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「茨城46億年後の一期一会 .5」1996

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<高萩 - 犬吠埼・ブレード走行記5 3日目前半>

8月2日・金曜日(3日目)「民宿大竹から鹿島市・グリル鹿島まで」

呪いの見送り

荷物を担ぎ、民宿大竹の駐車場まで出て行くと、女将さん、その娘、お祖母さんが次々に姿を現した。ブレードの物珍しさゆえの見送りと言うところである。

新妻君と森広君は、すみっこの車の陰でブレードを履き始めたが、キャプテンはギャラリーへのサービスもかねて、ど真ん中で準備することにした。そうしていると、ほどなく女の子が駆けよって来た。

「それで、すべってくの?」
その子はそう尋ねた。それに、ああ、そうだよと愛想良く笑い、
「ここからねえ、ずーっと遠くまですべってくんだよう」
と、キャプテンは子供用の声で答えたのだ。ところがである。

「ウソだね!」
予想に反してカワイくない返事がかえって来たではないか。

「ほんとだよ、ほんとほんと」ちょっとあせった。だが、
「ウソだねー!」と、女の子はなおも続ける。

「ほんとだってば」
「じゃあ、東京からすべってきたの?」
「そうじゃなくて、東京から電車で来て・・」
「ああっ!。ほらー、電車なんだってー!」

その子はキャプテンの言葉尻を取って、そーら見たことかとばかり、女将さんを振り返って騒ぎ出した。

「ちがうちがう、電車で遠くまで行って、そこから滑って来たんだよ。わかる?」
「ええー?」

そこでいったんはおとなしくなったが、声は半信半疑のままである。さらにその子の攻撃は続いた。

「雨がふるよ!」ふてくされたような言い方だった。「雨がふってくるよ!」
・・ったく、どうなってんだ?

「そうかなあ?。大丈夫だと想うよ」
「ふるよ!。てんきよほう見てみな!」

これはもう、呪いに近いものが有る。でも、確かに雨が降りそうな空だった。気温も低く、温度計を見ると21℃を示していた。寒いくらいだ。

ブレード走行は、舗装道路が無ければ前進出来ないわけで、アウトドアと呼ぶにはあまりに半端なスポーツだったが、それでも自然相手であることには違いない。雨が降ったら、それを甘んじて受け入れるしかないのである。さて、どこまでもつか・・

女の子はいつの間にかキャプテンから離れ、他の二人のところへ駆けよって行った。その後ろ姿を見ながら「世の中には、いろんな子がいるんだなあ」と想った。

年齢のせいか、ブレード走行が沿道の子供たちにウケるのが一番楽しい。だから、あの子のような反応には、とても寂しい気がしてしまうのだ。

子供はもっと素直でなければいけない。そうでなくたって、大人になると『信じる力』が弱くなってしまうんだから・・。何でもまず疑ってかかるようになり、その結果、何事もうまく行かなくなってしまうんだ。

・・人間は、自分が信じたものは必ず実現出来ると言う。どんな荒唐無稽な空想であっても、『信じて』地道に続けて行けば、必ずそれは本当のことになる。じつは人間の脳は、実現不可能なものは、初めから想い浮かべないように作られている、・・らしいんだ。

確かに見てごらん。宇宙開発、バイオテクノロジー、コンピュータ産業など、現代の著しい科学技術の進歩は、子供のころ僕たちが空想していた『夢物語り』ばかりだよね。

たとえば『スペース・シャトル』なんか、キャプテンが10才の頃、少年マガジンの特集『未来の宇宙船』の中に描かれていた、空想イラストの一つにすぎなかったんだ。・・それが今、実現している。

つまりこれは、人々が、ずっとあきらめず、空想を信じ続けた結果だと想う。だってそうだろ?。開発者が、「いやあムリだ。こんな物が造れるわけがない」なんて想ったら、出来上がるわけがないよね。

それからもう一つ、キャプテンは自分がコンピュータを使っている時に思うことがある。「オレはまるで、子供のころの、漫画の登場人物みたいだ」

キャプテンの言う漫画とは、つまりあの『手塚治虫』の作品のことだ。あの頃、手塚治虫が描いていた世界、そのイメージは、知らぬ間に子供たちの心の中に宿り、成長と共に、その空想に向かって、大きな物語を築き始めていたんだ。

超高層ビル、その間を走り抜ける首都高速、空力フォルムの車、ロボット、コンピュータ制御の無人工場、原子力発電、コンピュータ・グラフィックス、バチーャル・リアリティ、携帯電話、テレビ電話、遺伝子操作、クローン生物、宇宙ステーション、火星植民地計画・・

この分だと、もうじき『火の鳥』が現れるのかも知れないね。

『未来世界・・』
そうなんだ。つまり僕たちは、むかし僕たち自身が想い描いていた夢の中を、いま生きていることになる。そしてそれは、心のどこかで、ずっと手塚治虫を信じ続けていたその結果に違いない。だから山下達郎が歌っているように、僕たちはみんなきっと、手塚治虫の漫画に育てられた『アトムの子』だ。

「これからどんな未来世界が来るのか。それは、子供たちがどんな夢を見るかで決まる」。日本初のTVアニメーション『鉄腕アトム』を、日本で初めて見た子供の一人、キャプテン高橋は想う。


ブレード隊 分裂の危機?

