スキップしてメイン コンテンツに移動

「茨城46億年後の一期一会 .3」1996

1234567
  
高萩 - 犬吠埼・ブレード走行記3 2日目前半
 
2日目/8月1日(木)「旅館須賀屋から大洗海水浴場まで」

♪シェー、シェー、シェー、シェーふ・・

朝9時半。旅館須賀屋の前で出発の準備をしていたその時、新妻君が、あるコマーシャルソングを歌い始めたのだが・・
「♪シェー、シェー、シェー、シェーフ・・シェーフーズ、パスタ・・シェーフーズ、パスタ・・」高島政伸! なんで、「♪シェーフーズ、パスタ」のところで、土管の中で歌ってるみたいな、あんな、気味の悪い声になってしまうんだ!

それが、二日目の出発の始まりだった。


東海村、原子力発電所前でエンヤを聴く

今回の旅の出発前、ゲーム後に入った新宿の喫茶店で、ゴブリンズのメンバー横山君の言葉にひらめいたことが有った。

「今度のブレード走行のBGMには、
エンヤを録音して行こう」

これまで色々聴いて見た結果、走行中のキャプテンの音感にマッチするのは、あたかも空中から聴こえて来るかのような、広がりと厚みを持つサウンドだとわかった。そしてその多くが、環境音楽的ジャンルに集中していたのである。

その話しを聴いて、横山君が、「エンヤとか?」と尋ねたのだ。その直後は、「いやいや、そうじゃなくて」と答えたのだが、喫茶店を出て駅へ向かう途中、「そうか、エンヤと言う手も有るなあ」と想えて来た。そして、そのままレコード店へと向うことになったのである。

その『ENYA』の新しいアルバム『THE MEMORY OF TREES』を聴きながら、今、東海村の『日本原子力発電所』のすぐ横を滑っている。

原発と言うと、もっと殺伐としたところかと想っていたら、高い壁の向こうは、深い森のたたずまいだった。時折り守衛が立ちはだかるゲートが現れ、そこから中を覗くのだが、見えるのはたくさんの木々ばかりだった。

この日本の草分け的原発には、キャプテンの友人のお兄さんが勤めており、むかしその人から色々な話しを聴かされたせいか、とても印象深い走行となった。

『トイレの無いマンション』などと言われ、各地で悶着を起こしている原発だが、じつは、我々はもう発生させる電力のほとんどを使い込んでいるそうなのである。特に夏の甲子園、高校野球の準決勝、日本中がエアコンを付けテレビに夢中になるその瞬間、その年の電力のピークが来る。その日を停電無く迎えるためには、残念ながら、すでに原発は不可欠なものなのだと言う。

そんなことを考えていた時、偶然、キャプテンのヘッドホンから、賛美歌のようなエンヤの歌が流れ始めたのだ。それはまるで、悲しい祈りの声のように、キャプテンには聞こえた。


恐れるに足らず!東海村

出発して間もなく、久慈川を渡り、当初一日目の到達点としていた『豊岡』に着いてみると、そこは宿など見当たらない閑散とした町だった。もしあのまま須賀屋に泊まらずに来てしまったら、宿も無く、引き返すことも出来ず、きっと途方に暮れていたに違いない。

その豊岡を過ぎると、一気に森に囲まれた田舎道となった。大型トラック、ダンプの行来が激しく、路面温度も32度を越え、かなり焼けそうだが、日照り希望の森広君は逆に元気が出てきたようだ。

昨晩、旅館の女将さんから、「以前、自転車でやって来た人が、東海村で力尽きてこの宿に泊まった」との話しを聞かされ、「東海村は恐ろしく起伏の激しいところに違いない」と覚悟して来た。しかし出発してここまで来てみると、それほどでもない。いや、むしろ原発沿いの歩道は広く滑らかで、進みやすいことこの上なく、足の痛い新妻君のことさえ忘れてしまうほどだったのだ。

雑貨屋の前でひと休みしたあと、『日本原子力東海発電所』から『日本原子力東海研究所』を経て、そのまま国道245号を南下する。そして最後に、大サービスの長い下り坂を一気に滑り降りると、東海村原発の広大な敷地もようやく終わった。

この間、登り下りは数箇所有ったものの、やはり大したことはなく、「東海村恐れるに足らず!」で、覚悟して来た分、少し拍子抜けだった。

坂の底は小さな田舎町となっていた。幾つかの店や家の軒先を抜け、町外れまでまた緩やかに登りになった。そこを登り切ると、今度は茫漠とした田園風景が広がった。

ガードレールはあるが、内側はところどころ砂で埋まっていて足を取られた。仕方なく車道に出て、車が来るたびにスローダウン、と言う走行になった。ただ幸いにも、通り過ぎる車はみな好意的で、クラクションを鳴らすことも無く、それどころか、すれ違いざまには速度を落とし道を空けてくれるのだ。その度にこちらも「ありがとう」と、軽く手を上げて挨拶をする。

出発前、245号を真っすぐ内陸方面へ行くか、それとも国営ひたち海浜公園を通って海に出るかで少し揉めた。「海辺はかえってアップダウンがきつい恐れもある。だったら平坦な245号を行った方が無難なのでは?」と言う意見が出たからだ。

しかし、風景が寂し気で、車の往来にも気を使う状態が長く続いた結果、いつしか「海浜公園へ行ってみよう」と言う気持ちに傾いて行った。そして誰からともなくそれを言い出し、道を探しながら進むこととなった。


鳥になった? ブレード隊

すでに『ひたちなか市』に入っていた。海浜公園はもうじきのはずである。交差点のたびに『ひたち海浜公園←左折』と言う表示が無いか注意していた。

やがて先頭のキャプテンがそれを見つけ、二人に教えようと振り向いた。すると後方の新妻君も気づいたらしく、「あっちあっち!」と盛んに手を振り、「左に曲がれ!」と合図している。「OK!」と返事をしたあと、キャプテンと森広君は信号待ちのため停止する。

