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「茨城46億年後の一期一会 .6」1996

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<高萩 - 犬吠埼・ブレード走行記6 3日目後半>

8月2日・金曜日(3日目)「グリル鹿島から波崎町・割烹旅館かわたけまで」

今頃ソルボセインかよ・・

出掛けに、鹿嶋市パンフレットの地図でスポーツ用品店を見つけていた新妻君が、「ソルボセインの中敷きを買う」と言い出した。なんと、彼はまだソルボセインを使っていなかったのである。

『ソルボセイン』とは、10m以上の高さから生玉子を落としても割れない、と言うほどの衝撃吸収材だが、同様の『αゲル』などと比べると「コシ」が強いので、靴底に入れてもフニャフニャした違和感が無く、自然な使い心地の代物なのである。

これをブレード・ブーツの底に敷くと、アスファルトからの振動を吸収して足を保護でき、疲労もかなり防げる。したがって、キャプテンは以前から、ブレード走行を始める者には『ソルボセイン』を使え、と言い続けて来た。

当然、新妻君もそれを耳にしていたはずで、とっくに使用しているものと想い込んでいたのだが、彼は「そんなことより、ブレードは滑ってなんぼ」とばかり、堅い中敷きのままで間に合わせていたのである。確かに、他人のアドバイスより自らの感覚を信じる、と言うやり方は正しいが、それは継続することにより養われるもので、一発屋には馴染まない。

グリル鹿島から町外れまで滑って行き、『スポーツ101』と言う、この辺りにしては大きめのスポーツ用品店を見つけた。新妻君はそこで『ソルボ中敷き』を購入、店の中で自分の足の大きさにカットして出て来た。

「なんだこれは!? 振動が無い!」

さっそくブレードの底に敷いて滑り始めたその直後の一声である。絶大なるソルボ効果に感動したのだろうか。もちろん一度痛めた足が治ることは無いが、このさき数時間の延命効果としては充分役に立つ。それにしても、最初から使っていれば・・

スポーツ101から離れてしばらくの間は、新妻君に応急処置が施されたことで、少し気を楽にして滑ることが出来た。すでに国道51号からは離れ、124号を進んでいた。

道沿いには、まばらだが、店やレストラン、町工場、中古車ディーラーなどが並んでいた。そこから幾つかの林をくぐり抜け、緩やかな坂道を下り、小ぎれいな民家の立ち並ぶ通りに差しかかった。

そこをさらに進んで、信号待ちで渋滞している交差点が見えて来た。近づいてみると、交差している広い道路は124号のバイパスだった。予定通りだった。ここからそのバイパスを右に折れれば、あとはもう真っすぐ行くだけでよい。

交差点の向こう側に、幅4mは有りそうな広い歩道が見えたので、道路を渡ってそちらへ向かうことにした。こう言う大きな道を渡る時は緊張する。横断歩道の白線はけっこう凹凸していてスリップしやすく、右折左折の車にも神経を使わなければならないからだ。しかも停車中の全車から注目を浴びてもいるはずだ。

キャプテンは最後尾の新妻君が渡り終えるのを確認して、歩道を滑り始めた。その歩道は実に快適な道だった。路面状態は中の上と言ったところだが、何しろ広いのがいい。振り返ると、新妻君の速度も上がっているのが解った。

これでやっとゆったり滑ることが出来る。キャプテンは久しぶりにウォークマンを取り出し、音楽を聞くことにした。そうして、張り詰めていた神経を緩め、いかにも『バイパス』らしい、広々とした風景を眺めるのだった。

この辺りには『鹿島港』を中心とした『鹿島臨海工業地帯』が有ることを地図で確認、殺伐とした光景を予想していた。しかし、実際に目にしたのは広い田園と空、そして直線道路だった。

バイパス沿いには、ポツリポツリと店が建っていた。コンビニにファミリー・レストラン、そしてガソンリン・スタンド。その合間に住宅が幾つか建ち並び、高圧線の鉄塔も見えていた。ほとんど減速する必要も無く、リズミカルに滑って行く。天気は曇り。時々薄日が射す程度だが、路面温度が上がって汗の量が増えて来る。

やがて、東関東自動車道の終点『潮来IC』の近くを通り過ぎ、降りて来た車がバイパスに合流する地点に差しかかった。道は大きく左へカーブしており、そこを道なりに進む。

『鹿島市』から『神栖町』へ。

次第に建物の数が増え、賑やかになって来た。駅は無いはずだが、ある地点を境に、急に町が大きくなっている。道路沿いに大小さまざまなビルが立ち並び、公共施設なども見えていた。おそらく鹿島臨海工業地帯で働く人々のベッドタウンと言ったところだろう。

その商店街で、自転車に乗った東南アジア系の男数人を追い越し、さらに先へ進んだ。

信号に捕まって停止、そこで時計を見ると、午後2時半を回っていた。グリル鹿島を出てからほぼ一時間、そろそろ何処かで一休みしたいところだ。再び青信号で滑り始めると、小さな建物ばかりになり、町外れに来ていることが解った。この辺なら・・。休憩するには人通りが少ない方が気が楽だ。

・・それじゃあ、あの、自動販売機が見える店の脇、あそこで休憩しよう。


◆ その男の名は・・

快適な道だったが、朝から5時間近くも滑った後だけにかなり疲労していた。出来るだけブレードを脱いで足を休めた方がいいと想った。急ぐことはない、たぶん次が今日最後の走行となるはずだから。