民宿大竹からずっと観光地仕様の滑らかな歩道が続き、出発としては快調そのものと言って良かった。しかし、気温は夏とは想えないほどの低温で、森広君のように、「もっと、カッと暑くなってくれ!」と言う気にもなってしまう。

ただ、ぜいたくも言っていられなかった。振り返ると、新妻君がかなり遅れ気味になっていることが解ったのだ。今日は特に調子が悪そうである。ツメが内出血している上に、靴ズレを起こしているのだから無理もない。

「このツメ、たぶんはがれますよ」
と彼は言っていた。キャプテンも一度、スパイクのサイズが合わずツメをはがしたことが有るので、どんなことが起きるのかすぐに解った。

最初は激しい痛みとともに内出血を起こす。それが黒ずんで痛みが治まると、親指のツメが大きくカクカクと動くようになる。そしてある日、風呂に入ったときなどに突然、SFホラー映画『ザ・フライ』のように、ツメがその形のまま、そっくり取れてしまうのだ。

ところが取れてしまうと案外平気で、痛みも無く、そこには皮膚が硬化したばかりの小さなツメ、いわゆる『半月』が現れている・・

何度か立ち止まり、近づくのを待ってまた滑り出す。彼がどこまで持つか、それは、これからの道路次第だと言って良いが、今の路面が続いている限りは、何とか大丈夫そうである。

周囲には畑が続き、遠方は湿った空気で霞んでいた。左手には海が有るはずだが、漂う霧のせいで空と区別がつかない。林の間から見えるのは、一段低くなった畑と農家、それに灰色の空だけだった。

この辺りはもう『太洋村』だろうか。それとも・・。なんてこと考えているうちに、ハッと我にかえった。ところが、どんな風にしてここまで来たのか、まったく記憶が残っていない。

たとえば、滑走中の心理状態には何種類か有って、
『色々と物想いにふける』
『景色や路面の良さに気分が高揚する』
『危険回避のために緊張する』

などが入り乱れて形成されているが、その中に時折り、10数分間のポッカリと記憶の無い時間帯が存在する。言わば、滑りながら眠っているようなものだが、ちょうどその時がそんな『瞑想状態』だった。

時計を見ると、出発から約1時間ほどが過ぎていた。ほとんど疲れは無いが、一定の間隔で休憩を取るのが基本だ。

駐車場付きのスーパーが見えて来たところでストップ。立ち止まって後続を待つことにした。すぐに森広君が到着、二人で自販機のジュースを買い、水分を取りながら新妻君を待った。

間もなくはるか後方から彼の姿が見えて来る。もともとピッチ走法だが、痛みのせいか、さらに歩幅がせまく見えた。ところがである。やがて少しずつ近づき、あとは惰性で滑ってくるだろうと言う距離まで来たのだが、一向に足を止める気配がない。それどころか突然、

「先に鹿島へ行くぞ!」
新妻君はそう叫び、呆然と立ち尽くす二人を置き去りにして、そのまま50mほど滑り去ってしまったのである。

残った二人は、アッケに取られていた。そして少しの間、新妻君の背中を目で追い、それから「どうなってんだ?」とばかり空き缶をゴミ箱に投げ捨て、あとを追い掛けることになった。

キャプテンは、この突飛な行動が、奇跡的に回復してくれた結果なら良いのだが、と想っていた。しかしそれが彼の「最後ッペ」だと解るまでには、数分とかからなかった。

緩やかな登り坂でまず森広君が追い抜き、それからキャプテンが簡単にかわしてしまった。そしてわずかな間こそ、一定の距離を保ってついて来たが、やがて少しずつ遅れ始めたのである。

その間に道路からは歩道が消え、ガードレール沿いの路側帯を進むことになった。バックミラーごしに、見る見る新妻君の姿が小さくなって行く。そして、登りながらの大きなカーブにさしかかったところで、彼の姿は完全にミラーから消えた。

キャプテンは立ち止まり、新妻君を待つことにした。この間、森広君は気づかずにそのまま下り坂を降りて行く。一度、腰まで消えたところでストップさせようかとも考えたが、すぐに追いつけば良いのだと、そのままにしておいた。

そしてガードレールに腰掛け、待つこと数分、いや・・10分、なかなか現れない。
「どうした・・」どんどん時間は過ぎて行く。「ぶっ倒れたか?」

引き返した方が良いだろうか、と想った。それとも、先に森広君を追いかけてストップさせ、それからにするか。

大型トラックが何台も通り過ぎて、そのたびに強い風に煽られた。
「遅すぎるなあ・・」

とにかく、このままだとブレード隊はバラバラになってしまう。決断がつかず迷っていると、幸いにも森広君が引き返して来るのが見えた。彼も異変に気づいたらしい。とりあえずこっちは一安心だ。あとは・・

森広君はキャプテンの近くまで滑って来て、黙って同じようにガードレールに寄り掛かった。「来ないなあ」キャプテンが後方を見たまま言った。

彼を見失ってからもうかなりの時間になる。これは、いよいよ救助隊出動かあ?。と想い始めた時だった。カーブ沿いの建物の陰から、ようやく新妻君が姿を現したのである。

彼は、例のピッチ走法で少しづつ近づき、二人がいるすぐそばまで来ると、「途中で休んでた。もう限界だ。置いてってください」と言って苦笑した。

キャプテンは少しムッとした。
「休んでた?。・・だから、休む時に休まないから、そう言うことになるんだよ。チームワークってのが全然わかってないんだなあ」

そう言うと、彼はさらに苦笑した。
「あの時は、あそこで止まったら、もう動けなくなると想った・・」

それを聞いたキャプテンは、新妻君の足が予想を越えてひどくなりつつあること、それは理解した。「よしわかった。じゃあ、もう少し様子を見て、それでダメなようだったら、置いて行くことにしよう」

最悪のときは、地図で場所を確認、一応の待ち合わせ場所を設定し、森広君と先に行って宿を見つけ、あとは携帯電話を使って何とかしよう、と考えたのだ。

「わかりました」新妻君は力なく返事をした。

そこからはずっと歩道が無くなった。山道で、鬱蒼と樹木が生い茂っている。しかも大型トラックが肩のすぐ横を引っ切りなしに通り過ぎ、気を緩める暇も無い。

それでも道路が平らな内はまだ良かった。いきなり路面が荒れ始めたのだ。工事中の仮舗装で、ずっと先までクサリで跡を付けたような凹凸が続いていた。

その振動を足に受けながら、キャプテンは気が気ではなかった。彼自身が同様の故障を抱えて滑走した経験から、新妻君がどんな苦痛に見舞われているか手に取るように解るからである。反対側の方が楽だろうか、と探りを入れたりするが、交通量が多過ぎて、渡ること自体が危険だと想われた。

辺りは人里を離れ、薄暗くなっていた。抜けられそうな脇道らしきものは見当たらず、荒れた路面もずっとそのまま良くなる気配は無かった。

とにかく、気を付けて行こう。こうなると、気温の低いのがせめてもの救いだ。


何処へ行くんだ? 新妻隊員!