が、新妻君はかまわず、信号無視で横切って行ってしまった。そうして、そのまま彼はグイグイ滑って行くのだが、けっきょく後から来た二人に追いつかれ、また最後尾をたどることになる。

この頃から、足の痛みを紛らわそうとするためか、新妻君に何となく突飛な行動が目立って来た。

しばらく滑って行くと、ひたち海浜公園の駐車場が見えて来た。その手前の広い交差点にぶつかったところで、地図で確かめ右へ行く。四車線もあるバカッぴろいこの道は、公園の形に沿って弓なりにカーブしているはずだった。

ずっと先には、人工的な森と、巨大な観覧車が見えている。それ以外はまだ見渡す限りのサラ地で、手が回り切らないのか、立ち入り禁止の柵もまばらだった。出来立ての歩道にも敷石の間から沢山の雑草が生えていて、滑りにくいことこの上なく、仕方なく車道を中心に行くことにする。

道が大きくカーブするのを確かめながら進んで行く。車道の路面は滑らかですごく調子がいい。反対側に『自動車安全運転センター』と言う看板があるが、森しか見えなかった。

その辺りから登り坂が始まった。傾斜はかなり緩く足の運びも楽だったが、それでも息は荒くなって来た。登り続ける距離が長いのだ。「まだか?」と見上げても、坂の頂点には空しか見えなかった。

とにかくここは、道路も土地もバカっぴろいところのようで、交差した何本かの道路も全てが広く、先が見えないほど真っすぐに伸びていた。これでは急いでもダメだ。ひと蹴り、ふた蹴りと、地道に確実に進んで行くしかない。

そのままどのくらい漕いだのか。長かった坂の上に雲が見えて来て、少しずつ、頂上に近づくのがわかった。そうしてようやく、登りが終わった・・、と腰を伸ばした瞬間だった。「ウッ」とキャプテンは声を失い、森広君も、「おおっ」と、言ったきり・・

その坂の向こう側に見えたものは、バカッぴろい海の青だった。

これは、今までのブレード走行には無いスケールの大きさだった。この公園の設計者は、地平線を越え一気に水平線へ、鳥が舞い降りるような視点から海へと臨む、そう言う場面展開が造りたい一心で、ここに一本、この広い道路を走らせたのに違いない、そう確信した。

キャプテンは息を整えながら、ゆっくりと惰性で滑って行った。頂上から下界まで、およそ200mは有るだろうか。海を眼下に眺め、道が下り始めるのを待っていた。

やがて少しずつ勢いがつくと、キャプテンは前かがみになり、ひざを両手で押さえ込む。そうして、少しずつ速度を増しながら、海からの強い風の中を、空から舞い降りる感じで・・

ほとんどノンブレーキだった。タイヤの音と、路面の振動・・
両手をいっぱいに広げ、強烈な風を受けとめる。


何を見たんだ? 新妻隊員!

海岸すれすれまで滑り降りて、ほぼ同時に降りた森広君と道の上を見上げた。遅れて来る新妻君を待っていたのだ。彼は頻繁にヒールブレーキをかけ、ずいぶんゆっくりと降りて来る。その様子からすると、痛めているのはツメだけではなさそうだった。

彼が追い付くのを待って、そこから『阿字ヶ浦海水浴場』沿いのせまい道を行く。

驚いたのは、沿道に立つ呼び込みの数の多さだった。彼らはおのおの海の家の旗を持ち、それを大袈裟に振って、訪れた車を自分の駐車場に引き入れようと必死なのである。車が通るたびに、まるで念力をかけるように、「まがれ! まがれ!」と力を込めて振っている。それが海水浴場の約1kmの間、物凄い人数で延々と続いているのである。

その迫力に圧倒されながら滑り続けて行くと、海水浴場の終わりで道が極端に細くなり、岬の陰に回り込んでいるのが見えた。行き止まりではないか、と不安になったキャプテンは、近くにいた若い旗振り男に声をかけてみた。

「この道は抜けられますか?」すると男は笑顔で元気良く、「抜けられますよ! 急な登りですけどね!」と言って、左にカーブ、と言う格好をして見せた。

「そうですか、行けますか、どうもありがとう」そう言って先へ行こうとすると、
「それ、バックミラーですか?」と、サングラスに取り付けたミラーを指さした。
「そうですよ」とキャプテンが答えると、「へー・・」と笑い、もう一度、「抜けられますから! 急な登りですけど!」と繰り返すのだった。

その言葉通り、道は急な登り坂になっていた。しかも次々に車が降りて来るので、なかなか上に進めない。車の方もあまりに急な傾斜に恐れをなしてか、やたらブレーキをかけ、ノーズを上下に揺らしている。

ブレード隊を悩ませたのは車だけではなかった。スリップ防止のため、路面が必要以上に粗く造られていたのである。それがホイールの回転を拒んで失速、やたらツンのめる。ヘタをすると転倒しそうだった。

「もし下りだったら危なかった」
と森広君が語ったように、三人は何度も足を取られ、ツンのめっては立ち止り、車をやり過ごしてはまた登る、と言うことの繰り返しで、やっとのことで登り切ったのだった。距離にすればほんの20mぐらいなのだろうが、かなり体力を奪われ、全員その場でへたりこんでしまった。

坂を上がったところは、古い静かな家並みになっていた。三人は、休業していた雑貨屋の前で休憩することにした。

「すっげえ坂だったな・・」
と、息を切らしながら、それぞれ自販機の飲み物を買いに行く。

表情を見ると、新妻君のダメージが一番大きいようである。やはり足の痛みのせいだろうか。それに引き換え、くるぶし保護用・衝撃吸収パッドを装着したキャプテンの足は何ともない。じつは、これは凄いことだった。

興味の無い人には解らないだろうが、足の痛み無く、何時間も滑り続けられると言うことは、夢のような話しなのである。逆に、足が痛み出したら楽しいことはひとつも無い、それがブレード走行だとも言える。つまり新妻君は今、その『楽しみの無い世界』に独り迷い込みつつある、と言うわけである。

