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「幻のBOSO100マイル .後編」1994

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千葉 - 鴨川・ブレード走行記(白浜でリアタイア)
      
目次


昼食の間に天気は完全に回復し、再び強烈な陽射しの中を進むことになった。太陽を浴びると、また気分が悪くなってくるような気がした。

少し不安を感じながらも進んで行くと、道の先に見覚えの有る信号が現れた。二年前キャプテンと新妻君の脇で起きた、あの二重追突事故の現場だ。確かにここに違いない。まじまじと周囲を眺め、事故なんて起きそうに無いのになあ、そう想った矢先のことだった。横を通り過ぎた車が、またいきなり急ブレーキをかけたのだ。

「おい!?」とあわてて振り返ったが、幸い事故にはならなかった。またしてもブレード・ランナーが珍しくて前方不注意になったのだろうか。それにしても・・、なんだか嫌なポイントだ。

『湊川』の橋を渡り、右に大きくカーブする山沿いの道をたどると、やがて東京湾浦賀水道の海が見えてくる。遥か向こう岸は三浦半島横須賀の港だ。この辺りからずっと海岸沿いを滑ることになる。キャプテンは、すっきりしない気分を抱えたままではあったが、海を眺めることで力を回復出来ると信じていた。

その道は人の気配が無く、車だけが風を切って行く。歩道は、ゴム状の継ぎ目を飛び越える以外気を使うことはなく、滑らかな路面が続いていた。海側は断崖になっていて、そのギリギリに、幾つかのレストランや小さなホテルなどが建ち並んでいた。

しかし車が数台止まっているだけで、賑わいと呼べるものは感じられなかった。シーズンの盛りにはもっと人が訪れるのだろうか。どの店も、捕れたて新鮮魚介類の料理が売り物らしく、そのことを謳った看板が立てられていた。

「知る人ぞ知る、穴場と言った店が有るのかも知れないな」そんなことをぼんやりと考えていた。

道路から見える崖下の砂浜では、数人の人々が海水浴を楽しんでいた。海の家も無い静かな浜辺は、さながらプライベート・ビーチと言った雰囲気である。そんな光景が何度か現れては消え、『金谷』の辺りまでは、比較的楽しみながら滑って来ることができた。

どのくらいたったのだろう。かなり疲れを感じたところで、丁度よく木々に覆われた細い脇道を見つけた。迷わず滑り込んで、荷物を降ろすことにする。

そこには、心地よい風が吹き抜けていた。道の両側に古い小さな家が建ち並び、遠く水平線が見えていた。そのまま下って行けば海岸に出られそうである。

休んでいると、お婆さんが一人と、職人らしき初老の男二人が、何事も無かったかのように通り過ぎて行った。

それからまた人影は無くなり、午後の風が吹き始めた。

地べたに座り込んだまま汗を拭いていると、裸足になった足元に、小石が一つ転がっていた。
「この石は、オレがここに来る何年も前から、そして立ち去ったあと何年も、同じようにここに転がったままなのだ・・」

見上げれば、空にはクッキリした雲が浮かんでいた。あの空も、もはや真夏のものでは無い。透きとおった違う季節のものだ。本当の夏は、もうずっと前に終わってしまった。夏とは、気温や暦とは関係無く、ある日突然、かき消すように終ってしまう、そう言うものなのだ。

休憩で少しは良くなると想ったが、滑り始めると、気分の悪さは逆にひどくなって来る気がした。だがそれが、暑さのせいなのか、それとも身体の変調によるものなのか、はっきりとはしなかった。

想うように足に力が入らず、ついブレード・ブーツが横倒しになってしまう。そのせいで足首の辺りが擦れ、ヒリヒリと痛み出している。さっきの休憩からほとんど距離を稼いではいないが、この先に見えるドライブインで、また休憩を取った方がいいと想った。午後1時、一番陽射しが強くなって来るころだ。

ドライブインまで滑り着くと、店は休みだった。ガランとした駐車場には、見渡した限り日陰はない。それでもブレードを脱ぎ、自動販売機で飲み物だけでも買おうと想った。

そうして、ウエストポーチから財布を取り出そうとしたときだった。いきなり腹が痛み出したのである。それも、立っていられないような激痛だった。しばらく自販機にしがみついて我慢していたが、今度は、にわかにトイレに行きたくなってしまった。しかもただならぬ気配である。

これはいかんと想ったが、ドライブインの周囲にトイレは見当たらない。どうしようかと迷っているうちにも、事態はますます切迫して来る。慌てて辺りを見回す。怒涛のような便意が襲って来て、まずい! これはついに炎天下での野糞かあっ! と頭の中で叫んだとき、真っすぐな道のはるか向こうに、小さく四角いボックスが有るのを発見したのだった。

頼む、仮設トイレであってくれ・・

100m、いや150mはあるだろうか。トイレと言う保証はまったく無かったが、とっさにブレードを履き、荷物を背負うと、必死のダッシュを試みた。滑り出すとやや便意を忘れるようであった。

今のうちに!と、そのボックス目がけて恐ろしい勢いで近づいて行くと、幸運にも、仮設トイレに間違いないことが判明した。どうやら工事用資材置き場に建てられたものらしい。少し離れた所に、詰め所のようなプレハブが有ったが、中には誰もいない。

とにかく何であれ、貸してもらうしかない。もう誰にも止めることは出来ないのだ。トイレのノブをつかんだ時には、もはや、のっぴきならぬ状況と化していた。ブレードを脱いでいる時間は無い。このまま飛びこませてもらいます!


