「南房総に夏の終わりの夢を見た」後編 >前編に戻る
★1992年8月21日(金)15時。キャプテン高橋とゴブリンズ新人・新妻英利は、ついに総武本線千葉駅から鴨川キャンプの拠点、民宿ウエダ(天津小湊町)までの162.2キロをローラー・ブレードによって走破する事に成功。これは前回の東京-富士間77.5キロを、84.7キロ上回る距離であった。
■あきらめるな道は必ず開ける■
8月20日。昨日トンネルに道を阻まれ、予定よりも大幅に遅れてしまった。千葉駅を出発して、60km進んだだけである。あと2日で100km行かねばならない。
新妻君は一時『岬』の女主人が言った近道も捨て難いと、迷い始めていた。肉体的疲労に加え、追突事故を目の当たりにしてしまったこと、トンネルの恐怖などが影響していた。
実はキャプテンも同じような心理状態にはあったのだが、この旅はただ目的地に着けば良いのではなく、162.2kmを走破しなければ意味が無いのだった。さらに、館山から白浜あたりまでの南房総を通らなければ、彼の想い描いたイメージは完成しない。彼は新妻君の決心がつくのを待った。しかし、もしどうしても駄目だと言ったならば、無理強いはするまいとも思っていた。
「でも、女主人の言うなりになったら、負けだな。ダメだったら、歩けばいい。行きましょう!」こう言って新妻君は気持ちを固めた様子であった。
あきらめる時は、にっちもさっちも行かないその現場で、はっきりケリをつけてからあきらめる。後は電車でもバスでも使えば良いのだ。途中であきらめてしまったら、可能性も幸運も使わない内に手放してしまうことになる。とは言え、キャプテンの心の中には、あきらめない勇気とあきらめる勇気とが互いに見え隠れしていた。
・・と言うように、三日目は少しカッコつけた書き出しになってしまったが、実際は結構だらだらと出発したのである。
滑り出して、初めは歩道の無い道の端を、トラックの往来に脅えながらの走行だったが、やがてうまい具合に歩道に乗ることが出来た。そしてはやくも一時間が経ち、鋸南町を過ぎた辺りでマーケットを見つけ、そこで休憩と消耗品の購入をすることになった。
岩井まで来た。ここはキャプテンが小学生の頃、臨海学校に来た海岸である。かすかに見覚えのある風景が続く。
そこを過ぎた辺りから、トンネルが現れ始めた。それらは昨日、宿の地図で調べて有り、ある程度の予測は出来ていた。初めの内は短いものばかりで、難無く通り過ぎたが、三つ目の岩富隧道でついにブレードを脱いで歩くことになった。
それは、キャプテンが勢いに乗って強引に突っ切ろうとするのを、新妻君が「脱いで、歩きましょう」と諌めたのである。彼のその判断は正しかった。ブレード走行で抜けるには、そのトンネルはあまりに長すぎたのである。
予測されたトンネルが全て終わり、小さな街中に入った。そこの薬局でワセリンを購入し、ついでに店の主人に頼んで、外の井戸水を使わせて貰うことにした。水浴びが癖になってしまったようだ。
二人が頭から水を浴びている間、店の主人は煙草を吸いながら色々話しかけて来た。その話から、トンネルはもう無いと言うことや、犬房岬を過ぎて館山に入ったら、海沿いの道は何処を通っても抜けられること、車通りもどんどん少なくなることなどが解った。
「行けそうじゃないか」キャプテンは思った。出だしの頃のような不安感はもう無くなりつつあった。
■海岸線、防波堤を行く■
館山市街に入り、幾つか交差点を折れ、サイクリングロードだと思って、海岸線に出て滑っていたら、そこは防波堤の上だった。砂浜にはほとんど人影は無く、防波堤は遥か彼方まで続いていた。
いくつもの無言のような風景が、二人の目の前を通り過ぎて行った。
二人はブレードを脱ぎ、防波堤のヘりに座って休んだ。決して滑らかな路面とは言えなかっただけに、振動でかなり足が疲れていた。
「ソルボセインの中敷きを入れなきゃダメだ。衝撃が強すぎる」キャプテンはそう言いながら、入れたらきつくて駄目かも知れない、とも思っていた。
強く熱い海風が、それでも心地よく汗を乾かした。子供が二人しゃがみこんで釣り糸をいじっている。母親だろうか、女性がその様子を見ていた。その脇で男が二人、並んで釣り糸を垂れている。
ほとんど初対面に近い二人なのに、このような会話がごく普通に交わされていたのであった。
