと森広君が先に灯台の下まで滑って行く。そこが、ともかく今回の『高萩-犬吠埼ブレード走行』の第一到達点と言うことになる。

二人がブレードを脱いでいると、すぐに新妻君が歩いて来た。その場でカメラを取り出し記念撮影を始める。

「やらないんですか、オブジェ設置は」新妻君が辺りを見回しながら言った。
キャプテンは長崎海岸にて設置する予定だったので「まだだよ」と答えたのだが、彼はちょっと不満そうである。

「そうか・・、やっぱり犬なんだな」と森広君が言った。
その声に、ああ、なるほどと想った。
「犬吠埼に置くつもりで、犬を彫っていたと言うわけだ」

「犬か・・」キャプテンも気づいてそう問い詰めるが、新妻君は笑っているだけである。犬吠埼だから犬。やはりタケをワったような性格である。

肌寒い風が吹いていた。見上げると、曇りで眺めは悪いはずなのに、たくさんの人が灯台に上っていた。

「よし、メシを食おう。なにを食う?」
と、キャプテンは尋ねたのだが、三人にはすでに決めていたメニューが有ったのだ。

「ライスカレーだ!」

銚子と言えば『ライスカレー』なのである。それは、倉本総脚本のドラマ『ライスカレー』の舞台が、カナダと、ここ『銚子』だったからなのだ。

・・かつて同じ銚子工業高校野球部に所属し、卒業後カナダで『ライスカレー屋』を成功させようと、青春の最後を賭けて旅立った二人の若者の物語。三人ともそのドラマを見ており、やはり各自『銚子でライスカレーを』と言う覚悟?は出来ていたようだ。

三人は「キャフェテリヤ風」な店には「チッ」っと舌打ちをし、出来るだけ「食堂」と言った感じの店を探した。そして相応しい店を見つけて入ると、三人とも判で押したように『ライスカレー』を注文・・しようとしたが、残念なことにメニューに書かれて有った文字は『カレーライス』

「これも時代の流れよ・・」とあきらめかけたその時だった。新妻君が果敢にも、店員のオバサンに、「ライスカレー!三つ」と注文、イッカツしたのである。

その勇気にキャプテンも感動。そうだ、やれば出来るじゃないか新妻!と心の中で念じる。

だがオバサンは、一瞬の沈黙が有って、「はいっ、カレーライス三つ、ひとつ大盛りね」と、クールに言い残し、去って行ったのである。ガックリと肩を落とすブレード隊。と、その時だった。

「しっ、しまったあ!」とキャプテン。
「どうしたんですか?」
「見ろ! 水の入ったコップには、あらかじめスプーンが差し込まれていなければならないのだ」

三つのコップにはただ水が入っているだけだった。これですでに二アウトだ。『カレーライス』に『スプーンの入っていないコップ』

「残るは、グリンピースか」
『でれーっとしたカレーの上に、グリンピースが決まりで三つ!』
アキラ(陣内孝則)のセリフを想い出していた。

と、その時だった。
「あれ? 加山雄三?」
新妻君が、店の奥に飾ってあるサイン色紙を見つけた。

「ニセモノじゃないの。加の口が無い」
と森広君が続ける。
「力山雄三?」
「力山雄三だって?。それじゃエノケソと同じだ」

キャプテンの例えは古過ぎたようである。盛んに二人が気にするので振り返って見てみると、なるほど色紙が有って『力山雄三』のように見える。しかし、良く見ると『カ』の横に小さく◯のような『口』が書かれているような気もして・・。芸能人のサインにしては読み安すぎるのが気になったが、本物のサインを見たことが無いから何とも言えない。

と、その時だった。新妻君が果敢にもオバサンに問い正したのだ。
「あれ、加山雄三ですか?」
・・オバサンは無言で何も答えなかった。

そうこうしている内『ライスカレー』が届いた。さて・・「有った!」確かにグリンピースが三つ、でれーっとしたカレーの上に乗っている。これでいいのだ、これで。もっとも森広君のカレーには二つしか乗っていなかったが、これは野手の間に落ちたポテンヒットと言うことにしておこう。

