スキップしてメイン コンテンツに移動

「三年ぶり、ブレード走行熱海」1999

三年ぶり、ブレード走行熱海

★1996年の夏、高萩 - 犬吠埼の茨城走行が終了したあと、ゴブリンズの周辺は一変してしまった。レギュラーメンバーの約半分が、仕事のためハワイに移住してしまったのだ。もちろんチームは事実上活動休止。ブレード隊もバラバラになってしまう。・・れから、約3年の年月が流れて、ゴブリンズは一人また一人と、再び仲間が集まり始めていた。

だが1999年5月2日、まだ何かが足りないキャプテン高橋は、ついに三年ぶりのブレード走行を行うため、一人列車に乗っていた。向かった場所は伊豆。出発地点は熱海。かつて1996年の春、森広隊員と滑った湘南ブレード走行(茅ヶ崎 - 熱海)の続編を決行するためである。

熱海の駅を降りたとき、時計は午前10時をまわろうとしていた。天気はこれ以上無いと言う快晴。陽差しがまぶしく、歩くだけで熱気を感じる。ただ、時折り吹く風はひんやりとして心地良かった。

駅前通りの坂を下って、途中、自家製パン屋で、アンドーナツと、カレーパンと、クロワッサンと、桃の天然水とを買った。パンは焼きたてでまだ暖かく、ふんわりとしている。

そこから土産物屋が並ぶ通りを抜けて海岸へ出る。右手方向の、これから向かおうとする135号線の先に目をやると、急な上り坂の道が、山の向こう側にまわり込んで見えなくなっていた。そこを、ゴールデンウィーク中の渋滞した車が、ノロノロとうごめいているのだ。

少し気が重くなっていた。もっと普通の日にすればよかったと想う。それでなくても伊豆は、道が狭い、アップダウンが多い、迂回路が無いと言うことで、ブレード走行禁断の地と言われ続けて来たところである。しかもあの車の数だ・・

しかし、このところ週末は雨続きで、連休に入ってようやく上天気になったのだ。これ以上待つと、次のチャンスはいつになるか解らない。

ともかく一服して、パンをおやつにしながらメールを書こうと想った。今回はゴブリンズへのモバイルメールで、ブレード走行のライブ中継をやろうと想っていたのである。

砂浜への広い階段を中ほどまで降り、海を眺めた。水ぎわをたくさんの人々が歩いていた。

その場で腰を降ろし、携帯電話とザウルスを取り出す。まぶしすぎるので、ツーリング用サングラスをかけた。そうして、5月の心地よい風に吹かれながら、メール文を考え始めるのだった。(このころ携帯メールはまだ普及していません。携帯電話を接続したザウルスからの送信が、最先端の方法でした)
……………………………………………………
 1999/5/2 10:03
 email:From: Fumiaki Takahashi
 ★約2年ぶりのブレード行走のため
 熱海まできました
 天気快晴 路面温度29度
 しかしGWのため人や車があまりに多く
 この先進めるかどうかわからず

……………………………………………………

・・まだ迷っていた。このまま引き返すか?

メールの送信を終え、道を歩き出す。いい場所を見つけて履き替えようとも思うのだが、なかなか履く気にはなれなかった。青い収納袋に入れ、手に持ったまま、国道135号線の上り坂を歩いていた。

ここは、さっきメールを打っているとき遠く見えていた場所だ。海へ突き出た海岸のあたりだ。そんなところまで、歩いたまま来てしまったのだ。

道は上り下りとも隙間なく車が並んでおり、それでも進もうという何台かがジリジリと前に詰めよっている。

キャプテン高橋は、その車と山とに挟まれてまだ歩き続けていた。動かない車の横を通り過ぎるとき、窓からは次々に「何者だ?」という視線が向けられる。「だから・・、オレは、ここを歩きに来ただけなんだ。ただのバックパッカーだよ」と、装っている自分に気づいていた。

完全に弱気になっていた。履き替えるチャンスならいくらでもあったのに、勇気が出なかった。道の脇に座り込んで、渋滞の車の好奇の目にさらされながらローラーブレードを履く、そんな気にはなれなかった。

だから・・、天気もいいし、気温もポカポカとしてちょうどいい感じだし、このまま偽りのバックパッカーになりきって、まぶしい伊豆の海を楽しみながら昼飯でも食べ、何処か見知らぬ駅から、こっそり帰ってしまうのもいいかも知れない、そう想ってしまったのだ。

だが、そうも行かなかった。キャプテンの胸のあたりには、やりかけたことを途中であきらめてしまう時の、あの挫折感という重苦しいやつが、早くもわだかまり始めていたのである。

排気ガスの匂いに気分が悪くなって来た。やたら咳き込んでしまう。
………………………………………………
> Date: Sat, 01 May 1999 15:41:10
> From: Tadashi Endo
> がんばれー
………………………………………………
> Date: Sun, 2 May 1999 10:37:06
> From: Akimi Takahashi
> こちらも快晴です。ナビをつければ?
> ・・気を付けて行ってください
………………………………………………

滅入っていたところへ、初めて屋外でEメールを受け取った。それはキャプテン高橋にとって、けっこう不思議な感覚だった。

送り主は、ハワイ在住の元ゴブリンズ外野手・遠藤氏(現・日本在住)、それからキャプテンの弟だ。遠藤氏とは何度か長距離ブレード走行をした仲である。弟の方は何処で受け取ったのか、ドライブか何かと勘違いしているようす。

じつは弟は、夫婦そろって聴覚障害者なのである。したがって電話での連絡は不可能、今までは主にFAX.に頼っていた。しかしインターネットとモバイル端末の発達で、事情は一変した。彼らはEメールの出来るPHS文字電話機を入手し、こうして屋外での、タイムラグの無いやり取りを行うようになったのである。