・・と、その当人は立ち上がって、すぐ目の前の『磯崎神社』の境内の草むらにガサゴソと入って行き、立ち小便など始めようとしているところだった。何食わぬ顔でションベンを開始する新妻君ではあったが、じつはこのとき、彼には足の痛みよりも気に掛かっていることが有ったのである。

と言うのも、坂を上っている途中で、彼はじつにおかしなものを目撃していたのだ。それはキャプテンも森広君も気づかない、彼だけが見たものであった。いったい彼は何を見たのか?。しかし、それはまだ、ここでは語られること無く、静かに放尿が続けられているだけなのであった。


オーシャンビュー海岸道路

激しい坂道を経験したあとのせいか、この辺りの海岸線は同じようなアップダウンが続きそうだ、と言う見解で一致した。そこで、いったん内陸を目指して進むことになった。

休憩場所からそのまま住宅街を抜けて行くと、間もなく広々とした畑道に出た。それは、はるか彼方まで続く気持ちのよい直線道路だった。恐らく2km以上はあるだろうか。とにかく長い道である。しかも軽トラックが一台通ったのを最後に、まったく車は見えなくなった。

キャプテンはウォークマンを取り出し、音楽を楽しむことにした。風の音が強かったのでボリュームは大きめにした。〃エンヤ〃が、田舎の情景にとても似合っていた。

しばらくして森広君がグイッと速度を増し、キャプテンを追い抜いて、はるか前方へと行ってしまった。

路面温度は30℃。しかし心地よい暑さである。とても素晴らしい走行だ。それにしても30℃がこんなに心地よいとは・・。今年の東京の最高気温は、38.7℃だそうである。

長く楽しめた直線道路の終点は、十字路になっていた。ただ、まともに舗装されていたのは右への一本だけで、自動的に右折することになった。その道は小さな丘を越え、畑の中を下って行くように伸びていた。途中、数人の女子高生を追い抜き、勢いをつけたまま新築の多い住宅街に入り込んだ。

そこからさらに進んで、茨城交通湊線の『ひらいそ駅』の線路を渡る。そして、小さな商店の並ぶ町をどんどん下って行くと、再び海岸に面した通りに出くわした。

その海岸道路は綺麗に舗装され、どことなくアカ抜けた感じだった。山の中腹にはホテルや別荘も見えていて、つまり、〃リゾート地帯〃と言った雰囲気なのである。

歩道は鉄柵で区切られており、片方は歩行者用の散歩道、もう一方はサイクリングロードになっていた。キャプテンと森広君は自転車区分を滑るが、新妻君は歩行者区分を行く。ブレードはどちらに属するのかハッキリしない。

いくつかのカーブをトレースして、不自由も危険もなく、淡々と進んで行った。そろそろ休憩かなと想いながら滑って行くと、遠方に海水浴場らしきものが見えて来た。ところが近づくにつれ、プールのようにも見えるのである。どうなっているんだろう、と想ってさらに近づいて見ると、磯にコンクリートを流し込んで囲いを造り、そこに海水を集めて泳げるようにしてあるのだった。

おまけに片側の岸?にはタイルが敷き詰められ、プールサイド風になっている。「プールサイド」には二つの建物が有り、一つが更衣室で、もう一つがトイレだった。さらに妙なのは、そのプールサイドから、さらに階段を上った所に昔ながらの海の家が有って、そこで昔ながらのオバサンが店番をしている、と言うことだった。

うーむ・・。これはもはや、ミスマッチ・アートと言っても良いだろう。

三人は海の家の前で休憩することにした。荷物を降ろしてブレードを脱いでいると、新妻君はいち早くプールサイドへの階段を降りて行き、うろうろ見物しながらタバコを吸い始めていた。

森広君の方はブレードのまま降りて行って、なんとプールサイドを滑り始めてしまったではないか。それを見たキャプテンが慌てて、
「おい、そっちへ行くな!」
と言うが早いか、駆け寄って行った海の家のオバサンに注意され、すごすごと戻って来た。

それからしばらくすると、知らぬ間にトイレに入っていた新妻君が、「やっと出た。今まで、なっかなか出なかった」と言いながら戻って来るのだった。

・・まあ、彼らはそんな男たちである。

そこでの路面温度は35℃。そうとう汗はかいているが、気分はいい。道の行き着く先には、霞がかった海が見えている。まだまだこのオーシャンビューの道は続くらしい。


昼食はハンバーガー、彼が見たのはターザンの娘

そのリゾート地帯を離れて、幾つかの大きな倉庫の脇を抜け、『那珂湊』の魚港沿いに入り込んだ。どこからとも無くカツオダシのいい匂いがして、急激に腹が減って来た。そう言えば、そろそろ昼飯にしてもいい時間だ。

やがて那珂川のアーチ型開門橋を渡って『大洗町』に入る。せまい歩道を滑って海の見える高台に出ると、20mほど下に『大洗水族館プール』が見えた。路上から見る青い水はとても気持ち良さそうだった。水遊びの人々を眺めて一息つき、また誰からとも無く滑り始める。

右手に『大洗ゴルフ倶楽部』、左下には海。その高台の歩道をのんびりと滑って行く。そんな風にして、しばらく大洗町の観光ゾーンが続いていたのだが、観光ゾーンに入って逆に、食事できそうな所が無くなってしまったのである。せめて飲み物だけでもと想うが、それも無い。

やがて左側に広い駐車場が現れると、歩道はまるで、駐車場と道路とを分ける中央分離帯のようになった。

駐車場にはカキ氷屋の露店が立っていた。
「しょうがない。あれでごまかすか!」
と後ろを見るが、二人とも黙って眉間にしわを寄せているだけ。暑さと空腹で少し機嫌が悪そうだ。

しばらく進んでいると、ポツンと、名も知らぬハンバーガー屋が建っていた。あれしかないな、と炎天下の歩道で停止。後から来る二人に店を指さした。彼らもキャプテンの手前で止まり、ものも言わずに荷物を降ろすのだった。

ガラス張りのハンバーガー屋の隣には海の家もあり、裏はシャワー室になっていた。しかし海から高台の駐車場まで上って、さらに交通量の多い道路を渡らねばならず、そのためか、どちらの店も客はまばらだった。