先程まで差していた太陽の光も無くなり、空はすっかり灰色に変わっていた。だが知らぬ間に随分陽には焼けている。森広君の手足など、もう真っ赤である。

「またこんな焼け方をしてしまった」ブレード走行ではプロテクター類を身につけるため、まだら模様の変な焼け方をしてしまう。森広君はそれを嘆いているのだ。だが、キレイに焼くには、やはりパンツ一丁で滑るしかないだろう。

キャプテンは地図で場所を確認しようとしていた。ここから先は宿探しの走行となるので、ある程度地理的な当たりをつけておきたいのだ。しかし辺りを見回しても、町名番地を記した物は見当たらなかった。キャプテンは立ち上がって、何か手掛かりは無いかと、近くの店の中を覗き込んだ。しかし、ガラス越しに見つけたのは、段ボール箱に印刷された『茨城県神栖町奥野谷・・』という文字だけだった。

「オクノタニって書いてあったよ。でも箱に書いてあったから、別の場所から運んで来たヤツかも知れない」

そんな雑談をしていると、たまたま自転車で通りかかった男が、急ブレーキをかけてブレード隊の前で止まった。そして、異様な目付きで3人を見下ろしたのである。

しばらくして彼は、アゴでブレードを指し、
「ナニ?」
と、話しかけて来た。

表情ひとつ変えず、唐突で聞き取りにくいその声にビックリしていると、
「ナニ?」
と、なおも続けた。男はヤセ型で、青年とも中年ともつかない。

「ローラーブレードです・・」
森広君がやっとのことで答えたのだが、やっぱり男の目付きが変である。それに話し方も何処か普通じゃない感じがする。

「ナンマン?」
「・・・?」
「ナンマン?」

三人とも言葉の意味が良く解らず黙っていたのだが、どうやらブレードが「何万円するのか?」と尋ねているようだった。

「・・これは3万ぐらい。いろいろです」と答えるが、男はあまり反応を見せない。そしてすぐ興味を失ったのか、いきなり新妻君に、「タバコアル?」と尋ねたのだ。

なんだかドキドキして来た。なんだろうこの男。

新妻君が男の表情を探りながら、「無い」と答えると、それきり話しが続かなくなった。男はニコリともしない。

たまりかねた森広君が、「ここは何処ですか?」と切り出した。すると男はよどみなく、「オクノヤ」と答えた。だが、あまりの早口に、「オ、ク・・?」と聞き返すと、

「オ・ク・ノ・ヤ!」
と、今度は子供に言い聞かせるように、ひとつひとつ区切って言い直すのだった。

そうか、やっぱりこの辺りは『奥野谷』だったのか。「タニ」ではなく「ヤ」と読むのだな。それにしても頭の弱そうな男かと想ったら、けっこうしっかりしている。いったいどう言うヤツなんだろう。

だがもうそれ以上、何を話して良いのか解らず黙っていると、男も飽きたのか、挨拶するでもなく、そのまま自転車で走り去ってしまった。

三人ともしばらくアッケにとられていた。
「あれは、何んだったんだ?」「通りすがりの男にタバコくれって言われたの、初めてだよ」と新妻君。それから振り向いてキャプテンに、

「これも一期一会ですか・・?」と苦笑いした。

そうか!。・・彼のその言葉を聞いた瞬間、そいつが誰なのか、キャプテンは一瞬の内に理解したのだった。

「そうか、あいつはガンプだ!。間違いない。フォレスト・ガンプだ!」
「・・ガンプ?。鹿島ガンプか?」森広君がつぶやいた。

フォレースト!
そしてブレード隊は立ち上がったのだ!。ガンプを追いかけなければ。・・だが、彼はどこへ行ってしまったのだろう。

「どこだ、ガンプ!」
三人はブレードを履いて準備をすませると、すぐに滑り始めた。だが、行けども行けども真っすぐな道が有るばかり。おかしい、どこか脇道へそれてしまったのだろうか。

「あっ! ガンプの自転車だ!」
そう叫んだ新妻君の指さした所には、一台の自転車が乗り捨てられてあった。彼は突如自転車を捨て、自らの足で走り始めたと言うのか? そうだ、ガンプには走る姿が良く似合う。

「いや、待てよ」
あそこ、あのディスカウトショップの物陰から自転車に乗って出て来たのは、ありゃあ・・

「鹿島ガンプじゃないか?!」
なんてこった、さっきの乗り捨て自転車は全然違うヤツの物だったんだ。

ガンプはまるで待ち伏せしていたかのように、スルスルっと走り寄って来た。今度はブレード隊が追いかけられる番だった。必死に滑るが、どうしても自転車の方が速度が速い。間もなく最後尾の新妻君が捕まった。

「ツーリングってなあに?。銚子まで25km有るよ。・・ねえ、ツーリングってなあに?」
ガンプは新妻君のすぐ脇に自転車をつけ、そんな、妙な質問を繰り返しながら、延々と追いかけて来たのだと言う。(新妻隊員後日談)

逃げろ、もうやめてくれー。

冗談じゃない。このまま、ずっと追いかけて来るつもりなのか? 一期一会のはずなのに気味の悪い男だなあ。まさか、このまま離れず、宿まで押しかけて来るつもりじゃないだろうな。ホント、いいかげんにしてくれよー!

そうか!。今までは「一期一会は貴重だから大切にしなければ」とばかり想っていたが、場合によっては、「一期一会でよかったね」と言うことも有るのだな、と必死に逃げながら考えているキャプテンなのであった。

新妻、あとは頼んだぞ!。・・弱肉強食、傷ついた獲物は狙われる。君子危うきに近寄らず。肉を切らせて骨を断つ。まさにこれが人生と言うものなのだよ、新妻君!