コンピュータ・テクノロジーの発達は、意外にも障害者の日常において、革命的な変化をもたらそうとしている。ある時は耳の代わり、ある時は目の代わり、ある時は口の代わりとなって、外界との情報伝達を補うのだ。

たとえばこんな話しがある。生まれてからずっと誰の声にも反応せず、一日中画用紙に意味不明の模様を描き続ける青年。その大量の紙の始末に困った施設の職員が、ある日、彼にコンピュータを与えたところ、その日からワープロソフトを使って、とめどなく叙情詩を書き始めたと言う話し。まるでファンタジーだが、これは日本で本当に有ったエピソードだ。

大袈裟に言えば、人間の体は、バーチャル・リアリティー・システムにすぎないのかも知れない。だから、たとえ五感と言うセンサーに不都合が生じても、本体である心は、奥底で情熱的に生き続けている。

ふとキャプテン高橋は想う。ハワイにいる遠藤氏と耳の不自由な弟との、アウトドアでのリアルタイム通信。どうもこれは、第六感、つまりテレパシーに似ているような気がする。

障害者は、失われた五感の一部をコンピュータによって取り戻し健常者に近づく。そして健常者は、五感以上の感覚を手に入れて、その上の、何か解らないモノに近づこうとしているのかも知れない。
………………………………………………
 1999/5/2 11:25
 From: Fumiaki Takahashi
 ★返信をくれた人 ありがとう
 予想どおり激しい車の数 
 すべったり歩いたりのくりかえし 
 軽くパンを食べて続行

………………………………………………

何とかまともにブレードを履くことが出来たのは、熱海市街から離れ、坂を上り切って、海を見下ろせる曽我浦大橋にたどり着いた時だった。観光スポットが近いらしく、きれいな茶色のタイルを敷きつめた歩道が始まっていた。

そこをおもむろに滑り出すと、風が起こって、汗が乾くのを感じた。スピードを上げて橋を渡り、植物園のような建物の前を通り過ぎた。

しかし、その幸運も長くは続かなかった。少しずつ木々が茂り始めて、緑深い山道になると、ついに歩道が途切れてしまった。

アップダウンはそれほどでもないが、すぐ脇を車が通るので神経を使う。下りは足をそろえて滑り降りればいいが、上りはキツかった。ハの字で漕がなければならないが、大股では前進出来ない。いつしか身体が火照り、汗がしたたり落ちてくる。

しばらく、蛇行する道をゆっくりと進み、まもなく赤根トンネルに出くわした。迂回路も有ったが、勾配がキツくて大変そうなので、トンネルを歩いて抜けることにする。

数分で抜けると、いくらか道幅が広がって、再び歩道が現れた。今度のは、路面はあまり良くないが、緩やかで長い下りだ。ホッと一息ついて、流れに身を任せることにした。

段差や小石に気をつけながら勢いよく滑り降りて行く。すると、いつしか両側の木々が途切れ、建物が多くなって来た。そして間もなく眼下には、湾状になった港町が見えて来たのである。

滑り降りて行きながら、渋滞で停止中のミニバンを追い抜いたときだった。
「ボクも持ってるよ!」
と、子供の声がした。振り返ると男の子が顔を出していた。キャプテンは手を振るのだが、その子は何故かそれきり黙ったまま。身を乗り出して見送っているだけだった。

坂が終って港町に入った。店などの看板から、『多賀』という町らしいと解った。山陰になっていた陽差しが戻り、また熱気に包まれる。

港の平らな海岸線は2kmほど続いていた。その間ゆっくりと心地よい滑りを楽しむことが出来た。砂浜になっている場所では、バーベキューを楽しむグループが幾つも見え、酌み交わされるビールが喉の渇きを誘った。

港が終わって家並みを過ぎると、また上り坂が始まった。林が広がり、やがて山道となる。その坂の中ほどでツーリング中の自転車に追い抜かれた。彼は何も言わず、ふり向いてニコリと笑った。その行く先に眼をやると、またもやトンネルが見えていた。すぐ横には迂回路が見えるが、『崖崩れのため通行止め』の看板があった。

さっき追い抜いて行ったサイクリストが、トンネルの手前で一度停車し、それから暗闇に消えて行くのが見えた。

ホントは滑って行きたかったが、トンネルの圧迫感に負けた。手前でブレードを脱いで歩いて行くことにした。自転車よりかなり遅れて中に入った。人ひとりが通れるだけのドブ板スペースしか無い。自転車がこの上を行ったとは考えにくいから、恐らく車道を行ったのだろう。だとしたら危険極まりない。

車に乗っていると気づかないが、中はひどいものだ。空気が悪すぎる。排気ガスで壁が黒く汚れている。バリバリバリと言う轟音が四方八方から響いて来る。ある霊能者によれば、強烈な悪霊が出現するとき、爆音のような耳鳴りがすると言うが、たとえばこんな感じだろうか。

そのまま決死の緊張感で歩き続けて、遥か前方に出口の光りを発見した時は、ホントに生き返った気がした。まさしく地獄からの生還である。出口の脇でブレードに履き替え、再び山道を滑り始めた。すると急に風景が開けて来て、想いがけずセブンイレブンが現れたのである。高台の、海が見渡せるいい感じの店だった。

昼時だし、海を見ながら“そば”でも食おうか、と考えた。・・が、ここで想わぬ事実が判明することになる。店の中に入って食べ馴れている「小分けそば」を買ったのだが、表に出て海の見える草の上に座り、いざ食べ始めてみると、その量が、東京のそれとは比較にならないくらい多いことに気がついたのである。たとえば東京のが腹八分目だとすれば、ここのは軽く満腹になってしまうほどなのだ。同じ270円なのに、これはあまりに不公平である(ここでは得したけど)。
………………………………………………
 1999/5/2 12:32
 From: Fumiaki Takahashi
 ★熱海をようやくはなれ港町になると
 歩道が現れ快調
 昼時で車も少なくなってきた
 まもなく網代についた