「なんか寂しいところだなあ」と思い、何処だろうと地図で調べてみた。すると、これがどうもあの有名な『大洗海水浴場』らしいのである。妙な気分だった。何だかイメージとは違って、随分寂れた感じの海辺である。

「まあ、今日は平日だからなあ・・」だが、その寂しさそのままに、ハンバーガー屋も寂しそうだった。店内にいた数人の客もブレード隊が向かう頃にはいなくなり、残ったのは若い男二人だけだった。・・寂し過ぎて、かえって場違いな感じがした。

店に入ると、色あせた大きなポスターが目についた。BGMも流れておらず、話し声が空虚に響きわたるのだ。

ただし店の雰囲気とは裏腹に、ハンバーガーの味は中々のものだった。フライドポテトも太切りで、発汗の後の塩味が絶妙である。注文を受けてから作るので、待たされはしたものの「まあまあ、ラッキーだった」と、言えなくもない。

それから親子連れと、数人の水着姿の少女が訪れた後は、昼だと言うのに客足は途絶えた。

食べながら、ガラスごしにまぶしい外の様子を眺めていた。頻繁に行き来する車の向こうで、何組かの若いカップルが駐車場を歩いていた。

・・と、会話が途切れがちになったその時、新妻君がその話しを切り出したのだ。

「あの、旗振りがたくさんいた海の、急な上り坂の途中で、へんな女を見ませんでしたか?」
何のことだか解らなかった。
「坂の左っかわにどこかの家の窓があって、そこから茶髪の若い女が、笑いながら手を振ってたんですよ。それがどうも、タンクトップの片方がはだけて、ターザンみたいになってて、もろに胸が見えていたような・・。オレ目が悪くて、ハッキリではなかったけど・・」

ようするに、新妻君はあの急な坂の途中で、片パイ出した茶髪の女が笑いながら手を振っているのを見た、と言っているのである。ただ、ターザンはパンツ一丁で上半身モロだから・・

「ジェーンだろ?」でなければターザンの娘である。
「見ませんでしたか?」
「いや?」
「見なかったなあ」森広君も気づかなかったようだ。

「だいたい、左っかわに窓なんかあったっけ? 森しか無かったと想うけどなあ。右がわだったらわかる。たしかに民宿っぽい建物があったから。・・まさかキミ、なんか得たいの知れないモノ見たんじゃないの。この世のモノではない・・」

「違いますよ! ありましたよ! たしかにいたんですよ。だから、オレを励ますために、ワザと見せたくれたのかなあって、想ったんですよ」

だが、新妻君の必死の訴えにもかかわらず、森広君にもまったく記憶は無いと言う。確かに、新妻君はこんなことで嘘をつくような男では無い、とすれば、彼が何かを見た、と言うこと自体は本当なのだろう。

それにキャプテン自身も、旅の途中で偶然女性のオッパイやオシリを見てしまったと言う経験が有るので、そんなに珍しい話しだとは想わない。しかも今回は夏の海辺だから、たとえば宿で着替えていた途中だったとか、そう言うことは充分考えられる。

ただ、どう記憶をたどってもキャプテンの脳裏には、家の窓など想い出せず、鬱蒼とした森の様子しか蘇って来ない、それが気に掛かるのである。

それでけっきょく、次の四つの可能性を考えて見ることにした。
  1. ターザンの娘は実在し、あまりに疲労困憊している新妻君を見るに見かねて、片方のオッパイを見せて励ましてくれた。
  2. 新妻君は目が悪いので、大木の切り株か何かを人間と見間違えてしまった。
  3. 新妻君は、極度の足の痛みと疲労と熱さのため、幻覚を見てしまった。
  4. 新妻君は、一瞬だけ不可思議なゾーンに入り込み、白昼、この世のモノではない人物を見てしまった。
この話しは、これ以上はどうかと想うので、とりあえずここで終わりなのだが、とにかく新妻君にとっては、とても奇妙な『一期一会』であったことに間違いは無いのです。





コメント

このブログの人気の投稿

「茨城46億年後の一期一会 .2」1996

1 ・2・ 3 ・ 4 ・ 5 ・ 6 ・ 7 <高萩 - 犬吠埼・ブレード走行記2 1日目後半> 1日目/1996年7月31日(水)「日立駅前そば屋から日立港・旅館須賀屋まで」 ◆ あつい! ようやく夏なのか! ◆ ソバ屋から出ると、さすがハイテク繊維、Tシャツはすっかり乾いていた。 国道6号は、ここから内陸の水戸方面へ行ってしまうため、海沿いの245号へ進むことにする。合流するには駅の向こう側へ渡らなければならない。 歩いていると、日立電線、日立化成と、日立関連のビルが続く。さすが日立市である。 「この町の人々は日立の製品しか使わないのかなあ」 森広君が素朴過ぎる質問を投げかけたが、誰も答えなかった。 ブレードを履き、駅前の石畳の広場を滑って行く。間もなく陸橋を越え、線路を渡ると、245号に入った。そこにも日立の社屋が有り、社員の行き来するすぐ脇を進む。 緩やかな上り坂だが、食後なのでスローペースで進む。30分ぐらい経てばランナーズハイに持ち込めるから、それを待つ。心配なのは新妻君の足だった。先ほども説明したように、ブレードで足を痛めると、走行中は決して回復することが無い。だからこれから先、新妻君の苦痛は増すばかりと見た方がいいのだ。 ブレード走行を楽しむには、どれだけ長時間足を痛めずに保てるかの一点にかかっている。だから、そのための手間を惜しんではならない。 キャプテンなど、ソルボセインや、ワセリンなど、あらゆる手段を試みていたが、今回はくるぶし痛対策のため、粒状の『衝撃吸収ゲル』を入手、10センチ四方の布袋に入れてキルティング縫いし、それをくるぶしの上に当てている。これによって、インナーにくるぶしが当たるのを防ぎ、しかも粒状なのでムレも防げると言う仕組みになっている。これが功を奏したのか、今のところ痛みは発生していない。 245号は、昼下がりと言うこともあり、何処となくうら寂しい道だった。しかも上りがキツく、ドブ板走行も強いられた。目に映るものは、工場や倉庫、人気の無い駐車場など。車通りだけが激しい騒音を響かせていた。 30分ほど滑って日立市街地から抜けると、路側帯が広くなって、やっと一息つくことが出来た。 「歩道は路面が悪い!」と、常にモンクを飛ばしている森広君の言う通り、充分な広さを持っていれば、歩道より路側帯の方が楽だった。 だんだんいい感じになって来...