それからもしばらくの間、ガンプはブレード隊を追い続けていた。キャプテンが振り返るたびに、ガンプは新妻君に向かってしきりに何か話しかけていたが、その内容はまったく聞こえなかった。

そのままの状態で滑り続け、何度か振り返ったりしている内に、目の前の交差点で信号が赤に変わった。

「しまった!」そして急停止。

ついにこれまで・・、ブレード隊も全員捕まってしまうのか、と恐る恐る後ろを見ると、いつの間にかガンプはいなくなっていた。その時の様子を、「ある地点でおもむろに向きを変えると、そのままどこかの工事現場の中へ消えて行った」と、目撃者は語る。

「そうか、行ってしまったか」
キャプテンは安堵しながら、走り去る男の後ろ姿を想い浮かべていた。そして、今度は何だか、可哀想な気がして来たのである。

「悪いことをした。あんなバカみたいに逃げ回らなくても良かったんだ」
夕暮れ迫る国道には、もう彼の姿を見つけ出すことは出来なかった。

一期一会・・、か。

愛すべき鹿島ガンプよ。君は疲労困憊してダレ気味になっていたブレード隊に、想わぬカツを入れてくれた。そして今も、想い出すたびに、何だか楽しい気分にさせてくれるのだ。

やっぱり君は、『ガンプ』に違いない。


◆ 嘆くな森広、旅館かわたけの恐怖・・◆

鹿島ガンプに追いかけられている内に、周囲はすっかり田舎の風景に変わっていた。時折り、想い出したように運転手目当ての民宿が見えたが、何処か場違いな感じがした。ただ、もしもの時のために「キープ」だけはさせてもらった。

次第に、飛び込み客の制限時間「午後4時」が迫っては来るが、逆に道はどんどん寂しくなって行く。目に映るのは農家と畑だけで、どうも、宿など有りそうにない雰囲気である。

その上、あれほど長く続いていた歩道が、工事のためついに無くなってしまったのだ。工事はかなりの距離に渡って続いているらしく、終わりが見えなかった。けっきょく、車に迷惑をかけながら車道を滑らなければならない。

こう言う時間帯に、こう言う形で減速させられると、ほとんど前進する意欲はキレてしまう。もう何処でもいい、とにかく次ぎ、目についたところが今日の宿だ、と言うことになった。

そのまま、よろよろと這うようにして滑って行くと、『波崎町』に入って最初の交差点『宝来』の角に、『ホテル・リオ』と言う看板が見えた。

「あれは、どうかな? いかがわしいホテルじゃないよな?」
と森広君に言うと、
「大丈夫でしょう。「日本観光協会認定」と書いて有りますから」
と乗り気である。

とりあえずキープ、と言うことにして、森広君と新妻君を交差点に待たせ、キャプテンはもう少し先を探して見ることにした。すると、30mぐらい行ったところに、もう一つ『割烹旅館かわたけ/スポーツ合宿・工事関係者・長期滞在者歓迎』と言うのが見つかった。

戻って、そのことを告げると、新妻君が煥発を入れず「そこにしましょう」と力を込めて言った。その声には、「今回の旅は、オレの言う通りにしていれば間違いは無い」と言う自信がみなぎっているのだった。

キャプテンにも、出来るだけ安い旅をしようと言う気持ちが有ったので、『ホテル』よりは『旅館』の方が安いでのは?と傾いた。とにかく、まずは外観を見てみることが先決だ。

国道からジャリの散らばった脇道を入って行く。間もなく見えて来た旅館かわたけは、想ったより大きな宿だった。鉄筋コンクリートの三階建てで駐車場も広い。三人はその広い駐車場を横切って、玄関に向かった。

「すみません。三人なんですが、泊まれますか?」

キャプテンがまず中に入り、出て来た使用人のオバサンに問いかけた。オバサンは困ったような顔で答えかねていた。そして、「ちょっと待って」と言って奥へ引っ込んだのである。

駄目なのかな、と想いながら、ふと横の下駄箱を見ると、物凄い数の靴が並んでいた。

間もなく女将さんらしき中年の女性が出て来たのだが、「三名様ですか・・」と、やはり少し迷っている。やっぱりダメか・・、とあきらめかけた時、

「大丈夫です。どうぞ」
と、何かをふっ切るように言ったのである。そして部屋を案内するようにと、オバサンに指示するのだった。

「オーケー、オーケー」
と言って手招きするキャプテンに、待っていた二人は、あまり冴えない顔で玄関に入って来た。

「だいじょうぶ、だいじょうぶ」
と言う新妻君に、森広君が、
「キミは、スポーツ合宿の恐ろしさを知らないんだ」
とモンクを言っている。

キャプテンは気が付かなかったが、どうやら二人は、表で『歓迎◯
高校サッカー部御一行様』と言うような看板を見つけていたらしい。そうか、だからこんなたくさん靴が有ったのか・・と想った。つまりこれ、全部サッカー小僧達の代物だったのだ。森広君の言う通りだ。確かにこれはただじゃ済まないかも知れないぞ。・・キャプテンの胸にも戦慄が走った。

「なんか、墓穴を掘るような気がするなあ」
とモンクを言い続ける森広君に、なおも新妻君だけは、「だいじょうぶ、だいじょうぶ」と自信たっぷりに繰り返していた。

「スゴいんだよ、スポーツ合宿って言うのは。むかし自分が当事者だったから良く解るんだ」
しかしもう、引き返すことは出来ない状況になっていた。


サッカー軍団×ブレード隊!