風が熱い・・

ノコギリ山は相変わらずキザキザの山頂を見せていた。キャプテンは放心したように滑っている。

先ほど物凄く熱いトイレの中で用を足し、想像以上に体力を消耗してしまったようだ。喉は渇き切っていたが、腹具合の悪さが水分を取ることをためらわせた。それでも、汗はとめど無く流れ続けている。

『喫茶・岬』に着くまで我慢し、そこでアイス・コーヒーでも飲もうと想った。あそこならトイレも有るし、休んで行ける。そう考えて、よし、と想ってからが長かった。

前回走行時の記憶は、各ポイントごとの断片的なもので、ノコギリ山の頂きが見えてから『岬』まではほんの30分ぐらいのように想っていた。しかしそれは間違いで、実際に滑ってみると、1時間過ぎてもまだ着く気配が無かった。やがて、トンネルが一つ二つと現れ始め、ああそうだった、その前にトンネルが有ったのだ、と想い知らされ、改めて、相当な距離が有ると言う記憶が蘇って来たのである。

一説に、旅は一度通った道をなぞってはいけない、と言う言い方があるが、それは正しいのかも知れない。疲れ切った身体をおし進めてくれるのは、次々に現れてくる新しい風景なのだ。今回、次第に前進する意欲が失せて来るのは、35℃以上の熱さと、13kgの荷物の重さと、36歳と言う年齢のためだけではないらしい。未体験の道と、経験済みの道とでは天と地ほどの差があるようだ。

明鐘岬への入り口に着いたのは午後2時を過ぎたころだった。そこには127号の長いトンネルを迂回する道があるが、迂回路は舗装されておらず、ブレードを脱いで歩かねばならない。

観光客用の駐車場で荷物を降ろしていると、小さな女の子が、キャプテンの姿をのぞいて逃げて行った。その子の行く先に目をやると、父親が、車に海水浴の道具を積めこんでいた。その横にも車が数台止まっていて、どうも、前回来たときより賑わっているように見えた。

ブレードを脱いでアウトドアサンダルを履き、のたのたと歩き始める。歩くと言う行為が、もどかしいほどの速度だと想えて来る。

駐車場を抜け、道なりに進むと、眼下に海が見えて来る。そうして、左手には例の店、『岬』が現れる。喫茶室とは言え、木造の小屋のような建物である。壁をペンキで塗り替えたらしく、妙に色鮮やかになっていた。

入り口の前に回り込むと、二人の女性が立ち、海を眺めていた。その一人の方は、確かに見覚えの有る「岬の女主人」に違いなかった。もう一人は解らない。もっと若い、30代と思しき女性である。

女主人はキャプテンを見つけると、ニコッと笑って、
「どうぞ、休んでってください」
と言った。しかし、二年前のことを想い出したと言うわけではないようだ。

その声に促されるまま店に入ると、狭い室内には、数人の釣り人らしき客が休んでいた。その内の何人かは、キャプテンを見て、切っかけを見つけたかのように立ち上がり、無人のカウンターに金を払い始めた。

それらの客達が出て行くと、店には、頭にバンダナを巻き無精髭を生やした中年ビーパル野郎と、ヤンキースのキャプを後ろ前に被った若い男が残った。ビーパル野郎もそろそろ出掛けるつもりなのか、煙草とライターをポケットにしまおうとしている。

キャプテンはビーパル野郎のハス向かいに座ることにした。店の内装はほとんど変わっていないように想われた。海側の窓に備え付けられた望遠鏡もそのままである。以前同様、開け放した窓からは絶えず風が吹き込み、熱さを感じない。ずっと休んでいたくなるほど気持ち良かった。

やがて、女主人ともう一人の女性が店の中に戻り、飲み干されたグラス類を片付け始めた。アイスコーヒーと決めていたが、いちおうメニューを見るふりをして注文を待っていると、突然ビーパル野郎が大きな声を出した。

「あれえ?! キミさあ、自転車?」。男はキャプテンに向かって、疑うような口調でそう言った。「あっ?・・いえ、自転車じゃなくて、ローラー・ブレード・・。ローラー・スケートみたいなもんですけど」

「ローラー・スケート!?」
「ええ、タイヤが一列に並んでるやつ」。そう言うと、男は少し間を置いて、「それじゃあさ、ひょっとして、きのう16号を滑ってなかった?」と質問してきた。

「はあ・・。確かに、きのうは16号を滑ってましたけど?」
「ホント?! じゃあキミだ!」。男は驚いた様子で言った。「やっぱり、オレがきのう見たのはキミだったんだ。そうそう、そのハデなザックだったもんなあ」そして、なるほどと言うように頷いた。