………………………………………………
> Date: Sat, 01 May 1999 18:37:37
> From: Tadashi Endo
> アジロといえば鯵ですかね。
………………………………………………

土曜日の昼下がり。返信は少ない。みんなコンピュータから離れているのだろう。それでもハワイより、ふだんは寡黙な遠藤氏からメールが届く。


「アジロと言えば鯵ですかね」か・・・
そうだ、鯵だ・・。鯵のひらき。鯵の朝食。今日は泊まる宿が見つかるだろうか。連休中だって一軒ぐらいはあると思うが、たぶん・・

そばを食べ終え、水分を取りながら海を眺めている。乾いた風に汗がひく。空はまだ快晴で、これはしばらく続きそうだった。再び滑り始めようと駐車場で準備をしていると、数人の観光客が物珍しそうに眺めて行った。が、もう人目は気にならなくなっていた。

出発するとまた道は山陰になった。陽差しがなくなり、少し肌寒さを感じた。路面は申し分無いが、見通しが悪いので車には気を使う。数が減ったのはいいが、その分飛ばして来るので困る。

だんだん道が険しくなって来た。時折り山側に歩道が現れるが、雑草や落ち葉で滑りにくい。一歩一歩、確実に足を進めて行く。きつい上り坂では、現在アメリカにいる森広隊員を想い出した。彼は登坂走行が抜群に強かった。『茅ヶ崎−熱海走行』の上り坂では、絶えず100mぐらい引き離されていた。

ただ彼のマシンはブレーキパッドの消耗が早く、下り坂で使い果たして、残念ながら熱海で走行不能となってしまったのである。つまり今回、熱海から始めたのは、その続きと言う意味なのだ。

しばらくして、またもや二つのトンネルに出くわした。最初のは500m。この長さにはさすがにたじろいだ。覗いてもまったく出口が見えないほどの暗闇。轟音と汚れた風が絶えず押し寄せて来る。

その時キャプテンは歩道のある右側を滑っていたので、まず左へ渡ろうと想った。と言うのも、警告灯や反射シールの類が全部ザックの後ろについていたからだ。これだと前方からの車には発見されにくいが、左側なら車が後方から来るので具合がいいのだ。

なかなか車が途切れず渡れないでいると、あとから自転車に乗った老人と飼い犬とがやって来た。彼らはキャプテンを一瞥し、平然とトンネル内に入ってしまったのである。おまけに犬はつながれておらず、ご主人様の後をのんびりとついて行く。大丈夫か?と想ったが、慣れているのか恐れる様子も無い。これにはキャプテンの方が驚き、そして勇気づけられた。

「だいじょうぶ! ワン君だって行くんだ。行ける行ける!」と想って、強引に突入してはみたのだが、これが実に恐ろしい場所だった。

「どうしてあの爺さんとワン君は平気なんだ?」。信じられない気分だった。とにかく恐ろしいこと甚だしい。「まさか、崩落事故が起きないだろうな・・」。いらぬ妄想まで広がってしまう。少し前の迂回路の土砂崩れを想い出したのである。

半分まで来たころ、排気ガスとほこりで、かなり喉がおかしくなって来た。タオルで口を押さえながら進むが、これも面倒だ。今度来る時は活性炭入りのマスクでも用意することにしよう。

時間にして10分くらいだろうか。恐ろしく長く感じた。・・が、出口に立ってホッとする暇も無かった。そこからほんの少し滑っただけで、なんと今度は、700mの大トンネルが現れてしまったのだ。“勘弁してよ”と、想わず挫けかけたのだが、よく見ると、それは古いトンネルの脇に作られた新しいトンネルで、内部には充分な広さの歩道が整備されていたのである。

「やれやれ、全部のトンネルをこう造ればいいのに」と想ったが、まあここは、歩道を付けてくれたことに感謝して進むことにしよう。
………………………………………………
 1999/5/2 14:17
 From: Fumiaki Takahashi
 ★網代をすぎたらひどい山みちになった
 500mと700mのトンネルをこえた
 それから伊東市に入って楽になる
 今ハトヤの前だ

………………………………………………

> Date: Sun, 2 May 1999 14:32:53
> From: Akimi Takahashi
> 今、お一人でドライブですか
> 泊まっていくの?
> くもっているので雨が降りそうです
> 日野市では
………………………………………………

弟はまだ、車でのドライブだと思い込んでいる。ブレード走行については説明したはずだが、本気にしてなかったのかも知れない。日野市では曇りだそうだ。伊東市ではまだ午後の陽差しが照りつけている。予報では明日から崩れると言うから、ギリギリと言うところかも知れない。

にぎやかな伊東の海岸線を滑りながら、それとなく宿を探してみる。干物を売っている店の間にチラホラ民宿が見えた。駅前のホテルや旅館は無理だろうが、あの辺なら泊まれそうな気がする。

出発前、地図上の計算では川奈あたりまで行けると踏んでいた。アップダウンコースなので約20km。どうやらその通りになりそうだが、もし川奈へ行って宿が無かったら、伊東まで戻って探した方がいいかも知れない。そして翌朝、また川奈から滑り出せばいい・・

さすがに伊東市、人通りが多かった。海岸ではやはりバーベキュー・ラッシュで、駐車場への車の出入りも頻繁だ。漁師風の男たちや、ウェットスーツ姿の女たちとすれ違った。歩道は広く、路面もすごくなめらかだった。

