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「南房総に夏の終わりの夢を見た・前編」1992


「南房総に夏の終わりの夢を見た」前編

★1992年8月21日(金)15時。キャプテン高橋とゴブリンズ新人・新妻英利は、ついに総武本線千葉駅から鴨川キャンプの拠点、民宿ウエダ(天津小湊町)までの162.2キロをローラー・ブレードによって走破する事に成功。これは前回の東京−富士間77.5キロを、84.7キロ上回る距離であった。

千葉 - 鴨川ブレード走行記
1日目 〜 2日目「千葉駅 〜 木更津 〜 鋸南町」


待ち合わせは千葉駅

嵐が幾つか通り過ぎる頃、空はどこか澄んで、別の季節の色を見せていた。6月の『東京—富士ブレード走行』から、約2カ月、常にキャプテン高橋の胸に去来していたイメージは、南房総のまぶしく輝く海、熱い夏の空気を切り裂く、ブレード・ランナーの姿だった。

8月18日火曜日、9時半。総武本線の終点、千葉駅のホームで、高橋、新妻の両者は、ブレード走行決行のために待ち合わせた。新人・新妻英利君は、果たして心強い伴走者となるのか、それとも単なる足手まといとなるのか、それは誰にも解らなかった。

天気は曇り気味。雨を予感させる黒い雲も漂っていた。南では台風が近づいていると言う。天候はどうなるのか、全く予測が立たなかった。

二人は『総武線千葉駅ホームの進行方向一番前』で会うことにした。気持ちを『前向き』にするため『一番前』を選んだのだ。しかし、ここは終着駅なので、折り返して電車が出発すると『一番うしろ』になってしまう欠点が有った。だが、そんな事にかまってはいられない。二人は勇躍駅を後にした。


快調な滑りだし、16号

16号沿いの歩道で用意をする。前回強烈な靴ずれの痛みに悩まされただけに、今回は、テーピング、ワセリン、ガムテープで、対策に万全を期す。用意が済んで立ち上がると、お巡りさんが自転車を止めてじっと見ているのに気づいた。二人は何も悪い事をしていなかったが、逃げるように出発した。

出発10時、天気晴れ、路面温度30℃。この辺りは歩道も広く、新妻君は快調な滑りだしに喜びの表情を見せていた。しかし彼はこの時、この旅の本当の厳しさに、まだ気づいてはいなかったのである。

新妻君のマシンはカナダ製の『バウワー』と言う代物。ローラー・ブレードとは違うメーカーの製品だ。まだ購入してから3日ぐらいしかたっていないせいか、スケーティングにスピード感が無かった。しばらくは彼を先頭に回し、自由にペースを取れるようにした。

30分程滑って、最初の休憩をとる事にした。陽差しがかなり強くなって来る。路面温度は40℃を越えていた。二人は陽焼け止めを塗ることにした。


あまりに場違いな昼食

16号の単調な道が続く。ところどころ歩道が無くなると、仕方なく車道を滑らねばならず、凄い音を立てて通り過ぎるトラックに肝を冷やす。しだいに排気ガスで気分が悪くなってくる。

八幡を過ぎ、五井を過ぎて工場地帯に入った。この辺りから四角い石畳の歩道が現れる。これが隙間に雑草が生えてたりして走りにくく、嫌気がさした。そこで通りを渡って右側に行ってみると、素晴らしく滑らかな歩道が有るではないか。もう少し早く気づけば良かった。

出発から2時間あまり経って、あまりの暑さと疲労で、限界に来た。姉ヶ崎の辺りで昼食を取ることに決める。道路沿いに「喫茶レストラン」の看板を見つけた。二人は入り口の前まで滑って行き、ブレードを脱いだ。

新妻君は片足脱いで、「たまらん!」と言った。初めは何の意味か解らなかったが、やがて脱いだ後の解放感を表現しているのだと解った。何処で覚えたのかは知らない。もう一方を脱ぐとまた、「たまらん!」と言った。

どれほど「たまらん」のかと言うと、誰もが一度は経験あるだろうアイススケートを思い出してもらえば解る。スケート靴を履いて2時間滑ったらどれほど疲れるか。それを1日に約6〜7時間も続けようと言うのだから、ちょっとマトモじゃない。

キャプテンが荷を片付けるのに手間取っていると、新妻君は先に入り口へ向かっていた。キャプテンも急いで片付け、後を追う。ところが、「お気軽にお入りください」と書いてあったので、お気軽に入っていったのだが、これがなんと、あまりに場違いな店だったのだ。そこは自動車教習所の休憩所で、生徒が合間に利用する店だったのである。

店の中は若い女性が多く、冷ややかな視線が汗まみれの二人を襲う。店のおばさんも平静を保っているように見えるのは見せかけで、「いらっしゃいませ」と、水を運んでくるその腰つきがやけに引き気味である。

「すっげえ、場違い!」新妻君は大きな声でそう言い放ってから席についた。

それはある種、手負いの獅子の威嚇のようにも思えた。彼らはサンドイッチとオレンジジュースを頼んだが、数十分の場違いな時間にすっかり恐縮したまま食事をして、外に出た。

それでも、休憩と昼食で二人の体力気力は回復した。強い風が気持ち良かった。

「たまらん!」

風を浴びて新妻君が言った。ついでに顔面に冷却スプレーも浴びせていた。今日の目的地、木更津まであと約20km。


塩吹くキャプテン高橋

少しずつ、風景が変わって来るのが解った。右側は東京湾に面した工場地帯だが、左側には山や農家が見え始めていた。二人はずっと右側の歩道を滑っていたが、その滑らかな道も次第に荒れて来たので、反対側に渡ることにした。

その時新妻君は、キャプテンのTシャツが、塩の粉を吹いて白くなっているのに気づき驚いていた。路面温度45.5℃。一日目の最高温度であった。このままでは汗かきのキャプテンは、塩化ナトリウムが不足して心臓マヒを起こしてしまうかも知れない。何処かでスポーツドリンクを補給しなければ・・。今回お世話になったのは『アクエリアス・ネオ』であった。何故か、他の飲み物よりすごく冷えているように感じた。

道はやや車の通りが少なくなって来たようだ。広く眩しいアスファルト。鮮やかな空。地平から立ち上る大きな雲。

「たまらん! カリフォルニア・ロード!」新妻君が叫んだ。

「夢から覚めろ、新妻!」キャプテンの心の叫びだった。道端では、農家のおばさんがナシを売っている。


『すえひろ』で生き返る

袖ケ浦町にさしかかる頃、西日が容赦無く二人を照りつけ始めた。午後3時、上り坂で風が止まり、二人のホイールも止まった。暑い・・。もう、一歩も進めなかった。たまらず『すえひろ』と言うファミリー・レストランに入ることにする。