しばらく海を眺め、それぞれの想いの中で黙していたが、やがて出発の時間が来た。白浜までなんとか今日中にたどり着きたい、と言うキャプテンに新妻君は、「プロストは、グランプリの、必ず最終戦を勝利で飾るんですよ。そうすることによって、来シーズンが気持ち良く迎えられるわけです」と言った。
何言ってんだこいつは。しかしキャプテンは大人だ。適当にあしらって、荷物を担ぎ立ち上がった。すぐそこに県道の橋が有った。そこまで草むらを歩いて行く。
■昼飯はそばと決めていた■
館山の県道沿いは、海水浴場になっていた。ここはけっこう客が多い。当初のイメージでは、こう言う所で、水着ギャル達の熱い視線を浴びることになっていたが、どうも思うようには行かなかった。どうにか海の家のおばさん達の、眉間にしわを寄せた視線と、「はやく! はやく! あれ見て!」と、子供にせかされ現れた、水着お母さんの視線を受けて面目を保つにとどまった。
ちょうど昼時で、海水浴場沿いのファミリーレストランはいっぱいだった。入る気持ちになれず、結局そのまま進んで海岸を離れ、海上自衛隊基地を過ぎた辺りの蕎麦屋に入ることにした。
店の前で荷を降ろすと、新妻君はいきなり表に有った井戸水を浴び出した。もう癖になっているので止まらない。路面温度はなんと50℃を示していた。今回の最高記録である。そんなことをしている内に、蕎麦屋の主人らしき人が出前から帰って来た。そして何の断りも無く水を浴びている新妻君を見て、怪訝そうな顔をするのだった。
店に入り、大盛り蕎麦と冷やしトマトをたのんだ。キャプテンはトマトをひとかけら床に落としてしまった。残念・・、最後のひとかけらだった。
二人は進み続けた。千葉駅を出てから三日目、約90kmの道程をローラー・ブレードで滑り続けて来た。幸い靴ずれ対策が効いて、足の方は心配なかった。道も恐いのは車だから、それさえ気をつけていればけっこう自在に滑れる。
ただキビしいのは何と言ってもこの殺人的な暑さだった。日本の夏ってこんなに暑かったっけ?、と考えてしまう。一時間ごとに休憩して、その度にアクエリアス・ネオを一本飲み干すのだが、ほとんどオシッコは出ない。
「これが仕事だったらなあ」新妻君が言った。
確かに、遊びと言うにはあまりに苛酷だし危険だった。これは遊びだよな? 金になるかならないかで言えば、やっぱり遊び以外の何ものでもないが、この苦しさは肉体労働に匹敵する。
とにかく、気持ちが充実して、命が生き生きするようなことを追いかけて、その内の、金になることを仕事と言い、金にならないことを遊びと呼ぶことにしよう。・・果てしない距離を滑っていると、脳裏を色々な想いがかけめぐる。
そうして、二人は沖の島と言うところを過ぎ、幾つかの登り下りを繰り返して、州崎神社までやって来た。右手には、小さな港が見えている。
午後3時・・、強い西日が指し、風景が何処かしら寂しげに見えている。本当に遠くまで来てしまった。地図的に言えば、房総半島の先端部分に差しかかったところだ。この先の第一フラワーラインを降りて行けば、いよいよ最南端に到達する。
休憩した時、新妻君はブレーキパッドを交換した。彼のマシンはブレーキパッドが摩耗しやすいと言う欠点が表面化して来た。走行音は相変わらず木枯らし。
「祭りが来ますよ」と言うので、その神輿を見てから出発しようと待っていたが、なかなか現れない。変だなと思ってのぞいてみると、いつの間にか何処かへいなくなっていた。新妻君はまた、思えば遠くへ来たもんだ、を歌っている。
■フラワーライン、組曲惑星が聞こえた■
フラワーラインはその名の通り、両側を花に囲まれた美しい道だった。素朴な田舎の風景しか見て来なかった我々の眼前に、素晴らしい海岸線が開け始めていた。歩道も広く滑らかで、滑り心地も快感。館山グランドホテル、館山ファミリーパーク、南房総パラダイスと、南国を思わせるリゾート地帯が続く。
ゆったりと味わうように足を滑らせて、スケーティングを楽しんだ。キャプテンの頭の中では、大袈裟な、ホルスト作曲『組曲惑星』のクライマックス『木星』が聞こえていた。
「最高だ!」と新妻君が両手を広げ、風を受けとめる。確かにこの快感は、一度味わうと忘れられない。最高だ!。足の裏に道の滑らかさが伝わって来る。
長いフラワーラインが終わって、少し坂道を登ると、ついに南房総最南端『白浜町』の看板を見つけた。4時半、後は宿を探しながら軽く流して行けば良いのだ。
