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「幻のBOSO100マイル .前編」1994

12
千葉 - 鴨川・ブレード走行記(白浜でリアタイア)

目次


南房総フラワーラインを、独りのブレードランナーが滑って行った。車を走らせていた海水浴帰りの若い男女が、その姿を見たのだと言う。いや、見たような気がする・・、と二人は顔を見合わせた。そしてそれ以上のことは何も解らなかった。

彼はほんとうに、この道を来たのだろうか。その二人連れが、風を見まちがえたのではないかと想えてならなかった。その日は確か、八月一番最後の、一番熱い南風が吹き抜けていたはずなのだ。


目の前に、ゆっくりと一塊の黒い雲が流れて来るのを見ていた。

見晴らしの良い田舎道から眺めていると、雲は光って二度三度大きく振動し、それまで陽が照っていた大地へ、すーっと影を寄せてくるのだった。

後ろを振り返ると、まだ鮮やかな青い空も見えていた。しかし、それもやがて雲に覆われると、それまでじっと暑さに堪えていた木々が、風に煽られ、不安げな音を立て始める。裏返る木の葉が、まるで〃白目〃をむいているかのようだ。

雨は予想していなかった。
「まさか、朝からくるのか?」

そう想ってから数分もたたない内だった。一つぶ、二つぶと、大きな滴が音を立てて地面に落ち、さらに幾度かの雷鳴のあと、立て続けに雨が落ち始めたのだ。

キャプテンは慌てて、木々が覆いかぶさっている場所まで滑り、そこで休むことにした。その直後、あとから自転車に乗ってやって来た地元の少年らしい一群も、キャプテンを少し追い越したところで止まった。彼らの視線は、ブレード姿のキャプテンと暗くなった空とを行き来していた。

それからさらに雨は勢いを増し、ザザーッと言う、ドキドキするような激しい雨音と共に、舞い上がった水しぶきで、道の両側の畑が見えなくなった。そして不意に、冷たくなった風に運ばれて、辺りには雨と土ぼこりの匂いが立ち込め始めたのである。それは、長く続いていた夏の日照りの匂いでもあった。

キャプテンは雨の中を吹き抜けて来る風に、今日初めて心地よい気分を味わっていた。気温がぐんぐん下がって行くのが解る。温度計は30℃を示していた。今朝、キャンプ場を出発する時点で33℃を越えていたから、ずいぶん楽に感じられる。

いい気持ちだ。・・これだからやめられない。
雨と地面のいい匂いが、心の奥のたまらなく懐かしいものを呼び起こそうとしていた。とても懐かしい人を想い出せそうな気がした。

いい雨だった。
さっき、この雨が降るまではひどく気分が悪くて、昨日の疲れとひどい筋肉痛に悩まされていた。それに、あふれ出る汗がしょっぱくないのだ。スポーツ・ドリンクは飲み続けているから、突然心臓が止まると言うことは無いと想うが、身体中の塩分が出切ってしまったようで不安だ。

そう言えば、昨日の昼から食事らしい食事はしていない。今朝はコーヒーと固形カロリーメイト。それに、わかめスープを飲んだきりである。それ以上はまったく食欲が無かった。しかし今はずいぶん気分が良くなって、そうだ、どこかでそばを食おう、大盛りそば、それから冷やしトマト、と言う気持ちになっていた。

雨が小降りになる頃、キャプテンは少年達よりも先に道路に飛び出していた。
雨もいい・・。一度そう決めてしまうと気にはならなかった。タイヤのグリップさえ気をつければどうと言うことはない。それにこれは通り雨だ。

ほどなく、キャプテンが滑り出すのに触発されたのか、少年達の出発の合図が聞こえた。彼らはしばらく、つかず離れずついて来て、何かしきりに騒いでいたのだが、何げなく振り返ると、いつの間にか何処かへいなくなっていた。

また独りになってしまったか・・
そんな想いが一瞬頭を過った。


昨日の今頃は、強烈な陽射しで16号の路面温度は40℃を越えていた。この熱さと、キャンプ用具一式を詰め込んだ13kgの荷物のために、予定が大幅に狂ってしまったのである。