港のはずれで道が分かれていた。一方は山へと向かう国道135号、キャプテンが向かうのは海が間近に見える県道109号。この道を道なりに行けば川奈、そして城ヶ崎へと抜けるのである。

枝分かれして間もなく、人でごった返す海岸を通り過ぎたとき、携帯電話の着信音が鳴った。相手は「JCGL」時代の同僚、近野氏である。『ブレード走行ライブ』のメールが届いていたので電話したのだと言う。

こう言う行動の最中に携帯がかかると、街中での受信とは違う、何か不思議な浮遊感に見舞われる。以前やはりブレード走行中に、ロサンジェルスの三好氏から国際電話がかかって来て、これもなかなか面白い体験だった。

そうこうしている内に、深い木々に囲まれた寂しい田舎道に入った。そこから緩やかな上りと、長い長い下りを繰り返し、勢い良く滑って、そのまま一気に川奈の港町へと到達したのだった。

川奈は小さな港町だったが、観光客は意外と多かった。これなら宿もあるだろうとグルッと滑ってみるが、どうも見当たらない。時刻は15時を回ったばかりだし、宿捜しには早い気がしたので、とりあえず川奈駅まで行くことにした。

ところが軽く考えていたその道が、なんと本日最高の難所となってしまったのである。距離にすれば大したことはないのだが、相当な勾配の上り坂で、何しろ声をかけてくれた地元のオバサンが、「だいじょうぶかい?。歩いても20分ぐらいかかるんだよ」と、心配したくらいの大変な道なのだ。

見栄はって滑り出したはいいが、少し先を歩いている女子中学生さえなかなか追い抜けない。仕方なく、車を避けるフリをして休んでいると、彼女が振り向いて、気の毒そうにチラチラ様子をうかがっている。

とその時、坂の途中にしゃれた建物を見つけた。もしや旅館? だったら泊まってしまおう、と想って覗くと、『陶芸教室』との看板でガックリ、あきらめてしまったのだ。(後日ガイドブックで「陶芸ペンション日下部窯:一泊10000~12000円:陶芸教室・展示あり」と判明。ペンションと言う文字を見落としたらしい。残念)

川奈駅近くで初老の男性に道を譲られたので、軽く会釈をしたら、
「それ、ドイツで見ましたよ。たくさん滑ってました」

と、声をかけられた。立ち止まって話して見ると、ドイツへの旅行中、エライけんまくで滑っている奴らを見たのだと言う。ヨーロッパでは街中を暴走する危険なスケーターがいると聞いているが、それを目撃したのかも知れない。

男と別れて数分後、川奈駅に到着した。時刻は16時ちょっと前、ほぼ予定通りだった。駅前は小ぎれいで観光客も多いが、スーパーが一軒あるだけであとは何も無い。旅行案内所でもあればと期待したのだが、甘かったようである。
………………………………………………
 1999/5/2 16:44
 From: Fumiaki Takahashi
 ★けっきょく 今日の到達地点は川奈
 しかしえらい山の中で宿はなく
 伊東まで電車で戻って探そうとしたが
 GWの伊豆で泊まろうとしたのが甘かった
 部屋はひとつもあいていないので
 とりあえず温泉に入って
 ビールと食事をしようかと思う
 天気は最高の1日だった

………………………………………………
> Date: Sun, 2 May 1999 17:07:22
> From: Akimi Takahashi
> 大変な道だった!
> ツーリングテントもっていけばよかったのに
> それとも車の中???
> ツーリングテントは
> 近くの釣り具店で売ってるのでは?
> 明日はくもりだそうです
………………………………………………

海へ流れ込む川っぷちの、遊歩道のベンチに腰掛けて、ゆっくりと夕暮れを眺めている。

若い女性のグループ。浴衣姿の男女。そして犬を連れた中年の婦人・・。夕飯前の散歩なのか、むしろ人通りが増えて来た。張りっぱなしの足の筋肉を揉みほぐしながら、キャプテンは人々の流れを見ていた。

快い脱力感。そしてじんわりと沸き上がる何とも言えない達成感。こればかりは人に伝えることが出来ないが、ともかく、終了のメールだけは打っておこう。
………………………………………………
 1999/5/2 22:45
 From: Fumiaki Takahashi
 ★ゴブリンズのみなさんへ
 残念ながら今回のブレード走行は
 一日で終了してしまいました
 しかしながら不安視されていた
 キャプテンの年令的な問題は
 払拭されたようです?
 それからメ一ルを送ってくれた人に感謝します

………………………………………………
> Date: Mon, 3 May 1999 00:45:52
> From: "Hiro.Y"
> こんにちは、よこやま@51です。
> お疲れ様でした。ライブ感ありますね。
> ところで、どこの携帯を使いましたか?
> では、
………………………………………………
> Date: Mon, 3 May 1999 14:14:16
> From: Akimi Takahashi
> ご苦労さま
> テントはL.Lビーンがいいですよ
> 軽い物もうっている 新宿で
………………………………………………