富士走行の場合は山だったので、木陰で休めば十分涼しかったが、今度はそうは行かなかった。海辺の平地で、しかも八月だ。だがその分、自販機やエアコンの効いたレストランには恵まれた。当初、あらかじめ、マラソンのように給水所を自分達で設置しておく、と言う案が提出されたが、これはキャプテン高橋によって静かに脚下された。

『すえひろ』で新妻君はコーラを、高橋君はコーラとサラダバーを頼んだ。ここへ来て陽焼けがひどくなったため、トイレで対策を十分に施し、しばらく陽差しが弱まるのを待った。

店を出て少し滑ると、眺めの良い、長い下り坂が現れた。やがてその坂が終わる頃、『木更津市』の看板を見つけた。そこからしばらく田んぼの脇を滑った後、木更津駅を探して、人々に道を尋ねながら滑り続けた。駅についたら、観光案内で宿を紹介してもらおうと考えていたのである。


場違いな宿、グラン・パーク・ホテル

木更津駅に到着すると、観光案内所でビジネス・ホテルを紹介された。そこを目指して駅から歩き始める。

ホテルにたどり着き、フロントで名を告げて、申し込み用紙に書き込む。見出しが全部英語で書いて有ったため、キャプテンは緊張の余り、「ADDRESS」の所に名前を書いたり、「Mr.」ではなく「Miss.」に〇を付けてしまったり、それを直すためにに黒く塗り潰したり、汗の滴がポタッと落ちたり、グジュグジュになってしまった申し込み用紙を、汗だくになってフロントの若い女性に渡した。

するとその人は、長い時間その紙を見つめて瞳を左右に動かしていた。汚いので失格なのだろうかと思ったが、そのまま部屋のキーを渡された。解読に手間取っただけらしい。

キーは金属の物ではなく、*堅い紙で出来ていて、やたら穴ぼこが開いているヤツである。それは、ドア・キーだけでなく電気類のメインスイッチの役目もしていたため、それが解るまで明かりもつかずエアコンも効かず、大騒ぎをした。(*当時、カードキーはまだまだ珍しかった)

「息苦しい!」新妻君が叫んだ。

エアコンは効きはじめたが、どうも爽やかさがない。これが旅館なら、部屋に入るなりガラッと窓を開け、風を入れて、気持ち良く息をするのだが、ここではそうはいかない。なにしろ窓が開かないのだ。

風呂もユニットバス。浴衣、スリッパでの外出は禁止?、それじゃ、Tシャツにショート・パンツではどうだ。

「タキシードを着ろってことか?」キャプテンは新妻君に尋ねた。
「さあ・・? 僕はビーチサンダルです」
とにかく、二人は「あまく見るなよ」と思った。

食事はデパートのレストランで、生ビールと天重を注文した。食後に新妻君は牛乳を飲み、グレープフルーツをそれぞれ一つずつ、夏蜜柑のようにして食べた。

食事からの帰り道、不思議な現象が起きた。新妻君が知らない道をズンズン歩いて行ってしまうのだ。「何処へ行んだ?」と、キャプテンが尋ねると、彼はホテルに向かっていると言う。ホテルは全く反対方向なのに・・

「そうか!」その時キャプテンは愕然として立ち止まった。つまり、彼は方向音痴なのだ。スイカ割りのように街なかで体が一回転すると、もうおしまいなのだ。

ホテルに戻ってから、新妻君は買い忘れた物が有ると言って一人外出した。ドアを開け、出て行く彼の後ろ姿を見ながらキャプテンは、「元気でな」と別れの挨拶した。・・あの方向感覚では、もう会えないのかも知れない。・・しかし、しばらくして彼は無事戻って来たのだった。

夜、風呂場で洗濯をし、新妻君はそれを外の他人の家の塀に干したが、それは朝になっても乾いていなかった。それに引き換え、キャプテンがエアコンの効いた部屋で干した物は完全に乾いていた。新妻君の作戦は失敗に終わったのである。

朝、雨が降っていた

8月19日。曇り・・

木更津のグラン・パーク・ホテルを9時30分チェックアウト。近くの病院の駐車場で準備をすませ、滑り始めるとすぐに雨が降り出した。空は暗い雲に覆われており、雨天走行は避けられないと想われたが、16号に乗ってから雨はあがり、次第に陽が差し始めた。16号の歩道は広く滑らか、良い滑り出しだ。ほどなく127号に入った。

しかしじつは、127号は予定とは違う道だった。出発前、コースどりで話し合った結果、山道での靴ずれを恐れ、迂回して富津岬方面から攻めようと綿密に考えたのであった。ところが、綿密なわりに簡単に道を間違えていたのである。どうも用意周到な計画は二人には似合わないようだ。

しかしその日、本当に大変だったのは登り坂ではなく、車の往来であった。しばらく行って、ちょっとした山道に差しかかると、道幅が極端に減少し歩道が消えた。そして、大型トラックが肩のすぐ横を通り過ぎる状態が延々と続くと、早くも精神的にクタクタとなった。そこで脇道に入って、雑貨屋の前で休憩することにした。

「日本の道は車のためだけに作られているのか!」
何となくそんな憤懣が沸き上がった。
「ローラー・ブレードは滑っちゃいけないのか!」
立ち上がって叫ぼうとしたが、恥ずかしいのでやめた。


救いのオヤジさんが現る

気を取り直して先へ進む。途中信号待ちで、おばさんに笑顔で声をかけられる。
「若い人はいいねえ、冒険が出来て」

こんな風に気軽に人が声をかけてくるのは、ずいぶん田舎に入ってきた証拠だ。山道で苦しい走行だが、もう少し我慢して滑っていれば、何か新しい展開が有るに違いない。

127号の車の往来に疲れ果てたころ、ある地点で車通りの無い細い脇道が有るのに気づいた。これはいいと言うことで、その脇道をたどって行くと、畑の中で大きくカーブし再び127号にぶつかってしまう。ところが向こう側を見ると続きらしい道があるのだ。けっきょくその細い道をたどって、何度も横断を繰り返して行くうち、これは旧道が蛇行していた跡なのだと分かってきた。

路面温度40℃、汗が目に滲みて来た。

「*パピー牧場は過ぎましたよ」と、新妻君が言った。
(*注・マザー牧場の事。彼はパピー牧場と呼んでいる。理由不明)

