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「南房総に夏の終わりの夢を見た・後編」1992

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★1992年8月21日(金)15時。キャプテン高橋とゴブリンズ新人・新妻英利は、ついに総武本線千葉駅から鴨川キャンプの拠点、民宿ウエダ(天津小湊町)までの162.2キロをローラー・ブレードによって走破する事に成功。これは前回の東京-富士間77.5キロを、84.7キロ上回る距離であった。

千葉 - 鴨川ブレード走行記
3日目 〜 4日目「鋸南町 〜 白浜 〜 天津小湊」


あきらめるな道は必ず開ける

8月20日。昨日トンネルに道を阻まれ、予定よりも大幅に遅れてしまった。千葉駅を出発して、60km進んだだけである。あと2日で100km行かねばならない。

新妻君は一時『岬』の女主人が言った近道も捨て難いと、迷い始めていた。肉体的疲労に加え、追突事故を目の当たりにしてしまったこと、トンネルの恐怖などが影響していた。

実はキャプテンも同じような心理状態にはあったのだが、この旅はただ目的地に着けば良いのではなく、162.2kmを走破しなければ意味が無いのだった。さらに、館山から白浜あたりまでの南房総を通らなければ、彼の想い描いたイメージは完成しない。彼は新妻君の決心がつくのを待った。しかし、もしどうしても駄目だと言ったならば、無理強いはするまいとも思っていた。

「でも、女主人の言うなりになったら、負けだな。ダメだったら、歩けばいい。行きましょう!」こう言って新妻君は気持ちを固めた様子であった。

あきらめる時は、にっちもさっちも行かないその現場で、はっきりケリをつけてからあきらめる。後は電車でもバスでも使えば良いのだ。途中であきらめてしまったら、可能性も幸運も使わない内に手放してしまうことになる。とは言え、キャプテンの心の中には、あきらめない勇気とあきらめる勇気とが互いに見え隠れしていた。

・・と言うように、三日目は少しカッコつけた書き出しになってしまったが、実際は結構だらだらと出発したのである。

滑り出して、初めは歩道の無い道の端を、トラックの往来に脅えながらの走行だったが、やがてうまい具合に歩道に乗ることが出来た。そしてはやくも一時間が経ち、鋸南町を過ぎた辺りでマーケットを見つけ、そこで休憩と消耗品の購入をすることになった。


そこから、勝山辺りまで滑って来ると、また海が見え始めた。海水浴客もパラパラと見える。時々二人に気づいた人々が、浜辺から視線を向けていた。今日も恐いくらいの晴れ。陽差しが強い。

岩井まで来た。ここはキャプテンが小学生の頃、臨海学校に来た海岸である。かすかに見覚えのある風景が続く。

そこを過ぎた辺りから、トンネルが現れ始めた。それらは昨日、宿の地図で調べて有り、ある程度の予測は出来ていた。初めの内は短いものばかりで、難無く通り過ぎたが、三つ目の岩富隧道でついにブレードを脱いで歩くことになった。

それは、キャプテンが勢いに乗って強引に突っ切ろうとするのを、新妻君が「脱いで、歩きましょう」と諌めたのである。彼のその判断は正しかった。ブレード走行で抜けるには、そのトンネルはあまりに長すぎたのである。

予測されたトンネルが全て終わり、小さな街中に入った。そこの薬局でワセリンを購入し、ついでに店の主人に頼んで、外の井戸水を使わせて貰うことにした。水浴びが癖になってしまったようだ。

二人が頭から水を浴びている間、店の主人は煙草を吸いながら色々話しかけて来た。その話から、トンネルはもう無いと言うことや、犬房岬を過ぎて館山に入ったら、海沿いの道は何処を通っても抜けられること、車通りもどんどん少なくなることなどが解った。

「行けそうじゃないか」キャプテンは思った。出だしの頃のような不安感はもう無くなりつつあった。

  

海岸線、防波堤を行く

館山市街に入り、幾つか交差点を折れ、サイクリングロードだと思って、海岸線に出て滑っていたら、そこは防波堤の上だった。砂浜にはほとんど人影は無く、防波堤は遥か彼方まで続いていた。