そのまま危険極まりない道を40分近くも滑り続けていた。

こう言う場所を進んでいると、時々、良く今まで無事に来れたものだと想うことが有る。キャプテンなど通算1000kmを越えようと言うのに、まだ靴ズレ以上の怪我をしたことが無い。

改めて考えれば、これもみなチームワークと、交通法規を厳守して来た結果なのだと言えなくも無い。だから、ちょっとしたチームワークのほころびでも、危険が忍び寄る前兆に想え不吉な感じがしてしまうのである。

年下の者はどうも「自分だけは事故に会わない」と思っているようだが、「たまたま運が良かっただけ」程度に考えた方が良い。少し前、不死身と言われた天才アルピニスト、『長谷川恒男さん』が遭難して亡くなった時、「あの人でも死ぬんだから・・」と、本当にそう想った。

しばらくすると、左側にドライブインが見えて来た。良く見ると、自販機専門の無人ドライブインのようである。その駐車場の前を半分ほど通り過ぎようとしたところで、急に「休憩しよう」と気が変わった。時間的には早いが、危険な道でストレスが大きかったし、新妻君の状態を考れば、休み休みの方がベターだと想ったからだ。

キャプテンは先を行く森広君をホイッスルで呼び止め、戻って来る彼に休憩する旨を告げた。それから自分はトイレへ向かうことにした。新妻君の姿はまだ見えないが、森広君が道路沿いの良く見える場所に座ったので、来ればすぐに気が付くはずである。

キャプテンはアウトドア用サンダルに履きかえてからトイレに入った。ブレードのままだと知らない人が入って来た時カッコ悪い。ジロジロ見られても、「これはローラーブレードと言って、脱ぐのが面倒なので・・」などと、言いわけするわけにもいかないから、やっぱり履きかえておいた方が安心である。

手を洗って外に出ると、ちょうど新妻君が姿を現したところだった。キャプテンは、彼が振り向いたら「おーい、休憩しよう」と声をかけるつもりだった。ところがまた彼の様子がおかしい。目の前の森広君の姿を見つけたはずなのに、いっこうに減速する気配が無いのである。「ヘイ!」と呼んでも反応が無い。

彼は正面を向いたまま、座り込んでいる森広君のすぐ横を擦り抜け、全長20mほどのドライブインの前を縦走、そのまま国道を南へと、独り、滑り去ってしまったのである。

「あいつ、また行きやがった」
キャプテンは怒ると言うより呆れて、同じく驚いている森広君と想わず目を合わせた。さっきチームワークを大切にしよう、と言ったばかりなのに・・。まあ良い、あの足では、そう遠くまでは行けまい。

二人はまるで、ならず者を追いかける保安官のようにゆっくり呼吸を整えると、それからおもむろに立ち上がった。そしてブレードを履きザックを背負い、森広君を先頭に、新妻君を追いかけて再び滑り始めたのである。

滑り始めて数分が経過したが、新妻君の姿はもう何処にも見えなかった。独りで何を考えているのか。森に囲まれた薄暗い道を、いったい何処まで行ってしまったのか・・


◆ 再会・・◆

路面は相変わらずクサリ模様のデコボコが続いていた。ドライブインを離れるとまた山道となり、樹木の隙間から、こんもりした山と畑が見えていた。

さて、滑りながらキャプテンは、チクチク後悔し始めていた。
「少し言い過ぎただろうか」

もしかすると新妻君は、キャプテンの言葉に反感を抱き、怒って単独行動に出てしまったのかも知れない。でなければ、「チームワークを・・」と言った直後、同じように我々を無視して滑り去ることなど出来ないはずだ。

「まずいなあ・・」
こう言う場合の感情の修復は想ったより大変だ。しかし、どうしても自分の想った通りでなければ気が済まないと言うのなら、単独で行ってもらうしかないか・・

そのまま、どのくらい進んだ頃だったろう。前方の森広君が急にストップし、大声で騒ぎ始めたのである。後から近寄って見ると、あれ? 新妻君が座り込んでいる。なんだ、追いついたんだ、と想った。しかし、ちょっと様子が変である。新妻君は不思議そうに目をむいて、何やらおかしなことを口走っている。

「どうして後ろから来るんだあ?!」
その表情からすると、本気で驚いているようである。

「なんでって、さっき追い抜いて行ったじゃないか」と森広君。
「いつ?」
「気がつかなかったのか? さっきのドライブインで」
「全然・・、知らない!」

「なに言ってんだ。目が合ったじゃないか」
「知らない!」
「目が合ったってば!」

森広君が何度もそう言って笑っている。新妻君は、なお信じられぬと言う表情で座り込んだままだった。

彼は、ドライブインにいた二人にはまったく気づかなかったらしいのだ。そうして、どう頑張っても追いつけないので、とうとう本当に置いてきぼりを食ってしまった・・、と、ガックリへたり込んでいたと言う。

そりゃあ、追いつけるわけがないよ。何しろ新妻君は先頭を滑っていたのだから。それにしても、目が合っても気づかないとは、よほど意識が朦朧としていたのだろうか。だとすれば新妻君の足の痛みは、いよいよ大変な段階に突入したと言うことになるのだが、ただとにかく、何事も無くて本当に良かった。

だから・・、さあ新妻君、立ち上がるんだ。ここはもう鹿島市。『カシマサッカースタジアム』はもうすぐそこだ。でも「それがどうした?」と言われれば、それまでだ。


出てこいジーコ?