『旅館かわたけ』の全容は次ぎの通りである。

*収容人員:200名
*客室:42室
*大広間:150人様(舞台カラオケ有り)
*中広間:80人様
*浴場:大2/中1
*洗濯場/シャワー室有り
*送迎バス:50人乗り1台/25人乗り1台
*野球場:5面
*サッカー場:2面
*公営体育館予約可能:テニスコート・グランド有り

オーナーの名は『河野竹松』略して『かわたけ』。どうやらこの辺りでは相当な土地持ちであるらしい。

しかし、案内された部屋は一階のかなりシンプルなもの。畳み敷きで、テレビもエアコンも100円投入型。なるほど、これは旅館と言うよりは合宿所である。エアコン無しでは生きていけない森広君は、さっきの『ホテル・リオ』に未練が有るらしく、「貧乏旅行はもうたくさんだ!」と、モンクを言っている。

その荒れ気味の態度に、言い出しっぺの新妻君はやけに控えめになり、「ほかを当たった方が良かったかな?」などと森広君をなだめていた。

まあ、とりあえず部屋で一息ついた三人は、
「サッカーの子供達が帰ってくる前に、入っちゃった方がいいよ」
と言うオバサンの指示通り、すぐに風呂へと向かった。

廊下を歩いて行く途中三人は、部屋のドア全てに数名ずつ名前が書き込まれているのに気づいた。それはどうも、サッカー部員達の部屋割りを示す名前だったらしいのだが・・
。大変なことになっていた。三人の部屋は、大量のサッカー部員達によって完全に包囲された格好だったのだ。どうやら、恐れていた「スポーツ合宿」の、それこそ真っ只中に放り込まれてしまったようなのである。

再び激しい戦慄が走った。・・だがもう遅い。今は、やがて数時間後に始まるであろう、勝利無き戦いのために、ただ身を清めておくだけである。

風呂だけは『旅館』の名に恥じない大浴場であった。もっとも、これくらいの大きさが無いと多人数はさばけないと想うが。それにしても、一番風呂なのでとてつもなく熱い。三人とも『熱湯コマーシャル』状態になってしまった。

さて、風呂の次ぎは夕食だ。三人はロビー前に有る食堂へと案内された。入ってすぐのテーブルに三人の食事が用意されていると言う。ご飯やみそ汁はセルフサービスのようであるが、それよりまずはビール、何しろビールである。

他のテーブルにも10人分ぐらいの食事が用意されていた。しかし、サッカー部員がこれだけの人数と言うことはない。恐らく隣の大広間にたくさん用意されているはずである。何げなくサッカー野郎のおかずを見ると、ホタテなど付いて、ブレード隊よりも豪勢なものであった。

「やっぱり飛び込み客は落ちるなあ」
と言うと、新妻君が壁に張り付けられたメニューを指さし、「オプションなんですよ」と教えてくれた。

なるほどなと想っていると、扉が開いて、どやどやとユニフォーム姿の連中が入り込んで来た。その一群は、どうも年上のレギュラーかコーチ陣のように想えた。彼らは三人に気が付くと、邪魔物を見るような目付きでニラむのだった。こちらも向こうが目を逸らすまでニラみ返す。

「オレたちゃ、ブレード隊だ」
せっかく挨拶でもしようかと想っていたのに、そう言う雰囲気ではなくなってしまった。戦いはすでに始まっていたのだ。おまけにこっちは、おかずのオプションで1ポイントリードされている。

「気をゆるめるな」

そうして、三人がゆっくりと、「ひとつも残すまい」と丹念に料理をいただいていると、サッカー野郎達はそそくさと済ませ、早くも椅子をガタガタさせて立ち上がったのである。彼らが去った後には、汚く散らかされた料理が残っているのだった。なんと、あのホタテも食いかけのまま残っている。

間もなく入って来たオバサンが、その残飯を片付け始めたのだが、背を丸めて仕事をするその後ろ姿を見ていたら、無性に腹が立って来た。

せっかく丹精して作ってくれた料理を、あいつら・・
「ホタテを食え! ホタテ!」新妻君が叫んだ。「飽食の時代なのか!」
オバサンが笑っている。

「ホタテを食え! ホタテ!」新妻君がまた叫んだ。
たしかにあいつら、人の上に立つ資格無しだ。失格者だ!。とにかくヤツらを見つけたら一度ガツンと言ってやらねば。

食堂を出るとすぐ、奴らがロビーのソファーで、テレビを見ながらたむろしているのを見つけた。そのすぐ前を、ブレード隊は何事も無かったかのように横切って行くのだった。


◆ 決着! スポーツ合宿戦争!◆

部屋へ戻る頃には、続々と下っぱサッカー部員達が戻って来た。数人のマネージャーらしき女子の姿も見える。そして、にわかに宿の回りが騒がしくなり始めたその時だった。新妻君が窓を開けて、

「どぅあー!。
おっらあ!」

と大声を発したのだ。どうやらサッカー小僧の群衆を威嚇するため発せられたものらしい。少し効き目が有った・・、ような気もする。

しかし、相手は多勢である。歯を磨こうと廊下を歩いて行くと、開け放されたドアの奥に、数人のヤクザのような少年達の寝っ転がっている姿が見えると、想わず小走りになってしまうのだった。だが慌てるな。戦いはこれからだ。とりあえず今は・・