あとは『放っておくと、うすーいまくの張るやつ。』と言うのを確認しなければならないが、腹が減っているので、それは省略することにした。

ひとくちライスカレーを味わったキャプテンは、『うまいって言うより、懐かしい味だな』と言うBJ(中井貴一)のセリフを想い出していた。

そしてそのあとすぐ、『そうか・・。うん、懐かしい味のするカレーが作りたかったんだ』と言うケン(時任三郎)のセリフを想い出していた。

さらに締めくくりに、『ドキドキしていた。そのとき僕は、とてもおかしなことを・・考えていたんだ』と言うケン(時任三郎)のナレーションを想い出していた。

このままだと、キャプテンは気が変になってしまいそうだった。


長崎海岸、ゴブリンズ夏のキャンプ地へ

携帯電話が圏外なので、公衆電話から『民宿大盛丸』へ連絡を入れて見ると、ゴブリンズのメンバーはすでに到着、海岸へ向かったと言う返事だった。安心したような、申し訳無いような気持ちだった。天気さえ良ければ問題は無いのだが、曇ってこんなに肌寒いとなると、海にも入れず退屈しているのに違いない。

昼食を終え、ソフトクリームを食べながら休んでいると、犬吠埼の断崖の上から、長崎海岸が小さく見えているのに気づいた。そこには海の家らしき小屋も見えている。

「たぶん今、あの何処かにメンバーがいるはずだ」
そう考えるとちょっと不思議な気がした。

四日前に100km以上離れた場所から出発したブレード隊が、今日まったく反対方向の100km以上離れた場所から来たメンバー達と、あの海辺で合流しようとしている。待ち合わせしているのだから当たり前だ、と言われたらそれまでだ。しかし、待ち合わせをする関係になるまで、どれほどの偶然を経てここまで来たのか、それを考えていたのだ。

たとえば今、周囲を歩き回っているたくさんの観光客の中に、誰ひとりとして知り合いはいない。そしてこの先、この人達と『待ち合わせ』をすることになる確立など、万に一つより小さいだろう。そのことを想えば、あの海辺での約束は、数年、いや数十年もかかった末の『待ち合わせの1日』であると言えなくもない。

「用意された旅。約束の地」・・
これも確かに一期一会と言うわけだ」

46億年の長い地球の歴史から見れば、ゴブリンズの8年間など、ほんの一瞬の出来事でしかない。つまり、一期一会みたいなものなのだ。それにしても、その「ほんの一瞬」の、長いこと長いこと・・。その間に、何を失って何を得たのか。

キャプテンはそのまま、ぼんやりと海を見ていた。灰色の海の沖からは、いく筋もの白い波が岸に打ち寄せていた。それは途切れることなく、現れては消えて行く波の最後の姿だった。

間もなく三人は全ての準備を終え、最終走行へと滑り出す。たくさんの見知らぬ観光客の間を擦り抜け、海岸通りへ。すぐに歩道に乗って、ゆったりと進む。

右手に犬吠ホテル。その先を左に折れ、坂道を下る。やがて長崎町の小さな家並みが見えて来ると、少しだけ足元が暖かくなった。海も灰色からうっすらと青く色を変えている。

四日目の午後、少しだけ薄日が射し始めたのだ。






おわり


ブレード走行・高萩-犬吠埼
日程:1996年7月31日~8月3日
天気:31日・晴/1日・晴-曇
    2日・曇/3日・小雨-曇
最高路面温度:40℃
走行距離:135km
述べ走行時間:約24時間
平均速度:約5.6km
通算走行距離:キャプテン高橋/1087.1km
       新妻英利   /436.9km
       森広康二   /293.2km