時折り、車で訪れていた家族連れが、視界に近づいては遠ざかって行った。

沖のほうでは、ゆっくりと波が白くめくれている。

水着姿の男女が、滑る二人には視線もくれず、海風に吹かれ、眩しそうに水平線を眺めている。

彼らのずっと向こうの浜では、散歩中の犬が、飼い主に見守られながら海を泳いでいた。

そして安逸の雲が、高く、濃すぎる空の中で止まってまま・・

いくつもの無言のような風景が、二人の目の前を通り過ぎて行った。

「あそこで行き止まりか・・」
海に流れ込んでいる河口の所で、防波堤は終わっていた。河口では何人かが釣りをしていた。川面に沢山の魚が泳いでいるのが見えた。

二人はブレードを脱ぎ、防波堤のヘりに座って休んだ。決して滑らかな路面とは言えなかっただけに、振動でかなり足が疲れていた。

「ソルボセインの中敷きを入れなきゃダメだ。衝撃が強すぎる」キャプテンはそう言いながら、入れたらきつくて駄目かも知れない、とも思っていた。

強く熱い海風が、それでも心地よく汗を乾かした。子供が二人しゃがみこんで釣り糸をいじっている。母親だろうか、女性がその様子を見ていた。その脇で男が二人、並んで釣り糸を垂れている。

「こうして釣りを見ていると、忘れていた何かを思い出す」新妻君が言った。
「あの頃・・、吹いていた風か」キャプテンが言った。

ほとんど初対面に近い二人なのに、このような会話がごく普通に交わされていたのであった。

しばらく海を眺め、それぞれの想いの中で黙していたが、やがて出発の時間が来た。白浜までなんとか今日中にたどり着きたい、と言うキャプテンに新妻君は、「プロストは、グランプリの、必ず最終戦を勝利で飾るんですよ。そうすることによって、来シーズンが気持ち良く迎えられるわけです」と言った。

何言ってんだこいつは。しかしキャプテンは大人だ。適当にあしらって、荷物を担ぎ立ち上がった。すぐそこに県道の橋が有った。そこまで草むらを歩いて行く。

  

昼飯はそばと決めていた

館山の県道沿いは、海水浴場になっていた。ここはけっこう客が多い。当初のイメージでは、こう言う所で、水着ギャル達の熱い視線を浴びることになっていたが、どうも思うようには行かなかった。どうにか海の家のおばさん達の、眉間にしわを寄せた視線と、「はやく! はやく! あれ見て!」と、子供にせかされ現れた、水着お母さんの視線を受けて面目を保つにとどまった。

ちょうど昼時で、海水浴場沿いのファミリーレストランはいっぱいだった。入る気持ちになれず、結局そのまま進んで海岸を離れ、海上自衛隊基地を過ぎた辺りの蕎麦屋に入ることにした。

店の前で荷を降ろすと、新妻君はいきなり表に有った井戸水を浴び出した。もう癖になっているので止まらない。路面温度はなんと50℃を示していた。今回の最高記録である。そんなことをしている内に、蕎麦屋の主人らしき人が出前から帰って来た。そして何の断りも無く水を浴びている新妻君を見て、怪訝そうな顔をするのだった。

その様子に慌てたキャプテンは、
「あっ、店、やってますか?」
などと、その場を繕うと、キャプテンの心中を察したのか、店の主人は急に態度が柔らかくなり、
「この水は冷たいだろう。井戸から汲んでるからなあ」と言ってくれた。・・あぶないあぶない。

店に入り、大盛り蕎麦と冷やしトマトをたのんだ。キャプテンはトマトをひとかけら床に落としてしまった。残念・・、最後のひとかけらだった。

店の主人は二人が出て行く時、「気をつけて」と言った。
昼下がり、路面温度はますます高くなる。


ここは何処だ、遠いところだ

二人は進み続けた。千葉駅を出てから三日目、約90kmの道程をローラー・ブレードで滑り続けて来た。幸い靴ずれ対策が効いて、足の方は心配なかった。道も恐いのは車だから、それさえ気をつけていればけっこう自在に滑れる。

ただキビしいのは何と言ってもこの殺人的な暑さだった。日本の夏ってこんなに暑かったっけ?、と考えてしまう。一時間ごとに休憩して、その度にアクエリアス・ネオを一本飲み干すのだが、ほとんどオシッコは出ない。

「これが仕事だったらなあ」新妻君が言った。

確かに、遊びと言うにはあまりに苛酷だし危険だった。これは遊びだよな? 金になるかならないかで言えば、やっぱり遊び以外の何ものでもないが、この苦しさは肉体労働に匹敵する。

とにかく、気持ちが充実して、命が生き生きするようなことを追いかけて、その内の、金になることを仕事と言い、金にならないことを遊びと呼ぶことにしよう。・・果てしない距離を滑っていると、脳裏を色々な想いがかけめぐる。