新妻君が立ち上がったまでは良かったが、じつは、ここからが大変な道だったのである。道路自体の幅が無いうえに、路側帯が非常にせまくて、車通りが激しい。大型トラックがすぐ横を通り、引っかけられそうな恐怖を感じる。

当然、車の方も気になるわけで、時折り、イラついたようにクラクションを鳴らすダンプも現れる。こう言う奴が危ないのだ。イラついた運転手と言うのは、避けるどころか、わざと幅寄せして来ることが多いのである。

しかし、危険だからと言って立ち止まれば、いつまでも危険から抜け出すことは出来ない。ガードレールに擦りつけるほど端に寄り、少しずつ前に移動する。

すぐ左が薄暗い林で、冷たい風が汗に濡れた身体に吹き付ける。しばらくは、なかなか距離を稼ぐことが出来なかった。それに、新妻君の状態も考慮しなければならないし。右側を見ると、下り車線の方が心持ち交通量が少ないように想えた。

「あっちの方が良くないか?」と言うと、新妻君は、
「そうですね」と言って振り返り、車の流れを見ていた。

森広君にも合図して、右側へ横断する準備をするが、あまりにも車の数が多く、なかなか渡れない。相当な速度なのに車間距離を取らず数珠つなぎで、中にはテール・トゥー・ノーズ状態の車もいる。

うーむ。余計なことは言いたくないが、ドライビングの基本は、充分な車間距離にある。車間さえ有れば、もしもの時、あらゆるテクニックを駆使して危険回避出来るのだ。どうしても車間が狭くなってしまうドライバーは、ようするに速度センスが鈍いのである。

つまり運動神経が景色の流れる速さから車間距離を算出できないわけだ。それにテール・トゥー・ノーズは、ラジエターやエンジンに充分風が当たらずトラブルの原因になるから、真夏にこんな運転をしてるドライバーは、メカ音痴丸出しで恥ずかしい。

でも、今はそれどころでは無く、なんとか隙間をぬって反対側へ渡らなければ。ところが、ようやく車が途切れて渡ったと想ったら、皮肉にも、元いた側に歩道が見えて来たのである。けっきょく渡り直さなければならず、ガックリ。

また慎重に道を渡り、歩道を滑り始める。ただ歩道とは言っても、せまくて路面も良くない。森広君がたまりかねて車道を滑ると、すぐにダンプに煽られてしまう。

そのダンプの威嚇には、「遊んでる奴はどけ。オレたちゃ仕事してるんだ!」と言う凄みが有ったが、その「仕事」が、利権の絡んだ悪徳公共工事などではないことを祈ろう。このごろ「金儲け」を「仕事」とを言い間違えている人が多いからね。

そんなことを考えながら、林に覆われた道をさらに進んで行くと、薄暗い三差路が見えて来た。暗がりでやけに光って見える信号を待ちながら道を確かめた。ここは右へ、国道51号をほぼ道なりに進むことにした。そのまま真っすぐ行けば、124号にぶつかるはずである。

三差路から先はきつい登り坂だが距離は短い。登り切ったあとは、二つの道に車が分散されたためか、交通量がかなり減っていた。

そのあたりからずっと、道沿いには大きな庭の民家が続き、その脇のドブ板の歩道を滑って行った。そのドブ板がガタゴト言って滑りにくく、車が途切れるたびに車道へ降りてラクをした。

次第に辺りが明るくきれいになって来るのが解った。なんとなくいい感じだぞ、と想っていると、頭上に『カシマ・サッカースタジアム →』の標示板が現れた。

そのT字路で新妻君を待ち、いよいよカシマ・アントラーズの本拠地に乗り込む。
「あの、ガタガタがこたえた」
しかめっ面をしながら新妻君が近づいて来た。

幸いそこから静かな森林公園になっていて、スタジアムまでは非常に滑らかな路面を滑ることが出来た。車道に出る必要が無いほど歩道がきれいだった。すぐに駐車場が有った。その頭上の樹木の間から、とてつもなく巨大な建造物の片鱗が見えていた。サッカー・スタジアムの一部に違いない。

さらに進むと、歩道沿いに数面は取れそうな広大なサッカー用グランドが有って、高校生ぐらいの少年達が練習をしていた。そこを通りかかった時、金網越しに突然、新妻君が叫び始めたのである。

「ジーコを出せ! ジーコ!」(注*まだ鹿島にジーコがいた)
振り向く者はいなかった。少年達は何事も無かったかのようにサッカーを続けている。

「ジーコを出せ! ジーコ!」
だが、誰も振り向かなかった。

サッカースタジアムの真下辺りまで来て、その歩道上で休憩することにした。すぐ近くまで行ってウロウロすると、おノボリさんがバレてしまいそうだった。

新妻君は疲れ切った表情で座り込んでいた。森広君も、足首に今までに無かった痛みを感じると言うが、余裕は有る。

すぐに上半身Tシャツを脱いで、オープンレッグでそこらを滑り始めている。(注*オープンレッグ = 足のつま先を左右をに開き、ブレードを横一直線にして横滑りする技)

キャプテンはと言えば、これがまったく足の痛みが無い。今回用意した『くるぶし保護用衝撃吸収ゲル・パッド』は相当な効き目を顕している。


◆ ランチにしとけばいいのに・・森広無念のグリル鹿島 ◆

スタジアムを離れて、また町外れへと滑り出して行った。再び悪路が始まるが、ガードレールに保護され車に脅えるようなことはない。もう12時はとっくに過ぎていて、「どこかで昼食を、」と言う状況だったが、林の中の道には、古びた民家や小さな工場しかなかった。

足を痛めている新妻君も心配だったが、空腹時にイラだつ森広君も気掛かりだ。2kmほど進み、ようやく町らしき賑わいが見えてホッとする。標示板には、『鹿島市宮中』とあった。

「鹿島神宮へ行ってみましょう」
と提案したのは新妻君だった。この男、俗っぽさを否定するわりに、名所・旧跡には目が無い。だが、疲労困憊しているキャプテン、空腹にイラだっている森広の二名は、もし参道が明治神宮ぐらい遠かったらエラい目に会うぞ、と参拝をあきらめるよう説得にかかった。

ともかく、腹ごしらえをするのが先決と言うことで、三人でソバ屋を探しにかかった。何故ソバ屋なのかと言われても解らない。とにかく「
ブレード中の昼飯はソバ屋だ」と言うことになってた。ところが、あまりに固執したことで墓穴を掘ってしまうのである。なぜなら、その町にはソバ屋が無かったからだ。

