1996年8月。ゴブリンズの夏季キャンプが、千葉県犬吠埼の長崎町で行われることになった。そこでゴブリンズ・ブレード隊の高橋文昭、新妻英利、森広康二の三名は、その四日前に茨城県高萩市を出発。犬吠埼・長崎町までの135kmを、4日間かけてインラインスケートのみで南下し、ゴブリンズのメンバーと落ち合う、と言う旅を計画した。
◆ 主な登場人物 ◆
ブレード隊・キャプテン高橋 草野球チーム・ゴブリンズのキャプテン。34歳で初めての長距離ブレード走行を敢行。今回、通算走行距離1000km突破を目指す。
塚本じいさん 高萩の外装の汚いビジネスホテルのオーナー(現在廃業)。
民宿大竹の女将 茨城弁丸出しの美人ママ。
その女将の子供 出発時に見送りしてくれた疑り深い性格の女の子。
グリル鹿島の娘 バカッ丁寧な言葉使いの少女。
鹿島ガンプ 奇妙な質問を発し、自転車で延々とブレード隊を追いかけて来た不思議な人物。
旅館かわたけの女将 無理を承知で泊めてくれた太っ腹人情女将。
◯◯高校サッカー部 『かわたけ』に泊まった礼儀知らずの合宿軍団。
1日目/1996年7月31日(水)「高萩海岸から日立駅前そば屋まで」
◆ 不吉なる序章 ◆
この旅の始まり、不吉な出来事が起こった。ブレード隊三人が乗り込んだ列車が、ある時点から、「ガラガラ、ガツン!」「カン、カラン、ゴンッ!」と言う、石が車体にぶつかるような激しい音をさせ始めたのである。
初めは、「また、カラスがレールに石を置いたな」などと冗談めかしていたが、それが延々30分近くも続くとなると、ちょっと笑えなくなって来る。ノンストップで疾走する列車から見れば相当な距離となるからだ。こんな長距離に渡って、いくらなんでもカラスや子供が置き石などするだろうか。
ブレード隊だけではない、他の乗客も不安を隠し切れず、盛んに別の車輛に行っては同様の音がしていないか確かめている。「列車のパーツが一個ずつ落っこてるんだ・・」新妻君が不安げに言った。
そう言われてみれば、さっきから変な揺れ方してるような気がする・・、冗談じゃねえぞ! 脱線転覆するのかあ!・・そんな妄想が広がる。
今夜、午後7時半、三人は上野駅で待ち合わせ、茨城県高萩市を目指して意気揚々とJR常磐線に乗り込んだ。しかし、こんなことになるなんて・・
だが、不穏な音をさせながらも、特急列車は何事も無かったかのように進み、車内放送の説明も無く、けっきょく原因も何も解らないうちに、終点『高萩駅』に到着してしまうのだった。
「あの不気味な音は、いったい何だったのか? 常磐線ではいつものことなのか?」キャプテン高橋、新妻隊員、森広隊員の三名は、すっきりしない気持ちのまま荷物を担ぎ上げるのだった。
この幸先の悪い出だしに、さらに追い打ちをかけたのが、今夜ここ高萩市で泊まることになっている『ビジネスホテル塚本』だった。
まず、このホテルに決まったいきさつが不可解である。昼間キャプテンが、『高萩市旅館組合』にお願いして、いくつか宿を紹介してもらおうと想った。ところが『旅館組合』と紹介されている電話番号にかけると、いきなりこの『ビジネスホテル塚本』が出てしまったのである。面食らっているキャプテンをよそに、話しはトントン拍子、気がついたらもう泊まることに決まっていた・・
おかしい、何か有る・・・
駅を出て、線路を渡る歩道橋を歩いていると、「突如!」と言う感じでその『ビジネスホテル塚本』が見えて来た。と、それを見た瞬間、不吉なものが走ったのだ。センスの悪い看板、薄汚れた建物。
「ほか探してみるか?」キャプテンも怖じ気づいていた。彼は以前、泊まった宿で怪異現象に見舞われると言う苦い経験を持っていた。
「すっぽかしても大丈夫だと想うけど・・」そう言って尻込みはしたものの、一応予約した手前失礼である。それに午後10時、他を当たるには時間的に面倒だった。