幾つかの小さな峠を越えた頃、いよいよ限界が来た。足はガクガク、頭はもうろう、フッと気を許すと吐き気が込み上げてくる。何処か休む場所は・・、と探していると、レストランらしき白い建物が見えて来た。二人は合図しあってその前で止まった。ところが看板を見て、よけい胸がムカムカしてしまった。

『焼き肉。しゃぶしゃぶ。ステーキ』

違う、ここじゃない、重すぎる。しかも飲み物だけで出て来れるような雰囲気ではない。自販機も無い。かと言ってこれ以上進めるような状態でもない。あきらめて、道路脇のわずかな木陰でブレードを脱ぎ、休むことにした。

「気分が悪い」「吐きそうだ」そう言ったきり、二人はぐったりとしゃがみ込んでしまった。気温は木陰でも30℃以上。ほとんど風も無い。

ずいぶん長い時間休んでいたが、気力が回復して来ない。それでもそろそろ行くか、と力なく立ち上がっていると、突然麦ワラ帽子をかぶった、いかにもお百姓さん、と言ったいで立ちのメガネおじさんが現れたのだ。そして、こう言うのだった。

「あそこの水、使ってもいいんだよ。冷たいぞう。井戸水だからな。どんどん出して、いくらでも使っていいんだ」そして、駐車場に有るホースを指さした。

突然のその言葉に戸惑いながらも、二人は這うようにそこまで行って、グイッとホースをつかみ、蛇口をひねった。初めは生ぬるい水が出て、間もなく強烈に冷えた水に変わった。そして本当に冷たいその水を、くりかえし頭から浴び、好きなだけ飲んだ。

「たまらん!」新妻君が叫んだ。
「たまらん!」新妻君が叫んだ。
「たまらん!」新妻君が叫んだ。

・・そして二人は生き返ったのだった。

ひとしきり体を冷やすと、二人は準備を終え、山に向かって立ち小便をしてから、すでに畑仕事を始めていたおじさんにお礼を言って、出発することにした。

あの人はどうやらレストランのオーナーらしい。兼業農家なのだ。ともあれ、あきらめず、前進していった結果なら、何かの困難にぶつかった時でも、必ず救いの手が差し伸べられるのである。これは前回の富士走行でも何度も経験していることだが、不思議なくらい確実にそう言う事が起こる。

滑り初めて30分。すっかり力が蘇り、上り坂も難無く通り過ぎて、食欲もわいて来た。二人は右手に見えて来た民宿兼食堂で、蕎麦を食べる事にした。入り口に三輪ミゼットとかスバル360など、古い軽自動車が、ビニールシートを被って飾られているのがおかしかった。

駐車場の脇でブレードを脱いでいると、遠く眼下に海が見えた。ようやく海の見える所までたどり着いたのだ。富津市、かずさみなとの辺りか。


あじフライとあじの天ぷらは違う

蕎麦を食べていると、急激に食欲が増して来るのが解った。あれほど気分が悪かったのに、本当にあの井戸水が二人を復活させたようだ。そこで、カニサラダと『あじの天ぷら』を追加することにした。ところが、出て来たのは何と、『あじフライ』だったのだ。

「あっ、しまった、フライか」新妻君が舌打ちした。

うかつにも、『天ぷら』のつもりで『フライ』と注文してしまったようである。似て非なるもの『フライ』と『天ぷら』。二人の脳細胞はまだ完全に蘇ってはいなかったのだ。

さらにキャプテン高橋は、麦茶のおかわりをしようと、給水機のつもりで、隣りの生ビールのコックをひねってしまうと言う失態を演じた。湯飲みは泡だらけになってしまい、仕方ないのでグッと飲み干した。黙っていれば幾らでも飲めるなあ、と思ったが、そこまでにした。

出掛けに店の主人と言葉を交わし、ローラー・ブレードの説明をした。だが、ビールを飲んでしまった事は黙っていた。外に出ると相変わらずの暑さが続いていたが、体力は回復、気分は爽快。わけもなく、何か良い事が起こりそうな気がした。


音無き警鐘が聞こえる

店を出てしばらく下った。途中信号が有って、二人が通り過ぎると赤に変わった。当然、一台二台と車が止まり始める。ところが何台目かの車が、突然急ブレーキで止まったのだ。危うく追突するところだ。

「危ないな。気をつけろよー」と振り返って、キャプテンは呟いた。そして向き直って進もうとすると、また急ブレーキの音がして、今度は「ガチャン!」と嫌な音がした。

「うわっ、追突だ!」と、また振り返ってその現場を見た瞬間だった。さらに次の車も急ブレーキ空しく、激しく追突。黄色いウインカーランプが飛び散るのが見えた。ほんの数秒間の出来事だった。

二連続追突事故で、けっきょく3台の車が道の左脇に寄せられ、中から運転手達がやれやれと言う感じで降りて来た。二人は滑りながら何度も振り返って見ていたが、やがてキャプテン高橋が、

「何やってんだよまったく。要するに、あんな風に、わき見しながら運転している車が多いと言う事だ。気をつけて行こうぜ」と言うと、「僕たちじゃないですか?」と新妻君が言う。

つまり、二人に気を取られたから、わき見をしてしまったと言う意味だ。「待てよ、そうかも知れん・・」キャプテンはうろたえた。

確かにあんなに見通しの良い道で、二台も追突すると言うのも解せない話だし、急ブレーキはいずれも二人のすぐ横で踏まれている。さらに、ローラー・ブレード自体が珍しいばかりではなく、キャプテンは、自分が事故に巻き込まれるのを防ぐため、人目につくように、わざとハデな色のコスチュームを身につけていたのである。

「逃げましょう」新妻君が前を向いたまま言った。

「そ、そうだな。だが、これは、非常に残念な出来事ではあるが、これから先のブレード走行を、より安全なものとするための、我々に対する無言の警鐘として、率直に受け止め、いっそう気を引き締めて進む事にしよう」と、キャプテンはこの期に及んでなお、新妻君に訓辞をたれるのであった。

無言の警鐘にされてしまった三台の車が、その後どうなったかは誰も知らない。


午後の海辺をブレード・ランナーが行く

事故現場から離れて、小さな町を過ぎると、港に沿った道に出た。やがて少しだけ坂道を登り、そこからずっと海沿いの歩道を滑る事になった。午後の強い陽差しが容赦なく照りつけ、海面に光りが反射していた。そのすぐ横を、二人のブレード・ランナーが黙々と滑り続けて行く。