そうして、二人は沖の島と言うところを過ぎ、幾つかの登り下りを繰り返して、州崎神社までやって来た。右手には、小さな港が見えている。

「ずいぶん遠くまで来たなあ。そうは思わないか?」
キャプテンがそう言うと、新妻君は海援隊の『思えば遠くへ来たもんだ』を歌い出した。

午後3時・・、強い西日が指し、風景が何処かしら寂しげに見えている。本当に遠くまで来てしまった。地図的に言えば、房総半島の先端部分に差しかかったところだ。この先の第一フラワーラインを降りて行けば、いよいよ最南端に到達する。

休憩した時、新妻君はブレーキパッドを交換した。彼のマシンはブレーキパッドが摩耗しやすいと言う欠点が表面化して来た。走行音は相変わらず木枯らし。

「祭りが来ますよ」と言うので、その神輿を見てから出発しようと待っていたが、なかなか現れない。変だなと思ってのぞいてみると、いつの間にか何処かへいなくなっていた。新妻君はまた、思えば遠くへ来たもんだ、を歌っている。


フラワーライン、組曲惑星が聞こえた

フラワーラインはその名の通り、両側を花に囲まれた美しい道だった。素朴な田舎の風景しか見て来なかった我々の眼前に、素晴らしい海岸線が開け始めていた。歩道も広く滑らかで、滑り心地も快感。館山グランドホテル、館山ファミリーパーク、南房総パラダイスと、南国を思わせるリゾート地帯が続く。

ゆったりと味わうように足を滑らせて、スケーティングを楽しんだ。キャプテンの頭の中では、大袈裟な、ホルスト作曲『組曲惑星』のクライマックス『木星』が聞こえていた。

「最高だ!」と新妻君が両手を広げ、風を受けとめる。確かにこの快感は、一度味わうと忘れられない。最高だ!。足の裏に道の滑らかさが伝わって来る。

長いフラワーラインが終わって、少し坂道を登ると、ついに南房総最南端『白浜町』の看板を見つけた。4時半、後は宿を探しながら軽く流して行けば良いのだ。

フラワーパークの辺りを海岸通りに折れる。小高い坂の上から、海を見下ろしたまま下って行く。珍しい形の岩場と、青く美しい!としか言いようのない海の色が、目前に迫って来た。風が、身につけていた物全てを後ろに追いやろうとする。

これを見るために今まで滑って来たのか・・

キャプテンは思った。もうこの旅で思い残す事は何も無い。千葉駅出発からおよそ110km、天気も情景も、全て思った通りになった。


旅館か民宿か、迷うところだ

ようやく「すなとり三洋」と言う宿を見つけて、玄関先で宿泊の交渉をすると、ちょっとナヨッとした変な物腰と喋り方の主人が、「スケートで来たの? うっそお」なんて言ってから、「旅館と民宿とどちらにしますか?」と聞いて来た。

これは面白い質問だ。1000円アップで、捕れたてのアワビと旅館的サービス、これに決めた。新妻君にも異論は無い。二人は海の良く見える部屋に通され、風呂の順番を待った。

「ああっ、裏筋が痛い。ウラキンと言っても、キンタマの裏側じゃないですよ」新妻君はこのフレーズが気に入っているらしく、いく度と無く繰り返した。キンタマの裏側が痛かったら大変な病気だ。

風呂に入ってキャプテンが体を洗っていると、新妻君はしばらく窓を開けて海を見ていたが、ふと気が付けば、ベランダ状になっている窓の外へ、まだ明るいのに、素っ裸のまま出て行ってしまった。しょうがねえな、キャプテンは考えた。21歳、まだまだ子供だ。

食事は豪華な色とりどりの刺し身で飾られていた。キャプテンはストイックなビール、新妻君はストイックなサイダーで乾杯。サイダーとはな。キャプテンは考えた。まだまだ子供だ。

女将さんが膳を下げに戸を開けた時には、二人とも、浴衣もはだける乱れた姿で気を失っていた。それは今日のブレード走行の激しさを物語っていたのだが、目撃した女将さんの目には、ただのだらし無い奴らとしか映らなかった。

それから二人は、あまりの疲労に、夜九時から朝の七時まで、完全な昏睡状態に陥ってしまったようである。だから、夢はけっきょく、海鳴りにかき消されたままになってしまったのだ。

気を許すな、音無き警鐘を思い出せ

8月21日・・。目的地まで、今日中に着けるような気がした。22日までかかっても良かったのだが、3日目が順調過ぎる滑りだったので、予定どおり進められるメドが立ったのである。だが、まだ気を許してはいけない。ここまで来れば大丈夫、と言う安堵感が思わぬ事故を引き起こすのだ。スキーなら骨折、登山だと滑落して死亡と言ったところだ。

海側は晴れ、山側は曇り。それも黒く厚い雲だった。気温28.5℃。初めて30℃を割った。昨晩長時間眠ったおかげで、気分はけっこう良いが、まだ身体が目覚めていない感じ。だから最初の一時間はスローペースで滑ることにした。