けっきょく「これも何かの縁なのである」と言いきかせ、小心者三人、無い勇気を無理やり奮い立たせるも、「人知を越えた邪悪なモノに引き寄せられているのでは・・?」との戦慄も走り、それこそ決死隊の覚悟で扉を開けたのだった。
「ご・・、ごめんください! すみません!」その声を出迎えたのは、ヨロヨロのおじいさんだった。その姿からは邪悪な気配は感じられないが、いやいや、油断は出来ない。
『フロント』と言うよりは、いわゆる『受付』で、三人はそれぞれ住所と名前を書き、前金で宿代を払って部屋のキーを貰った。・・と、なんとその直後、ついに怪異現象は起こったのだ。
三人は、二階のツインの部屋に新妻君と森広君、シングルの部屋にキャプテン高橋が泊まることになったのだが、キャプテンが指定された部屋のドアを開けると、その瞬間、中からまばゆい光が漏れ、誰もいないはずの床には、古ぼけた革靴が・・
「な、なんだこれは!」と、転げ落ちるように階段を降り、『受付』の窓を叩く。すると、出て来たおじいさんは、「ヒヒヒ・・」と笑い、「まちがえました」と言って正しいキーをくれたのだ。
なんてこった! どうやら、おじいさんは、誰かが外出のため置いて行ったキーを、うっかりキャプテンに渡してしまったらしい。
何だそうだったのか、と安堵したのもつかの間、さらにドギモを抜く事態が起こっていた。と言うのも、部屋に入って見てびっくり、何とこれが、外観からでは想像もつかないほど、奇麗な良い部屋だったのである。
シングルとツイン、互いに部屋を確認しあい、三人は意外な展開に顔を見合わせていた。そして、想いもかけぬ幸運に、初めて喜びを噛みしめ合うのだった。
「ここまで色んなことが有ったけど、こんな良い部屋に泊まれるなんて逆にツキが有ったんだ。・・塚本じいさん、疑ってごめんなさい」
そうなんだ。見た目じゃ無い、中身が大事なんですよね、塚本じいさん。だけど、もう少し「ガワ」にもお金を使った方がいいですよ、塚本じいさん。・・塚本じいさんは、今日もたくさんの人々の旅立ちを見守っている。
さて、部屋は安心、次ぎは晩飯だ。上野駅で列車を待っているとき、新妻君がトイレに行ったまま行方不明。探している内に弁当を買いそびれ、車内販売もすぐ手前の車輛で引き返すと言う、見事なまでの蛇の生殺し状態に見舞われて、けっきょく終点まで何も食べずに来てしまった。
しかも『高萩駅』に着いたのは午後10時。駅前歓楽街の夜はふけて・・、食事の出来そうな店はみんな閉まっていた。「これじゃ、何処で何を食えばいいんだ?」
◆ はずかしい出発・・ ◆
出発当日の朝。キャプテンが二人を起こしに行くと、目を覚ました新妻君が、いきなり「何も出ませんでしたか?」と聞いて来た。
昨夜、キーを渡されて、「若いモン二人はツイン、高橋さんはシングルと言うことにしましょう」と勝手に部屋割りをしたのが新妻君であった。これまで金縛りをはじめたびたび怪異現象に見舞われて来たキャプテンを遠ざけ、怪異現象起こすなら一人で起こしてくれ、オレ達は静かに眠る、と言わんばかりの下心で部屋割りをしたのに違いないのだ。
とにかく顔を洗って朝飯にしよう、と言うことで出入り口まで降りて行くと、今朝は受付におばあさんが座っていた。三人はそのおばあさんに教えられた店に行き、サンドイッチやお握りを買って朝飯とするのだった。
「東京とはまるで味が違う」食べ始めて間もなく、新妻君が感心したように言った。確かにお握りもサンドイッチも、この程度だろう、と言う予測をはるかに上回る味に仕上がっていた。
「ああ、この前オリンピックの番組にも出てたね。あの娘、可愛いよなあ」と言うと、「そうなんですよ!」と、想いがけず新妻君がリキんだ。