「茨城46億年後の一期一会 .6」1996

1 ・ 2 ・ 3 ・ 4 ・ 5 ・ 6 ・ 7 <高萩 - 犬吠埼・ブレード走行記6 3日目後半> 8月2日・金曜日(3日目)「グリル鹿島から波崎町・割烹旅館かわたけまで」 ◆ 今頃ソルボセインかよ・・ ◆ 出掛けに、鹿嶋市パンフレットの地図でスポーツ用品店を見つけていた新妻君が、「ソルボセインの中敷きを買う」と言い出した。なんと、彼はまだソルボセインを使っていなかったのである。 『ソルボセイン』とは、10m以上の高さから生玉子を落としても割れない、と言うほどの衝撃吸収材だが、同様の『αゲル』などと比べると「コシ」が強いので、靴底に入れてもフニャフニャした違和感が無く、自然な使い心地の代物なのである。 これをブレード・ブーツの底に敷くと、アスファルトからの振動を吸収して足を保護でき、疲労もかなり防げる。したがって、キャプテンは以前から、ブレード走行を始める者には『ソルボセイン』を使え、と言い続けて来た。 当然、新妻君もそれを耳にしていたはずで、とっくに使用しているものと想い込んでいたのだが、彼は「そんなことより、ブレードは滑ってなんぼ」とばかり、堅い中敷きのままで間に合わせていたのである。確かに、他人のアドバイスより自らの感覚を信じる、と言うやり方は正しいが、それは継続することにより養われるもので、一発屋には馴染まない。 グリル鹿島から町外れまで滑って行き、『スポーツ101』と言う、この辺りにしては大きめのスポーツ用品店を見つけた。新妻君はそこで『ソルボ中敷き』を購入、店の中で自分の足の大きさにカットして出て来た。 「なんだこれは!? 振動が無い!」 さっそくブレードの底に敷いて滑り始めたその直後の一声である。絶大なるソルボ効果に感動したのだろうか。もちろん一度痛めた足が治ることは無いが、このさき数時間の延命効果としては充分役に立つ。それにしても、最初から使っていれば・・ スポーツ101から離れてしばらくの間は、新妻君に応急処置が施されたことで、少し気を楽にして滑ることが出来た。すでに国道51号からは離れ、124号を進んでいた。 道沿いには、まばらだが、店やレストラン、町工場、中古車ディーラーなどが並んでいた。そこから幾つかの林をくぐり抜け、緩やかな坂道を下り、小ぎれいな民家の立ち並ぶ通りに差しかかった。 そこをさらに進んで、信号待ちで渋滞している交差点が見えて...

「茨城46億年後の一期一会 .5」1996

1 ・ 2 ・ 3 ・ 4 ・5・ 6 ・ 7 <高萩 - 犬吠埼・ブレード走行記5 3日目前半> 8月2日・金曜日(3日目)「民宿大竹から鹿島市・グリル鹿島まで」 ◆ 呪いの見送り ◆ 荷物を担ぎ、民宿大竹の駐車場まで出て行くと、女将さん、その娘、お祖母さんが次々に姿を現した。ブレードの物珍しさゆえの見送りと言うところである。 新妻君と森広君は、すみっこの車の陰でブレードを履き始めたが、キャプテンはギャラリーへのサービスもかねて、ど真ん中で準備することにした。そうしていると、ほどなく女の子が駆けよって来た。 「それで、すべってくの?」 その子はそう尋ねた。それに、ああ、そうだよと愛想良く笑い、 「ここからねえ、ずーっと遠くまですべってくんだよう」 と、キャプテンは子供用の声で答えたのだ。ところがである。 「ウソだね!」 予想に反してカワイくない返事がかえって来たではないか。 「ほんとだよ、ほんとほんと」ちょっとあせった。だが、 「ウソだねー!」と、女の子はなおも続ける。 「ほんとだってば」 「じゃあ、東京からすべってきたの?」 「そうじゃなくて、東京から電車で来て・・」 「ああっ!。ほらー、電車なんだってー!」 その子はキャプテンの言葉尻を取って、そーら見たことかとばかり、女将さんを振り返って騒ぎ出した。 「ちがうちがう、電車で遠くまで行って、そこから滑って来たんだよ。わかる?」 「ええー?」 そこでいったんはおとなしくなったが、声は半信半疑のままである。さらにその子の攻撃は続いた。 「雨がふるよ!」ふてくされたような言い方だった。「雨がふってくるよ!」 ・・ったく、どうなってんだ? 「そうかなあ?。大丈夫だと想うよ」 「ふるよ!。てんきよほう見てみな!」 これはもう、呪いに近いものが有る。でも、確かに雨が降りそうな空だった。気温も低く、温度計を見ると21℃を示していた。寒いくらいだ。 ブレード走行は、舗装道路が無ければ前進出来ないわけで、アウトドアと呼ぶにはあまりに半端なスポーツだったが、それでも自然相手であることには違いない。雨が降ったら、それを甘んじて受け入れるしかないのである。さて、どこまでもつか・・ 女の子はいつの間にかキャプテンから離れ、他の二人のところへ駆けよって行った。その後ろ姿を見ながら「世の中には、いろんな子がいるんだなあ」と想った。 年齢の...