海岸通りは気持ち良い朝の空気で満たされていた。この辺りは本当に海が美しい。キャプテンは高校生ぐらいから千葉の海には良く訪れていたが、その頃からほとんど変わっていないように思えた。変わったのは陸の方で、リゾートマンションが乱立したりしている。

直感的には何か気にくわん、とは思うが、実際に泊るとけっこう面白かったりして、一概に景観破壊として責めたてるのは難しい。人が正義感と思っているものも、意外と視野が狭かったり、やっかみだったり、あんまりあてにならないものだ。

一時間が過ぎ、最初の休憩を取った。厳島神社はとうに通り過ぎ、海水浴客がいる海岸に来ていた。

  

赤い道は滑りやすい

リゾートマンションが有る通りの歩道は、赤い色のコンクリートで舗装されていて、すごく滑らかで滑りやすい。ホイールの弾力さえ感じ取れるほどで、楽々と滑って行ける。

『ローラー・ブレードはリゾートがお好き』これがキャプテンがたどり着いた結論である。考えてみれば、舗装道路がなければ先へ進むことが出来ないし、ここは滑りやすいと思って見渡せば、リゾートマンションが建っている。人の手が丁寧に入っている場所ほど適しているのだ。

「人工地帯の乗り物、ローラー・ブレード」

ところが人工地帯『東京』では滑る所が無かった。公園と言う公園は運動の類い全て禁止。ただデレっとベンチや芝生に座っているしかない。

キャプテンはある時、公園として整備される前の、広い空き地を観察していたことがあった。すると、早朝は老人達がゲートボールをし、午前中は赤ちゃんを連れたお母さん達が日なたぼっこ、昼は会社員がキャッチボール、午後は近くの学校の生徒がストレッチを行い、夕方子供達がサッカーや一輪車で遊ぶ。夜は・・

決して事故など起きないのだ。それぞれの時間帯が有るし、大人には判断力が有る。子供が投げたボールで人が死ぬこともまず無い。そのまま人を信じていれば全てうまく行ったのに、やがて公園には花が植えられて整備され、禁止事項を印刷した看板が立てられた。そして公園が完成するころ、人々は姿を消した。

公園でローラー・ブレードをしていると、何処からとも無くおっさんがやって来て叱られる。無気力症候群の人々は寝そべりながらまるで極悪犯人を見るような目付きで注目する。めんどくさい、「公園を捨て、街に出でよ」と、千葉駅を出てから130km、だんだん鴨川が近づいて来た。

「まだまだ気を緩めてはいかん!」キャプテンは新妻君にアドバイスした。彼は先ほどからやたらとバランスを崩していたのだ。天気はどんよりと曇って来て、いつ雨が降ってもおかしく無い感じだ。気温27℃、昨日までを思うと信じられない涼しさだった。自然とピッチが上がった。


やっぱり昼飯は蕎麦に限る

少し寂れた感じの千倉を過ぎる。ここら辺には漁師町独特の、黒い瓦葺きの家が沢山残っている。車からすれ違いざまに「頑張って」と声がして、新妻君が手を挙げてそれに答えた。

和田町に入るとサイクリングロードが有ったので、そこを行くことにした。その道は防砂林を抜け海側に伸びていた。もろに砂浜に暖められた海風が吹きつけた。車通りが無いのは良いが、いかんせん路面が悪すぎる。ガタガタだ。足が痺れたので少し休んだ。

ずっと先の方から、学生服姿の男女が歩いて来た。
「自転車を二人の間において、若干の距離をおく。基本ですよ」
新妻君が解説した。

「なるほど」そう言って、二人の横を滑って通り過ぎた。意識しすぎて寡黙になりがちなキミ達に、話題を一つ提供してあげよう。

サイクリングロードを抜け、坂を上りつめた所で蕎麦屋に入った。昼飯は蕎麦に限る。新妻君は天ざるだ。後ろのおばさん達がうるさい。連れが多いようで、二人が立ち上がると、離れた場所にいる人たち向かって、小声で「空いた、空いたよ」と言った。


たまらん隊がゆく・・

昼食後、風を切って坂を下って行くと、豆腐屋のお爺さんが店の前で待ち構えていて、
「それは何ですか?」と声をかけられた。
立ち止まり、色々と説明して、最後に「鴨川まで行きます」と言うと、
「鴨川?、じゃあもう、じきです。お気をつけて」と丁寧にお辞儀をされた。
ありがとうございます。お元気で長生きしてください。