「少しのあいだ泳がせておこう」

確かに本当の戦いが始まったのは、その夜のことだった。ブレード隊の三人は激しい疲労のため、「果報は寝て待て」とのことわざ通り、早々と就寝、大物ぶりをアピールした。

しかし、対するサッカー軍団は寝るどころではない。夜はこれからとばかり、部屋の中だけでなく、表まで繰り出しての大騒ぎである。

ブレード隊の部屋のベランダなど通って、やたら歩き回るのは序の口。やたら大声で笑う、やたら物を落とす、やたら跳ね回る、など無法の限りを尽くすのだ。時折り「ギャー!。やめてえ!」と言う、レイプか?と疑うような女子マネージャーの叫び声なども聞こえ、まったく穏やかではない。

そのノイズは、ウトウトと、覚醒とレム睡眠の間を行き来するブレード隊の耳に、まるで金縛りにあう前兆の耳鳴りのように襲いかかって来るのであった。

「キミはスポーツ合宿の恐ろしさを知らないんだ・・知らないんだ・・知らないんだ・・知らないんだ・・・」

 森広君の声が、キャプテンの頭の中で、エコーを効かせながら、繰り返し響いているのだった。

 その大騒ぎもようやくひと段落した頃、今度は新妻君に異変が起きた。すっかり寝入ったと想われていた新妻君が、突然暗闇で、

「おーい! こっちにパス、まわせー!」
と大きな、しかも明瞭な声で叫んだのである。ハッとして目を開けるキャプテンと森広君。だが、もう彼は何も言わなくなった。

窓の外では虫が鳴いている。・・どうやら、寝言だったようである。

新妻君には、その日有った出来事を、その日の夜、夢に見てしまうと言う癖が有った。そんな、タケをワったような性格の持ち主なのだ。しかも、何故それを他人が知っているのかと言うと、ハッキリとした寝言で、夢の内容を喋ってしまうからなのである。今夜も、その奇怪な現象が現れたらしい。

「パス、まわせー!」とは、やはりサッカー用語に違いない。どうやら新妻君は、サッカー軍団に囲まれた影響で、とうとうサッカーの夢を見てしまったようなのである。

「いや、待てよ・・」キャプテンは想った。

もしかすると彼は、今夜の壮絶なスポーツ合宿戦争に決着をつけ、ホタテの有り難みを教えるため、勇敢にも、あえて奴らの得意分野であるサッカーで勝負を挑もうとしたのではないだろうか?

もしそうだとしたら・・?。いや、もしそうだとしても、新妻君・・

夢でやるなよ。

   




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1・ 2 ・ 3 ・ 4 ・ 5 ・ 6 ・ 7 <高萩 - 犬吠埼・ブレード走行記1 1日目前半> 1996年8月。ゴブリンズの夏季キャンプが、千葉県犬吠埼の長崎町で行われることになった。そこでゴブリンズ・ブレード隊の高橋文昭、新妻英利、森広康二の三名は、その四日前に茨城県高萩市を出発。犬吠埼・長崎町までの135kmを、4日間かけてインラインスケートのみで南下し、ゴブリンズのメンバーと落ち合う、と言う旅を計画した。 ◆ 主な登場人物  ◆  ブレード隊・キャプテン高橋  草野球チーム・ゴブリンズのキャプテン。34歳で初めての長距離ブレード走行を敢行。今回、通算走行距離1000km突破を目指す。  ブレード隊・新妻英利 隊員  伝説の第一次ブレード隊のメンバー。1995年カナダ・ロッキー山脈にて初の海外ブレード走行を試みるが、足のツメを剥がし100km地点でリタイア。  ブレード隊・森広康二 隊員  1996年からブレード隊に参加の新人。経験は浅いが、抜群の登坂能力とスピードを持つ。ブレード・アクセサリーに凝っている。  塚本じいさん  高萩の外装の汚いビジネスホテルのオーナー(現在廃業)。  水木海岸の少年  岸で駐車場の番をしていた愛想の無い高校生。  旅館須賀屋の女将  飛び込み客に面倒味が良い、 日立港近くの旅館の女主人。  旗振りの男  海岸で旗を振って客引きをしていた無数の人間の中のひとり。  ターザンの娘  あぶない格好でブレード隊に手を振っていたと言う少女。  民宿大竹の女将  茨城弁丸出しの美人ママ。  その女将の子供  出発時に見送りしてくれた疑り深い性格の女の子。  グリル鹿島の娘  バカッ丁寧な言葉使いの少女。  鹿島ガンプ  奇妙な質問を発し、自転車で延々とブレード隊を追いかけて来た不思議な人物。  旅館かわたけの女将  無理を承知で泊めてくれた太っ腹人情女将。  ◯◯ 高校サッカー部  『かわたけ』に泊まった礼儀知らずの合宿軍団。    1日目/1996年7月31日(水)「高萩海岸から日立駅前そば屋まで」 ◆ 不吉なる序章 ◆ この旅の始まり、不吉な出来事が起こった。ブレード隊三人が乗り込んだ列車が、ある時点から、「ガラガラ、ガツン!」「カン、カラン、ゴンッ!」と言う、石が車体にぶつかるような激しい音をさせ始めたのである。 初め...