★走行中製作された三人のオブジェは、長崎海岸に設置されました。

写真下、新妻英利作「犬」



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1 ・ 2 ・ 3 ・ 4 ・5・ 6 ・ 7 <高萩 - 犬吠埼・ブレード走行記5 3日目前半> 8月2日・金曜日(3日目)「民宿大竹から鹿島市・グリル鹿島まで」 ◆ 呪いの見送り ◆ 荷物を担ぎ、民宿大竹の駐車場まで出て行くと、女将さん、その娘、お祖母さんが次々に姿を現した。ブレードの物珍しさゆえの見送りと言うところである。 新妻君と森広君は、すみっこの車の陰でブレードを履き始めたが、キャプテンはギャラリーへのサービスもかねて、ど真ん中で準備することにした。そうしていると、ほどなく女の子が駆けよって来た。 「それで、すべってくの?」 その子はそう尋ねた。それに、ああ、そうだよと愛想良く笑い、 「ここからねえ、ずーっと遠くまですべってくんだよう」 と、キャプテンは子供用の声で答えたのだ。ところがである。 「ウソだね!」 予想に反してカワイくない返事がかえって来たではないか。 「ほんとだよ、ほんとほんと」ちょっとあせった。だが、 「ウソだねー!」と、女の子はなおも続ける。 「ほんとだってば」 「じゃあ、東京からすべってきたの?」 「そうじゃなくて、東京から電車で来て・・」 「ああっ!。ほらー、電車なんだってー!」 その子はキャプテンの言葉尻を取って、そーら見たことかとばかり、女将さんを振り返って騒ぎ出した。 「ちがうちがう、電車で遠くまで行って、そこから滑って来たんだよ。わかる?」 「ええー?」 そこでいったんはおとなしくなったが、声は半信半疑のままである。さらにその子の攻撃は続いた。 「雨がふるよ!」ふてくされたような言い方だった。「雨がふってくるよ!」 ・・ったく、どうなってんだ? 「そうかなあ?。大丈夫だと想うよ」 「ふるよ!。てんきよほう見てみな!」 これはもう、呪いに近いものが有る。でも、確かに雨が降りそうな空だった。気温も低く、温度計を見ると21℃を示していた。寒いくらいだ。 ブレード走行は、舗装道路が無ければ前進出来ないわけで、アウトドアと呼ぶにはあまりに半端なスポーツだったが、それでも自然相手であることには違いない。雨が降ったら、それを甘んじて受け入れるしかないのである。さて、どこまでもつか・・ 女の子はいつの間にかキャプテンから離れ、他の二人のところへ駆けよって行った。その後ろ姿を見ながら「世の中には、いろんな子がいるんだなあ」と想った。 年齢の...

「幻のBOSO100マイル .後編」1994

1 ・ 2 千葉 - 鴨川・ブレード走行記 (白浜でリアタイア)        目次 変調 待っていた男 失速 幻のゴール ゆくえ 昼食の間に天気は完全に回復し、再び強烈な陽射しの中を進むことになった。太陽を浴びると、また気分が悪くなってくるような気がした。 少し不安を感じながらも進んで行くと、道の先に見覚えの有る信号が現れた。二年前キャプテンと新妻君の脇で起きた、あの二重追突事故の現場だ。確かにここに違いない。まじまじと周囲を眺め、事故なんて起きそうに無いのになあ、そう想った矢先のことだった。横を通り過ぎた車が、またいきなり急ブレーキをかけたのだ。 「おい!?」とあわてて振り返ったが、幸い事故にはならなかった。またしてもブレード・ランナーが珍しくて前方不注意になったのだろうか。それにしても・・、なんだか嫌なポイントだ。 『湊川』の橋を渡り、右に大きくカーブする山沿いの道をたどると、やがて東京湾浦賀水道の海が見えてくる。遥か向こう岸は三浦半島横須賀の港だ。この辺りからずっと海岸沿いを滑ることになる。キャプテンは、すっきりしない気分を抱えたままではあったが、海を眺めることで力を回復出来ると信じていた。 その道は人の気配が無く、車だけが風を切って行く。歩道は、ゴム状の継ぎ目を飛び越える以外気を使うことはなく、滑らかな路面が続いていた。海側は断崖になっていて、そのギリギリに、幾つかのレストランや小さなホテルなどが建ち並んでいた。 しかし車が数台止まっているだけで、賑わいと呼べるものは感じられなかった。シーズンの盛りにはもっと人が訪れるのだろうか。どの店も、捕れたて新鮮魚介類の料理が売り物らしく、そのことを謳った看板が立てられていた。 「知る人ぞ知る、穴場と言った店が有るのかも知れないな」そんなことをぼんやりと考えていた。 道路から見える崖下の砂浜では、数人の人々が海水浴を楽しんでいた。海の家も無い静かな浜辺は、さながらプライベート・ビーチと言った雰囲気である。そんな光景が何度か現れては消え、『金谷』の辺りまでは、比較的楽しみながら滑って来ることができた。 どのくらいたったのだろう。かなり疲れを感じたところで、丁度よく木々に覆われた細い脇道を見つけた。迷わず滑り込んで、荷物を降ろすことにする。 そこには、心地よい風が吹き抜けていた。道の両側に古い小さな家が建ち並び、遠く水平...