一期一会、袖擦り合うも他生の縁。新妻君とは何んの因果か・・、解りません。

とても通れそうにないトンネルが見えて来たので、脇道を行くことにした。道はどんどん下り坂になって、海沿いまで降りて行く。新妻君のブレーキパッドはいよいよ限界に来て、止めているボルトが剥き出しなった。それがアスファルトの路面に激しく擦れて火花を散らしている。

「F1みたいだ」

それは良いが、きれいな道路にキズをつけてはいけない。

鴨川市街に入って、セブンイレブンで買い物をし、シュークリームを食べた。その後、駅前を滑って通り抜け、鴨川シーワールドの前に出た。

鴨川、鴨川と言ってはいるが、細かいことを言えば『天津小湊町』を目指しているのだ(現在は鴨川市と合併)。そこに到達点『民宿ウエダ』が有る。「まだまだ」キャプテンは気を緩めないように言った。田舎道は車の速度が非常に速いから、事故にあったら大変だ。

だんだん見覚えの有る風景が現れて来た。横に見える浜にはサーファーが幾人かいた。やや空も明るくなって来る。明日はまた晴れるかも知れない。

黙々と進んで行くと、ついに、民宿ウエダの看板と駐車場が見えて来た。振り返ると新妻君も気づいたらしい。滑って来る彼を待って、二人でハイタッチだ・・


8月18日9時、総武本線『千葉駅』出発
8月21日15時、天津小湊町『民宿ウエダ』到着
三泊四日
延べ走行時間、約26時間
全走行距離166.5km
経費一人約6万円

「泣かない」
新妻君が言った。ゴールしたら感動で涙を流すのでは?と思ったらしい。
「案外、淡々としている」
同じく、キャプテンもそう思った。

  

そして旅が終わった

部屋に入って、風呂を待っていると、ゴブリンズのメンバー林君から電話がかかって来た。民宿の女将さんが連絡したらしい。林君は地元出身で、民宿ウエダは彼の親戚がやっているのだ。宿の人は、キャプテンのハデな格好を見て、「映画スターみたいなのが来た」と伝えたらしい。

予定よりも早く着き過ぎて、日が暮れるのがとても長く感じられた。もう明日から滑らなくても良いのかと思うと、少し寂しい気がした。それに、ほとんど文無しになっていたのも心細かった。

新妻君は「もう、何でも出来るような気がする」と鏡に自分の筋肉を映しながら息巻いていた。だがその夜遅くのこと、キャプテンは、隣で寝ていた新妻君が、大きな声で寝言を言うのを聞いたのだった。

「やめましょう!」

その寝言だけでは、彼がどんな夢を見ているのかは解らなかった。しかしその口調が、はっきり年上に向けられたものであることだけは、確かだったのである。


<南房総に夏の終わりの夢を見た/おわり>


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1 ・ 2 千葉 - 鴨川・ブレード走行記 (白浜でリアタイア)        目次 変調 待っていた男 失速 幻のゴール ゆくえ 昼食の間に天気は完全に回復し、再び強烈な陽射しの中を進むことになった。太陽を浴びると、また気分が悪くなってくるような気がした。 少し不安を感じながらも進んで行くと、道の先に見覚えの有る信号が現れた。二年前キャプテンと新妻君の脇で起きた、あの二重追突事故の現場だ。確かにここに違いない。まじまじと周囲を眺め、事故なんて起きそうに無いのになあ、そう想った矢先のことだった。横を通り過ぎた車が、またいきなり急ブレーキをかけたのだ。 「おい!?」とあわてて振り返ったが、幸い事故にはならなかった。またしてもブレード・ランナーが珍しくて前方不注意になったのだろうか。それにしても・・、なんだか嫌なポイントだ。 『湊川』の橋を渡り、右に大きくカーブする山沿いの道をたどると、やがて東京湾浦賀水道の海が見えてくる。遥か向こう岸は三浦半島横須賀の港だ。この辺りからずっと海岸沿いを滑ることになる。キャプテンは、すっきりしない気分を抱えたままではあったが、海を眺めることで力を回復出来ると信じていた。 その道は人の気配が無く、車だけが風を切って行く。歩道は、ゴム状の継ぎ目を飛び越える以外気を使うことはなく、滑らかな路面が続いていた。海側は断崖になっていて、そのギリギリに、幾つかのレストランや小さなホテルなどが建ち並んでいた。 しかし車が数台止まっているだけで、賑わいと呼べるものは感じられなかった。シーズンの盛りにはもっと人が訪れるのだろうか。どの店も、捕れたて新鮮魚介類の料理が売り物らしく、そのことを謳った看板が立てられていた。 「知る人ぞ知る、穴場と言った店が有るのかも知れないな」そんなことをぼんやりと考えていた。 道路から見える崖下の砂浜では、数人の人々が海水浴を楽しんでいた。海の家も無い静かな浜辺は、さながらプライベート・ビーチと言った雰囲気である。そんな光景が何度か現れては消え、『金谷』の辺りまでは、比較的楽しみながら滑って来ることができた。 どのくらいたったのだろう。かなり疲れを感じたところで、丁度よく木々に覆われた細い脇道を見つけた。迷わず滑り込んで、荷物を降ろすことにする。 そこには、心地よい風が吹き抜けていた。道の両側に古い小さな家が建ち並び、遠く水平...