これがキャプテンが想い描いていたイメージだろうか。いや、まだ何か違う。海の色が少しくすんでいる。この辺りは東京湾のはずれ。彼が見ようとしているのは南房総の海の色である。

木更津までが約36km。全工程が162.2kmであるから、4日でたどり着くためには、今日出来れば計70kmは進んでおきたい。館山までは無理としても、富山町辺りまでならなんとか‥‥、そう思い、少し距離を稼ぐため、ここではキャプテンが先頭になってペースを取る事にした。

新妻君は、朝からヒューヒューと木枯らしのような音を立てて走っていた。昨夜ホイールをはずし、丁寧に掃除をしてオイルを差していたが、セッテイングに失敗したらしい。

一時間ほど滑って、いかにも田舎に有りがちなドライブインで休憩した。


ノコギリ山に思わぬ敵が待っていた

海辺のドライブインの「寿司」と言う文字にはそそられたが、ここでは飲み物だけ。空き缶を捨てに行くと、店のお爺さんが笑みを見せながら「面白そうなもん履いてるな」と話かけて来た。そのお爺さんに場所を聞くと、今いる所は芝崎の辺り、東京湾フェリーの港が1km程先にあると言う。地図を広げて見るとノコギリ山のすぐ近くだと言う事が解った。

ノコギリ山は、山頂がノコギリの歯のように凸凹しているので、そう呼ばれるようになった。仏像が彫ってあったりと、宗教色の強い山である。千葉に住んでいる子供なら必ず遠足に行く所だとも聞いている。また、かの椎名誠氏が沢野ひとし氏と共に、初めてロック・クライミングにトライし、5m程登ってやめた山であるとも伝えられている。

さて、それは良いとして、ノコギリ山を正面に見ながら進んで行く二人の前に、思わぬ難敵が待ち受けていた。それは、明鐘岬に差しかかろうとしていた時のことだった。目の前に、長く暗いトンネルが現れたのである。車の通りは激しく、道幅もひどく狭い。おまけに中でカーブしていて、見通しがきかないのである。とても生きて抜けられるような感じがしなかった。迷ったあげく、初めてブレードを脱いで迂回する事にした。

それにしても、このような道路の作り方は、ブレードはともかく、歩行者や自転車を全く無視しているように思える。車の走り方を見ていると、人も通る道なのだと言った警戒感はまるで感じられない。まるで、自動車専用道路だと思い込んでいるかのようである。


岬で『岬』と言う喫茶店に引き込まれた

ローラー・ブレードをかつぎ、迂回路をとぼとぼ歩いていると、「パンパン」と手をたたく音が聞こえた。振り向くと、海に向かって立てられた小屋の中で、50代ぐらいの男が窓から手招きしていた。

何だろう?と訝しく思っていると、その手招きに引き寄せられ、見る間に新妻君が近づいて行ってしまったのだ。いかん、と思ったがもう遅い。彼は魂を奪われてしまった者のように、よろよろと男の前に佇んでしまったのである。

「中に入れって」振り返った新妻君が言った。すでに彼は、男の術中にはまっていたのだ。

『出会いの店。音楽と珈琲の店。岬』
入り口にはそんな看板がおかれていた。どうやら古ぼけた喫茶室のようである。中に入るとビリー・ジョエルの歌が小さく流れていた。室内は色々な海や船の物で装飾されていて、ゲーリー・ムーアの似顔絵が有り、ビーパルのバックナンバーが揃えてあった。窓は開けっ放しで、絶えず海風が入り込んで来る。そのせいか、エアコンが無いのに中は涼しかった。

男は短い頭髪で、強い西日の差し込む、開け放された窓に向かって座っていた。カウンターには飲みかけのビール缶が一つ。それと、沖に向けられた望遠鏡が三脚に設えてあった。

「この店はね、水一杯で一日中いられるんだ」
男は前を向いたまま、低いゆっくりした口調で言った。間もなく、奥から40代ぐらいと思われる、髪の長い若作りな女性が水を運んで来た。キャプテンと新妻君は共にアイスコーヒーを頼んだ。

「海に、潜る・・」
時折り男は思い出したように口を開いて、西日を完全に顔面で受けながら低い声を発した。そして、カモメのモビールを指で弾いて揺らす。逆光の後頭部と横顔だけが、少し不気味に見えていた。

男は自分で勝手に話すくせに、こちらから質問するとほとんど答えようとしない。そして、あまり話しかけていると、しまいに「主人はあっち」と言って女性を指さした。

奥で女性が叫ぶ。「お母さん! お風呂の水止めて。28分に止めてって言ったでしょ! お母さん!」時計を見ると、針は40分を差していた。

男はその声に「うふふふ・・」と笑っていたが、急に席を立つと、「呼び込みしててもしょうがねえな」と言って店を出、表にあった白いセドリックに乗り込み、走り去って行った。そして、つまり「客」に呼び込まれてしまったらしいキャプテンと新妻君と、女主人の三人が残された。

「客だったんだ・・」新妻君が、うわ言のように言った。キャプテンは、水木しげるの漫画に出てくる、身代わりを見つけなければ自由になれない妖怪の話を思い出していた。

女主人はアイスコーヒーを運んでから、色々と尋ねて来た。二人は、ローラー・ブレードで鴨川を目指す旅の者であること、トンネルに道を阻まれてしまったこと、サイクリングロードを探していることなどを話した。彼女の話から、サイクリングロードは計画だけで、20年も前からそのままになっていることが解った。

「あたしなんかが、反対したわけよ」彼女は得意げに言った。そうだったのか、それでサイクリングロードが無かったのか。出来ていれば楽勝だったのに・・だが、「そうなんですかあ」と、キャプテンは笑顔で答えるのだった。

「鴨川まで行くんでしょ。だったら館山の方へ行っちゃダメ。鋸南町から左に折れて真っすぐ行けば、そのまま鴨川。絶対そっち行った方がいい。絶対!」女主人は勝手に力説した。さっきの客も変だったが、彼女も何んか変だ。しかし、まだいくつかトンネルが有ると言う情報は手に入った。

「ありがとうございました」二人は丁寧にお礼を言って外に出た。店の前の道を行くと、草深くなった所にティシュの絡まった人糞が有った。ますます不可解な所だ、キャプテンは思った。

ブレード隊が訪れてから22年後の2014年、この喫茶店を舞台した映画「ふしぎな岬の物語」が公開される。この店を訪れた森沢明夫氏の小説「虹の岬の喫茶店」が原作。

さらに苦難の道は続く

ブレードを脱いだまま、幾つかトンネルを迂回し、ノコギリ山の入り口を過ぎて、最後のトンネルを避けようと脇道を行くと、やがて道が広がって土木作業の材料置き場のような所に出た。何台かトラックが有り、その脇で作業員風の男が二人、話をしていた。