「そうなんですか・・」。キャプテンは呆気に取られていた。少しの間言葉が見つからず黙っていると、店の奥から女主人が水を運んで来た。

「ローラー・スケートって?。あら?、もしかして、初めてじゃないわよねえ?」ようやく彼女も気づいたらしい。

「はい、そうなんです。二年前に一度、二人連れで」
「そうそう、ここに来たわよね? そうだわ、へえ・・」。そう言いながら目の前にコップを置いた。

「何にする?」
「あの、アイス・コーヒーを」キャプテンがそう言うと、男も、
「せっちゃん、オレにもアイス・コーヒー作ってくれる?」と言った。

女主人は『せっちゃん』と言うらしい。せっちゃんだから、セツコとかセイコとか、そんな名前なんだろう。それに男の方は、口ぶりからしてこの店の常連のようである。彼はキャプテンに興味を持ったらしく、出て行くどころか、新しいアイス・コーヒーが来るのを待って、じっくり腰をすえて話そうじゃないかと言う意気込みある。すでに飲み終えていたグラスを自分で片付け、テーブルに染みた水を拭いていた。

「どこで見たの?」女主人がアイス・コーヒーを運びながら言った。
「ああ、あれはねえ、たしか、五井の辺りだったかな?。この炎天下で何やってんだこいつ!って想ってさ」

男はオートバイで東京から16号を走って来るところだったと言う。その途上でキャプテンを見かけたのだ。

「まさか、ここで会うとはねえ」。彼はこの偶然を楽しんでいるようだった。そのあと、キャプテンは二年前の鴨川走行のことを話し、そのとき、ここの妙な客に店に引き込まれてしまったことなどを話した。

「あのときも熱かったけど、それなりに気持ち良かったんです。でも、今年はきついですよ」
 そうキャプテンが言うと、
「そりゃそうだ。今年の夏はバイクだってイヤになるくらいだぜ」
 と答えてから、少し顔をしかめて「もう、やめた方がいいんじゃない?」とふざけて言った。

「じつは・・、オレも、そう想ってたところなんですよ」
キャプテンも笑いながら答えた。しかし、冗談のつもりが、本当に力が抜けて行くような気がした。

「どうして、また、こんなことをしてしまったのだろう」
そんな想いが湧き上がって来る。

極度の疲労と、灼熱と、身体の変調。何の利益も無く、出発前のウキウキした感じも消えている。残っているのは、途中であきらめたくないと言う気持ちだけ。

もし男に「なぜ、こんなことをするんだ?」と尋ねられたら、どんな風に答えていただろう。
『自分の夢を実現させる快感』
いつものように、さっそうと答えていただろうか。それとも「なぜだか、さっぱりわからない」と、つぶやいていたのか・・

ひとしきり話しを終えると、ビーパル野郎は、望遠鏡が備えられた窓に目をやった。その向こうに銀色に輝く海が見えていた。今日は釣り客が多いらしく、女主人は出たり入ったりと落ち着かない。

「・・そう言うのは、若いうちにやっておかないとな」。ビーパル野郎が言った。
「若いうちは気がつかないんだ。日に日に自分が歳を取ってるってことが」
「そうなんですか」
「ああ。・・出来ることは、出来るうちにやらないと」。そう言って男はストローを抜き、残りのコーヒーをグイッと飲み干す。カラッと音して、氷が口元に落ちた。

その時になって急に、この男は一体何者なのだろうと思った。年齢はキャプテンよりも上のようだが、格好がまったく遊び人である。バンダナの巻具合もただ者では無い。昨日東京から16号を来たと言うが、東京で何をしているのか見当もつかない。

表で客相手を終えた女主人が戻って来て、「泳いでいったら?」と男に言った。彼にはその気はないようで、陽射しが強すぎると言って断った。

やがて、次ぎの客数人が入って来るのを見たとき、キャプテンはそろそろ出発の時間だと想った。
 
別れ際に男が言った。
「あした、オレも千倉まで行くからさ。運がよけりゃ、何処かでまた会えるかもね」



キャプテンが次の激しい腹痛に襲われたのは、『岬』を出て、店の前から続くトンネルの迂回路を歩き、ノコギリ山の入り口付近にさしかかったときのことだった。『岬』で随分良くなった気がしたが、体調は戻ってくれなかったようである。

だが、そこからが長かった。トンネルの迂回路はやがて終わり、行き止まりの看板が現れた。前回はここで崖っぷちをズルズル滑り降りて行ったのだが、今はそんな気力は無い。どうすればいいのだろうと、地面の足跡や自転車のタイヤの跡を追って行くと、そのままトンネルの中へと通じていた。やはりここからは、地元の人でもトンネル内を行かなくては駄目らしい。

迷っている暇は無かった。いつまた腹痛が襲って来るかも知れないのだ。キャプテンは、持って来たあらゆる反射テープやライト類を身につけると、覚悟を決め、トンネルへと向かった。

トンネルは地獄への入り口のようだった。恐ろしい轟音が反響し、排気ガスの嫌な風が絶えず吹きつける。ドライバーはまさか人間が歩いているとは想わず、ほとんどの車が、キャプテンを発見しては急ハンドルで避ける、と言った挙動を見せた。

長い暗闇がようやく終わると、緊張がほどけるのを見計らうように、何度目かの腹痛が襲って来た。今度はいけないようである。あぶら汗が頬を伝う。近くに元名海水浴場があると言う看板を見つけ、そこのトイレを借りることにした。

トイレから出ると、精も根も尽き果てていた。すでにブレードを履く意欲は無く、ここから16km先の、大房岬のキャンプ場はあまりに遠い場所だった。

時計は午後3時を回っていた。『岬』を歩き始めてから約一時間がたとうとしている。ふと気がつくと、二年前泊まった、食事の豪華な民宿の前に来ていた。空いていたら泊まってしまおうかと想ったが、玄関の前は人でごった返していた。にぎやかさがうっとうしく、そのまま通り過ぎる。