当初2年前と同様に、1時間ごとに10分間の休憩とスポーツ・ドリンク1本、の予定が、10時に千葉駅を出発してから12時までに、5回の休憩と、サービス増量中の500mlアクエリアス5本を飲み干していた。つまり今回は30分ともたなかったのである。

いくら浸透性の良いスポーツ・ドリンクと言えども、短時間に2リットルを越える水分はさすがに胃に堪えた。やがて全く食欲が無くなり、そのまま昼食も取らずに滑り続けることになってしまった。

そのままのペースで6時間滑り続けて、木更津に着いたのが午後4時頃。前回2年前はここで1日目が終了したのだが、今回はさらに20kmほど先の富津岬まで行ってキャンプする予定である。

ところが、もう身体はボロボロ状態になっていた。強い西日が殺人光線のように顔面に照りつけ、皮膚がヒリヒリと痛み始める。水分の取り過ぎで、腹具合もなんとなくおかしい。身体に変調の兆しを感じながら、富津岬へと続く16号を滑り始めなければならなかった。

木更津から先の16号は、道の両側を小高い山に囲まれた寂しい道だった。足元には狭い路側帯が有るだけで、歩道は無く、歩行者や自転車も見当たらない。その上、時速70km近い速度で、大型トラックが何台もすぐ脇を擦り抜けて行く。

この道は本当にキャンプ場へ続いているのか? そんな不安にさいなまれた。

途中、火力発電所とか、あるいは人気の無いとてつもなく巨大な倉庫や工場が見えて来ると、やっぱり木更津まで引き返そうかと弱気になった。赤い西日のせいで、風景がさらに荒涼としたものに見える。後悔がやたら込み上げて来る。

風景だけが頼りなのだ。ブレード・ランナーは、長時間荒れ果てた風景の中を走っていると、次第に神経がやられてしまうのである。

この土地もまた、悲しい荒野のようだった。

もうろうとして滑り行くブレード・ランナー。力尽きるのも時間の問題かと想われたそのとき、反対側から来る車の多くが海水浴帰りであることに気づき、消えかけた心に再び火が灯る。地図によれば、キャンプ場と海水浴場とは同じ場所にあるはずだった。だとすれば、彼らが来る方向には絶対にキャンプ場が有る、それだけは確かだ。

さらに、すれ違う車の何台かに、「ガンバレ!」の声をかけられると、より力が湧き上がるのを感じた。見も知らぬ人々の、それも一瞬のひやかしかも知れないその言葉の威力に、独り感動していた。『言葉は神なりき』・・聖書の一説が、頭の中に浮かぶ。

しばらくして建物の類いが見えなくなり、今度は大平原かと想えるような広大な風景が開けて来た。畑なのか、ただ何も無い土地なのか、記憶は漠然として残っていない。

土地が広くなって道も広くなり、両側には出来立てのきれいな歩道が現れた。これでようやく一息つける。このままこれが続けばいいのだが・・

気温は下がる気配無く、したたり落ちる汗も変わらない。もはや休憩しようと言う気持ちさえ起こらず、とにかく早くたどり着きたい、その想いだけになっていた。・・なのに風景が広すぎて、なかなか前に進まない。

キャプテンは自分に言い聞かせた。
「とにかく真っすぐ進むのだ、真っすぐ」
「いや待て・・?。ここは一度通った場所だ。見覚えが有る。しまった!。いつの間にか逆走してしまったのか?」

あわてて100mほど引き返す。すると見えて来た道路表示には、『↑木更津』と有る。おかしい。これでは逆戻りしてしまう。やっぱりあっちで良かったのか?