ソバ屋を探して町を一周、いくら小さいと言ってもけっこうな距離が有る。もはや足は棒のようになり、ついに「もういい、とにかくブレードを脱がせてくれ!」と言う状態にまで追い込まれてしまった。けっきょく元いた場所まで戻って、その角に有った『グリル鹿島』と言うレストランに入ることになった。

グリル鹿島の横は駐車場になっていた。そこで荷物を降ろしていると、雲の合間から陽が射して来たので、新妻君は汗に濡れたTシャツを脱ぎ、横の建物のよく陽の当たる所に慎重に干し始めるのだった。

ところが間もなく、60代ぐらいのオッサンがやって来て、Tシャツを見つけるや否やギロリとにらみ回したのだ。何だオッサン、とキャプテンが身構えたその瞬間、オッサンはその建物に入って行ったのである。えっ?、と想ってよく見たら、なんと新妻君がTシャツを乾した場所は、アパートの部屋の出入り口じゃないか・・。つまり他人の家の庭に干したようなものだ。新妻隊員も苦笑い。

しかし、それは干したままにして、『グリル鹿島』へと向かう。店の扉前のボードには、本日のランチメニューが書き込まれていた。『日替わりランチ/辛味冷やしうどん』うーむ、これだな。

扉を開けようとして、店のちょっと洒落た外装や『グリル』と言う気取った名前から、ひょっとしてオレ達には「場違い」な店なのでは、との不安がよぎった。かつてキャプテンと新妻君は、あまりに場違いな店に入り、「針のムシロ」のような時間を過ごしてヘトヘトになったことが有るから。それで少し神経質になっていたのだ。しかし、店内に入ってみて適度な田舎っぽさが有ることを確認、ようやく安心した。

テーブルに付いて、キャプテンと新妻君は予定通り、『辛味冷やしうどん』、森広君は『冷やし中華』を注文。それから、トライアスロンなどで良く飲用される『バナナセーキ』も頼んだ。バナナからは発汗で失われる『カリウム』や『エネルギー類』が多量に補給出来ると言う。

「いらっしゃい〜ませ〜。お待たせ〜いたしました〜。ありがと〜ございます〜」

と、語尾を伸ばす癖の有る、バカッ丁寧な言葉使いの店員が料理を運んで来た。見た目は髪の長いアルバイト少女と言う雰囲気だが、一人で店内を切り盛りしているその姿は、ベテランのようにも想える。

さて、ランチに付いて来たみそ汁を見た瞬間、森広君がエラく悔しがった。と言うのも、お椀の中には小さなカニが一匹はいっていたからだ。みそ汁はカニのダシが効いて風味豊か、実に美味い。辛味冷やしウドンも韓国風エスニック味で中々いける。

そう言えばさっき、店内に置いてある鹿島市のパンフレットを見ていた新妻君が、高麗焼酎『真露 - JINRO』の日本総代理店が鹿島市内に有ると言う広告を見て、不思議がっていた。・・ウドンの韓国風味付けと、韓国焼酎の日本総代理店。何かつながりが有るのでは?と想ったが、考え過ぎか・・

森広君は、オレもランチにすればよかったと、新妻君から貰ったカニをエライけんまくで食いちぎっていたが、とにかく、ここでもまたブレード隊は食事にツキが有る、と言うことを確認して、グリル鹿島を後にすることになったのである。

「ありがと〜
、ございました〜」

あの少女の、バカッ丁寧な声が耳に残った。





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  ◎「安食 - 村上 計画コース」Googleマップ <印旗沼自転車道「安食 - 村上 33.2km」2016> BS・NHKプレミアムの「火野正平・日本縦断こころ旅」で紹介された「印旗沼ルート」を走行。これまでのブレード走行に無かった風景の変化するコースを堪能。 土屋隊員提供により、写真集とパノラマ写真を追加しました ★2012/4/29、今年もゴブリンズ・ブレード隊がツーリングに出発しました。コースはJR成田線「安食駅」から東葉高速線「村上駅」までの、印旛沼を巡る約33kmです。どんな処か分からないまま滑りましたが、各休憩ポイントとなる公園や、高い橋の見える渓谷沿いの道など、いろいろな風景の変化を楽しめるコースでした。 そして今回の目玉としては、高橋隊長の新スケートによる初滑りです。一直線にローラーの並んだインラインタイプとは違う、平行に並んだクアッドラインタイプの「スコーピオン(日本名スコッピ)」と言うものです。ニュージーランド生まれで、それがアメリカに輸入され大流行したらしいのですが、残念ながら日本ではまったく売れず、みなとみらいに有った唯一の店舗も撤退したようです。 ですが、20年前の1992年、当時ほとんどの人が見たことも無かった「ローラーブレード・ゼトラ303」で、自身初の長距離走行「東京ー富士 77.5km」を成し遂げた高橋隊長としては、インラインスケートが当たり前になり、それ以外は邪道?と言う風潮の今こそ、ほとんどの人が見たこともない新しいスケート「スコッピ」で長距離を滑ると言うことが、先駆者としての責務であると考えたのであります。? 2012ブレード隊・走行データ ◎「走行GPSログ」(土屋隊員提供)EveryTrail ◎「手打ちそば処三本杉」打ち上げ場所 ◎「スコーピオン(スコッピ)」YouTube パノラマ写真集(土屋隊員提供) iPhoneによって撮影した写真、土屋隊員が記録した走行ログをアップしましたので、閲覧してみてください。(写メールのブログ投稿はエラーによる失敗も多く、それで送れなかった分もアップしました) 走行中に投稿した写メール 安食駅より少し歩いた住宅街の公園で準備を済まし、いよいよ滑り始めます。 少し荒れた川沿いの道が終わればすぐにサイクリングロードに乗れる、と思っていたのですが、何と工事中で一般道を行かねばなりませんで