彼は、森広君の「みんなちゃんとチェックしてるなあ」と言う声も聞こえないようすで、「ほんとに可愛いんですよ! なんかこう・・、光り輝いてますよ!」と、夢見心地の新妻隊員であった。
出発は、駅から少し歩いたところの住宅街。新妻君は久しぶりのブレード走行に、周囲の目を気にしてやたら恥ずかしがっていた。
「オレは学生だ・・オレは学生だ・・オレは、学生なんだ!」
彼は、自分が社会人ではないと言う暗示をかけることによって、なんとか急場をしのごうと必死である。それに引き換え、最近、羞恥心が無いと言うことが発覚した森広君は、まったく動揺を見せず、それどころか、「パンツ一丁でも滑ってやる!」とやや興奮気味。
この発言にキャプテンは、彼にパンツ一丁残す常識が残っていて良かった、と後に語っている。
準備が整ってから、海辺へ向かって滑り始める。海岸までほんの二、三百メートルだろうか、昨夜駅に降り立った瞬間、潮の香りに気づいたが、それほどここは海に近かったのである。
住宅街の道を幾つか折れ曲がり、間もなく海辺に出た。『高萩海水浴場』『高萩ビーチガーデン』などが有る観光地である。このさらに北には『高戸浜』と言う、日本百景にも選ばれた景勝地が有る。
ここからは防波堤の上を滑ることにした。この付近には国道6号が走っており、それに乗って南へ行けば、道路的には問題は無いのだが、大型トラック、ダンプなどの激しい往来が予想されるため、出来るだけ裏道を滑って行きたかった。それにやはり、海を見ながらの走行は気持ちがいいものである。
ここ高萩の海は、周囲に有名な海水浴場が有るためほとんど知られていないが、水の透明度が高く、ゆったりとした遠浅で、しかも砂がとても白い。知る人ぞ知る穴場の、美しい海なのである。
その高萩の、海の朝はとても気持ち良かった。陽射しを受けて波しぶきがまぶしく、温度計を見ると24℃。海からの風が冷んやりとして爽やかだ。酷暑炎天下走行を覚悟して来ただけに、とても嬉しい。
昨年の千葉走行では、同じ時刻の路面温度は38℃を越え、午後には45℃にまで達していた。あれを想うと、これはまったく別の季節だ。この地方ではいつもこうなのだろうか。それとも今日は特別なのだろうか。
このあまりに素晴らしい出発に、「ど!ど!ど!、どえーっ!」と歓喜の声を上げたい気分だったが、やめた。
その防波堤は4kmほど続いただろうか、ある場所まで来るとぷっつりと切れていた。新妻君があきらめ切れず続きを探しに行ったが、ダメだった。残念だが、どんな道にも終わりは来る。ひとまずここから国道6号に出てみることにする。
国道6号は車通りの激しい道路だった。しかもほとんどが大型ダンプである。右手には田園風景が続いているが、歩道が無いので、まったく気を休めることが出来ない。おまけに途中から工事で路面が荒れてしまい、いっそう苦しくなった。たまらず新妻君は、田んぼの向こうの旧道へ行こうと提案するが、かなり遠いので即断は避け、ひとまず水分休憩を取って考えることにした。
ドライブインの自販機の前で座り休んでいると、トラックの運転手らしき人物が話しかけて来た。「銚子まで行く」と告げると、彼は、あきれてものも言えんと言う顔をした。
森広君はこう言う一瞬の会話を、「実りの無い会話」と言って嫌っていた。しかし、これが無いと単なるスポーツになってしまうのだ。長距離ブレード走行は、スポーツであると同時に旅でもある。道中の会話は、『実り』や『情報交換』のためでなく、『ふれあい』と言う人情話でもない。
地球が出来てから46億年、人類が誕生してから500万年。目の前に現れる人物は、生まれた時代が100年ずれただけで出会うこともなく、こんな奇妙な旅をしなければ声をかけて来ることもなかった、そう言う人々なのだ。その奇跡のような一瞬への感謝のしるし、つまり、『一期一会』への気持ちの表現なのである。