ブレード走行・熱海-川奈
日程:1999年5月2日
天気:晴
最高路面温度:不明
走行距離:30km
述べ走行時間:約6時間



ブレード走行 熱海 ー 川和 おしまい


コメント

このブログの人気の投稿

「茨城46億年後の一期一会 .2」1996

1 ・2・ 3 ・ 4 ・ 5 ・ 6 ・ 7 <高萩 - 犬吠埼・ブレード走行記2 1日目後半> 1日目/1996年7月31日(水)「日立駅前そば屋から日立港・旅館須賀屋まで」 ◆ あつい! ようやく夏なのか! ◆ ソバ屋から出ると、さすがハイテク繊維、Tシャツはすっかり乾いていた。 国道6号は、ここから内陸の水戸方面へ行ってしまうため、海沿いの245号へ進むことにする。合流するには駅の向こう側へ渡らなければならない。 歩いていると、日立電線、日立化成と、日立関連のビルが続く。さすが日立市である。 「この町の人々は日立の製品しか使わないのかなあ」 森広君が素朴過ぎる質問を投げかけたが、誰も答えなかった。 ブレードを履き、駅前の石畳の広場を滑って行く。間もなく陸橋を越え、線路を渡ると、245号に入った。そこにも日立の社屋が有り、社員の行き来するすぐ脇を進む。 緩やかな上り坂だが、食後なのでスローペースで進む。30分ぐらい経てばランナーズハイに持ち込めるから、それを待つ。心配なのは新妻君の足だった。先ほども説明したように、ブレードで足を痛めると、走行中は決して回復することが無い。だからこれから先、新妻君の苦痛は増すばかりと見た方がいいのだ。 ブレード走行を楽しむには、どれだけ長時間足を痛めずに保てるかの一点にかかっている。だから、そのための手間を惜しんではならない。 キャプテンなど、ソルボセインや、ワセリンなど、あらゆる手段を試みていたが、今回はくるぶし痛対策のため、粒状の『衝撃吸収ゲル』を入手、10センチ四方の布袋に入れてキルティング縫いし、それをくるぶしの上に当てている。これによって、インナーにくるぶしが当たるのを防ぎ、しかも粒状なのでムレも防げると言う仕組みになっている。これが功を奏したのか、今のところ痛みは発生していない。 245号は、昼下がりと言うこともあり、何処となくうら寂しい道だった。しかも上りがキツく、ドブ板走行も強いられた。目に映るものは、工場や倉庫、人気の無い駐車場など。車通りだけが激しい騒音を響かせていた。 30分ほど滑って日立市街地から抜けると、路側帯が広くなって、やっと一息つくことが出来た。 「歩道は路面が悪い!」と、常にモンクを飛ばしている森広君の言う通り、充分な広さを持っていれば、歩道より路側帯の方が楽だった。 だんだんいい感じになって来...

「茨城46億年後の一期一会 .6」1996

1 ・ 2 ・ 3 ・ 4 ・ 5 ・ 6 ・ 7 <高萩 - 犬吠埼・ブレード走行記6 3日目後半> 8月2日・金曜日(3日目)「グリル鹿島から波崎町・割烹旅館かわたけまで」 ◆ 今頃ソルボセインかよ・・ ◆ 出掛けに、鹿嶋市パンフレットの地図でスポーツ用品店を見つけていた新妻君が、「ソルボセインの中敷きを買う」と言い出した。なんと、彼はまだソルボセインを使っていなかったのである。 『ソルボセイン』とは、10m以上の高さから生玉子を落としても割れない、と言うほどの衝撃吸収材だが、同様の『αゲル』などと比べると「コシ」が強いので、靴底に入れてもフニャフニャした違和感が無く、自然な使い心地の代物なのである。 これをブレード・ブーツの底に敷くと、アスファルトからの振動を吸収して足を保護でき、疲労もかなり防げる。したがって、キャプテンは以前から、ブレード走行を始める者には『ソルボセイン』を使え、と言い続けて来た。 当然、新妻君もそれを耳にしていたはずで、とっくに使用しているものと想い込んでいたのだが、彼は「そんなことより、ブレードは滑ってなんぼ」とばかり、堅い中敷きのままで間に合わせていたのである。確かに、他人のアドバイスより自らの感覚を信じる、と言うやり方は正しいが、それは継続することにより養われるもので、一発屋には馴染まない。 グリル鹿島から町外れまで滑って行き、『スポーツ101』と言う、この辺りにしては大きめのスポーツ用品店を見つけた。新妻君はそこで『ソルボ中敷き』を購入、店の中で自分の足の大きさにカットして出て来た。 「なんだこれは!? 振動が無い!」 さっそくブレードの底に敷いて滑り始めたその直後の一声である。絶大なるソルボ効果に感動したのだろうか。もちろん一度痛めた足が治ることは無いが、このさき数時間の延命効果としては充分役に立つ。それにしても、最初から使っていれば・・ スポーツ101から離れてしばらくの間は、新妻君に応急処置が施されたことで、少し気を楽にして滑ることが出来た。すでに国道51号からは離れ、124号を進んでいた。 道沿いには、まばらだが、店やレストラン、町工場、中古車ディーラーなどが並んでいた。そこから幾つかの林をくぐり抜け、緩やかな坂道を下り、小ぎれいな民家の立ち並ぶ通りに差しかかった。 そこをさらに進んで、信号待ちで渋滞している交差点が見えて...