「南房総に夏の終わりの夢を見た・前編」1992

「南房総に夏の終わりの夢を見た」前編 ★1992年8月21日(金)15時。キャプテン高橋とゴブリンズ新人・新妻英利は、ついに総武本線千葉駅から鴨川キャンプの拠点、民宿ウエダ(天津小湊町)までの162.2キロをローラー・ブレードによって走破する事に成功。これは前回の東京−富士間77.5キロを、84.7キロ上回る距離であった。 千葉 - 鴨川ブレード走行記 1日目 〜 2日目「千葉駅 〜 木更津 〜 鋸南町」 *前半 目次* 待ち合わせは千葉駅 快調な滑り出し16号 あまりに場違いな昼食 塩吹くキャプテン高橋 『すえひろ』で生き返る 場違いな宿、グランパークホテル 朝、雨が降っていた 救いのオヤジさんが現る あじフライとあじの天ぷらは違う 音無き警鐘が聞こえる 午後の海辺をブレード・ランナーが行く ノコギリ山に思わぬ敵が待っていた 岬で『岬』と言う喫茶店に引き込まれた さらに苦難の道は続く 民宿は旅のオアシスだ 後編へ・・ ■ 待ち合わせは千葉駅 ■ 嵐が幾つか通り過ぎる頃、空はどこか澄んで、別の季節の色を見せていた。6月の『東京—富士ブレード走行』から、約2カ月、常にキャプテン高橋の胸に去来していたイメージは、南房総のまぶしく輝く海、熱い夏の空気を切り裂く、ブレード・ランナーの姿だった。 8月18日火曜日、9時半。総武本線の終点、千葉駅のホームで、高橋、新妻の両者は、ブレード走行決行のために待ち合わせた。新人・新妻英利君は、果たして心強い伴走者となるのか、それとも単なる足手まといとなるのか、それは誰にも解らなかった。 天気は曇り気味。雨を予感させる黒い雲も漂っていた。南では台風が近づいていると言う。天候はどうなるのか、全く予測が立たなかった。 二人は『総武線千葉駅ホームの進行方向一番前』で会うことにした。気持ちを『前向き』にするため『一番前』を選んだのだ。しかし、ここは終着駅なので、折り返して電車が出発すると『一番うしろ』になってしまう欠点が有った。だが、そんな事にかまってはいられない。二人は勇躍駅を後にした。 ■ 快調な滑りだし、16号 ■ 16号沿いの歩道で用意をする。前回強烈な靴ずれの痛みに悩まされただけに、今回は、テーピング、ワセリン、ガムテープで、対策に万全を期す。用意が済んで立ち上がると、お巡りさんが自転車を止めてじっと見ているのに気づいた。二人は何も悪い

「霞ヶ浦自転車道」2009

< 霞ヶ浦自転車道「潮来 - 土浦 48.6km」2009 > ★2009年5月2日、AM8:30。ブレード隊の4名はJR鹿島線「潮来駅」で集合し、潮来 - 土浦間48kmのブレード走行を敢行しました。残念ながらゴール間近でダートになってしまい、46km地点で終わりましたが、天気も良く路面も良い、なかなかの快適走行だったと思います。 当初の予定では、昨年で終了することになってましたが、あの一回きりでは、新しく購入したインラインスケートの減価償却が出来ないとの切実な理由?から、今年も「ブレード隊2009延長戦」を決行することになったと言うわけです。 が、昨年まで書き続けて来たブレード走行記は、文体がマンネリ化したことや、最近は最後まで読む人も少ないだろうとの推測から「ひとまず完結」と言うことで、今回はまずムービーでアップすることにしました。出発から到着、そして待望のジンギスカン鍋まで、ダイジェストでご覧ください。 ★「ブレード隊2009延長戦」を終えて・・ 決行数日前に「新型インフルエンザ・パンデミックか?」の騒動があり、不穏な空気に包まれたまま、少し嫌な気持ちでの出発となったのですが、走行中はまったく別の世界の出来事で、その数時間だけは、滑ること以外は全て忘れていたような気がします。 けっきょくダートの出現で、全コース48kmを完走することは出来なかったのですが、まあ、ここまで来れば充分だろうと言うことで、昨年の40.1kmは軽く越え、46kmの走破と言うことになりました。 隊長の高橋は、前夜の準備に手間取り、睡眠時間約3時間で臨んだのですが、やはりこれは堪えました。ブレード隊4人の内では一番ダメージが大きかったようです。が、終了後の、熱い風呂とジンギスカン鍋のお陰で生き返りました。そしてその夜は、しばらくぶりの非常に気持ちの良い睡眠を味わうことが出来たのです。 そう言えば、ブレード走行全盛時は一日12時間は眠ってたなあ、なんてことも思い出し、おまけに、あの時は数日間ぶっ通しで、しかも真夏の炎天下を滑っていたかと思うと、我ながら自分の行動に呆れてしまうのです。 そして、熟睡した翌日は「忌野清志郎氏死去」のニュースで目が覚めました。高橋隊長にとっては、中学生の時初めて聞いた曲、「僕の好きな先生」が一番の思い出です。隊員たちに「忌野氏と三浦友和氏は同級生で初期のバンド仲

「高崎伊勢崎自転車道」2010

<高崎伊勢崎自転車道「井野 - 伊勢崎 51.9km」2010> ◎ 井野ー伊勢崎 GPS走行ログ ★2010年5月2日、インラインスケートによる、群馬ブレード走行を行いました。今回は「高崎伊勢崎自転車道」と言うサイクリングロードを、高橋、土屋、遠藤の三名で滑りました。集合駅は両毛線「井野駅」。そこから数百メートル離れたスタート地点から出発、ゴールは自転車道沿いにある、伊勢崎市の「まちかどステーション」と言うバスの待合室。 当初、走行距離は「42km」の予定でしたが、途中コースを間違えて引き返したり、工事中の迂回で大回りしたりなど、少しずつ距離が増えて行き、けっきょくは「51.9km(iPhone・GPS測量による)」と言う、大変な距離を滑ることになってしまいました。「体力の限界」という言葉が有りますが、本気でそれを味わいました。 それがどんな道のりだったのか。ほんの一部ですが、デジカメで撮影したムービーなどを参照してみてください。デジカメのレンズにホコリが入ってしまい、多少見づらい部分が有ります。(修理の見積もりを出してもらったら2万円近くかかるとのことで、そのままになってます) ただし体力の限界のため?、残り約8kmと言うことろで、撮影やブログアップなど、何もする気力が無くなってしまい、残念ながら終盤部分のムービーなどが有りません。ご了承願います。 パンラマ写真・土屋氏提供 走行中に送った写メール 出発です。伊野駅から川沿いの自転車道へ 出発から10kmほど。大きな公園内で休憩 広々として野球場が見えて来ました 道を間違えましたが、ついでに昼食 緑の中の気持ちいい道 だいぶ疲労して来ました。景色も単調? 野球見物は何故か楽しい。休憩ついでに 51.9km 終了!。疲れました・・。スーパー銭湯までタクシーを呼びます