休憩を終え、立ち上がって先ほど新妻君が言っていた旧道を眺めたが、道の先が不確かで判断出来ず、けっきょくまた6号を進むことにした。滑り始めると、うまい具合に歩道が現れた。とりあえずはこれを行くことにしよう。
しばらく何の問題も無くそこを滑って行ったが、ある場所で突然歩道が切れたので、脇道を見つけ、そこを行くことにした。その道は車通りがなく、これなら落ち着いて滑ることが出来る、と想ったその時だった
「茨城ではスケートは出来ませんよ。やめてください」と誰かの声がした。
驚いて振り向くと、後ろからバイクに乗って来たお巡りさんだった。これは長距離ブレード史上初めてのことだった。これまで警官に励まされたことは有っても、注意されたことは無く、まったく意外な出来事だった。
彼は三人それぞれに近づき、同じようなことを言ったらしい。キャプテンは反射的に、「すみません」と謝ったが、ここまで来てしまったら、どうすることも出来ない。どうなるんだろう? と一瞬あせったが、それ以上は何も言わず走り去ってしまったので、ブレード隊もそのまま進むことにした。
交通法規について、ブレード隊はむしろ、一般の歩行者や自転車よりも確実に守っているはずである。また、一部のサイクリング車に見られるような、威圧的な走行など論外で、地元の人々と目が会ったら、出来るだけ笑顔で挨拶するよう心掛けている。
とにかく無法者では無いことをアピールしつつ、先へ進むことにします。
◆ 危険信号! 新妻隊員 ◆
警官に注意された地点から、道はやや上り坂になって、再び6号と合流することになった。左側をガードレールに守られながら進む。林や草むらが有って、雰囲気的には山道である。上りが続くが、それほどでもない。
キャプテンが振り向くと、上りに強い森広君がすぐ後ろに、少し遅れて新妻君が滑っていた。この時キャプテンは、漠然と、3人のペース配分が難しくなるかも知れない、と言う予感がしていた。
やがて上りの頂点に達し、今度は大きく下る。その付近からポツポツと家や商店が見え始め、駐車する車の間を擦り抜けながらの滑走となった。
下りながら左へカーブ。坂を降りると道幅が広がり歩道橋が見えて来た。その先にはちょっとした住宅街が見えている。歩道橋の下を潜ると、久しぶりにコンビニエンス・ストアーを目にした。
店の前を過ぎて、また緩やかな上りが始まった。幾つか倉庫やガソリンスタンドの前を通り過ぎて行く。空間が広々として感じられる。
坂を上り切ると歩道が無くなり、その替わりに広い路側帯が現れた。静かに下って行くと、山が途切れて、遠方に海と岬が見えて来た。「海だ」と言う気持ちを込めて振り向くと、新妻君も気づいていて、海の方向を指さした。「海辺へ行きましょう」と言う合図のようだったが、舗装されていないあぜ道ばかりで行けそうになかった。
午前10時。少し霞んではいるが天気は晴れ。路面温度が26~27℃辺りを行き来している。「あまりに楽な走行だ」キャプテンは想った。
気温もそうだが、3人と言うことで、絶えず誰かがペースメーカーとなり、スピードが加減されているからだ。ただ、少し物足りないような気もした。
「もっとすっきりと晴れてくれなければ困る」との森広君の言葉通り、この物足りなさはモヤモヤとした空のせいかも知れなかった。しかしここ日本では、『すっきりした青い空と白い雲』が現れると、それはもう夏が終わったと言う知らせなのである。
いま道は、地上より10mほどの高架道路となっている。見下ろしたすぐ下から、はるか向こうに見える山の中腹まで、びっしりと家並みが続いていた。そこを風は、海から一瞬の内に吹き上げて行く。
キャプテンは遠い道の先の、白く霞む風景を眺めていた。車がかげろうに揺れ、スローモーションのように見えている。
そのまま延々真っすぐに進み、数kmの距離を滑って行くと、やがて螺旋状になった巨大な立体交差に近づいた。どうやら、常磐自動車道の日立北ICへと向かう分岐路のようであった。