「茨城46億年後の一期一会 .5」1996

1 ・ 2 ・ 3 ・ 4 ・5・ 6 ・ 7 <高萩 - 犬吠埼・ブレード走行記5 3日目前半> 8月2日・金曜日(3日目)「民宿大竹から鹿島市・グリル鹿島まで」 ◆ 呪いの見送り ◆ 荷物を担ぎ、民宿大竹の駐車場まで出て行くと、女将さん、その娘、お祖母さんが次々に姿を現した。ブレードの物珍しさゆえの見送りと言うところである。 新妻君と森広君は、すみっこの車の陰でブレードを履き始めたが、キャプテンはギャラリーへのサービスもかねて、ど真ん中で準備することにした。そうしていると、ほどなく女の子が駆けよって来た。 「それで、すべってくの?」 その子はそう尋ねた。それに、ああ、そうだよと愛想良く笑い、 「ここからねえ、ずーっと遠くまですべってくんだよう」 と、キャプテンは子供用の声で答えたのだ。ところがである。 「ウソだね!」 予想に反してカワイくない返事がかえって来たではないか。 「ほんとだよ、ほんとほんと」ちょっとあせった。だが、 「ウソだねー!」と、女の子はなおも続ける。 「ほんとだってば」 「じゃあ、東京からすべってきたの?」 「そうじゃなくて、東京から電車で来て・・」 「ああっ!。ほらー、電車なんだってー!」 その子はキャプテンの言葉尻を取って、そーら見たことかとばかり、女将さんを振り返って騒ぎ出した。 「ちがうちがう、電車で遠くまで行って、そこから滑って来たんだよ。わかる?」 「ええー?」 そこでいったんはおとなしくなったが、声は半信半疑のままである。さらにその子の攻撃は続いた。 「雨がふるよ!」ふてくされたような言い方だった。「雨がふってくるよ!」 ・・ったく、どうなってんだ? 「そうかなあ?。大丈夫だと想うよ」 「ふるよ!。てんきよほう見てみな!」 これはもう、呪いに近いものが有る。でも、確かに雨が降りそうな空だった。気温も低く、温度計を見ると21℃を示していた。寒いくらいだ。 ブレード走行は、舗装道路が無ければ前進出来ないわけで、アウトドアと呼ぶにはあまりに半端なスポーツだったが、それでも自然相手であることには違いない。雨が降ったら、それを甘んじて受け入れるしかないのである。さて、どこまでもつか・・ 女の子はいつの間にかキャプテンから離れ、他の二人のところへ駆けよって行った。その後ろ姿を見ながら「世の中には、いろんな子がいるんだなあ」と想った。 年齢の...

「幻のBOSO100マイル .後編」1994

1 ・ 2 千葉 - 鴨川・ブレード走行記 (白浜でリアタイア)        目次 変調 待っていた男 失速 幻のゴール ゆくえ 昼食の間に天気は完全に回復し、再び強烈な陽射しの中を進むことになった。太陽を浴びると、また気分が悪くなってくるような気がした。 少し不安を感じながらも進んで行くと、道の先に見覚えの有る信号が現れた。二年前キャプテンと新妻君の脇で起きた、あの二重追突事故の現場だ。確かにここに違いない。まじまじと周囲を眺め、事故なんて起きそうに無いのになあ、そう想った矢先のことだった。横を通り過ぎた車が、またいきなり急ブレーキをかけたのだ。 「おい!?」とあわてて振り返ったが、幸い事故にはならなかった。またしてもブレード・ランナーが珍しくて前方不注意になったのだろうか。それにしても・・、なんだか嫌なポイントだ。 『湊川』の橋を渡り、右に大きくカーブする山沿いの道をたどると、やがて東京湾浦賀水道の海が見えてくる。遥か向こう岸は三浦半島横須賀の港だ。この辺りからずっと海岸沿いを滑ることになる。キャプテンは、すっきりしない気分を抱えたままではあったが、海を眺めることで力を回復出来ると信じていた。 その道は人の気配が無く、車だけが風を切って行く。歩道は、ゴム状の継ぎ目を飛び越える以外気を使うことはなく、滑らかな路面が続いていた。海側は断崖になっていて、そのギリギリに、幾つかのレストランや小さなホテルなどが建ち並んでいた。 しかし車が数台止まっているだけで、賑わいと呼べるものは感じられなかった。シーズンの盛りにはもっと人が訪れるのだろうか。どの店も、捕れたて新鮮魚介類の料理が売り物らしく、そのことを謳った看板が立てられていた。 「知る人ぞ知る、穴場と言った店が有るのかも知れないな」そんなことをぼんやりと考えていた。 道路から見える崖下の砂浜では、数人の人々が海水浴を楽しんでいた。海の家も無い静かな浜辺は、さながらプライベート・ビーチと言った雰囲気である。そんな光景が何度か現れては消え、『金谷』の辺りまでは、比較的楽しみながら滑って来ることができた。 どのくらいたったのだろう。かなり疲れを感じたところで、丁度よく木々に覆われた細い脇道を見つけた。迷わず滑り込んで、荷物を降ろすことにする。 そこには、心地よい風が吹き抜けていた。道の両側に古い小さな家が建ち並び、遠く水平...

「茨城46億年後の一期一会 .1」1996

1・ 2 ・ 3 ・ 4 ・ 5 ・ 6 ・ 7 <高萩 - 犬吠埼・ブレード走行記1 1日目前半> 1996年8月。ゴブリンズの夏季キャンプが、千葉県犬吠埼の長崎町で行われることになった。そこでゴブリンズ・ブレード隊の高橋文昭、新妻英利、森広康二の三名は、その四日前に茨城県高萩市を出発。犬吠埼・長崎町までの135kmを、4日間かけてインラインスケートのみで南下し、ゴブリンズのメンバーと落ち合う、と言う旅を計画した。 ◆ 主な登場人物  ◆  ブレード隊・キャプテン高橋  草野球チーム・ゴブリンズのキャプテン。34歳で初めての長距離ブレード走行を敢行。今回、通算走行距離1000km突破を目指す。  ブレード隊・新妻英利 隊員  伝説の第一次ブレード隊のメンバー。1995年カナダ・ロッキー山脈にて初の海外ブレード走行を試みるが、足のツメを剥がし100km地点でリタイア。  ブレード隊・森広康二 隊員  1996年からブレード隊に参加の新人。経験は浅いが、抜群の登坂能力とスピードを持つ。ブレード・アクセサリーに凝っている。  塚本じいさん  高萩の外装の汚いビジネスホテルのオーナー(現在廃業)。  水木海岸の少年  岸で駐車場の番をしていた愛想の無い高校生。  旅館須賀屋の女将  飛び込み客に面倒味が良い、 日立港近くの旅館の女主人。  旗振りの男  海岸で旗を振って客引きをしていた無数の人間の中のひとり。  ターザンの娘  あぶない格好でブレード隊に手を振っていたと言う少女。  民宿大竹の女将  茨城弁丸出しの美人ママ。  その女将の子供  出発時に見送りしてくれた疑り深い性格の女の子。  グリル鹿島の娘  バカッ丁寧な言葉使いの少女。  鹿島ガンプ  奇妙な質問を発し、自転車で延々とブレード隊を追いかけて来た不思議な人物。  旅館かわたけの女将  無理を承知で泊めてくれた太っ腹人情女将。  ◯◯ 高校サッカー部  『かわたけ』に泊まった礼儀知らずの合宿軍団。    1日目/1996年7月31日(水)「高萩海岸から日立駅前そば屋まで」 ◆ 不吉なる序章 ◆ この旅の始まり、不吉な出来事が起こった。ブレード隊三人が乗り込んだ列車が、ある時点から、「ガラガラ、ガツン!」「カン、カラン、ゴンッ!」と言う、石が車体にぶつかるような激しい音をさせ始めたのである。 初め...