「茨城46億年後の一期一会 .1」1996

1・ 2 ・ 3 ・ 4 ・ 5 ・ 6 ・ 7 <高萩 - 犬吠埼・ブレード走行記1 1日目前半> 1996年8月。ゴブリンズの夏季キャンプが、千葉県犬吠埼の長崎町で行われることになった。そこでゴブリンズ・ブレード隊の高橋文昭、新妻英利、森広康二の三名は、その四日前に茨城県高萩市を出発。犬吠埼・長崎町までの135kmを、4日間かけてインラインスケートのみで南下し、ゴブリンズのメンバーと落ち合う、と言う旅を計画した。 ◆ 主な登場人物  ◆  ブレード隊・キャプテン高橋  草野球チーム・ゴブリンズのキャプテン。34歳で初めての長距離ブレード走行を敢行。今回、通算走行距離1000km突破を目指す。  ブレード隊・新妻英利 隊員  伝説の第一次ブレード隊のメンバー。1995年カナダ・ロッキー山脈にて初の海外ブレード走行を試みるが、足のツメを剥がし100km地点でリタイア。  ブレード隊・森広康二 隊員  1996年からブレード隊に参加の新人。経験は浅いが、抜群の登坂能力とスピードを持つ。ブレード・アクセサリーに凝っている。  塚本じいさん  高萩の外装の汚いビジネスホテルのオーナー(現在廃業)。  水木海岸の少年  岸で駐車場の番をしていた愛想の無い高校生。  旅館須賀屋の女将  飛び込み客に面倒味が良い、 日立港近くの旅館の女主人。  旗振りの男  海岸で旗を振って客引きをしていた無数の人間の中のひとり。  ターザンの娘  あぶない格好でブレード隊に手を振っていたと言う少女。  民宿大竹の女将  茨城弁丸出しの美人ママ。  その女将の子供  出発時に見送りしてくれた疑り深い性格の女の子。  グリル鹿島の娘  バカッ丁寧な言葉使いの少女。  鹿島ガンプ  奇妙な質問を発し、自転車で延々とブレード隊を追いかけて来た不思議な人物。  旅館かわたけの女将  無理を承知で泊めてくれた太っ腹人情女将。  ◯◯ 高校サッカー部  『かわたけ』に泊まった礼儀知らずの合宿軍団。    1日目/1996年7月31日(水)「高萩海岸から日立駅前そば屋まで」 ◆ 不吉なる序章 ◆ この旅の始まり、不吉な出来事が起こった。ブレード隊三人が乗り込んだ列車が、ある時点から、「ガラガラ、ガツン!」「カン、カラン、ゴンッ!」と言う、石が車体にぶつかるような激しい音をさせ始めたのである。 初め...