あの螺旋をくぐり抜けるのは、どう見ても危険だった。どうしたらいいだろう? と不安な気持ちで進んで行くと、滑っていた路側帯が、車道から別れて一本の細い道となっており、立体交差の下のトンネルへと続いていることが解った。歩行者や自転車はあそこを抜けて行け、と言うことらしい。
背丈ぐらいの鬱蒼たる草むらの中の道へ、ヒールブレーキを使いながら滑り降りて行く。足元まで見えなくなって気味が悪かったが、アスファルト路面がトンネル内まで続いていて助かった。
そこを抜け、立体交差の向う側へ出ると、その先にはまた広々とした国道が続いていた。同じような景色の連続に疲れて来た三人は、しばらく進んでから、海へ出られそうな道を探すことにした。適当な交差点を選び、そこを左折する。
それは思った通り海辺へと続く道だった。やがて潮の香りを含んだ風が吹き始めた頃、崖っぷちに面した静かな公園を見つけた。そこで休憩することに決め、草の上をブレードのままアヒルのように歩いて行って、ベンチで荷物を降ろすのだった。公園は松林で陽射しが遮られ、木漏れ日が落ちていた。海からの風がとても気持ち良かった。
すぐに新妻君が崖っぷちまで歩いて行き、キャプテンも後を追った。海は崖の下に有った。20mぐらい眼下に青い海面が見えていて、足元からは松の根っこが飛び出していた。地面が崩れ落ちた跡である。
「そこ、危ないですよ」新妻君の言葉通り、あまり端に立つと崩れそうな感じがした。恐る恐る海面を覗き、岸にそって視線を辿って行くと、今まで滑って来た方向に岬が見えていた。地図で確かめるとそれは、『鵜の岬』らしい。ガイドブックによれば、海鵜の渡来地だと言うことで、そこで捕らえられた海鵜が『長良川の鵜飼い』に使われるそうである。
振り返ると、いつの間にかベンチに戻っていた新妻君が、裸足になって足をさすりながら呻き声を上げていた。「ツメが剥がれるかも知れない」と言うのだ。
彼の使用しているインラインスケートはカナダ放浪中に購入した『バウアー』の最高級品。だがいかんせんサイズが少し小さく、カナダでは100kmほどでツメを剥がしたとのこと。今回も同じような症状が出始めており、このままだとツメの剥離は必至だろうと言う。出発前、サイズを広げようとつま先の樹脂部分を熱したと聞いたが、ただ焦がしただけに終わったようだ。
それはいいけど、今回彼は、足の指が1本1本別れているソックスを選んで来たのだが、それを脱いで干していると、正体の解らない生物の死骸のようで、見た目が非常に気持ち悪い。
足の状態を調べている新妻君を見ながら、「もうすこし休んでいくか・・」とキャプテンが言った。彼の足が気に掛かっていたのだ。ブレード痛は「不治の病」なのである。一度痛み出したら最後、走行中に直る見込みは無い。
昨夜新妻君はガイドブックを見ながら、「あっ、中性代白亜紀層、これ見て行きましょう。あっ、古墳も有る。・・ガラス工芸体験もいいですねえ。笠間焼オリジナルカップ製作、これだ!」などと、名所旧跡、体験スポットを訪ね歩く『新・諸国漫遊記』風ブレード隊を主張し始めたのだが、このままツメが剥がれたら、本当にそうなってしまうかも知れない。まあよい、今回はゆっくり行こうや、と言うことで、三人それぞれ、松の根っこに立ち小便など振る舞って時間をつぶすのだった。
・・その直後、松ポックリが頭に落ちて来たのは、なんか怪異現象なのだろうか。
◆ 昼飯はソバに限る! ◆
やっとの想いで出発することになった。
20分ぐらい休んだだろうか、何となく身体がだるくなってしまった。ちょっと休み過ぎたかな、と思う。休憩や仮眠は10分程度が良いと言う。人間の脳は、その行動や運動パターンに合わせて、必要なホルモンを分泌しているが、10分以内であれば、その「分泌アイドリング」を停止させることなく疲労回復することが出来るのだ。