「手賀沼周回ルートへ行った、が・・」2013

 ★今年も、連休中の5月4日にブレード走行に行って来ました。 写真を見ただけなら、天気が良くて道もキレイで、最高のブレード走行のように見えますが、じつは想いのほか路面が粗く、ずいぶん苦労したのです。 これは自転車にはちょうどいいかも知れませんが、ホイールの小さいインラインスケートには、細かな振動が直接足に響いて来て、正直、疲れました。 まあ、以前の、一般道を滑っていた頃のブレード隊にしてみれば、むしろ上等と言えるくらいのものなのですが、いかんせん、近年我々は、滑らかな路面に慣れ過ぎてしまっていたのです。特に昨年の印旛沼の路面がなかなか良かったので、その比較で、どうしても「ちょっと粗いなあ」と感じざるを得なかったのです。あと一見、舗装道路に見える、じつは「ウレタン道路?」が、滑りが止まって予想以上にキツかったです。 それと、例年のブレード隊のイメージからすると、若干人出が多過ぎた・・ ここはサイクリストには有名なコースだと言うこと、また、ランニングをする人も多く、ブレード隊は肩身の狭い想いをすることとなったわけです。 ただ一つ、どうも気になったことが有りまして、それは、ランニングをする人とすれ違う時に、彼らはまったく道を譲ろうとする気配が無かったことです。我々はずっと前(20年以上前?)から、出来るだけ他人様の迷惑にならぬようにとやって来まして、そう言う意識なので、この日ももちろん我々の方から先に道を譲りました。 しかしながら、そうは言っても、その中の1人くらいは「一瞬、道を譲るそぶり」くらいあってもいいんじゃないか?そう想ったのですが、そう言うランナーはただの1人もおらず、とにかく何の迷いも無く?一直線に我々に向かって迫って来るので、ずいぶん怖い想いをしたのです。 そんなにブレード隊はキラわれているのだろうか?とも想ったですが、歩行者に対しても同様の威圧的走りをしているので、ちょっとビックリしてしまいました。 ブレード隊のN隊員は、マラソン大会に出ることもある「ランナー」のお仲間でもあるので、彼らのことを擁護していましたが、このごろニュースなどで、皇居周辺で走るランナーが観光客と激突し、特に老人に大怪我をさせる事故が多発なんて話しを聞いていたので、「なるほど、ヤツらもこんな乱暴な感じなのだな」と、変に納得してしまいました。 かく言う自分も、かつては毎日最低5...

「筑波霞ヶ浦 りんりんロード」2008

<りんりんロード「岩瀬 - 土浦 40.1km」2008> ブレード隊の隊長?高橋の50歳引退記念走行に集まったのは、かつての古い仲間たちだった。初のブレード隊当時は高橋32歳、仲間達はみな20歳そこそこで、若さの赴くままに滑り回った彼らだったが、それぞれに歳を取っていた。果たして昔のように40.1kmを滑り切れるのか。そして男たちの旅は、本当にここで終わってしまうのか? ブレード隊の高橋隊長が50歳を迎え、引退記念走行ということで、日本全国に散らばった?隊員たちを呼び集め、「最後のブレード走行」が行われました。集合はJR水戸線「岩瀬駅」。コースは土浦までの「りんりんロード40.1km」です。 ブレード隊が揃うのは1996年以来じつに12年ぶり、皆それぞれに歳を取っていました。1996年時の旅は「茨城・高萩 〜 千葉・犬吠埼」の約144km。当時は一般道を果敢に滑っていたのですが、高齢化と共に法律スレスレの無茶も出来なくなり、今回はおとなしく?サイクリングロードでの旅となりました。 ・・とは言いながら、最後のつもりが、滑り終えた達成感がかえって隊員たちの闘争心を刺激したらしく、早くも次回「高齢ブレード隊」の可能性で盛り上がったのでした。  JR水戸線「岩瀬駅」駅前。茨城のりんりんロードを滑ります スタート!。のどかでキレイな田園風景 菜の花ロード。5km経過、カメラポイントです いい天気!。快調に滑ってます! うねうね? 波打ちロードゾーン。遊び心だそうです 18k地点、暑いので日陰で休憩。昔より疲労度合いが大きい 午後の滑走。昼食を終え休養十分、再び滑り始めます 八重桜が植えられていた。疲労のためみな無口・・ 最後の10km。西日を受けてラストスパート! 霞ヶ浦近くでゴール!。あとは風呂とビールです! ニイツマ家で宿泊、朝食のあとの一服   