「この先、国道に抜けられますか?」
キャプテンが尋ねると、男たちは一瞬戸惑ったような顔をして、
「抜けられることは、抜けられるけど‥‥、大丈夫かなあ」と言う。
「けっきょく国道には出るんだけど、海辺に一回おりなきゃならないんだよ」
と、心配そうな顔をするのである。

「わかりました」と言って先を急ごうとすると、男のひとりの方が、さらにしつこく説明しようとする。海辺を行こうが行くまいが、国道に抜けられればそれでいいのである。しかし先へ行こうとする二人に、なおも彼は怪訝そうな顔をして、「気をつけてくれよ。ほとんど人の行かない所だから」と念を押した。

進んで行くと、男が念を押した理由が解った。なんと、道の先は崖っぷちになっていたのである。もろく崩れそうな乾いた急斜面。所々に草が生えているだけ。はるか眼下に砂浜が見える。

「何だこれは!」新妻君が大声で言った。
「それであんなに心配したのか」

しかし引き返しても迂回する道は他に無かった。二人は、ファイトー1発!と叫び、ザザザッと、リポビタンDの世界に突入して行くのだった。


民宿は旅のオアシスだ

なんとかズルズル下まで降りていくと、精根共に疲れ果てていた。
「今日はこれまでだ」新妻君が裸足で海に入って行った。
夕日が海に向かって落ちようとしている。時刻は5時を回ろうとしていた。

砂浜の先に民宿らしき建物が有ったので、そこを目指して二人は歩き始めた。民宿の入り口まで行って、そこにいたお爺さんに宿を探している旨を告げた。しかし、部屋は空いているが、食事が無いと言う。一度はあきらめかけたが、ご飯とみそ汁だけで良いからと言って、泊めて貰うことにした。

ところがである。食事時間になって行ってみると、確かに他の客よりは落ちはするが、信じられないくらいの豪華な刺し身料理が待っていたのだ。新妻君はお茶だけ、キャプテンはビール一本までと言う*ストイックな旅を続けていただけに、これはあまりにグッドであった。(*ストイック = 感情に動かされず、苦楽を意に介せぬこと。禁欲主義者)

◎ 民宿北見

夜、あの岬の『岬』の話になった。新妻君は、あの男は女主人に惚れていて、毎日口説こうとやって来るのだが、気の強い女主人に軽くあしらわれては引き返す、と言う筋書きを作っては空想にふけっていた。

キャプテンは、明日あの場所へ行ってみると、そこには、誰もいない崩れかかった廃屋が有るだけなのではないか、と思った。あの男の、強い逆光の後ろ姿を思い出すたびに、何故か、ついそんな気がしてしまうのであった。・・つづく


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1 ・2・ 3 ・ 4 ・ 5 ・ 6 ・ 7 <高萩 - 犬吠埼・ブレード走行記2 1日目後半> 1日目/1996年7月31日(水)「日立駅前そば屋から日立港・旅館須賀屋まで」 ◆ あつい! ようやく夏なのか! ◆ ソバ屋から出ると、さすがハイテク繊維、Tシャツはすっかり乾いていた。 国道6号は、ここから内陸の水戸方面へ行ってしまうため、海沿いの245号へ進むことにする。合流するには駅の向こう側へ渡らなければならない。 歩いていると、日立電線、日立化成と、日立関連のビルが続く。さすが日立市である。 「この町の人々は日立の製品しか使わないのかなあ」 森広君が素朴過ぎる質問を投げかけたが、誰も答えなかった。 ブレードを履き、駅前の石畳の広場を滑って行く。間もなく陸橋を越え、線路を渡ると、245号に入った。そこにも日立の社屋が有り、社員の行き来するすぐ脇を進む。 緩やかな上り坂だが、食後なのでスローペースで進む。30分ぐらい経てばランナーズハイに持ち込めるから、それを待つ。心配なのは新妻君の足だった。先ほども説明したように、ブレードで足を痛めると、走行中は決して回復することが無い。だからこれから先、新妻君の苦痛は増すばかりと見た方がいいのだ。 ブレード走行を楽しむには、どれだけ長時間足を痛めずに保てるかの一点にかかっている。だから、そのための手間を惜しんではならない。 キャプテンなど、ソルボセインや、ワセリンなど、あらゆる手段を試みていたが、今回はくるぶし痛対策のため、粒状の『衝撃吸収ゲル』を入手、10センチ四方の布袋に入れてキルティング縫いし、それをくるぶしの上に当てている。これによって、インナーにくるぶしが当たるのを防ぎ、しかも粒状なのでムレも防げると言う仕組みになっている。これが功を奏したのか、今のところ痛みは発生していない。 245号は、昼下がりと言うこともあり、何処となくうら寂しい道だった。しかも上りがキツく、ドブ板走行も強いられた。目に映るものは、工場や倉庫、人気の無い駐車場など。車通りだけが激しい騒音を響かせていた。 30分ほど滑って日立市街地から抜けると、路側帯が広くなって、やっと一息つくことが出来た。 「歩道は路面が悪い!」と、常にモンクを飛ばしている森広君の言う通り、充分な広さを持っていれば、歩道より路側帯の方が楽だった。 だんだんいい感じになって来...