「幻のBOSO100マイル .後編」1994

1 ・ 2 千葉 - 鴨川・ブレード走行記 (白浜でリアタイア)        目次 変調 待っていた男 失速 幻のゴール ゆくえ 昼食の間に天気は完全に回復し、再び強烈な陽射しの中を進むことになった。太陽を浴びると、また気分が悪くなってくるような気がした。 少し不安を感じながらも進んで行くと、道の先に見覚えの有る信号が現れた。二年前キャプテンと新妻君の脇で起きた、あの二重追突事故の現場だ。確かにここに違いない。まじまじと周囲を眺め、事故なんて起きそうに無いのになあ、そう想った矢先のことだった。横を通り過ぎた車が、またいきなり急ブレーキをかけたのだ。 「おい!?」とあわてて振り返ったが、幸い事故にはならなかった。またしてもブレード・ランナーが珍しくて前方不注意になったのだろうか。それにしても・・、なんだか嫌なポイントだ。 『湊川』の橋を渡り、右に大きくカーブする山沿いの道をたどると、やがて東京湾浦賀水道の海が見えてくる。遥か向こう岸は三浦半島横須賀の港だ。この辺りからずっと海岸沿いを滑ることになる。キャプテンは、すっきりしない気分を抱えたままではあったが、海を眺めることで力を回復出来ると信じていた。 その道は人の気配が無く、車だけが風を切って行く。歩道は、ゴム状の継ぎ目を飛び越える以外気を使うことはなく、滑らかな路面が続いていた。海側は断崖になっていて、そのギリギリに、幾つかのレストランや小さなホテルなどが建ち並んでいた。 しかし車が数台止まっているだけで、賑わいと呼べるものは感じられなかった。シーズンの盛りにはもっと人が訪れるのだろうか。どの店も、捕れたて新鮮魚介類の料理が売り物らしく、そのことを謳った看板が立てられていた。 「知る人ぞ知る、穴場と言った店が有るのかも知れないな」そんなことをぼんやりと考えていた。 道路から見える崖下の砂浜では、数人の人々が海水浴を楽しんでいた。海の家も無い静かな浜辺は、さながらプライベート・ビーチと言った雰囲気である。そんな光景が何度か現れては消え、『金谷』の辺りまでは、比較的楽しみながら滑って来ることができた。 どのくらいたったのだろう。かなり疲れを感じたところで、丁度よく木々に覆われた細い脇道を見つけた。迷わず滑り込んで、荷物を降ろすことにする。 そこには、心地よい風が吹き抜けていた。道の両側に古い小さな家が建ち並び、遠く水平...

「茨城46億年後の一期一会 .1」1996

1・ 2 ・ 3 ・ 4 ・ 5 ・ 6 ・ 7 <高萩 - 犬吠埼・ブレード走行記1 1日目前半> 1996年8月。ゴブリンズの夏季キャンプが、千葉県犬吠埼の長崎町で行われることになった。そこでゴブリンズ・ブレード隊の高橋文昭、新妻英利、森広康二の三名は、その四日前に茨城県高萩市を出発。犬吠埼・長崎町までの135kmを、4日間かけてインラインスケートのみで南下し、ゴブリンズのメンバーと落ち合う、と言う旅を計画した。 ◆ 主な登場人物  ◆  ブレード隊・キャプテン高橋  草野球チーム・ゴブリンズのキャプテン。34歳で初めての長距離ブレード走行を敢行。今回、通算走行距離1000km突破を目指す。  ブレード隊・新妻英利 隊員  伝説の第一次ブレード隊のメンバー。1995年カナダ・ロッキー山脈にて初の海外ブレード走行を試みるが、足のツメを剥がし100km地点でリタイア。  ブレード隊・森広康二 隊員  1996年からブレード隊に参加の新人。経験は浅いが、抜群の登坂能力とスピードを持つ。ブレード・アクセサリーに凝っている。  塚本じいさん  高萩の外装の汚いビジネスホテルのオーナー(現在廃業)。  水木海岸の少年  岸で駐車場の番をしていた愛想の無い高校生。  旅館須賀屋の女将  飛び込み客に面倒味が良い、 日立港近くの旅館の女主人。  旗振りの男  海岸で旗を振って客引きをしていた無数の人間の中のひとり。  ターザンの娘  あぶない格好でブレード隊に手を振っていたと言う少女。  民宿大竹の女将  茨城弁丸出しの美人ママ。  その女将の子供  出発時に見送りしてくれた疑り深い性格の女の子。  グリル鹿島の娘  バカッ丁寧な言葉使いの少女。  鹿島ガンプ  奇妙な質問を発し、自転車で延々とブレード隊を追いかけて来た不思議な人物。  旅館かわたけの女将  無理を承知で泊めてくれた太っ腹人情女将。  ◯◯ 高校サッカー部  『かわたけ』に泊まった礼儀知らずの合宿軍団。    1日目/1996年7月31日(水)「高萩海岸から日立駅前そば屋まで」 ◆ 不吉なる序章 ◆ この旅の始まり、不吉な出来事が起こった。ブレード隊三人が乗り込んだ列車が、ある時点から、「ガラガラ、ガツン!」「カン、カラン、ゴンッ!」と言う、石が車体にぶつかるような激しい音をさせ始めたのである。 初め...