「飯倉 - いいおかみなと公園」2016

◎ ブレード隊走行ログ ★2016年5月5日。1年ぶりに、恒例の「ブレード隊」インラインスケート走行が行われました。今回はブレード隊の原点である「海岸線ルート」を選択。とは言え、公道はなるべく避けて通りたいので、主に農道や、海岸線のサイクリングロード(太平洋岸自転車道)を滑りました。 ただし、隊長:高橋は、年齢による体力の衰えと、足首周りの故障のため、インラインスケートではなく、より消耗の少ないキックスケーター(左写真・もちろん大人用)を使用しています。そのため、カメラは手持ちではなく、スケーターに直接取り付けまして、そのせいで、動画には振動とカラカラと言う車輪のノイズがかなり入っております。 さて、1992年に、初のインラインスケートによる長距離走行「八王子 - 富士吉田・約80km」を行ったときは、国道413号の公道にもかかわらず、すれ違う沿道の人々に歓迎され、励まされ、ついには白バイの警察官にまで、わざわざ拡声器で「ガンバレ!」との応援をいただき、力を得て進んだものですが・・ 包容力に満ちたあの時代から二十数年・・ ネット社会になってからと言うもの、正義の名の下に、自分たちの意にそぐわない者は、立ち上がることも出来ないほど寄ってたかって潰される、と言う現状を見るにつけ、世代が入れ替わり、「包容力」の意味も通じなくなったかのような世の中で、今になって、あえて一般道を滑るのはどんなもんだろう?、と言う不安も確かに有りました。 ですが、すれ違う農家の方々はみな好意的で、みな会釈してくれたし、笑顔で「楽しそう!」とか「頑張って!」とも声をかけていただきました。‥‥まことにありがたい話しです。農道は公道ではなく私道扱いなので、言わば人んちの庭を滑っているようなもの。なのでもちろん、こちらから頭を下げて通らせていただきましたよ。 いちおう、法律的な解釈を以下に記しておきます。 道路交通法第76条(禁止行為) 「交通のひんぱんな道路において、 球戯をし、ローラー・スケートをし、又はこれらに類する行為をすること」 動画を見てもらえれば分かりますが、「交通のひんぱんな道路」と言う条件には当てはまらず、よって禁止行為には当たらないことになります。むしろ動画は、映像にアクセントをつけるため、数十分のストックの中から、わざと車の写ってる部分をピックアップしたくらいです。条件を考慮せず

「渡良瀬川自転車道」2011

<渡良瀬川自転車道「小俣 - 藤岡 37.6km」2011> ◎ EveryTrai「小俣ー藤岡 ルートログ」 ★「3.11東日本大震災」以来ずっと、「今年はムリなのかも知れない」と想っていましたが、けっきょくまた行って来ました。5月3日、JR両毛線「小俣駅」に集合、目標ゴールは渡良瀬遊水池です。 震災直後、3月12日の野球はさすがにキャンセルし、次回以降に期待しようと想いました。ですが、震災の全貌が明らかになるに連れ、「もはや野球どころじゃないだろう・・」との気持ちが強くなって行ったのです。 試合を予定していた数チームからも、そして審判の方からも「中止やむなし。ゴブリンズの判断にお任せします」の連絡が届き、以後の数試合について、いよいよ決断を迫られることになりました。で、震災から2、3日後でしたか、これは阪神淡路の時とはまるで規模が違う、破滅的な大震災だ、ヘタをすると日本経済沈没の危機になりかねない、との直感が働くようになりました。 ならば、ここは自粛では無く、あえて野球を決行、そして参加するほんの20名ほどではあるけれど、震災報道で滅入った気持ちをリフレッシュし、月曜からの仕事に打ち込むことが出来れば、微弱ながら日本経済に貢献できるかも知れない、そう想ったのです。 たかが1草野球チームの決断でしたが、あれで正解だったと想います。その後、被災地の方から「過剰な自粛をせず普通の暮らしをして欲しい。それが被災地の復興につながる」との発言をもらい、自分たちの考えが正しかったことを確認できました。 そうして、これらのことが重なり、中止になりかけていた「ブレード隊2011計画」も復活、「自粛よりも普通の暮らしを」との声を頼りに、目出たく?決行の運びとなったわけなのです。 それにしても東京都知事の、東京大空襲まで引き合いにした「自粛強制発言」にはガッカリしましたね。ずぶの素人でも行き着いた近未来ビジョンを、プロの政治家がイメージ出来なかったんですから。 同知事からは「震災は天罰だ」との暴言も飛び出すなど、ホントにガッカリな人物です。ホントは辞めて欲しかったんですが、ナゼか?選挙で当選してしまっては仕方ありません。まあ、せいぜい頑張ってもらうしかないですな。 さて、とりあえず決行は決まったのですが、予定していたルート「りんりんロード」は、新妻隊員の都合により不可となり、急遽「渡