フラワーパークの辺りを海岸通りに折れる。小高い坂の上から、海を見下ろしたまま下って行く。珍しい形の岩場と、青く美しい!としか言いようのない海の色が、目前に迫って来た。風が、身につけていた物全てを後ろに追いやろうとする。
これを見るために今まで滑って来たのか・・
キャプテンは思った。もうこの旅で思い残す事は何も無い。千葉駅出発からおよそ110km、天気も情景も、全て思った通りになった。
ようやく「すなとり三洋」と言う宿を見つけて、玄関先で宿泊の交渉をすると、ちょっとナヨッとした変な物腰と喋り方の主人が、「スケートで来たの? うっそお」なんて言ってから、「旅館と民宿とどちらにしますか?」と聞いて来た。
これは面白い質問だ。1000円アップで、捕れたてのアワビと旅館的サービス、これに決めた。新妻君にも異論は無い。二人は海の良く見える部屋に通され、風呂の順番を待った。
「ああっ、裏筋が痛い。ウラキンと言っても、キンタマの裏側じゃないですよ」新妻君はこのフレーズが気に入っているらしく、いく度と無く繰り返した。キンタマの裏側が痛かったら大変な病気だ。
風呂に入ってキャプテンが体を洗っていると、新妻君はしばらく窓を開けて海を見ていたが、ふと気が付けば、ベランダ状になっている窓の外へ、まだ明るいのに、素っ裸のまま出て行ってしまった。しょうがねえな、キャプテンは考えた。21歳、まだまだ子供だ。
食事は豪華な色とりどりの刺し身で飾られていた。キャプテンはストイックなビール、新妻君はストイックなサイダーで乾杯。サイダーとはな。キャプテンは考えた。まだまだ子供だ。
女将さんが膳を下げに戸を開けた時には、二人とも、浴衣もはだける乱れた姿で気を失っていた。それは今日のブレード走行の激しさを物語っていたのだが、目撃した女将さんの目には、ただのだらし無い奴らとしか映らなかった。
それから二人は、あまりの疲労に、夜九時から朝の七時まで、完全な昏睡状態に陥ってしまったようである。だから、夢はけっきょく、海鳴りにかき消されたままになってしまったのだ。
*
■気を許すな、音無き警鐘を思い出せ■
8月21日・・。目的地まで、今日中に着けるような気がした。22日までかかっても良かったのだが、3日目が順調過ぎる滑りだったので、予定どおり進められるメドが立ったのである。だが、まだ気を許してはいけない。ここまで来れば大丈夫、と言う安堵感が思わぬ事故を引き起こすのだ。スキーなら骨折、登山だと滑落して死亡と言ったところだ。
海側は晴れ、山側は曇り。それも黒く厚い雲だった。気温28.5℃。初めて30℃を割った。昨晩長時間眠ったおかげで、気分はけっこう良いが、まだ身体が目覚めていない感じ。だから最初の一時間はスローペースで滑ることにした。
海岸通りは気持ち良い朝の空気で満たされていた。この辺りは本当に海が美しい。キャプテンは高校生ぐらいから千葉の海には良く訪れていたが、その頃からほとんど変わっていないように思えた。変わったのは陸の方で、リゾートマンションが乱立したりしている。
直感的には何か気にくわん、とは思うが、実際に泊るとけっこう面白かったりして、一概に景観破壊として責めたてるのは難しい。人が正義感と思っているものも、意外と視野が狭かったり、やっかみだったり、あんまりあてにならないものだ。
一時間が過ぎ、最初の休憩を取った。厳島神社はとうに通り過ぎ、海水浴客がいる海岸に来ていた。
■赤い道は滑りやすい■
リゾートマンションが有る通りの歩道は、赤い色のコンクリートで舗装されていて、すごく滑らかで滑りやすい。ホイールの弾力さえ感じ取れるほどで、楽々と滑って行ける。
『ローラー・ブレードはリゾートがお好き』これがキャプテンがたどり着いた結論である。考えてみれば、舗装道路がなければ先へ進むことが出来ないし、ここは滑りやすいと思って見渡せば、リゾートマンションが建っている。人の手が丁寧に入っている場所ほど適しているのだ。
「人工地帯の乗り物、ローラー・ブレード」
ところが人工地帯『東京』では滑る所が無かった。公園と言う公園は運動の類い全て禁止。ただデレっとベンチや芝生に座っているしかない。
キャプテンはある時、公園として整備される前の、広い空き地を観察していたことがあった。すると、早朝は老人達がゲートボールをし、午前中は赤ちゃんを連れたお母さん達が日なたぼっこ、昼は会社員がキャッチボール、午後は近くの学校の生徒がストレッチを行い、夕方子供達がサッカーや一輪車で遊ぶ。夜は・・