「茨城46億年後の一期一会 .1」1996

1・ 2 ・ 3 ・ 4 ・ 5 ・ 6 ・ 7 <高萩 - 犬吠埼・ブレード走行記1 1日目前半> 1996年8月。ゴブリンズの夏季キャンプが、千葉県犬吠埼の長崎町で行われることになった。そこでゴブリンズ・ブレード隊の高橋文昭、新妻英利、森広康二の三名は、その四日前に茨城県高萩市を出発。犬吠埼・長崎町までの135kmを、4日間かけてインラインスケートのみで南下し、ゴブリンズのメンバーと落ち合う、と言う旅を計画した。 ◆ 主な登場人物  ◆  ブレード隊・キャプテン高橋  草野球チーム・ゴブリンズのキャプテン。34歳で初めての長距離ブレード走行を敢行。今回、通算走行距離1000km突破を目指す。  ブレード隊・新妻英利 隊員  伝説の第一次ブレード隊のメンバー。1995年カナダ・ロッキー山脈にて初の海外ブレード走行を試みるが、足のツメを剥がし100km地点でリタイア。  ブレード隊・森広康二 隊員  1996年からブレード隊に参加の新人。経験は浅いが、抜群の登坂能力とスピードを持つ。ブレード・アクセサリーに凝っている。  塚本じいさん  高萩の外装の汚いビジネスホテルのオーナー(現在廃業)。  水木海岸の少年  岸で駐車場の番をしていた愛想の無い高校生。  旅館須賀屋の女将  飛び込み客に面倒味が良い、 日立港近くの旅館の女主人。  旗振りの男  海岸で旗を振って客引きをしていた無数の人間の中のひとり。  ターザンの娘  あぶない格好でブレード隊に手を振っていたと言う少女。  民宿大竹の女将  茨城弁丸出しの美人ママ。  その女将の子供  出発時に見送りしてくれた疑り深い性格の女の子。  グリル鹿島の娘  バカッ丁寧な言葉使いの少女。  鹿島ガンプ  奇妙な質問を発し、自転車で延々とブレード隊を追いかけて来た不思議な人物。  旅館かわたけの女将  無理を承知で泊めてくれた太っ腹人情女将。  ◯◯ 高校サッカー部  『かわたけ』に泊まった礼儀知らずの合宿軍団。    1日目/1996年7月31日(水)「高萩海岸から日立駅前そば屋まで」 ◆ 不吉なる序章 ◆ この旅の始まり、不吉な出来事が起こった。ブレード隊三人が乗り込んだ列車が、ある時点から、「ガラガラ、ガツン!」「カン、カラン、ゴンッ!」と言う、石が車体にぶつかるような激しい音をさせ始めたのである。 初め...