もう少し閑散とした宿があれば、と歩いていると、白いペンション風の民宿と、廃屋になった民宿とが見つかった。もちろん廃屋に泊まるほど物好きでは無いが、ペンション風も気が重い。さらに30分ほど歩くと、丁度手頃な民宿が見つかり、そこの扉を叩いた。

その夜解ったことは、あの民宿の人だかりにはそれなりの理由が有ったと言うこと。つまり他の宿と比べて、かなり豪勢な海の料理を出す宿のようなのである。二年前、新妻君と飛び込んだときも、かなりの料理が出たのにもかかわらず、一旦は食事の用意が出来ないからと断られたのは、『豪勢な料理』を売り物にしている自負からだったのかも知れない。

あの日、予約も無しに泊まれたのは、ラッキーだったのかもなあ、と今夜はこの宿のつましい夕食を食べ、十分に水分を取り、胃薬を飲んで横になった。


いつの間にか眠っていたらしい。『館山駅』のベンチには、涼しい風が吹いていた。なんだがとても気分が良かった。

後ろに停車中の列車には、一人二人と学生が乗り込んで発車時刻を待っている。ホームでは、父親と女の子が自販機のジュースを選んでいた。

「これから、どうするかだ」キャプテンはぼんやりと、次ぎの行動を考えていた。

本当なら、今夜は南房総の根本キャンプ場に泊まり、翌日の午後到着の予定だったが、この熱さに、すっかり気持ちが切れてしまったのだ。途中、励ましてくれた沢山の人々には申し訳無かったが、ここで身体を壊すと、ゴブリンズ鴨川キャンプのメンバーに迷惑をかけることになる。

しかし、いきなり朝からゴールの宿を訪れる訳にも行かず、とりあえず時間をつぶしながら、『保田駅』からここまで、内房線に乗ってやって来た。途中、岩井海岸の道路が見えると、やっぱり滑れば良かったかな、とも想うのだが、列車の冷房にさえ悪寒の走る身体では無茶と言うものだ。

とりあえず『館山』で降りて・・、いや、たまたま乗った列車が館山止まりだったのだが、駅のベンチに腰をおろし、次ぎの行動を考えている内に眠ってしまったらしい。それにしても、静かで気分のいい駅である。このまま1日、このベンチで過ごしてもいいと思ったくらいだが、そう言うわけにも行かない。

さて、次ぎをどうするか・・。観光して歩くのも面倒だった。海水浴もどうかと想うし、鴨川シーワールドに一日中いるのも情けない。よくよく考えて、けっきょく結論は一つしか出なかった。

「とりあえず、フラワーラインまで滑るか・・」

どうと言うことはない。ほかに時間をつぶす方法が見つからなかったのである。それによく考えたら、ここまでの約70kmは、ほんの序の口に過ぎない。風景がいよいよその醍醐味を見せるのは、この先の南房総フラワーラインからなのだ。あそこは一年中美しい花が咲いているはずだし、ブレード走行のエネルギー源が風景なら、そこではきっと、何か素晴しいことが起こるに違いないのだ。

そう言い聞かせると、さっそく駅を出て、駅前商店街を抜け、北条海岸まで歩いた。ここからブレード走行再開だ。

だが、これがまたいけなかった・・。この日の熱さも驚異的で、その炎天下を約4km、時間にして40分も滑っただろうか、ひどく気分が悪くなって来たのである。どうにもこれは最悪で、治まりそうにも無い。やっとのことで日蔭を見つけて、繁みの中に入り込んだのだ。ところが、座ったとたん急にムカムカして、食べた物を少し戻してしまった。心臓の鼓動もやたらドキドキと大きく、重苦しい。

これはちょっとやばい、と初めて命の危険を感じた。そしてちょうど路線バスが目の前を通り過ぎるのを見たとき、「助けてくれ・・」と、心底そう想った。

何とかバス停まで行こうと想ったが、身体を動かすと、すぐにまたムカムカしてしまう。どうしたらいいんだ? と想ったとき、『ホカロン』の反対、『ヒヤロン』が有ったのを想い出した。それを取り出して拳で叩き、液体が入っている袋を破いて薬品と混ぜ合わせると、化学変化を起こして氷のように冷たくなる。

とりあえずそれで額や首筋などをやみくもに冷やしてみた。するとうまい具合に、腹部でグルグルッと音がして、重苦しいものが下に降りて行ったのである。

「そうか、頭を冷やせばいいのか!」と気づき、あることがひらめいた。

キャプテンは少し楽になったところで起き上がると、釣り具屋を探して滑り始めた。氷を買い、頭を冷やしながら行こうと想ったのだ。間もなく小さな店を見つけ、一袋のブッカキ氷りを手に入れた。頭はもちろん、首筋の動脈に当てる。こうすれば、脳に送られる血液を冷やすことが出来るはずだ。

氷が解けて来れば、その冷水を飲んだり、背中に浴びせたりすればいいし、氷は口に入れてガリガリとかじって・・。このアイデアは効き目充分だった。次第にムカつきが治まり、手足に力が戻って来た。これなら、しばらくは何とか行けそうである。