決して事故など起きないのだ。それぞれの時間帯が有るし、大人には判断力が有る。子供が投げたボールで人が死ぬこともまず無い。そのまま人を信じていれば全てうまく行ったのに、やがて公園には花が植えられて整備され、禁止事項を印刷した看板が立てられた。そして公園が完成するころ、人々は姿を消した。
公園でローラー・ブレードをしていると、何処からとも無くおっさんがやって来て叱られる。無気力症候群の人々は寝そべりながらまるで極悪犯人を見るような目付きで注目する。めんどくさい、「公園を捨て、街に出でよ」と、千葉駅を出てから130km、だんだん鴨川が近づいて来た。
「まだまだ気を緩めてはいかん!」キャプテンは新妻君にアドバイスした。彼は先ほどからやたらとバランスを崩していたのだ。天気はどんよりと曇って来て、いつ雨が降ってもおかしく無い感じだ。気温27℃、昨日までを思うと信じられない涼しさだった。自然とピッチが上がった。
■やっぱり昼飯は蕎麦に限る■
少し寂れた感じの千倉を過ぎる。ここら辺には漁師町独特の、黒い瓦葺きの家が沢山残っている。車からすれ違いざまに「頑張って」と声がして、新妻君が手を挙げてそれに答えた。
和田町に入るとサイクリングロードが有ったので、そこを行くことにした。その道は防砂林を抜け海側に伸びていた。もろに砂浜に暖められた海風が吹きつけた。車通りが無いのは良いが、いかんせん路面が悪すぎる。ガタガタだ。足が痺れたので少し休んだ。
「なるほど」そう言って、二人の横を滑って通り過ぎた。意識しすぎて寡黙になりがちなキミ達に、話題を一つ提供してあげよう。
サイクリングロードを抜け、坂を上りつめた所で蕎麦屋に入った。昼飯は蕎麦に限る。新妻君は天ざるだ。後ろのおばさん達がうるさい。連れが多いようで、二人が立ち上がると、離れた場所にいる人たち向かって、小声で「空いた、空いたよ」と言った。
■たまらん隊がゆく・・■
とても通れそうにないトンネルが見えて来たので、脇道を行くことにした。道はどんどん下り坂になって、海沿いまで降りて行く。新妻君のブレーキパッドはいよいよ限界に来て、止めているボルトが剥き出しなった。それがアスファルトの路面に激しく擦れて火花を散らしている。
「F1みたいだ」
それは良いが、きれいな道路にキズをつけてはいけない。
鴨川市街に入って、セブンイレブンで買い物をし、シュークリームを食べた。その後、駅前を滑って通り抜け、鴨川シーワールドの前に出た。
鴨川、鴨川と言ってはいるが、細かいことを言えば『天津小湊町』を目指しているのだ(現在は鴨川市と合併)。そこに到達点『民宿ウエダ』が有る。「まだまだ」キャプテンは気を緩めないように言った。田舎道は車の速度が非常に速いから、事故にあったら大変だ。
だんだん見覚えの有る風景が現れて来た。横に見える浜にはサーファーが幾人かいた。やや空も明るくなって来る。明日はまた晴れるかも知れない。
黙々と進んで行くと、ついに、民宿ウエダの看板と駐車場が見えて来た。振り返ると新妻君も気づいたらしい。滑って来る彼を待って、二人でハイタッチだ・・
■そして旅が終わった■
部屋に入って、風呂を待っていると、ゴブリンズのメンバー林君から電話がかかって来た。民宿の女将さんが連絡したらしい。林君は地元出身で、民宿ウエダは彼の親戚がやっているのだ。宿の人は、キャプテンのハデな格好を見て、「映画スターみたいなのが来た」と伝えたらしい。
予定よりも早く着き過ぎて、日が暮れるのがとても長く感じられた。もう明日から滑らなくても良いのかと思うと、少し寂しい気がした。それに、ほとんど文無しになっていたのも心細かった。
新妻君は「もう、何でも出来るような気がする」と鏡に自分の筋肉を映しながら息巻いていた。だがその夜遅くのこと、キャプテンは、隣で寝ていた新妻君が、大きな声で寝言を言うのを聞いたのだった。
「やめましょう!」
その寝言だけでは、彼がどんな夢を見ているのかは解らなかった。しかしその口調が、はっきり年上に向けられたものであることだけは、確かだったのである。
<南房総に夏の終わりの夢を見た/おわり>
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