「道志渓谷に涼しい風が吹いていた」1992

<道志渓谷に涼しい風が吹いていた> ★1992年6月3日、ローラー・ブレードで東京八王子駅を出発したキャプテン高橋は、4日17時ついに山中湖及び富士山に到着。ずっと構想を練って来たローラーブレードによる東京-富士間80キロ走破を実現した。 八王子 - 富士吉田・ブレード走行記 *目 次* 我慢の準備期間 見送りは見知らぬおばさんだけ 体調悪し津久井湖で休憩 運命を変えた少女のひと声 心優しき人々 山岳走行の厳しさを思い知る 道志川渓谷の清涼感に救われる 直販のおばさんに救われる ビールに救われる! 君原走法に救われる オッパイを見た? 沿道の声援に力を得る 恐怖の山伏峠 白バイ、意外な声援に救われる 峠を越えると妙な男が待っていた 富士山麓に雷鳴とどろく ■ 我慢の準備期間 ■ 一昨年ニューヨーク、ピーター三好氏からローラー・ブレード、ゼトラ303を輸入して貰ったが、もっぱらビールの買い出しに用いる以外、使い道に困っていた高橋君は、昨年夏、「そうだ、これで富士山へ行こう!」と思い立った。 そこで、秋から冬にかけて用具を揃えながらテスト走行を重ね、四月、運び屋ピーター三好に、交換タイヤ608とベアリングを日本に持ち込んでもらい、渋谷ロフトでブレーキ・パッドを手に入れたところで、日が長くなる季節を待った。 ■ 見送りは見知らぬおばさんだけ ■ その年の健康診断では、心電図異状無し、肝機能もなんとか数値安定。しばらく悩んでいた腰痛も治った。 ブレード走行計画のことを何も知らない保健所の医者に、 「少し激しい運動をしてもいいでしょうか?」と尋ねると、 「死なない程度にね」と言う冗談っぽい答え。 これで医者のOKが出たも同然?、と勝手に解釈し、予定より一カ月遅れ、6月3日梅雨入り前の最後の晴天を狙って、午前11時頃八王子駅から一人、見送りも無く、おもむろに出発した。 駅前で出走用のコスチュームに着替えている時、おばさんが1人、眉間にしわを寄せて上から下までなめるように高橋君を見ていたが、やがて立ち去って行った。 キャプテン高橋、34歳。 ■ 体調悪し津久井湖で休憩 ■ 八王子から橋本まで16号を下る。歩道を通るが、トラックやオートバイの通りが激しく、神経を使う。16号から右に折れ相模湖・津久井湖方面へ向かう。 気温29℃晴天。1時間ぐらい滑ったところで、高橋君は持病の激しい頭...

ブレード走行観光案内?

夏休み特集!と言うことで?、個人的に思い入れのある「ブレード走行」で訪れた宿、観光スポットなどを検索してみました。始めてから15年が過ぎまして、不景気とかいろいろありましたが、あの時泊まった宿が健在でいるのは嬉しいものです。 ◎ ブレード走行記「 道志渓谷に涼しい風が吹いていた 」 これがインラインスケートによる初めての長距離走行でした。メインで滑った413号は道志川渓谷へ続く道ですが、中央高速が渋滞する時には富士山・山中湖までの裏道にもなると言うことです。ここを良く知っている友人・室田氏には「すごい山道なのに、よく滑る気になったもんだ」と呆れられました。確かにその通りでした。 ◎「 スワロウデイル アンティークス 」 (参考までに・室田氏のアンティークショップ) ◎ 津久井湖 最初の休憩ポイント。ここで通りすがりのオバさんに声をかけられましたが、あまりの疲労でやめようかと思った場所です。 ◎ 道志川渓谷観光スポット ブレード走行をした時期は6月でした。渓谷の眼下にキャンプ場などいろいろ見えましたが、何処も立ち寄りませんでした。 ◎ 鶴屋旅館 初めて飛び込みで泊まった旅館。「何しに来たのか?」と問われたらどう答えようかと不安でしたが、何も聞かれませんでした。食事が美味しかったです。魚と肉と両方ついて量もたくさんありました。普段は主に釣り人が利用する宿のようです。 ◎ 高嶺荘 到着地、山中湖畔の民宿です。食事が山菜中心で少し物足りない感じがしましたが、飛び込みだったので仕込みが間に合わなかったのかも知れません。ここは千葉真一さんごひいきの宿と言うことで、その日もジャパンアクションクラブのメンバーが合宿をしていました。 ◎ 走行記「南房総に夏の終わりの夢を見た」」 ◎ 走行記「幻のBOSO100マイル」 上はゴブリンズの新妻君と出かけた走行記で、下は同じコースを単独走行した時のものです。が、1992〜1994年のこの頃から急激に「夏の気温」が上昇したような記憶があります。35℃越えのいわゆる酷暑ですね。そのため途中で熱中症を起こしリタイアしました。そのたどり着けなかった100マイル(160キロ)地点を「幻の」と言うタイトルで表現してみました。 ◎ グランパークホテル 新妻君との旅での最初の宿です。木更津駅前の観光案内で紹介されたビジネスホテルでした。しかしアウトドア旅行...

「南房総に夏の終わりの夢を見た・前編」1992

「南房総に夏の終わりの夢を見た」前編 ★1992年8月21日(金)15時。キャプテン高橋とゴブリンズ新人・新妻英利は、ついに総武本線千葉駅から鴨川キャンプの拠点、民宿ウエダ(天津小湊町)までの162.2キロをローラー・ブレードによって走破する事に成功。これは前回の東京−富士間77.5キロを、84.7キロ上回る距離であった。 千葉 - 鴨川ブレード走行記 1日目 〜 2日目「千葉駅 〜 木更津 〜 鋸南町」 *前半 目次* 待ち合わせは千葉駅 快調な滑り出し16号 あまりに場違いな昼食 塩吹くキャプテン高橋 『すえひろ』で生き返る 場違いな宿、グランパークホテル 朝、雨が降っていた 救いのオヤジさんが現る あじフライとあじの天ぷらは違う 音無き警鐘が聞こえる 午後の海辺をブレード・ランナーが行く ノコギリ山に思わぬ敵が待っていた 岬で『岬』と言う喫茶店に引き込まれた さらに苦難の道は続く 民宿は旅のオアシスだ 後編へ・・ ■ 待ち合わせは千葉駅 ■ 嵐が幾つか通り過ぎる頃、空はどこか澄んで、別の季節の色を見せていた。6月の『東京—富士ブレード走行』から、約2カ月、常にキャプテン高橋の胸に去来していたイメージは、南房総のまぶしく輝く海、熱い夏の空気を切り裂く、ブレード・ランナーの姿だった。 8月18日火曜日、9時半。総武本線の終点、千葉駅のホームで、高橋、新妻の両者は、ブレード走行決行のために待ち合わせた。新人・新妻英利君は、果たして心強い伴走者となるのか、それとも単なる足手まといとなるのか、それは誰にも解らなかった。 天気は曇り気味。雨を予感させる黒い雲も漂っていた。南では台風が近づいていると言う。天候はどうなるのか、全く予測が立たなかった。 二人は『総武線千葉駅ホームの進行方向一番前』で会うことにした。気持ちを『前向き』にするため『一番前』を選んだのだ。しかし、ここは終着駅なので、折り返して電車が出発すると『一番うしろ』になってしまう欠点が有った。だが、そんな事にかまってはいられない。二人は勇躍駅を後にした。 ■ 快調な滑りだし、16号 ■ 16号沿いの歩道で用意をする。前回強烈な靴ずれの痛みに悩まされただけに、今回は、テーピング、ワセリン、ガムテープで、対策に万全を期す。用意が済んで立ち上がると、お巡りさんが自転車を止めてじっと見ているのに気づいた。二人は何も悪い...