「茨城46億年後の一期一会 .6」1996

1 ・ 2 ・ 3 ・ 4 ・ 5 ・ 6 ・ 7 <高萩 - 犬吠埼・ブレード走行記6 3日目後半> 8月2日・金曜日(3日目)「グリル鹿島から波崎町・割烹旅館かわたけまで」 ◆ 今頃ソルボセインかよ・・ ◆ 出掛けに、鹿嶋市パンフレットの地図でスポーツ用品店を見つけていた新妻君が、「ソルボセインの中敷きを買う」と言い出した。なんと、彼はまだソルボセインを使っていなかったのである。 『ソルボセイン』とは、10m以上の高さから生玉子を落としても割れない、と言うほどの衝撃吸収材だが、同様の『αゲル』などと比べると「コシ」が強いので、靴底に入れてもフニャフニャした違和感が無く、自然な使い心地の代物なのである。 これをブレード・ブーツの底に敷くと、アスファルトからの振動を吸収して足を保護でき、疲労もかなり防げる。したがって、キャプテンは以前から、ブレード走行を始める者には『ソルボセイン』を使え、と言い続けて来た。 当然、新妻君もそれを耳にしていたはずで、とっくに使用しているものと想い込んでいたのだが、彼は「そんなことより、ブレードは滑ってなんぼ」とばかり、堅い中敷きのままで間に合わせていたのである。確かに、他人のアドバイスより自らの感覚を信じる、と言うやり方は正しいが、それは継続することにより養われるもので、一発屋には馴染まない。 グリル鹿島から町外れまで滑って行き、『スポーツ101』と言う、この辺りにしては大きめのスポーツ用品店を見つけた。新妻君はそこで『ソルボ中敷き』を購入、店の中で自分の足の大きさにカットして出て来た。 「なんだこれは!? 振動が無い!」 さっそくブレードの底に敷いて滑り始めたその直後の一声である。絶大なるソルボ効果に感動したのだろうか。もちろん一度痛めた足が治ることは無いが、このさき数時間の延命効果としては充分役に立つ。それにしても、最初から使っていれば・・ スポーツ101から離れてしばらくの間は、新妻君に応急処置が施されたことで、少し気を楽にして滑ることが出来た。すでに国道51号からは離れ、124号を進んでいた。 道沿いには、まばらだが、店やレストラン、町工場、中古車ディーラーなどが並んでいた。そこから幾つかの林をくぐり抜け、緩やかな坂道を下り、小ぎれいな民家の立ち並ぶ通りに差しかかった。 そこをさらに進んで、信号待ちで渋滞している交差点が見えて...

「茨城46億年後の一期一会 .5」1996

1 ・ 2 ・ 3 ・ 4 ・5・ 6 ・ 7 <高萩 - 犬吠埼・ブレード走行記5 3日目前半> 8月2日・金曜日(3日目)「民宿大竹から鹿島市・グリル鹿島まで」 ◆ 呪いの見送り ◆ 荷物を担ぎ、民宿大竹の駐車場まで出て行くと、女将さん、その娘、お祖母さんが次々に姿を現した。ブレードの物珍しさゆえの見送りと言うところである。 新妻君と森広君は、すみっこの車の陰でブレードを履き始めたが、キャプテンはギャラリーへのサービスもかねて、ど真ん中で準備することにした。そうしていると、ほどなく女の子が駆けよって来た。 「それで、すべってくの?」 その子はそう尋ねた。それに、ああ、そうだよと愛想良く笑い、 「ここからねえ、ずーっと遠くまですべってくんだよう」 と、キャプテンは子供用の声で答えたのだ。ところがである。 「ウソだね!」 予想に反してカワイくない返事がかえって来たではないか。 「ほんとだよ、ほんとほんと」ちょっとあせった。だが、 「ウソだねー!」と、女の子はなおも続ける。 「ほんとだってば」 「じゃあ、東京からすべってきたの?」 「そうじゃなくて、東京から電車で来て・・」 「ああっ!。ほらー、電車なんだってー!」 その子はキャプテンの言葉尻を取って、そーら見たことかとばかり、女将さんを振り返って騒ぎ出した。 「ちがうちがう、電車で遠くまで行って、そこから滑って来たんだよ。わかる?」 「ええー?」 そこでいったんはおとなしくなったが、声は半信半疑のままである。さらにその子の攻撃は続いた。 「雨がふるよ!」ふてくされたような言い方だった。「雨がふってくるよ!」 ・・ったく、どうなってんだ? 「そうかなあ?。大丈夫だと想うよ」 「ふるよ!。てんきよほう見てみな!」 これはもう、呪いに近いものが有る。でも、確かに雨が降りそうな空だった。気温も低く、温度計を見ると21℃を示していた。寒いくらいだ。 ブレード走行は、舗装道路が無ければ前進出来ないわけで、アウトドアと呼ぶにはあまりに半端なスポーツだったが、それでも自然相手であることには違いない。雨が降ったら、それを甘んじて受け入れるしかないのである。さて、どこまでもつか・・ 女の子はいつの間にかキャプテンから離れ、他の二人のところへ駆けよって行った。その後ろ姿を見ながら「世の中には、いろんな子がいるんだなあ」と想った。 年齢の...

「幻のBOSO100マイル .後編」1994

1 ・ 2 千葉 - 鴨川・ブレード走行記 (白浜でリアタイア)        目次 変調 待っていた男 失速 幻のゴール ゆくえ 昼食の間に天気は完全に回復し、再び強烈な陽射しの中を進むことになった。太陽を浴びると、また気分が悪くなってくるような気がした。 少し不安を感じながらも進んで行くと、道の先に見覚えの有る信号が現れた。二年前キャプテンと新妻君の脇で起きた、あの二重追突事故の現場だ。確かにここに違いない。まじまじと周囲を眺め、事故なんて起きそうに無いのになあ、そう想った矢先のことだった。横を通り過ぎた車が、またいきなり急ブレーキをかけたのだ。 「おい!?」とあわてて振り返ったが、幸い事故にはならなかった。またしてもブレード・ランナーが珍しくて前方不注意になったのだろうか。それにしても・・、なんだか嫌なポイントだ。 『湊川』の橋を渡り、右に大きくカーブする山沿いの道をたどると、やがて東京湾浦賀水道の海が見えてくる。遥か向こう岸は三浦半島横須賀の港だ。この辺りからずっと海岸沿いを滑ることになる。キャプテンは、すっきりしない気分を抱えたままではあったが、海を眺めることで力を回復出来ると信じていた。 その道は人の気配が無く、車だけが風を切って行く。歩道は、ゴム状の継ぎ目を飛び越える以外気を使うことはなく、滑らかな路面が続いていた。海側は断崖になっていて、そのギリギリに、幾つかのレストランや小さなホテルなどが建ち並んでいた。 しかし車が数台止まっているだけで、賑わいと呼べるものは感じられなかった。シーズンの盛りにはもっと人が訪れるのだろうか。どの店も、捕れたて新鮮魚介類の料理が売り物らしく、そのことを謳った看板が立てられていた。 「知る人ぞ知る、穴場と言った店が有るのかも知れないな」そんなことをぼんやりと考えていた。 道路から見える崖下の砂浜では、数人の人々が海水浴を楽しんでいた。海の家も無い静かな浜辺は、さながらプライベート・ビーチと言った雰囲気である。そんな光景が何度か現れては消え、『金谷』の辺りまでは、比較的楽しみながら滑って来ることができた。 どのくらいたったのだろう。かなり疲れを感じたところで、丁度よく木々に覆われた細い脇道を見つけた。迷わず滑り込んで、荷物を降ろすことにする。 そこには、心地よい風が吹き抜けていた。道の両側に古い小さな家が建ち並び、遠く水平...