そうやって一袋の氷だけを頼りに、起伏の多い海岸線を滑り抜いて、何とか南房総の西の先、『洲崎神社』までたどり着くことが出来た。道沿いの建物の陰で休んでいると、そこは偶然、二年前新妻君が、「想えば遠くへきたもんだ」を歌っていた場所だと気がついた。

ほとんど車通りの無い道路。ジリジリと太陽が照りつけ、その表面は、立ち上る熱気でゆらゆらと揺れていた。「氷りのおかげで随分よくなったけど、いつまたどうなるかもわからない。行ける内に行っておかなければ・・」

そう想って立ち上がった拍子に、落下した汗の滴が見る間に乾いて行くのが見えた。見上げると、目の前の『大山』の山頂付近には、一塊の積乱雲が、軽い雷鳴を響かせながら漂っていた。

今日は降られたくない。身体が濡れると、乗り物に乗るのが面倒になるからだ。もちろん傘は持っていなかった。このまま滑り続け、氷が溶け切ったところで、バスに乗ろうと考えていた矢先のこと。それまで空がもってくれたらよいのだが。

見渡したところ雲はそれだけで、あとは快晴の空だった。

キャプテンはブレードのバックルを締め直した。そして再び足に力を入れると、やや粗くなった路面を、一度、二度、蹴った。身体はもたつき、魂だけが先へ先へと進んで行くような気がした。

もうすぐだ。もうすぐ・・
ひと蹴りごとに、風は熱い空気の塊になった。
雷雲がゴロゴロと唸りを上げる。

無人のバス停を通りすぎると、真っすぐな道の先には、かげろうごしに深い海の群青が見えて来た。

あそこまで行けば良いのだろうか。それとも、あれは蜃気楼だろうか。
何処まで行ってもたどり着くことの無い、幻の100マイル地点。
どちらにしろ、氷が溶け切るまでの命だった。


灼熱の路面を、一人のブレードランナーが滑って行ったはずだ。
『岬』からバイクで来た男は、そう言ってヘルメットを脱いだ。
どこまで行ったのだろう。南房総フラワーラインに咲いているはずの花は、夏の日照りに全て枯れ果てていた。

本当にあいつは、この道を来たのだろうか。
海辺にいた数人の釣り人達は、口々に、そんな奴は知らない、ただ八月一番の南風なら、確か、今しがたまで吹いていた、とだけ言った。
その話しを聞いてなお、男はあきらめ切れない様子で、再びバイクにまたがった。

しかし、その男には絶対に彼の姿を見つけ出すことは出来ないだろう。なぜなら、ちょうどその頃キャプテンは、白浜から千倉へ向かうバスの中で、気持ち良く、居眠りをしている最中だったからである。
 
 
 
 
 ★ブレード走行・幻のBOSO100マイル
 コース     :千葉-鴨川(白浜でリタイア)
 日程      :1994年8月17日~19日
 天気      :晴れ・雷雨
 平均路面温度  :35℃
 述べ走行距離  :96.6km
 述べ走行時間  :16時間
 平均速度    :6km
 通算走行距離  :620.3km




<おしまい>





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1 ・ 2 ・ 3 ・ 4 ・5・ 6 ・ 7 <高萩 - 犬吠埼・ブレード走行記5 3日目前半> 8月2日・金曜日(3日目)「民宿大竹から鹿島市・グリル鹿島まで」 ◆ 呪いの見送り ◆ 荷物を担ぎ、民宿大竹の駐車場まで出て行くと、女将さん、その娘、お祖母さんが次々に姿を現した。ブレードの物珍しさゆえの見送りと言うところである。 新妻君と森広君は、すみっこの車の陰でブレードを履き始めたが、キャプテンはギャラリーへのサービスもかねて、ど真ん中で準備することにした。そうしていると、ほどなく女の子が駆けよって来た。 「それで、すべってくの?」 その子はそう尋ねた。それに、ああ、そうだよと愛想良く笑い、 「ここからねえ、ずーっと遠くまですべってくんだよう」 と、キャプテンは子供用の声で答えたのだ。ところがである。 「ウソだね!」 予想に反してカワイくない返事がかえって来たではないか。 「ほんとだよ、ほんとほんと」ちょっとあせった。だが、 「ウソだねー!」と、女の子はなおも続ける。 「ほんとだってば」 「じゃあ、東京からすべってきたの?」 「そうじゃなくて、東京から電車で来て・・」 「ああっ!。ほらー、電車なんだってー!」 その子はキャプテンの言葉尻を取って、そーら見たことかとばかり、女将さんを振り返って騒ぎ出した。 「ちがうちがう、電車で遠くまで行って、そこから滑って来たんだよ。わかる?」 「ええー?」 そこでいったんはおとなしくなったが、声は半信半疑のままである。さらにその子の攻撃は続いた。 「雨がふるよ!」ふてくされたような言い方だった。「雨がふってくるよ!」 ・・ったく、どうなってんだ? 「そうかなあ?。大丈夫だと想うよ」 「ふるよ!。てんきよほう見てみな!」 これはもう、呪いに近いものが有る。でも、確かに雨が降りそうな空だった。気温も低く、温度計を見ると21℃を示していた。寒いくらいだ。 ブレード走行は、舗装道路が無ければ前進出来ないわけで、アウトドアと呼ぶにはあまりに半端なスポーツだったが、それでも自然相手であることには違いない。雨が降ったら、それを甘んじて受け入れるしかないのである。さて、どこまでもつか・・ 女の子はいつの間にかキャプテンから離れ、他の二人のところへ駆けよって行った。その後ろ姿を見ながら「世の中には、いろんな子がいるんだなあ」と想った。 年齢の...