「筑波霞ヶ浦 りんりんロード」2022

  ★ 「りんりんロード 岩瀬 - 土浦 42.1km」 360度動画です。YouTubeへ移動して見てもらうと、上下左右の全方向へ画面を動かすことが出来ます。字幕をオンにして見てください。 2020年、世界は新型コロナの恐怖に見舞われました。ブレード隊も違わず走行中止に追い込まれ、そのまま、翌2021年も中止となりました。 その間、緊急事態宣言による「他県への移動禁止」で、茨城県の「筑波霞ヶ浦りんりんロード」も、サイクリング客激減となったことは確かでしょう。ところが、この激減の機会をうまく利用?したのか、2021年後半、「りんりんロード路面改修工事に着手」 の情報が飛び込んで来ました。 来るべき「コロナ終息」のチャンスに備えたのでしょうか?。ですが、それはサイクリング客だけでなく、我が「ブレード隊」にとっても、またと無いチャンスでした。なぜなら、改修工事が行われた直後の舗装路面は、非常に滑らかでスケートが滑りやすいからです。 高橋の経験のよれば、どんなにキレイで滑らかな路面でも、3年から4年の内に少しずつ荒れて来てザラついた地肌になってしまいます。「出来立ての滑らか路面」を完璧に堪能できるのは、完成からわずか1〜2年間だけなのです。そのため、我々はこの二度とない?チャンスを逃すわけには行きませんでした。 昭和62年に廃線となった旧筑波鉄道の廃線跡を利用して、2002年に完全開通した「りんりんロード」が、大震災を乗り越え、全面改修工事が行われたのは、20年後の2021年、と言うことは・・ もしこのペースで改修が行われるとしたら、次はさらに20年後の2041年と言うことになるでしょう。つまり高橋の年齢は80代半ば、他のメンバーも70代となっており、それを考えれば、事実上これが「快適路面の最後のチャンス」と言っても過言ではないのです。 GOBLINSブレード隊2022 「りんりんロード 岩瀬 - 土浦」 午前9時57分:JR水戸線「岩瀬 駅」出発 午後4時04分:「土浦駅」到着 走行距離:約41.2km

「清水 - 安倍川」2007静岡単独

  ★昨年 2006年 、連休直前に骨折してブレード走行は断念しましたが、2007年はブログ写真投稿でも分かるように、2年ぶりに無事?予定の距離を完走して来ました。距離は約30kmと、これまでより大幅に短くし、ゆっくり情景を楽しみながら行って来ました。 天気は晴天で、海もきれいで、気温もちょうどいいくらいでしたが、腰から太ももにかけて痛みがあったことや、路面が粗かったことなどで、途中、今までに無い脱力感に襲われました。やはり年齢のせいでしょうか?。頭の中では「物事にはやがて必ず終わりが来る」という言葉が何度も去来していました。 ・・が、確かにあの時は「もう終わったかな・・」とも思ったんですが、数日たった今は、またふつふつと冒険心が湧いて来つつあるのです。まったく困ったもんです。まあ今後のことは、とりあえず今回の走行記をアップして、それからゆっくり考えることにします。  ブレード走行のため清水に来ました。自転車道はありましたが路面が粗いです。 こんな道が続いています。ちょっと腰が重いのでゆっくり進みます 公園で一休み。天気すごくいいです。ワセリンを塗り忘れたのでここで塗ります 海です。富士山見えますか? 三保の松原まで来ました 延々と続く海岸線。快適なのか、退屈なのか・・ 国道150号と交わりました。iPodを聴いてます ゴールの安部川まであと5キロです 安部川駅に着きました。駅のベンチです。かなり疲労しましたが、満足感に浸っています   Commented by < 鈴木隆>  at 2007-05-10 2~3ヶ月に一度、丸子へ行ってますが海は見たことなかったなぁ。 安倍川駅なんてあったんですねぇ。知らなかった・・・。 静岡駅周辺だったらいい店紹介したのに。 インター近くのマンガ喫茶・ネットカフェにサウナはメンバーになっている鈴木でした。 Commented by < 高橋10>  at 2007-05-11 そうですか、それは惜しいことをしました。安倍川と言うのは「安倍川もち」の発祥の地なんですね。途中の店にそう言うこと書いたのぼりが立っていて、それを見てこの歳になって初めて知りました。