「南房総に夏の終わりの夢を見た・前編」1992

「南房総に夏の終わりの夢を見た」前編 ★1992年8月21日(金)15時。キャプテン高橋とゴブリンズ新人・新妻英利は、ついに総武本線千葉駅から鴨川キャンプの拠点、民宿ウエダ(天津小湊町)までの162.2キロをローラー・ブレードによって走破する事に成功。これは前回の東京−富士間77.5キロを、84.7キロ上回る距離であった。 千葉 - 鴨川ブレード走行記 1日目 〜 2日目「千葉駅 〜 木更津 〜 鋸南町」 *前半 目次* 待ち合わせは千葉駅 快調な滑り出し16号 あまりに場違いな昼食 塩吹くキャプテン高橋 『すえひろ』で生き返る 場違いな宿、グランパークホテル 朝、雨が降っていた 救いのオヤジさんが現る あじフライとあじの天ぷらは違う 音無き警鐘が聞こえる 午後の海辺をブレード・ランナーが行く ノコギリ山に思わぬ敵が待っていた 岬で『岬』と言う喫茶店に引き込まれた さらに苦難の道は続く 民宿は旅のオアシスだ 後編へ・・ ■ 待ち合わせは千葉駅 ■ 嵐が幾つか通り過ぎる頃、空はどこか澄んで、別の季節の色を見せていた。6月の『東京—富士ブレード走行』から、約2カ月、常にキャプテン高橋の胸に去来していたイメージは、南房総のまぶしく輝く海、熱い夏の空気を切り裂く、ブレード・ランナーの姿だった。 8月18日火曜日、9時半。総武本線の終点、千葉駅のホームで、高橋、新妻の両者は、ブレード走行決行のために待ち合わせた。新人・新妻英利君は、果たして心強い伴走者となるのか、それとも単なる足手まといとなるのか、それは誰にも解らなかった。 天気は曇り気味。雨を予感させる黒い雲も漂っていた。南では台風が近づいていると言う。天候はどうなるのか、全く予測が立たなかった。 二人は『総武線千葉駅ホームの進行方向一番前』で会うことにした。気持ちを『前向き』にするため『一番前』を選んだのだ。しかし、ここは終着駅なので、折り返して電車が出発すると『一番うしろ』になってしまう欠点が有った。だが、そんな事にかまってはいられない。二人は勇躍駅を後にした。 ■ 快調な滑りだし、16号 ■ 16号沿いの歩道で用意をする。前回強烈な靴ずれの痛みに悩まされただけに、今回は、テーピング、ワセリン、ガムテープで、対策に万全を期す。用意が済んで立ち上がると、お巡りさんが自転車を止めてじっと見ているのに気づいた。二人は何も悪い...

「茨城46億年後の一期一会 .4」1996

1 ・ 2 ・ 3 ・ 4 ・ 5 ・ 6 ・ 7 <高萩 - 犬吠埼・ブレード走行記4 2日目後半> 2日目/8月1日(木)「大洗海水浴場から大竹海岸・民宿大竹まで」 ◆ 昼下がりの・・、大洗海岸 ◆ 昼食を終えたあと、ちょっと長めの昼休みと言うことになった。 森広君は汗に濡れたTシャツを脱いで日なたに乾し、上半身を焼き始めた。とにかくこの男は、すぐ赤く腫れてしまうくせに、一気に焼かないと気がすまないと言うやっかいな奴なのだ。それに引き換え、足の痛みで予想以上に疲労している新妻君は、海の家で有料のシャワーを浴び、気持ちの張りを取り戻そうと懸命である。 その間キャプテンは、海の家のベンチに座って、ワセリンや日焼け止めを塗り直したり、サングラスの汚れを落としたりしていた。その横を、海から上がって来た何人かの男女が通り過ぎて行く。午後の強い陽差しにみな目を細め、シャワー室に入って行くのだった。 何度か、店番をしているオバサン達のカン高い笑い声が聞こえて、また静かになった。そのあとは、通り過ぎる車と風の音しか聴こえて来ない。 「オレにとっては・・、ここは、日本の裏側だ」慣れ親しんでいる天津小湊や九十九里の海に比べると、ここは本当に見知らぬ海だった。 「これが大洗海岸と言うものか・・」どうしようもない寂寥感が胸に迫った。やっぱり、ゴブリンズキャンプは、犬吠埼ではなく天津小湊にした方が良かっただろうか、と想う。 ・・いや、だめだ。あの海には想い出が多すぎる。 やがて、シャワーを終えて来た新妻君が隣のベンチに座った。彼は自分の足に巻かれたテーピングを剥がそうとするが、すね毛が絡みついているのか、何度も「だあー!」と言う激しい悲鳴を上げていた。そのうちたまりかねて、アウトドア・ナイフで毛を切りながらテープを剥がす、と言う荒っぽい戦法に出た。 その時キャプテンは、彼の足首に大きな靴ズレの跡が有るのを見つけた。やはりツメだけではなかったようだ。それを見て、もうこの先、新妻君が復活することは無いだろうと想った。どんな治療を施しても、このまま延々と苦痛が続くだけであり、楽しいことはひとつも無い。ひょっとすると完走さえ危ないかも知れない。 「ワセリン塗っとけよ、ほら」と彼に差し出すと、意外なほど素直に受け取り、靴ズレの患部に塗り始めるのだった。ひとが薦めるものをことごとく拒絶するヘソ曲が...

「三年ぶり、ブレード走行熱海」1999

< 三年ぶり、ブレード走行熱海 > ★1996年の夏、高萩 - 犬吠埼の茨城走行が終了したあと、ゴブリンズの周辺は一変してしまった。レギュラーメンバーの約半分が、仕事のためハワイに移住してしまったのだ。もちろんチームは事実上活動休止。ブレード隊もバラバラになってしまう。・・ そ れから、約3年の年月が流れて、ゴブリンズは一人また一人と、再び仲間が集まり始めていた。 だが1999年5月2日、まだ何かが足りないキャプテン高橋は、ついに三年ぶりのブレード走行を行うため、一人列車に乗っていた。向かった場所は伊豆。出発地点は熱海。かつて1996年の春、森広隊員と滑った湘南ブレード走行(茅ヶ崎 - 熱海)の続編を決行するためである。 熱海の駅を降りたとき、時計は午前10時をまわろうとしていた。天気はこれ以上無いと言う快晴。陽差しがまぶしく、歩くだけで熱気を感じる。ただ、時折り吹く風はひんやりとして心地良かった。 駅前通りの坂を下って、途中、自家製パン屋で、アンドーナツと、カレーパンと、クロワッサンと、桃の天然水とを買った。パンは焼きたてでまだ暖かく、ふんわりとしている。 そこから土産物屋が並ぶ通りを抜けて海岸へ出る。右手方向の、これから向かおうとする135号線の先に目をやると、急な上り坂の道が、山の向こう側にまわり込んで見えなくなっていた。そこを、ゴールデンウィーク中の渋滞した車が、ノロノロとうごめいているのだ。 少し気が重くなっていた。もっと普通の日にすればよかったと想う。それでなくても伊豆は、道が狭い、アップダウンが多い、迂回路が無いと言うことで、ブレード走行禁断の地と言われ続けて来たところである。しかもあの車の数だ・・ しかし、このところ週末は雨続きで、連休に入ってようやく上天気になったのだ。これ以上待つと、次のチャンスはいつになるか解らない。 ともかく一服して、パンをおやつにしながらメールを書こうと想った。今回はゴブリンズへのモバイルメールで、ブレード走行のライブ中継をやろうと想っていたのである。 砂浜への広い階段を中ほどまで降り、海を眺めた。水ぎわをたくさんの人々が歩いていた。 その場で腰を降ろし、携帯電話とザウルスを取り出す。まぶしすぎるので、ツーリング用サングラスをかけた。そうして、5月の心地よい風に吹かれながら、メール文を考え始めるのだった。(このころ携帯メール...