「茨城46億年後の一期一会 .1」1996

1・ 2 ・ 3 ・ 4 ・ 5 ・ 6 ・ 7 <高萩 - 犬吠埼・ブレード走行記1 1日目前半> 1996年8月。ゴブリンズの夏季キャンプが、千葉県犬吠埼の長崎町で行われることになった。そこでゴブリンズ・ブレード隊の高橋文昭、新妻英利、森広康二の三名は、その四日前に茨城県高萩市を出発。犬吠埼・長崎町までの135kmを、4日間かけてインラインスケートのみで南下し、ゴブリンズのメンバーと落ち合う、と言う旅を計画した。 ◆ 主な登場人物  ◆  ブレード隊・キャプテン高橋  草野球チーム・ゴブリンズのキャプテン。34歳で初めての長距離ブレード走行を敢行。今回、通算走行距離1000km突破を目指す。  ブレード隊・新妻英利 隊員  伝説の第一次ブレード隊のメンバー。1995年カナダ・ロッキー山脈にて初の海外ブレード走行を試みるが、足のツメを剥がし100km地点でリタイア。  ブレード隊・森広康二 隊員  1996年からブレード隊に参加の新人。経験は浅いが、抜群の登坂能力とスピードを持つ。ブレード・アクセサリーに凝っている。  塚本じいさん  高萩の外装の汚いビジネスホテルのオーナー(現在廃業)。  水木海岸の少年  岸で駐車場の番をしていた愛想の無い高校生。  旅館須賀屋の女将  飛び込み客に面倒味が良い、 日立港近くの旅館の女主人。  旗振りの男  海岸で旗を振って客引きをしていた無数の人間の中のひとり。  ターザンの娘  あぶない格好でブレード隊に手を振っていたと言う少女。  民宿大竹の女将  茨城弁丸出しの美人ママ。  その女将の子供  出発時に見送りしてくれた疑り深い性格の女の子。  グリル鹿島の娘  バカッ丁寧な言葉使いの少女。  鹿島ガンプ  奇妙な質問を発し、自転車で延々とブレード隊を追いかけて来た不思議な人物。  旅館かわたけの女将  無理を承知で泊めてくれた太っ腹人情女将。  ◯◯ 高校サッカー部  『かわたけ』に泊まった礼儀知らずの合宿軍団。    1日目/1996年7月31日(水)「高萩海岸から日立駅前そば屋まで」 ◆ 不吉なる序章 ◆ この旅の始まり、不吉な出来事が起こった。ブレード隊三人が乗り込んだ列車が、ある時点から、「ガラガラ、ガツン!」「カン、カラン、ゴンッ!」と言う、石が車体にぶつかるような激しい音をさせ始めたのである。 初め...

「南房総に夏の終わりの夢を見た・前編」1992

「南房総に夏の終わりの夢を見た」前編 ★1992年8月21日(金)15時。キャプテン高橋とゴブリンズ新人・新妻英利は、ついに総武本線千葉駅から鴨川キャンプの拠点、民宿ウエダ(天津小湊町)までの162.2キロをローラー・ブレードによって走破する事に成功。これは前回の東京−富士間77.5キロを、84.7キロ上回る距離であった。 千葉 - 鴨川ブレード走行記 1日目 〜 2日目「千葉駅 〜 木更津 〜 鋸南町」 *前半 目次* 待ち合わせは千葉駅 快調な滑り出し16号 あまりに場違いな昼食 塩吹くキャプテン高橋 『すえひろ』で生き返る 場違いな宿、グランパークホテル 朝、雨が降っていた 救いのオヤジさんが現る あじフライとあじの天ぷらは違う 音無き警鐘が聞こえる 午後の海辺をブレード・ランナーが行く ノコギリ山に思わぬ敵が待っていた 岬で『岬』と言う喫茶店に引き込まれた さらに苦難の道は続く 民宿は旅のオアシスだ 後編へ・・ ■ 待ち合わせは千葉駅 ■ 嵐が幾つか通り過ぎる頃、空はどこか澄んで、別の季節の色を見せていた。6月の『東京—富士ブレード走行』から、約2カ月、常にキャプテン高橋の胸に去来していたイメージは、南房総のまぶしく輝く海、熱い夏の空気を切り裂く、ブレード・ランナーの姿だった。 8月18日火曜日、9時半。総武本線の終点、千葉駅のホームで、高橋、新妻の両者は、ブレード走行決行のために待ち合わせた。新人・新妻英利君は、果たして心強い伴走者となるのか、それとも単なる足手まといとなるのか、それは誰にも解らなかった。 天気は曇り気味。雨を予感させる黒い雲も漂っていた。南では台風が近づいていると言う。天候はどうなるのか、全く予測が立たなかった。 二人は『総武線千葉駅ホームの進行方向一番前』で会うことにした。気持ちを『前向き』にするため『一番前』を選んだのだ。しかし、ここは終着駅なので、折り返して電車が出発すると『一番うしろ』になってしまう欠点が有った。だが、そんな事にかまってはいられない。二人は勇躍駅を後にした。 ■ 快調な滑りだし、16号 ■ 16号沿いの歩道で用意をする。前回強烈な靴ずれの痛みに悩まされただけに、今回は、テーピング、ワセリン、ガムテープで、対策に万全を期す。用意が済んで立ち上がると、お巡りさんが自転車を止めてじっと見ているのに気づいた。二人は何も悪い...