キャプテンの精神は、極度の疲労から、軽い錯乱とデジャ・ビュを起こし始めていたらしい。磁石で正しい方角を確かめ、もう一度元の道へと戻った。だがその後も、先へ進むほど、ずっと以前この道を通った記憶がある、と言う感覚が込み上げて仕方がなかった。

午後6時を過ぎ、辺りが薄暗くなるころ、漁師町らしい場所に入った。そこから少し道に迷って、やっとのことで富津岬のキャンプ場にたどり着くことが出来た。

着いてしばらくの間は、体中に痛みが走り、地面にうずくまったまま何もすることが出来なかった。30分ぐらいボンヤリと他のテントの様子を見ていた。若い男女や親子連れが、にぎやかに食事の支度をしているところだった。

それから気を取り直し、テントを張って、キャンプ場のはずれに設置されたシャワーのぬるい水を浴びると、少し気分は良くなった。だが食欲は無く、身体全体が異常な熱を発していた。

とりあえず、漁師町の酒屋で買っておいたビールで独りだけの乾杯をしたが、錆びたような味がして、半分ほどで喉を通らなくなった。以前、肝臓を悪くしたときと同じ味だった。少し肝機能が弱っているのかも知れない。

何か食べなければと想い、フリーズドライのキノコ・リゾットをお湯で戻して、無理やり口に入れたが、ムカついて戻しそうになった。しかし何も食べないのはまずいだろうと、水と交互に口に入れては飲み込んだ。

食器を片付けると、もうそれ以上は起きていることが困難で、マットを敷き、シュラフをかぶって横になった。ところが、身体中から発する熱が治まらず、熱くて眠れないのだ。やがて頭痛も起こり始め、おまけに港が近いらしく、船のエンジン音と霧笛がひっきりなしに聞こえて、ますます目が冴えてしまう。

このままでは一睡も出来ずに夜明けを迎えてしまうかも知れない、そう考えて怖くなった。この激しい疲労に加え、食欲無し、睡眠不足となれば、明日は間違い無く何処かで倒れてしまうだろう。リタイアだけは、どうしても避けたかった。

キャプテンは一度起きてテントから出ると、夜風にあたりながら、キャンプ場から少し離れたところにある公衆電話へと向かった。気分転換に、鴨川キャンプの幹事である遠藤君に、途中経過を報告しておこうと想ったのだ。(鴨川キャンプ:ゴブリンズの夏季合宿。ようするに海水浴)

ところが、電話にたどり着き、話し始めた途端に、
「熱すぎてダメだ。もうオレは真夏のブレード走行は二度とやらないだろう。これからどうなるか、まったくわからん。とにかく明日、もう一度滑ってはみるけど・・」そんなことを話していた。

「そういう言い方、初めて聞きました」
遠藤君のその返事を聞いて、キャプテンは自分がひどく弱気になっていることに気づいた。今までならどんなひどい目に有っても、途中であきらめることなどなかっただろう。初めて、自分の正直な気持ちに気づいて、軽いショックを受けていた。だが、このまま身体の熱が下がらず、一睡も出来なかったら、ほんとに何処かで倒れてしまう。

「どうしたら熱が下がるだろう? もう一度シャワーでも浴びてみようか?」そんなことを考えながら、戻る途中、キャンプ場の土を踏んでいる内に一つのアイデアが浮かんだ。

「そうだ地面だ!」

そう想いついてテントに戻ると、急いで中のシュラフとマットを端にどかし、底のシート一枚を隔て、うつ伏せになって身体を地面に押し付けてみた。

すると・・、想った通りだった。まるで毒が吸い取られて行くように、熱病の身体が急激に地面に冷やされて行くのである。

「いま、大地に癒してもらっている」そんな感慨に包まれていた。

ほどなく楽になって、頭の芯から心地よい眠気が広がり始めて来た。寝入りばなの寒気を背中に感じ始めたところで、その眠気が消えないように、そっとシュラフに潜り込んだ。


雨が小止みになって来るころ、道は内房線沿いを走り始めた。通り雨だから、これ以上の心配はなかった。気温は30℃。30℃がこんなに涼しいものだとは想わなかった。しばらくの間この曇り空が続いてくれたら、かなりのペースで進めるはずだ。

・・と喜んだのもつかの間、急に、腹痛が起こり始めたのである。痛みと言うよりは、重い不快感と言った方がいいだろうか。それほど急を要するものでは無かったが、休憩も兼ねて、近くの駅のトイレを貸して貰うことにした。