「湘南の海、エンドー苦難の道」1993

< 横須賀 - 茅ヶ崎・ブレード走行記 > 1993年。ゴブリンズ・ブレード隊、キャプテン高橋と遠藤忠隊員は、10月23日と24日の二日間に渡り、三浦半島の横須賀から茅ヶ崎まで、約75kmを無事完走したと発表。この完走によりキャプテン高橋の通算走行距離は359.4kmとなった。                    目次 うれしはずかし出発の時 三浦海岸! これを見に来た 遠藤殺しの坂が待っていた 史上最大のピンチである?! ついにブレード隊、初の野宿なのか・・? 二日目、最高の出発 湘南・超観光ルートを行く 日曜の午後の終わり ◇ うれしはずかし出発の時   ◇ 「だめだ、間に合わん!」 時計を見ると、7時55分。東急東横線の急行はたった今、 渋谷を出発したばかりだった。約束は横浜駅の改札に8時だが、この分では8時半ごろになってしまうだろう。昨晩、荷物の用意をしている内に夜が更けてしまい、キャプテンは今朝少し寝過ごした。しかし興奮のあまり眠れなくなった訳では無い。もう子供ではないのだ。 ドア際の窓から空を覗くと、雲は多めだが気持ちの良い秋晴れ。10月23日(土)、この週末の天気に問題は無い。ただ、なぜか寒さがとても心配だった。必要以上に気にしてしまったのは、第三次ブレード隊『富士五湖周回走行10.24』からちょうど1年、あの富士山麓の標高の高さと、降りしきる雨の記憶のせいに違いなかった。 予想した通り8時30分に横浜駅に着いた。改札を出ると、憮然とした遠藤隊員の姿が有った。「悪い、悪い。寝過ごした」仕方なくキャプテンは笑ってごまかすのだった。 日頃、野球の試合などでは、周囲から時間に厳格だと思い込まれているキャプテンだが、何を隠そう、中学・高校の6年間、常に遅刻回数・学年トップを誇って来たクセ者なのである。その頃の1年間の平均遅刻数は約70個。これは野球に例えれば『盗塁王』に匹敵するのはないかと一部ではささやかれているが、さて、どんなもんだろう・・ 二人はそこから京浜急行に乗り換え、横須賀中央駅へと向かった。気温24.3度、まずまずの走行日和だ。このくらいの陽射しが有れば、走っている内に体温の上昇でちょうど良くなって来るはずである。間近に迫った出発に備えて色々と考えは及ぶ。もう一人の隊員、新妻氏は、なんだかんだと急用が出来て、今日は来れなくなった。 横須賀...

「南房総に夏の終わりの夢を見た・後編」1992

      「南房総に夏の終わりの夢を見た」後編   >前編に戻る ★1992年8月21日(金)15時。キャプテン高橋とゴブリンズ新人・新妻英利は、ついに総武本線千葉駅から鴨川キャンプの拠点、民宿ウエダ(天津小湊町)までの162.2キロをローラー・ブレードによって走破する事に成功。これは前回の東京-富士間77.5キロを、84.7キロ上回る距離であった。 千葉 - 鴨川ブレード走行記 3日目 〜 4日目「鋸南町 〜 白浜 〜 天津小湊」 *目 次* あきらめるな道は必ず開ける 海岸線、防波堤を行く 昼飯はそばと決めていた ここは何処だ、遠いところだ フラワーライン、組曲惑星が聞こえた 旅館か民宿か、迷うところだ 気を許すな、音無き警鐘を思い出せ 赤い道は滑りやすい やっぱり昼飯はそばに限る たまらん隊がゆく・・ そして旅が終わった ■ あきらめるな道は必ず開ける ■ 8月20日。昨日トンネルに道を阻まれ、予定よりも大幅に遅れてしまった。千葉駅を出発して、60km進んだだけである。あと2日で100km行かねばならない。 新妻君は一時『岬』の女主人が言った近道も捨て難いと、迷い始めていた。肉体的疲労に加え、追突事故を目の当たりにしてしまったこと、トンネルの恐怖などが影響していた。 実はキャプテンも同じような心理状態にはあったのだが、この旅はただ目的地に着けば良いのではなく、162.2kmを走破しなければ意味が無いのだった。さらに、館山から白浜あたりまでの南房総を通らなければ、彼の想い描いたイメージは完成しない。彼は新妻君の決心がつくのを待った。しかし、もしどうしても駄目だと言ったならば、無理強いはするまいとも思っていた。 「でも、女主人の言うなりになったら、負けだな。ダメだったら、歩けばいい。行きましょう!」こう言って新妻君は気持ちを固めた様子であった。 あきらめる時は、にっちもさっちも行かないその現場で、はっきりケリをつけてからあきらめる。後は電車でもバスでも使えば良いのだ。途中であきらめてしまったら、可能性も幸運も使わない内に手放してしまうことになる。とは言え、キャプテンの心の中には、あきらめない勇気とあきらめる勇気とが互いに見え隠れしていた。 ・・と言うように、三日目は少しカッコつけた書き出しになってしまったが、実際は結構だらだらと出発したのである。 滑り出して、初...