「南房総に夏の終わりの夢を見た・前編」1992

「南房総に夏の終わりの夢を見た」前編 ★1992年8月21日(金)15時。キャプテン高橋とゴブリンズ新人・新妻英利は、ついに総武本線千葉駅から鴨川キャンプの拠点、民宿ウエダ(天津小湊町)までの162.2キロをローラー・ブレードによって走破する事に成功。これは前回の東京−富士間77.5キロを、84.7キロ上回る距離であった。 千葉 - 鴨川ブレード走行記 1日目 〜 2日目「千葉駅 〜 木更津 〜 鋸南町」 *前半 目次* 待ち合わせは千葉駅 快調な滑り出し16号 あまりに場違いな昼食 塩吹くキャプテン高橋 『すえひろ』で生き返る 場違いな宿、グランパークホテル 朝、雨が降っていた 救いのオヤジさんが現る あじフライとあじの天ぷらは違う 音無き警鐘が聞こえる 午後の海辺をブレード・ランナーが行く ノコギリ山に思わぬ敵が待っていた 岬で『岬』と言う喫茶店に引き込まれた さらに苦難の道は続く 民宿は旅のオアシスだ 後編へ・・ ■ 待ち合わせは千葉駅 ■ 嵐が幾つか通り過ぎる頃、空はどこか澄んで、別の季節の色を見せていた。6月の『東京—富士ブレード走行』から、約2カ月、常にキャプテン高橋の胸に去来していたイメージは、南房総のまぶしく輝く海、熱い夏の空気を切り裂く、ブレード・ランナーの姿だった。 8月18日火曜日、9時半。総武本線の終点、千葉駅のホームで、高橋、新妻の両者は、ブレード走行決行のために待ち合わせた。新人・新妻英利君は、果たして心強い伴走者となるのか、それとも単なる足手まといとなるのか、それは誰にも解らなかった。 天気は曇り気味。雨を予感させる黒い雲も漂っていた。南では台風が近づいていると言う。天候はどうなるのか、全く予測が立たなかった。 二人は『総武線千葉駅ホームの進行方向一番前』で会うことにした。気持ちを『前向き』にするため『一番前』を選んだのだ。しかし、ここは終着駅なので、折り返して電車が出発すると『一番うしろ』になってしまう欠点が有った。だが、そんな事にかまってはいられない。二人は勇躍駅を後にした。 ■ 快調な滑りだし、16号 ■ 16号沿いの歩道で用意をする。前回強烈な靴ずれの痛みに悩まされただけに、今回は、テーピング、ワセリン、ガムテープで、対策に万全を期す。用意が済んで立ち上がると、お巡りさんが自転車を止めてじっと見ているのに気づいた。二人は何も悪い...

「茨城46億年後の一期一会 .4」1996

1 ・ 2 ・ 3 ・ 4 ・ 5 ・ 6 ・ 7 <高萩 - 犬吠埼・ブレード走行記4 2日目後半> 2日目/8月1日(木)「大洗海水浴場から大竹海岸・民宿大竹まで」 ◆ 昼下がりの・・、大洗海岸 ◆ 昼食を終えたあと、ちょっと長めの昼休みと言うことになった。 森広君は汗に濡れたTシャツを脱いで日なたに乾し、上半身を焼き始めた。とにかくこの男は、すぐ赤く腫れてしまうくせに、一気に焼かないと気がすまないと言うやっかいな奴なのだ。それに引き換え、足の痛みで予想以上に疲労している新妻君は、海の家で有料のシャワーを浴び、気持ちの張りを取り戻そうと懸命である。 その間キャプテンは、海の家のベンチに座って、ワセリンや日焼け止めを塗り直したり、サングラスの汚れを落としたりしていた。その横を、海から上がって来た何人かの男女が通り過ぎて行く。午後の強い陽差しにみな目を細め、シャワー室に入って行くのだった。 何度か、店番をしているオバサン達のカン高い笑い声が聞こえて、また静かになった。そのあとは、通り過ぎる車と風の音しか聴こえて来ない。 「オレにとっては・・、ここは、日本の裏側だ」慣れ親しんでいる天津小湊や九十九里の海に比べると、ここは本当に見知らぬ海だった。 「これが大洗海岸と言うものか・・」どうしようもない寂寥感が胸に迫った。やっぱり、ゴブリンズキャンプは、犬吠埼ではなく天津小湊にした方が良かっただろうか、と想う。 ・・いや、だめだ。あの海には想い出が多すぎる。 やがて、シャワーを終えて来た新妻君が隣のベンチに座った。彼は自分の足に巻かれたテーピングを剥がそうとするが、すね毛が絡みついているのか、何度も「だあー!」と言う激しい悲鳴を上げていた。そのうちたまりかねて、アウトドア・ナイフで毛を切りながらテープを剥がす、と言う荒っぽい戦法に出た。 その時キャプテンは、彼の足首に大きな靴ズレの跡が有るのを見つけた。やはりツメだけではなかったようだ。それを見て、もうこの先、新妻君が復活することは無いだろうと想った。どんな治療を施しても、このまま延々と苦痛が続くだけであり、楽しいことはひとつも無い。ひょっとすると完走さえ危ないかも知れない。 「ワセリン塗っとけよ、ほら」と彼に差し出すと、意外なほど素直に受け取り、靴ズレの患部に塗り始めるのだった。ひとが薦めるものをことごとく拒絶するヘソ曲が...