「手賀沼周回ルートへ行った、が・・」2013

 ★今年も、連休中の5月4日にブレード走行に行って来ました。 写真を見ただけなら、天気が良くて道もキレイで、最高のブレード走行のように見えますが、じつは想いのほか路面が粗く、ずいぶん苦労したのです。 これは自転車にはちょうどいいかも知れませんが、ホイールの小さいインラインスケートには、細かな振動が直接足に響いて来て、正直、疲れました。 まあ、以前の、一般道を滑っていた頃のブレード隊にしてみれば、むしろ上等と言えるくらいのものなのですが、いかんせん、近年我々は、滑らかな路面に慣れ過ぎてしまっていたのです。特に昨年の印旛沼の路面がなかなか良かったので、その比較で、どうしても「ちょっと粗いなあ」と感じざるを得なかったのです。あと一見、舗装道路に見える、じつは「ウレタン道路?」が、滑りが止まって予想以上にキツかったです。 それと、例年のブレード隊のイメージからすると、若干人出が多過ぎた・・ ここはサイクリストには有名なコースだと言うこと、また、ランニングをする人も多く、ブレード隊は肩身の狭い想いをすることとなったわけです。 ただ一つ、どうも気になったことが有りまして、それは、ランニングをする人とすれ違う時に、彼らはまったく道を譲ろうとする気配が無かったことです。我々はずっと前(20年以上前?)から、出来るだけ他人様の迷惑にならぬようにとやって来まして、そう言う意識なので、この日ももちろん我々の方から先に道を譲りました。 しかしながら、そうは言っても、その中の1人くらいは「一瞬、道を譲るそぶり」くらいあってもいいんじゃないか?そう想ったのですが、そう言うランナーはただの1人もおらず、とにかく何の迷いも無く?一直線に我々に向かって迫って来るので、ずいぶん怖い想いをしたのです。 そんなにブレード隊はキラわれているのだろうか?とも想ったですが、歩行者に対しても同様の威圧的走りをしているので、ちょっとビックリしてしまいました。 ブレード隊のN隊員は、マラソン大会に出ることもある「ランナー」のお仲間でもあるので、彼らのことを擁護していましたが、このごろニュースなどで、皇居周辺で走るランナーが観光客と激突し、特に老人に大怪我をさせる事故が多発なんて話しを聞いていたので、「なるほど、ヤツらもこんな乱暴な感じなのだな」と、変に納得してしまいました。 かく言う自分も、かつては毎日最低5kmは

GOBLINS・ブレード隊とは?

★ 「ブレード隊とは?」 草野球チーム・ゴブリンズを母体とし、そのメンバーの中から、インラインスケートによる長距離走行をするために集まったチーム。 1990年、元ゴブリンズのメンバーで当時NY在住のM氏から、セントラルパークで流行し始めていた「ローラーブレード・ゼトラ303」を、ゴブリンズのキャプテン高橋が、帰国土産として手渡されたことから始まる前代未聞の旅のお話しである。  記念すべき最初の走行は、高橋による単独走行。ローラーブレードを手に入れてから2年後の1992年6月、「道志道」と呼ばれたアップダウンの険しい*国道413を、八王子から富士山(山中湖)を目指して、単独インラインスケートによる約80kmを、二日かけて走破することに成功した。 (*国道413:2020東京オリンピック自転車ロードレースのコースとなった道) 2006年までに走破した全ルート 同じ1992年の8月、その話しに興味を持ったゴブリンズ新人で10歳下の新妻が初参加。インラインスケートによって、千葉駅から天津小湊の民宿までの162.2kmを、真夏の炎天下、四日間かけて二人で走破。これが後々、伝説として語り継がれる?「ブレード隊」誕生の瞬間であった。 「ブレード隊命名」・・当時の日本では、まだ「インラインスケート」との呼び名は無く、一列に並んだローラースケートは全て「ローラーブレード」と呼ばれていた。そこで我々も複数メンバーによる走行を略して「ブレード隊」と呼ぶことにした。 しかし、まだ動画はおろか携帯電話さえ無い時代。それゆえ、当初は高橋による手記「走行記」と言う形で発表。その後、初の記録動画としてまとめられるまでには、さらに20年以上の歳月が過ぎるのを待たねばならなかった。(動画はYouTube:一部は限定公開) 動画以前、走行記の目次 ◇ ブレード走行記(文章形式)目次

「茨城46億年後の一期一会 .2」1996

1 ・2・ 3 ・ 4 ・ 5 ・ 6 ・ 7 <高萩 - 犬吠埼・ブレード走行記2 1日目後半> 1日目/1996年7月31日(水)「日立駅前そば屋から日立港・旅館須賀屋まで」 ◆ あつい! ようやく夏なのか! ◆ ソバ屋から出ると、さすがハイテク繊維、Tシャツはすっかり乾いていた。 国道6号は、ここから内陸の水戸方面へ行ってしまうため、海沿いの245号へ進むことにする。合流するには駅の向こう側へ渡らなければならない。 歩いていると、日立電線、日立化成と、日立関連のビルが続く。さすが日立市である。 「この町の人々は日立の製品しか使わないのかなあ」 森広君が素朴過ぎる質問を投げかけたが、誰も答えなかった。 ブレードを履き、駅前の石畳の広場を滑って行く。間もなく陸橋を越え、線路を渡ると、245号に入った。そこにも日立の社屋が有り、社員の行き来するすぐ脇を進む。 緩やかな上り坂だが、食後なのでスローペースで進む。30分ぐらい経てばランナーズハイに持ち込めるから、それを待つ。心配なのは新妻君の足だった。先ほども説明したように、ブレードで足を痛めると、走行中は決して回復することが無い。だからこれから先、新妻君の苦痛は増すばかりと見た方がいいのだ。 ブレード走行を楽しむには、どれだけ長時間足を痛めずに保てるかの一点にかかっている。だから、そのための手間を惜しんではならない。 キャプテンなど、ソルボセインや、ワセリンなど、あらゆる手段を試みていたが、今回はくるぶし痛対策のため、粒状の『衝撃吸収ゲル』を入手、10センチ四方の布袋に入れてキルティング縫いし、それをくるぶしの上に当てている。これによって、インナーにくるぶしが当たるのを防ぎ、しかも粒状なのでムレも防げると言う仕組みになっている。これが功を奏したのか、今のところ痛みは発生していない。 245号は、昼下がりと言うこともあり、何処となくうら寂しい道だった。しかも上りがキツく、ドブ板走行も強いられた。目に映るものは、工場や倉庫、人気の無い駐車場など。車通りだけが激しい騒音を響かせていた。 30分ほど滑って日立市街地から抜けると、路側帯が広くなって、やっと一息つくことが出来た。 「歩道は路面が悪い!」と、常にモンクを飛ばしている森広君の言う通り、充分な広さを持っていれば、歩道より路側帯の方が楽だった。 だんだんいい感じになって来