特に新妻君のように運動中に痛みが有る場合など、長すぎると痛みを緩和する脳内麻薬の分泌が停止し、再開時にかえって激しい痛みを伴ってしまうのである。このアイドリング停止の状態を、スポーツでは「身体が冷えてしまった」などと表現する。
冷えてしまった身体を奮い立たせ、再び滑り始める。身体が暖まってどうにかノリを取り戻すと、坂をひとつ登ってまた下り、海が見えるところまで降りてきた。車の多いのが気になるが、それでも、海の気持ち良さにはかえられない。
前方を見ると、はるか先を行く森広君が、車を止めた男二人に話しかけられていた。間もなくキャプテンが近づいて行くと、「銚子まで行くんだって? どこから出発したの?」と話しかけて来た。「高萩から」と、答えると、「そう・・、それじゃあ、まだ出発したばかりなんだね」一人がそう言った。彼らの背後には、光を反射する大きな波が見えていた。
想ったよりアップダウンが多く疲労が激しいので、三人は合図しあって再び国道に出ることにした。海沿いから国道6号に戻るには、かなり急な上り坂を行かなければならなかった。路面温度28℃、今回初めて、したたり落ちるような汗を経験する。
長い上りが終わって、6号との交差点を左に行く。しばらくして道が広くなり、涼しげな並木道の日蔭が見えてきた。道沿いの建物も少しずつ大きく奇麗になって、ちょっとした市街地に入り込んだらしいことが解る。
ここへ来て新妻君の速度が大幅に落ち始めた。足が痛むのだろうか。「まずいな。ちょっと休むか・・」そう想って時計を見ると12時30分、昼飯時でもある。
そうこうする内、歩道橋でしか渡れない交差点に出くわした。面倒なので、左に折れ石畳の歩道を進む。間もなくその道は『日立駅』の駅前通りなのだと解った。けっきょく駅のロータリーの手前まで行ってソバ屋を発見、そこで昼食をとることにした。
キャプテンはひどく喉が渇いていたため、ソバの前に何か飲み物をと、隣の『ケンタッキー・フライドチキン』でコーラをたのむことにした。ところが東京と違って、店員の女の子がやたらノロノロしているのである。キャプテンの前には二人しかいないのに、どんどん時間が過ぎて行く。だんだんイライラして来た。
・・だが、そこでハッとした。いかん、ここは東京ではないのだ。この程度でイラついてはいけない。郷に入っては郷に従え。むしろ、店員の可愛い女の子をゆっくり見ていられるじゃないか・・、と思うことにする。外で待ってる二人? そろってアホ面させとけ。
待ったかい有ってか、コーラは強烈に冷えていた。「すまんすまん」とキャプテンが戻って行くと、待っていた二人は、「ずうっと、遠くへ行っちゃったのかと想いましたよ」と言った。
二人はいつの間にか着替えていて、汗だくのハイテク繊維Tシャツを道端の街路樹に引っかけて干していた。キャプテンは思った。「こいつら、完全に景観を壊している」
ソバ屋に入ってテーブルに着くと、ブレードとザック担いだ異様な三人組に、オバサン店員はやや及び腰で水を運んできた。キャプテンと森広君は『もりソバ大盛り』。新妻君は『冷やし五目ソバ』を頼んだ。注文を受けるオバサンの声がそっけない。
やがて運ばれて来た『もりソバ大盛り』は本当に大盛りだった。こんな大量のソバを見たのは何年振りであろう。おまけにつゆの味も格別。大食いの森広君も納得のようである。大満足の内に平らげた後は、ソバ湯を注文。そのころにはオバサン店員も『愉快な三人組』だと解ったらしく、少し愛想良くなっていた。
これは後にハッキリすることだが、食事中のブレード隊は、じつに幸せそうな顔をしているらしい。それが作り手に伝わって、急に愛想が良くなったり、想いがけないサービスを受けたりするようなのだ。
コメント
コメントを投稿