「南房総に夏の終わりの夢を見た・前編」1992

「南房総に夏の終わりの夢を見た」前編 ★1992年8月21日(金)15時。キャプテン高橋とゴブリンズ新人・新妻英利は、ついに総武本線千葉駅から鴨川キャンプの拠点、民宿ウエダ(天津小湊町)までの162.2キロをローラー・ブレードによって走破する事に成功。これは前回の東京−富士間77.5キロを、84.7キロ上回る距離であった。 千葉 - 鴨川ブレード走行記 1日目 〜 2日目「千葉駅 〜 木更津 〜 鋸南町」 *前半 目次* 待ち合わせは千葉駅 快調な滑り出し16号 あまりに場違いな昼食 塩吹くキャプテン高橋 『すえひろ』で生き返る 場違いな宿、グランパークホテル 朝、雨が降っていた 救いのオヤジさんが現る あじフライとあじの天ぷらは違う 音無き警鐘が聞こえる 午後の海辺をブレード・ランナーが行く ノコギリ山に思わぬ敵が待っていた 岬で『岬』と言う喫茶店に引き込まれた さらに苦難の道は続く 民宿は旅のオアシスだ 後編へ・・ ■ 待ち合わせは千葉駅 ■ 嵐が幾つか通り過ぎる頃、空はどこか澄んで、別の季節の色を見せていた。6月の『東京—富士ブレード走行』から、約2カ月、常にキャプテン高橋の胸に去来していたイメージは、南房総のまぶしく輝く海、熱い夏の空気を切り裂く、ブレード・ランナーの姿だった。 8月18日火曜日、9時半。総武本線の終点、千葉駅のホームで、高橋、新妻の両者は、ブレード走行決行のために待ち合わせた。新人・新妻英利君は、果たして心強い伴走者となるのか、それとも単なる足手まといとなるのか、それは誰にも解らなかった。 天気は曇り気味。雨を予感させる黒い雲も漂っていた。南では台風が近づいていると言う。天候はどうなるのか、全く予測が立たなかった。 二人は『総武線千葉駅ホームの進行方向一番前』で会うことにした。気持ちを『前向き』にするため『一番前』を選んだのだ。しかし、ここは終着駅なので、折り返して電車が出発すると『一番うしろ』になってしまう欠点が有った。だが、そんな事にかまってはいられない。二人は勇躍駅を後にした。 ■ 快調な滑りだし、16号 ■ 16号沿いの歩道で用意をする。前回強烈な靴ずれの痛みに悩まされただけに、今回は、テーピング、ワセリン、ガムテープで、対策に万全を期す。用意が済んで立ち上がると、お巡りさんが自転車を止めてじっと見ているのに気づいた。二人は何も悪い...

「茨城46億年後の一期一会 .4」1996

1 ・ 2 ・ 3 ・ 4 ・ 5 ・ 6 ・ 7 <高萩 - 犬吠埼・ブレード走行記4 2日目後半> 2日目/8月1日(木)「大洗海水浴場から大竹海岸・民宿大竹まで」 ◆ 昼下がりの・・、大洗海岸 ◆ 昼食を終えたあと、ちょっと長めの昼休みと言うことになった。 森広君は汗に濡れたTシャツを脱いで日なたに乾し、上半身を焼き始めた。とにかくこの男は、すぐ赤く腫れてしまうくせに、一気に焼かないと気がすまないと言うやっかいな奴なのだ。それに引き換え、足の痛みで予想以上に疲労している新妻君は、海の家で有料のシャワーを浴び、気持ちの張りを取り戻そうと懸命である。 その間キャプテンは、海の家のベンチに座って、ワセリンや日焼け止めを塗り直したり、サングラスの汚れを落としたりしていた。その横を、海から上がって来た何人かの男女が通り過ぎて行く。午後の強い陽差しにみな目を細め、シャワー室に入って行くのだった。 何度か、店番をしているオバサン達のカン高い笑い声が聞こえて、また静かになった。そのあとは、通り過ぎる車と風の音しか聴こえて来ない。 「オレにとっては・・、ここは、日本の裏側だ」慣れ親しんでいる天津小湊や九十九里の海に比べると、ここは本当に見知らぬ海だった。 「これが大洗海岸と言うものか・・」どうしようもない寂寥感が胸に迫った。やっぱり、ゴブリンズキャンプは、犬吠埼ではなく天津小湊にした方が良かっただろうか、と想う。 ・・いや、だめだ。あの海には想い出が多すぎる。 やがて、シャワーを終えて来た新妻君が隣のベンチに座った。彼は自分の足に巻かれたテーピングを剥がそうとするが、すね毛が絡みついているのか、何度も「だあー!」と言う激しい悲鳴を上げていた。そのうちたまりかねて、アウトドア・ナイフで毛を切りながらテープを剥がす、と言う荒っぽい戦法に出た。 その時キャプテンは、彼の足首に大きな靴ズレの跡が有るのを見つけた。やはりツメだけではなかったようだ。それを見て、もうこの先、新妻君が復活することは無いだろうと想った。どんな治療を施しても、このまま延々と苦痛が続くだけであり、楽しいことはひとつも無い。ひょっとすると完走さえ危ないかも知れない。 「ワセリン塗っとけよ、ほら」と彼に差し出すと、意外なほど素直に受け取り、靴ズレの患部に塗り始めるのだった。ひとが薦めるものをことごとく拒絶するヘソ曲が...