「茨城46億年後の一期一会 .1」1996

1・ 2 ・ 3 ・ 4 ・ 5 ・ 6 ・ 7 <高萩 - 犬吠埼・ブレード走行記1 1日目前半> 1996年8月。ゴブリンズの夏季キャンプが、千葉県犬吠埼の長崎町で行われることになった。そこでゴブリンズ・ブレード隊の高橋文昭、新妻英利、森広康二の三名は、その四日前に茨城県高萩市を出発。犬吠埼・長崎町までの135kmを、4日間かけてインラインスケートのみで南下し、ゴブリンズのメンバーと落ち合う、と言う旅を計画した。 ◆ 主な登場人物  ◆  ブレード隊・キャプテン高橋  草野球チーム・ゴブリンズのキャプテン。34歳で初めての長距離ブレード走行を敢行。今回、通算走行距離1000km突破を目指す。  ブレード隊・新妻英利 隊員  伝説の第一次ブレード隊のメンバー。1995年カナダ・ロッキー山脈にて初の海外ブレード走行を試みるが、足のツメを剥がし100km地点でリタイア。  ブレード隊・森広康二 隊員  1996年からブレード隊に参加の新人。経験は浅いが、抜群の登坂能力とスピードを持つ。ブレード・アクセサリーに凝っている。  塚本じいさん  高萩の外装の汚いビジネスホテルのオーナー(現在廃業)。  水木海岸の少年  岸で駐車場の番をしていた愛想の無い高校生。  旅館須賀屋の女将  飛び込み客に面倒味が良い、 日立港近くの旅館の女主人。  旗振りの男  海岸で旗を振って客引きをしていた無数の人間の中のひとり。  ターザンの娘  あぶない格好でブレード隊に手を振っていたと言う少女。  民宿大竹の女将  茨城弁丸出しの美人ママ。  その女将の子供  出発時に見送りしてくれた疑り深い性格の女の子。  グリル鹿島の娘  バカッ丁寧な言葉使いの少女。  鹿島ガンプ  奇妙な質問を発し、自転車で延々とブレード隊を追いかけて来た不思議な人物。  旅館かわたけの女将  無理を承知で泊めてくれた太っ腹人情女将。  ◯◯ 高校サッカー部  『かわたけ』に泊まった礼儀知らずの合宿軍団。    1日目/1996年7月31日(水)「高萩海岸から日立駅前そば屋まで」 ◆ 不吉なる序章 ◆ この旅の始まり、不吉な出来事が起こった。ブレード隊三人が乗り込んだ列車が、ある時点から、「ガラガラ、ガツン!」「カン、カラン、ゴンッ!」と言う、石が車体にぶつかるような激しい音をさせ始めたのである。 初め...

「茨城46億年後の一期一会 .4」1996

1 ・ 2 ・ 3 ・ 4 ・ 5 ・ 6 ・ 7 <高萩 - 犬吠埼・ブレード走行記4 2日目後半> 2日目/8月1日(木)「大洗海水浴場から大竹海岸・民宿大竹まで」 ◆ 昼下がりの・・、大洗海岸 ◆ 昼食を終えたあと、ちょっと長めの昼休みと言うことになった。 森広君は汗に濡れたTシャツを脱いで日なたに乾し、上半身を焼き始めた。とにかくこの男は、すぐ赤く腫れてしまうくせに、一気に焼かないと気がすまないと言うやっかいな奴なのだ。それに引き換え、足の痛みで予想以上に疲労している新妻君は、海の家で有料のシャワーを浴び、気持ちの張りを取り戻そうと懸命である。 その間キャプテンは、海の家のベンチに座って、ワセリンや日焼け止めを塗り直したり、サングラスの汚れを落としたりしていた。その横を、海から上がって来た何人かの男女が通り過ぎて行く。午後の強い陽差しにみな目を細め、シャワー室に入って行くのだった。 何度か、店番をしているオバサン達のカン高い笑い声が聞こえて、また静かになった。そのあとは、通り過ぎる車と風の音しか聴こえて来ない。 「オレにとっては・・、ここは、日本の裏側だ」慣れ親しんでいる天津小湊や九十九里の海に比べると、ここは本当に見知らぬ海だった。 「これが大洗海岸と言うものか・・」どうしようもない寂寥感が胸に迫った。やっぱり、ゴブリンズキャンプは、犬吠埼ではなく天津小湊にした方が良かっただろうか、と想う。 ・・いや、だめだ。あの海には想い出が多すぎる。 やがて、シャワーを終えて来た新妻君が隣のベンチに座った。彼は自分の足に巻かれたテーピングを剥がそうとするが、すね毛が絡みついているのか、何度も「だあー!」と言う激しい悲鳴を上げていた。そのうちたまりかねて、アウトドア・ナイフで毛を切りながらテープを剥がす、と言う荒っぽい戦法に出た。 その時キャプテンは、彼の足首に大きな靴ズレの跡が有るのを見つけた。やはりツメだけではなかったようだ。それを見て、もうこの先、新妻君が復活することは無いだろうと想った。どんな治療を施しても、このまま延々と苦痛が続くだけであり、楽しいことはひとつも無い。ひょっとすると完走さえ危ないかも知れない。 「ワセリン塗っとけよ、ほら」と彼に差し出すと、意外なほど素直に受け取り、靴ズレの患部に塗り始めるのだった。ひとが薦めるものをことごとく拒絶するヘソ曲が...