「茨城46億年後の一期一会 .4」1996

1 ・ 2 ・ 3 ・ 4 ・ 5 ・ 6 ・ 7 <高萩 - 犬吠埼・ブレード走行記4 2日目後半> 2日目/8月1日(木)「大洗海水浴場から大竹海岸・民宿大竹まで」 ◆ 昼下がりの・・、大洗海岸 ◆ 昼食を終えたあと、ちょっと長めの昼休みと言うことになった。 森広君は汗に濡れたTシャツを脱いで日なたに乾し、上半身を焼き始めた。とにかくこの男は、すぐ赤く腫れてしまうくせに、一気に焼かないと気がすまないと言うやっかいな奴なのだ。それに引き換え、足の痛みで予想以上に疲労している新妻君は、海の家で有料のシャワーを浴び、気持ちの張りを取り戻そうと懸命である。 その間キャプテンは、海の家のベンチに座って、ワセリンや日焼け止めを塗り直したり、サングラスの汚れを落としたりしていた。その横を、海から上がって来た何人かの男女が通り過ぎて行く。午後の強い陽差しにみな目を細め、シャワー室に入って行くのだった。 何度か、店番をしているオバサン達のカン高い笑い声が聞こえて、また静かになった。そのあとは、通り過ぎる車と風の音しか聴こえて来ない。 「オレにとっては・・、ここは、日本の裏側だ」慣れ親しんでいる天津小湊や九十九里の海に比べると、ここは本当に見知らぬ海だった。 「これが大洗海岸と言うものか・・」どうしようもない寂寥感が胸に迫った。やっぱり、ゴブリンズキャンプは、犬吠埼ではなく天津小湊にした方が良かっただろうか、と想う。 ・・いや、だめだ。あの海には想い出が多すぎる。 やがて、シャワーを終えて来た新妻君が隣のベンチに座った。彼は自分の足に巻かれたテーピングを剥がそうとするが、すね毛が絡みついているのか、何度も「だあー!」と言う激しい悲鳴を上げていた。そのうちたまりかねて、アウトドア・ナイフで毛を切りながらテープを剥がす、と言う荒っぽい戦法に出た。 その時キャプテンは、彼の足首に大きな靴ズレの跡が有るのを見つけた。やはりツメだけではなかったようだ。それを見て、もうこの先、新妻君が復活することは無いだろうと想った。どんな治療を施しても、このまま延々と苦痛が続くだけであり、楽しいことはひとつも無い。ひょっとすると完走さえ危ないかも知れない。 「ワセリン塗っとけよ、ほら」と彼に差し出すと、意外なほど素直に受け取り、靴ズレの患部に塗り始めるのだった。ひとが薦めるものをことごとく拒絶するヘソ曲が...

「三年ぶり、ブレード走行熱海」1999

< 三年ぶり、ブレード走行熱海 > ★1996年の夏、高萩 - 犬吠埼の茨城走行が終了したあと、ゴブリンズの周辺は一変してしまった。レギュラーメンバーの約半分が、仕事のためハワイに移住してしまったのだ。もちろんチームは事実上活動休止。ブレード隊もバラバラになってしまう。・・ そ れから、約3年の年月が流れて、ゴブリンズは一人また一人と、再び仲間が集まり始めていた。 だが1999年5月2日、まだ何かが足りないキャプテン高橋は、ついに三年ぶりのブレード走行を行うため、一人列車に乗っていた。向かった場所は伊豆。出発地点は熱海。かつて1996年の春、森広隊員と滑った湘南ブレード走行(茅ヶ崎 - 熱海)の続編を決行するためである。 熱海の駅を降りたとき、時計は午前10時をまわろうとしていた。天気はこれ以上無いと言う快晴。陽差しがまぶしく、歩くだけで熱気を感じる。ただ、時折り吹く風はひんやりとして心地良かった。 駅前通りの坂を下って、途中、自家製パン屋で、アンドーナツと、カレーパンと、クロワッサンと、桃の天然水とを買った。パンは焼きたてでまだ暖かく、ふんわりとしている。 そこから土産物屋が並ぶ通りを抜けて海岸へ出る。右手方向の、これから向かおうとする135号線の先に目をやると、急な上り坂の道が、山の向こう側にまわり込んで見えなくなっていた。そこを、ゴールデンウィーク中の渋滞した車が、ノロノロとうごめいているのだ。 少し気が重くなっていた。もっと普通の日にすればよかったと想う。それでなくても伊豆は、道が狭い、アップダウンが多い、迂回路が無いと言うことで、ブレード走行禁断の地と言われ続けて来たところである。しかもあの車の数だ・・ しかし、このところ週末は雨続きで、連休に入ってようやく上天気になったのだ。これ以上待つと、次のチャンスはいつになるか解らない。 ともかく一服して、パンをおやつにしながらメールを書こうと想った。今回はゴブリンズへのモバイルメールで、ブレード走行のライブ中継をやろうと想っていたのである。 砂浜への広い階段を中ほどまで降り、海を眺めた。水ぎわをたくさんの人々が歩いていた。 その場で腰を降ろし、携帯電話とザウルスを取り出す。まぶしすぎるので、ツーリング用サングラスをかけた。そうして、5月の心地よい風に吹かれながら、メール文を考え始めるのだった。(このころ携帯メール...