「湘南の海、エンドー苦難の道」1993

< 横須賀 - 茅ヶ崎・ブレード走行記 > 1993年。ゴブリンズ・ブレード隊、キャプテン高橋と遠藤忠隊員は、10月23日と24日の二日間に渡り、三浦半島の横須賀から茅ヶ崎まで、約75kmを無事完走したと発表。この完走によりキャプテン高橋の通算走行距離は359.4kmとなった。                    目次 うれしはずかし出発の時 三浦海岸! これを見に来た 遠藤殺しの坂が待っていた 史上最大のピンチである?! ついにブレード隊、初の野宿なのか・・? 二日目、最高の出発 湘南・超観光ルートを行く 日曜の午後の終わり ◇ うれしはずかし出発の時   ◇ 「だめだ、間に合わん!」 時計を見ると、7時55分。東急東横線の急行はたった今、 渋谷を出発したばかりだった。約束は横浜駅の改札に8時だが、この分では8時半ごろになってしまうだろう。昨晩、荷物の用意をしている内に夜が更けてしまい、キャプテンは今朝少し寝過ごした。しかし興奮のあまり眠れなくなった訳では無い。もう子供ではないのだ。 ドア際の窓から空を覗くと、雲は多めだが気持ちの良い秋晴れ。10月23日(土)、この週末の天気に問題は無い。ただ、なぜか寒さがとても心配だった。必要以上に気にしてしまったのは、第三次ブレード隊『富士五湖周回走行10.24』からちょうど1年、あの富士山麓の標高の高さと、降りしきる雨の記憶のせいに違いなかった。 予想した通り8時30分に横浜駅に着いた。改札を出ると、憮然とした遠藤隊員の姿が有った。「悪い、悪い。寝過ごした」仕方なくキャプテンは笑ってごまかすのだった。 日頃、野球の試合などでは、周囲から時間に厳格だと思い込まれているキャプテンだが、何を隠そう、中学・高校の6年間、常に遅刻回数・学年トップを誇って来たクセ者なのである。その頃の1年間の平均遅刻数は約70個。これは野球に例えれば『盗塁王』に匹敵するのはないかと一部ではささやかれているが、さて、どんなもんだろう・・ 二人はそこから京浜急行に乗り換え、横須賀中央駅へと向かった。気温24.3度、まずまずの走行日和だ。このくらいの陽射しが有れば、走っている内に体温の上昇でちょうど良くなって来るはずである。間近に迫った出発に備えて色々と考えは及ぶ。もう一人の隊員、新妻氏は、なんだかんだと急用が出来て、今日は来れなくなった。 横須賀...

「南房総に夏の終わりの夢を見た・後編」1992

      「南房総に夏の終わりの夢を見た」後編   >前編に戻る ★1992年8月21日(金)15時。キャプテン高橋とゴブリンズ新人・新妻英利は、ついに総武本線千葉駅から鴨川キャンプの拠点、民宿ウエダ(天津小湊町)までの162.2キロをローラー・ブレードによって走破する事に成功。これは前回の東京-富士間77.5キロを、84.7キロ上回る距離であった。 千葉 - 鴨川ブレード走行記 3日目 〜 4日目「鋸南町 〜 白浜 〜 天津小湊」 *目 次* あきらめるな道は必ず開ける 海岸線、防波堤を行く 昼飯はそばと決めていた ここは何処だ、遠いところだ フラワーライン、組曲惑星が聞こえた 旅館か民宿か、迷うところだ 気を許すな、音無き警鐘を思い出せ 赤い道は滑りやすい やっぱり昼飯はそばに限る たまらん隊がゆく・・ そして旅が終わった ■ あきらめるな道は必ず開ける ■ 8月20日。昨日トンネルに道を阻まれ、予定よりも大幅に遅れてしまった。千葉駅を出発して、60km進んだだけである。あと2日で100km行かねばならない。 新妻君は一時『岬』の女主人が言った近道も捨て難いと、迷い始めていた。肉体的疲労に加え、追突事故を目の当たりにしてしまったこと、トンネルの恐怖などが影響していた。 実はキャプテンも同じような心理状態にはあったのだが、この旅はただ目的地に着けば良いのではなく、162.2kmを走破しなければ意味が無いのだった。さらに、館山から白浜あたりまでの南房総を通らなければ、彼の想い描いたイメージは完成しない。彼は新妻君の決心がつくのを待った。しかし、もしどうしても駄目だと言ったならば、無理強いはするまいとも思っていた。 「でも、女主人の言うなりになったら、負けだな。ダメだったら、歩けばいい。行きましょう!」こう言って新妻君は気持ちを固めた様子であった。 あきらめる時は、にっちもさっちも行かないその現場で、はっきりケリをつけてからあきらめる。後は電車でもバスでも使えば良いのだ。途中であきらめてしまったら、可能性も幸運も使わない内に手放してしまうことになる。とは言え、キャプテンの心の中には、あきらめない勇気とあきらめる勇気とが互いに見え隠れしていた。 ・・と言うように、三日目は少しカッコつけた書き出しになってしまったが、実際は結構だらだらと出発したのである。 滑り出して、初...