「三年ぶり、ブレード走行熱海」1999

< 三年ぶり、ブレード走行熱海 > ★1996年の夏、高萩 - 犬吠埼の茨城走行が終了したあと、ゴブリンズの周辺は一変してしまった。レギュラーメンバーの約半分が、仕事のためハワイに移住してしまったのだ。もちろんチームは事実上活動休止。ブレード隊もバラバラになってしまう。・・ そ れから、約3年の年月が流れて、ゴブリンズは一人また一人と、再び仲間が集まり始めていた。 だが1999年5月2日、まだ何かが足りないキャプテン高橋は、ついに三年ぶりのブレード走行を行うため、一人列車に乗っていた。向かった場所は伊豆。出発地点は熱海。かつて1996年の春、森広隊員と滑った湘南ブレード走行(茅ヶ崎 - 熱海)の続編を決行するためである。 熱海の駅を降りたとき、時計は午前10時をまわろうとしていた。天気はこれ以上無いと言う快晴。陽差しがまぶしく、歩くだけで熱気を感じる。ただ、時折り吹く風はひんやりとして心地良かった。 駅前通りの坂を下って、途中、自家製パン屋で、アンドーナツと、カレーパンと、クロワッサンと、桃の天然水とを買った。パンは焼きたてでまだ暖かく、ふんわりとしている。 そこから土産物屋が並ぶ通りを抜けて海岸へ出る。右手方向の、これから向かおうとする135号線の先に目をやると、急な上り坂の道が、山の向こう側にまわり込んで見えなくなっていた。そこを、ゴールデンウィーク中の渋滞した車が、ノロノロとうごめいているのだ。 少し気が重くなっていた。もっと普通の日にすればよかったと想う。それでなくても伊豆は、道が狭い、アップダウンが多い、迂回路が無いと言うことで、ブレード走行禁断の地と言われ続けて来たところである。しかもあの車の数だ・・ しかし、このところ週末は雨続きで、連休に入ってようやく上天気になったのだ。これ以上待つと、次のチャンスはいつになるか解らない。 ともかく一服して、パンをおやつにしながらメールを書こうと想った。今回はゴブリンズへのモバイルメールで、ブレード走行のライブ中継をやろうと想っていたのである。 砂浜への広い階段を中ほどまで降り、海を眺めた。水ぎわをたくさんの人々が歩いていた。 その場で腰を降ろし、携帯電話とザウルスを取り出す。まぶしすぎるので、ツーリング用サングラスをかけた。そうして、5月の心地よい風に吹かれながら、メール文を考え始めるのだった。(このころ携帯メール...

「湘南の海、エンドー苦難の道」1993

< 横須賀 - 茅ヶ崎・ブレード走行記 > 1993年。ゴブリンズ・ブレード隊、キャプテン高橋と遠藤忠隊員は、10月23日と24日の二日間に渡り、三浦半島の横須賀から茅ヶ崎まで、約75kmを無事完走したと発表。この完走によりキャプテン高橋の通算走行距離は359.4kmとなった。                    目次 うれしはずかし出発の時 三浦海岸! これを見に来た 遠藤殺しの坂が待っていた 史上最大のピンチである?! ついにブレード隊、初の野宿なのか・・? 二日目、最高の出発 湘南・超観光ルートを行く 日曜の午後の終わり ◇ うれしはずかし出発の時   ◇ 「だめだ、間に合わん!」 時計を見ると、7時55分。東急東横線の急行はたった今、 渋谷を出発したばかりだった。約束は横浜駅の改札に8時だが、この分では8時半ごろになってしまうだろう。昨晩、荷物の用意をしている内に夜が更けてしまい、キャプテンは今朝少し寝過ごした。しかし興奮のあまり眠れなくなった訳では無い。もう子供ではないのだ。 ドア際の窓から空を覗くと、雲は多めだが気持ちの良い秋晴れ。10月23日(土)、この週末の天気に問題は無い。ただ、なぜか寒さがとても心配だった。必要以上に気にしてしまったのは、第三次ブレード隊『富士五湖周回走行10.24』からちょうど1年、あの富士山麓の標高の高さと、降りしきる雨の記憶のせいに違いなかった。 予想した通り8時30分に横浜駅に着いた。改札を出ると、憮然とした遠藤隊員の姿が有った。「悪い、悪い。寝過ごした」仕方なくキャプテンは笑ってごまかすのだった。 日頃、野球の試合などでは、周囲から時間に厳格だと思い込まれているキャプテンだが、何を隠そう、中学・高校の6年間、常に遅刻回数・学年トップを誇って来たクセ者なのである。その頃の1年間の平均遅刻数は約70個。これは野球に例えれば『盗塁王』に匹敵するのはないかと一部ではささやかれているが、さて、どんなもんだろう・・ 二人はそこから京浜急行に乗り換え、横須賀中央駅へと向かった。気温24.3度、まずまずの走行日和だ。このくらいの陽射しが有れば、走っている内に体温の上昇でちょうど良くなって来るはずである。間近に迫った出発に備えて色々と考えは及ぶ。もう一人の隊員、新妻氏は、なんだかんだと急用が出来て、今日は来れなくなった。 横須賀...

「南房総に夏の終わりの夢を見た・後編」1992

      「南房総に夏の終わりの夢を見た」後編   >前編に戻る ★1992年8月21日(金)15時。キャプテン高橋とゴブリンズ新人・新妻英利は、ついに総武本線千葉駅から鴨川キャンプの拠点、民宿ウエダ(天津小湊町)までの162.2キロをローラー・ブレードによって走破する事に成功。これは前回の東京-富士間77.5キロを、84.7キロ上回る距離であった。 千葉 - 鴨川ブレード走行記 3日目 〜 4日目「鋸南町 〜 白浜 〜 天津小湊」 *目 次* あきらめるな道は必ず開ける 海岸線、防波堤を行く 昼飯はそばと決めていた ここは何処だ、遠いところだ フラワーライン、組曲惑星が聞こえた 旅館か民宿か、迷うところだ 気を許すな、音無き警鐘を思い出せ 赤い道は滑りやすい やっぱり昼飯はそばに限る たまらん隊がゆく・・ そして旅が終わった ■ あきらめるな道は必ず開ける ■ 8月20日。昨日トンネルに道を阻まれ、予定よりも大幅に遅れてしまった。千葉駅を出発して、60km進んだだけである。あと2日で100km行かねばならない。 新妻君は一時『岬』の女主人が言った近道も捨て難いと、迷い始めていた。肉体的疲労に加え、追突事故を目の当たりにしてしまったこと、トンネルの恐怖などが影響していた。 実はキャプテンも同じような心理状態にはあったのだが、この旅はただ目的地に着けば良いのではなく、162.2kmを走破しなければ意味が無いのだった。さらに、館山から白浜あたりまでの南房総を通らなければ、彼の想い描いたイメージは完成しない。彼は新妻君の決心がつくのを待った。しかし、もしどうしても駄目だと言ったならば、無理強いはするまいとも思っていた。 「でも、女主人の言うなりになったら、負けだな。ダメだったら、歩けばいい。行きましょう!」こう言って新妻君は気持ちを固めた様子であった。 あきらめる時は、にっちもさっちも行かないその現場で、はっきりケリをつけてからあきらめる。後は電車でもバスでも使えば良いのだ。途中であきらめてしまったら、可能性も幸運も使わない内に手放してしまうことになる。とは言え、キャプテンの心の中には、あきらめない勇気とあきらめる勇気とが互いに見え隠れしていた。 ・・と言うように、三日目は少しカッコつけた書き出しになってしまったが、実際は結構だらだらと出発したのである。 滑り出して、初...