「三年ぶり、ブレード走行熱海」1999

< 三年ぶり、ブレード走行熱海 > ★1996年の夏、高萩 - 犬吠埼の茨城走行が終了したあと、ゴブリンズの周辺は一変してしまった。レギュラーメンバーの約半分が、仕事のためハワイに移住してしまったのだ。もちろんチームは事実上活動休止。ブレード隊もバラバラになってしまう。・・ そ れから、約3年の年月が流れて、ゴブリンズは一人また一人と、再び仲間が集まり始めていた。 だが1999年5月2日、まだ何かが足りないキャプテン高橋は、ついに三年ぶりのブレード走行を行うため、一人列車に乗っていた。向かった場所は伊豆。出発地点は熱海。かつて1996年の春、森広隊員と滑った湘南ブレード走行(茅ヶ崎 - 熱海)の続編を決行するためである。 熱海の駅を降りたとき、時計は午前10時をまわろうとしていた。天気はこれ以上無いと言う快晴。陽差しがまぶしく、歩くだけで熱気を感じる。ただ、時折り吹く風はひんやりとして心地良かった。 駅前通りの坂を下って、途中、自家製パン屋で、アンドーナツと、カレーパンと、クロワッサンと、桃の天然水とを買った。パンは焼きたてでまだ暖かく、ふんわりとしている。 そこから土産物屋が並ぶ通りを抜けて海岸へ出る。右手方向の、これから向かおうとする135号線の先に目をやると、急な上り坂の道が、山の向こう側にまわり込んで見えなくなっていた。そこを、ゴールデンウィーク中の渋滞した車が、ノロノロとうごめいているのだ。 少し気が重くなっていた。もっと普通の日にすればよかったと想う。それでなくても伊豆は、道が狭い、アップダウンが多い、迂回路が無いと言うことで、ブレード走行禁断の地と言われ続けて来たところである。しかもあの車の数だ・・ しかし、このところ週末は雨続きで、連休に入ってようやく上天気になったのだ。これ以上待つと、次のチャンスはいつになるか解らない。 ともかく一服して、パンをおやつにしながらメールを書こうと想った。今回はゴブリンズへのモバイルメールで、ブレード走行のライブ中継をやろうと想っていたのである。 砂浜への広い階段を中ほどまで降り、海を眺めた。水ぎわをたくさんの人々が歩いていた。 その場で腰を降ろし、携帯電話とザウルスを取り出す。まぶしすぎるので、ツーリング用サングラスをかけた。そうして、5月の心地よい風に吹かれながら、メール文を考え始めるのだった。(このころ携帯メール...