「湘南の海、エンドー苦難の道」1993

< 横須賀 - 茅ヶ崎・ブレード走行記 > 1993年。ゴブリンズ・ブレード隊、キャプテン高橋と遠藤忠隊員は、10月23日と24日の二日間に渡り、三浦半島の横須賀から茅ヶ崎まで、約75kmを無事完走したと発表。この完走によりキャプテン高橋の通算走行距離は359.4kmとなった。                    目次 うれしはずかし出発の時 三浦海岸! これを見に来た 遠藤殺しの坂が待っていた 史上最大のピンチである?! ついにブレード隊、初の野宿なのか・・? 二日目、最高の出発 湘南・超観光ルートを行く 日曜の午後の終わり ◇ うれしはずかし出発の時   ◇ 「だめだ、間に合わん!」 時計を見ると、7時55分。東急東横線の急行はたった今、 渋谷を出発したばかりだった。約束は横浜駅の改札に8時だが、この分では8時半ごろになってしまうだろう。昨晩、荷物の用意をしている内に夜が更けてしまい、キャプテンは今朝少し寝過ごした。しかし興奮のあまり眠れなくなった訳では無い。もう子供ではないのだ。 ドア際の窓から空を覗くと、雲は多めだが気持ちの良い秋晴れ。10月23日(土)、この週末の天気に問題は無い。ただ、なぜか寒さがとても心配だった。必要以上に気にしてしまったのは、第三次ブレード隊『富士五湖周回走行10.24』からちょうど1年、あの富士山麓の標高の高さと、降りしきる雨の記憶のせいに違いなかった。 予想した通り8時30分に横浜駅に着いた。改札を出ると、憮然とした遠藤隊員の姿が有った。「悪い、悪い。寝過ごした」仕方なくキャプテンは笑ってごまかすのだった。 日頃、野球の試合などでは、周囲から時間に厳格だと思い込まれているキャプテンだが、何を隠そう、中学・高校の6年間、常に遅刻回数・学年トップを誇って来たクセ者なのである。その頃の1年間の平均遅刻数は約70個。これは野球に例えれば『盗塁王』に匹敵するのはないかと一部ではささやかれているが、さて、どんなもんだろう・・ 二人はそこから京浜急行に乗り換え、横須賀中央駅へと向かった。気温24.3度、まずまずの走行日和だ。このくらいの陽射しが有れば、走っている内に体温の上昇でちょうど良くなって来るはずである。間近に迫った出発に備えて色々と考えは及ぶ。もう一人の隊員、新妻氏は、なんだかんだと急用が出来て、今日は来れなくなった。 横須賀...

「南房総に夏の終わりの夢を見た・後編」1992

      「南房総に夏の終わりの夢を見た」後編   >前編に戻る ★1992年8月21日(金)15時。キャプテン高橋とゴブリンズ新人・新妻英利は、ついに総武本線千葉駅から鴨川キャンプの拠点、民宿ウエダ(天津小湊町)までの162.2キロをローラー・ブレードによって走破する事に成功。これは前回の東京-富士間77.5キロを、84.7キロ上回る距離であった。 千葉 - 鴨川ブレード走行記 3日目 〜 4日目「鋸南町 〜 白浜 〜 天津小湊」 *目 次* あきらめるな道は必ず開ける 海岸線、防波堤を行く 昼飯はそばと決めていた ここは何処だ、遠いところだ フラワーライン、組曲惑星が聞こえた 旅館か民宿か、迷うところだ 気を許すな、音無き警鐘を思い出せ 赤い道は滑りやすい やっぱり昼飯はそばに限る たまらん隊がゆく・・ そして旅が終わった ■ あきらめるな道は必ず開ける ■ 8月20日。昨日トンネルに道を阻まれ、予定よりも大幅に遅れてしまった。千葉駅を出発して、60km進んだだけである。あと2日で100km行かねばならない。 新妻君は一時『岬』の女主人が言った近道も捨て難いと、迷い始めていた。肉体的疲労に加え、追突事故を目の当たりにしてしまったこと、トンネルの恐怖などが影響していた。 実はキャプテンも同じような心理状態にはあったのだが、この旅はただ目的地に着けば良いのではなく、162.2kmを走破しなければ意味が無いのだった。さらに、館山から白浜あたりまでの南房総を通らなければ、彼の想い描いたイメージは完成しない。彼は新妻君の決心がつくのを待った。しかし、もしどうしても駄目だと言ったならば、無理強いはするまいとも思っていた。 「でも、女主人の言うなりになったら、負けだな。ダメだったら、歩けばいい。行きましょう!」こう言って新妻君は気持ちを固めた様子であった。 あきらめる時は、にっちもさっちも行かないその現場で、はっきりケリをつけてからあきらめる。後は電車でもバスでも使えば良いのだ。途中であきらめてしまったら、可能性も幸運も使わない内に手放してしまうことになる。とは言え、キャプテンの心の中には、あきらめない勇気とあきらめる勇気とが互いに見え隠れしていた。 ・・と言うように、三日目は少しカッコつけた書き出しになってしまったが、実際は結構だらだらと出発したのである。 滑り出して、初...