「南房総に夏の終わりの夢を見た・前編」1992

「南房総に夏の終わりの夢を見た」前編 ★1992年8月21日(金)15時。キャプテン高橋とゴブリンズ新人・新妻英利は、ついに総武本線千葉駅から鴨川キャンプの拠点、民宿ウエダ(天津小湊町)までの162.2キロをローラー・ブレードによって走破する事に成功。これは前回の東京−富士間77.5キロを、84.7キロ上回る距離であった。 千葉 - 鴨川ブレード走行記 1日目 〜 2日目「千葉駅 〜 木更津 〜 鋸南町」 *前半 目次* 待ち合わせは千葉駅 快調な滑り出し16号 あまりに場違いな昼食 塩吹くキャプテン高橋 『すえひろ』で生き返る 場違いな宿、グランパークホテル 朝、雨が降っていた 救いのオヤジさんが現る あじフライとあじの天ぷらは違う 音無き警鐘が聞こえる 午後の海辺をブレード・ランナーが行く ノコギリ山に思わぬ敵が待っていた 岬で『岬』と言う喫茶店に引き込まれた さらに苦難の道は続く 民宿は旅のオアシスだ 後編へ・・ ■ 待ち合わせは千葉駅 ■ 嵐が幾つか通り過ぎる頃、空はどこか澄んで、別の季節の色を見せていた。6月の『東京—富士ブレード走行』から、約2カ月、常にキャプテン高橋の胸に去来していたイメージは、南房総のまぶしく輝く海、熱い夏の空気を切り裂く、ブレード・ランナーの姿だった。 8月18日火曜日、9時半。総武本線の終点、千葉駅のホームで、高橋、新妻の両者は、ブレード走行決行のために待ち合わせた。新人・新妻英利君は、果たして心強い伴走者となるのか、それとも単なる足手まといとなるのか、それは誰にも解らなかった。 天気は曇り気味。雨を予感させる黒い雲も漂っていた。南では台風が近づいていると言う。天候はどうなるのか、全く予測が立たなかった。 二人は『総武線千葉駅ホームの進行方向一番前』で会うことにした。気持ちを『前向き』にするため『一番前』を選んだのだ。しかし、ここは終着駅なので、折り返して電車が出発すると『一番うしろ』になってしまう欠点が有った。だが、そんな事にかまってはいられない。二人は勇躍駅を後にした。 ■ 快調な滑りだし、16号 ■ 16号沿いの歩道で用意をする。前回強烈な靴ずれの痛みに悩まされただけに、今回は、テーピング、ワセリン、ガムテープで、対策に万全を期す。用意が済んで立ち上がると、お巡りさんが自転車を止めてじっと見ているのに気づいた。二人は何も悪い...

「茨城46億年後の一期一会 .4」1996

1 ・ 2 ・ 3 ・ 4 ・ 5 ・ 6 ・ 7 <高萩 - 犬吠埼・ブレード走行記4 2日目後半> 2日目/8月1日(木)「大洗海水浴場から大竹海岸・民宿大竹まで」 ◆ 昼下がりの・・、大洗海岸 ◆ 昼食を終えたあと、ちょっと長めの昼休みと言うことになった。 森広君は汗に濡れたTシャツを脱いで日なたに乾し、上半身を焼き始めた。とにかくこの男は、すぐ赤く腫れてしまうくせに、一気に焼かないと気がすまないと言うやっかいな奴なのだ。それに引き換え、足の痛みで予想以上に疲労している新妻君は、海の家で有料のシャワーを浴び、気持ちの張りを取り戻そうと懸命である。 その間キャプテンは、海の家のベンチに座って、ワセリンや日焼け止めを塗り直したり、サングラスの汚れを落としたりしていた。その横を、海から上がって来た何人かの男女が通り過ぎて行く。午後の強い陽差しにみな目を細め、シャワー室に入って行くのだった。 何度か、店番をしているオバサン達のカン高い笑い声が聞こえて、また静かになった。そのあとは、通り過ぎる車と風の音しか聴こえて来ない。 「オレにとっては・・、ここは、日本の裏側だ」慣れ親しんでいる天津小湊や九十九里の海に比べると、ここは本当に見知らぬ海だった。 「これが大洗海岸と言うものか・・」どうしようもない寂寥感が胸に迫った。やっぱり、ゴブリンズキャンプは、犬吠埼ではなく天津小湊にした方が良かっただろうか、と想う。 ・・いや、だめだ。あの海には想い出が多すぎる。 やがて、シャワーを終えて来た新妻君が隣のベンチに座った。彼は自分の足に巻かれたテーピングを剥がそうとするが、すね毛が絡みついているのか、何度も「だあー!」と言う激しい悲鳴を上げていた。そのうちたまりかねて、アウトドア・ナイフで毛を切りながらテープを剥がす、と言う荒っぽい戦法に出た。 その時キャプテンは、彼の足首に大きな靴ズレの跡が有るのを見つけた。やはりツメだけではなかったようだ。それを見て、もうこの先、新妻君が復活することは無いだろうと想った。どんな治療を施しても、このまま延々と苦痛が続くだけであり、楽しいことはひとつも無い。ひょっとすると完走さえ危ないかも知れない。 「ワセリン塗っとけよ、ほら」と彼に差し出すと、意外なほど素直に受け取り、靴ズレの患部に塗り始めるのだった。ひとが薦めるものをことごとく拒絶するヘソ曲が...