「湘南の海、エンドー苦難の道」1993

< 横須賀 - 茅ヶ崎・ブレード走行記 > 1993年。ゴブリンズ・ブレード隊、キャプテン高橋と遠藤忠隊員は、10月23日と24日の二日間に渡り、三浦半島の横須賀から茅ヶ崎まで、約75kmを無事完走したと発表。この完走によりキャプテン高橋の通算走行距離は359.4kmとなった。                    目次 うれしはずかし出発の時 三浦海岸! これを見に来た 遠藤殺しの坂が待っていた 史上最大のピンチである?! ついにブレード隊、初の野宿なのか・・? 二日目、最高の出発 湘南・超観光ルートを行く 日曜の午後の終わり ◇ うれしはずかし出発の時   ◇ 「だめだ、間に合わん!」 時計を見ると、7時55分。東急東横線の急行はたった今、 渋谷を出発したばかりだった。約束は横浜駅の改札に8時だが、この分では8時半ごろになってしまうだろう。昨晩、荷物の用意をしている内に夜が更けてしまい、キャプテンは今朝少し寝過ごした。しかし興奮のあまり眠れなくなった訳では無い。もう子供ではないのだ。 ドア際の窓から空を覗くと、雲は多めだが気持ちの良い秋晴れ。10月23日(土)、この週末の天気に問題は無い。ただ、なぜか寒さがとても心配だった。必要以上に気にしてしまったのは、第三次ブレード隊『富士五湖周回走行10.24』からちょうど1年、あの富士山麓の標高の高さと、降りしきる雨の記憶のせいに違いなかった。 予想した通り8時30分に横浜駅に着いた。改札を出ると、憮然とした遠藤隊員の姿が有った。「悪い、悪い。寝過ごした」仕方なくキャプテンは笑ってごまかすのだった。 日頃、野球の試合などでは、周囲から時間に厳格だと思い込まれているキャプテンだが、何を隠そう、中学・高校の6年間、常に遅刻回数・学年トップを誇って来たクセ者なのである。その頃の1年間の平均遅刻数は約70個。これは野球に例えれば『盗塁王』に匹敵するのはないかと一部ではささやかれているが、さて、どんなもんだろう・・ 二人はそこから京浜急行に乗り換え、横須賀中央駅へと向かった。気温24.3度、まずまずの走行日和だ。このくらいの陽射しが有れば、走っている内に体温の上昇でちょうど良くなって来るはずである。間近に迫った出発に備えて色々と考えは及ぶ。もう一人の隊員、新妻氏は、なんだかんだと急用が出来て、今日は来れなくなった。 横須賀...

「南房総に夏の終わりの夢を見た・後編」1992

      「南房総に夏の終わりの夢を見た」後編   >前編に戻る ★1992年8月21日(金)15時。キャプテン高橋とゴブリンズ新人・新妻英利は、ついに総武本線千葉駅から鴨川キャンプの拠点、民宿ウエダ(天津小湊町)までの162.2キロをローラー・ブレードによって走破する事に成功。これは前回の東京-富士間77.5キロを、84.7キロ上回る距離であった。 千葉 - 鴨川ブレード走行記 3日目 〜 4日目「鋸南町 〜 白浜 〜 天津小湊」 *目 次* あきらめるな道は必ず開ける 海岸線、防波堤を行く 昼飯はそばと決めていた ここは何処だ、遠いところだ フラワーライン、組曲惑星が聞こえた 旅館か民宿か、迷うところだ 気を許すな、音無き警鐘を思い出せ 赤い道は滑りやすい やっぱり昼飯はそばに限る たまらん隊がゆく・・ そして旅が終わった ■ あきらめるな道は必ず開ける ■ 8月20日。昨日トンネルに道を阻まれ、予定よりも大幅に遅れてしまった。千葉駅を出発して、60km進んだだけである。あと2日で100km行かねばならない。 新妻君は一時『岬』の女主人が言った近道も捨て難いと、迷い始めていた。肉体的疲労に加え、追突事故を目の当たりにしてしまったこと、トンネルの恐怖などが影響していた。 実はキャプテンも同じような心理状態にはあったのだが、この旅はただ目的地に着けば良いのではなく、162.2kmを走破しなければ意味が無いのだった。さらに、館山から白浜あたりまでの南房総を通らなければ、彼の想い描いたイメージは完成しない。彼は新妻君の決心がつくのを待った。しかし、もしどうしても駄目だと言ったならば、無理強いはするまいとも思っていた。 「でも、女主人の言うなりになったら、負けだな。ダメだったら、歩けばいい。行きましょう!」こう言って新妻君は気持ちを固めた様子であった。 あきらめる時は、にっちもさっちも行かないその現場で、はっきりケリをつけてからあきらめる。後は電車でもバスでも使えば良いのだ。途中であきらめてしまったら、可能性も幸運も使わない内に手放してしまうことになる。とは言え、キャプテンの心の中には、あきらめない勇気とあきらめる勇気とが互いに見え隠れしていた。 ・・と言うように、三日目は少しカッコつけた書き出しになってしまったが、実際は結構だらだらと出発したのである。 滑り出して、初...