「三年ぶり、ブレード走行熱海」1999

< 三年ぶり、ブレード走行熱海 > ★1996年の夏、高萩 - 犬吠埼の茨城走行が終了したあと、ゴブリンズの周辺は一変してしまった。レギュラーメンバーの約半分が、仕事のためハワイに移住してしまったのだ。もちろんチームは事実上活動休止。ブレード隊もバラバラになってしまう。・・ そ れから、約3年の年月が流れて、ゴブリンズは一人また一人と、再び仲間が集まり始めていた。 だが1999年5月2日、まだ何かが足りないキャプテン高橋は、ついに三年ぶりのブレード走行を行うため、一人列車に乗っていた。向かった場所は伊豆。出発地点は熱海。かつて1996年の春、森広隊員と滑った湘南ブレード走行(茅ヶ崎 - 熱海)の続編を決行するためである。 熱海の駅を降りたとき、時計は午前10時をまわろうとしていた。天気はこれ以上無いと言う快晴。陽差しがまぶしく、歩くだけで熱気を感じる。ただ、時折り吹く風はひんやりとして心地良かった。 駅前通りの坂を下って、途中、自家製パン屋で、アンドーナツと、カレーパンと、クロワッサンと、桃の天然水とを買った。パンは焼きたてでまだ暖かく、ふんわりとしている。 そこから土産物屋が並ぶ通りを抜けて海岸へ出る。右手方向の、これから向かおうとする135号線の先に目をやると、急な上り坂の道が、山の向こう側にまわり込んで見えなくなっていた。そこを、ゴールデンウィーク中の渋滞した車が、ノロノロとうごめいているのだ。 少し気が重くなっていた。もっと普通の日にすればよかったと想う。それでなくても伊豆は、道が狭い、アップダウンが多い、迂回路が無いと言うことで、ブレード走行禁断の地と言われ続けて来たところである。しかもあの車の数だ・・ しかし、このところ週末は雨続きで、連休に入ってようやく上天気になったのだ。これ以上待つと、次のチャンスはいつになるか解らない。 ともかく一服して、パンをおやつにしながらメールを書こうと想った。今回はゴブリンズへのモバイルメールで、ブレード走行のライブ中継をやろうと想っていたのである。 砂浜への広い階段を中ほどまで降り、海を眺めた。水ぎわをたくさんの人々が歩いていた。 その場で腰を降ろし、携帯電話とザウルスを取り出す。まぶしすぎるので、ツーリング用サングラスをかけた。そうして、5月の心地よい風に吹かれながら、メール文を考え始めるのだった。(このころ携帯メール...

「湘南の海、エンドー苦難の道」1993

< 横須賀 - 茅ヶ崎・ブレード走行記 > 1993年。ゴブリンズ・ブレード隊、キャプテン高橋と遠藤忠隊員は、10月23日と24日の二日間に渡り、三浦半島の横須賀から茅ヶ崎まで、約75kmを無事完走したと発表。この完走によりキャプテン高橋の通算走行距離は359.4kmとなった。                    目次 うれしはずかし出発の時 三浦海岸! これを見に来た 遠藤殺しの坂が待っていた 史上最大のピンチである?! ついにブレード隊、初の野宿なのか・・? 二日目、最高の出発 湘南・超観光ルートを行く 日曜の午後の終わり ◇ うれしはずかし出発の時   ◇ 「だめだ、間に合わん!」 時計を見ると、7時55分。東急東横線の急行はたった今、 渋谷を出発したばかりだった。約束は横浜駅の改札に8時だが、この分では8時半ごろになってしまうだろう。昨晩、荷物の用意をしている内に夜が更けてしまい、キャプテンは今朝少し寝過ごした。しかし興奮のあまり眠れなくなった訳では無い。もう子供ではないのだ。 ドア際の窓から空を覗くと、雲は多めだが気持ちの良い秋晴れ。10月23日(土)、この週末の天気に問題は無い。ただ、なぜか寒さがとても心配だった。必要以上に気にしてしまったのは、第三次ブレード隊『富士五湖周回走行10.24』からちょうど1年、あの富士山麓の標高の高さと、降りしきる雨の記憶のせいに違いなかった。 予想した通り8時30分に横浜駅に着いた。改札を出ると、憮然とした遠藤隊員の姿が有った。「悪い、悪い。寝過ごした」仕方なくキャプテンは笑ってごまかすのだった。 日頃、野球の試合などでは、周囲から時間に厳格だと思い込まれているキャプテンだが、何を隠そう、中学・高校の6年間、常に遅刻回数・学年トップを誇って来たクセ者なのである。その頃の1年間の平均遅刻数は約70個。これは野球に例えれば『盗塁王』に匹敵するのはないかと一部ではささやかれているが、さて、どんなもんだろう・・ 二人はそこから京浜急行に乗り換え、横須賀中央駅へと向かった。気温24.3度、まずまずの走行日和だ。このくらいの陽射しが有れば、走っている内に体温の上昇でちょうど良くなって来るはずである。間近に迫った出発に備えて色々と考えは及ぶ。もう一人の隊員、新妻氏は、なんだかんだと急用が出来て、今日は来れなくなった。 横須賀...