腹痛は大したことはなく、用を足して準備をしなおすと、また出発した。車通りの少ない田舎道、今は気分もすっきりしている。ちょっとした山道だが、水分の補給に注意して、このまま体調を崩さなければ、けっこう行けそうである。道の表面は粗かったが、深い木々に囲まれた山道の風情が、気持ちを穏やかにしてくれた。

やがて歩道が現れたので、その上を行くことにする。東京湾観音を過ぎた所で、サイクリングの親子連れとすれ違った。挨拶を交わし、さらに先へ進む。道は急な下り坂となって、鉄道を渡る陸橋の上に出た。

眼下に駅と線路、その周辺の家並みが、小さく箱庭のように見えていた。そこへ思いがけなく、曇り空の透き間から薄日が射したのである。雨の滴を含んだ山の緑がキラキラと輝き、下界からはいい匂いの風が吹き上げていた。

この美しい光景を、独りで楽しむのは申し訳ない気がした。だが、快感を分かち合うには、数10kmの苛酷な工程を経なければならないのだ。

キャプテンはその坂を出来るだけゆっくりと滑り降り、風景を楽しみながら、下に見える小さな駅を目指していた。駅名を調べ、地図で今いる位置を確かめる必要があったのだ。

たどり着いてみると、そこは内房線『佐貫町駅』だった。地図によれば、駅前のT字路を左に折れると127号にぶつかることになる。そのまま真っすぐ行っても行けなくはないが、道幅が狭く歩道が無いことが気持ちを鈍らせた。

それに、前回二年前のブレード走行のとき、冷たい井戸水で水浴びをさせてくれた「しゃぶしゃぶ屋」が、127号沿いに有るはずだった。そこをもう一度覗いてみたい気持ちも手伝って、ここは左に行くことにした。

その間に、天気は随分回復し、またあのうんざりするような太陽が、照ったり陰ったりを繰り返し始めた。

127号に出たところで、今度は十字路を右に折れた。そのまま道なりに行くと、間もなくあの白い建物のしゃぶしゃぶ屋が、山を背景にして見えて来た。手前にある畑には誰もいなかった。二年前の夏は、あの畑で仕事をしていたおやじさんに水浴びを薦められたのだ。

店の前まで行って、一段高くなっている駐車場に登った。そこから入り口付近を覗いていると、まるで待っていたかのように、中年の女性が掃除機を片手に出て来たのである。

「いいわねえ」その人は笑顔を見せ、いきなりそう言った。どうやら女将さんらしい。開店前の掃除の途中のようだ。「ずうっと向こうから滑って来るのが見えたから」

女将さんとは前回は会わなかった。キャプテンは二年前のお礼をしようとしたのだが、いきさつの説明がこの場の流れを止めてしまうように想われた。

「あの、水を使わせてもらえませんか?」
とだけキャプテンは尋ね、駐車場のホースを指さすと、
「どうぞ、どうぞ、いくらでも使っていいわよ。井戸水だから冷たいよ」
 そう言って、自らかがんで蛇口をひねってくれた。

「しばらく出しっ放しにすると冷たいのが出てくるの」
 そう言ってホースから勢いよく水を出し、手で水温を確かめていた。
「学生?」女将さんは顔を上げ、そう尋ねた。こう言うことをするのは、学生に決まっている・・。その人の言葉にはそんな響きが込められていた。

キャプテンはどう答えて良いものか迷った。素直に36です、と答えるのがまっとうだが、その後に続くはずの彼女の混乱ぶりを想うと面倒だった。

二年前、東京-富士山ブレード走行の際、山中湖畔で、地元の若い新聞記者に捕まり、インタビューを受けたことがあった。そのとき、正直に34歳だと答えた瞬間、彼は凍りついてしまったのである。キャプテンは、その説明のためにかなりの時間を費やさなければならなかった。

その新聞記者の顔を想い出しながら、キャプテンは無難に、「社会人です」とだけ答えておくことにした。すると、「いいわねえ若い人は、こう言うことが出来て」と、その人はため息交じりに言ったのである。

「いいえ、オレだって、本当は36なんですから」。よっぽど言おうかと想ったが、余計なことだとも想えた。

彼女の言葉の裏に有るものは、羨望や嫉妬か、それとも単なる社交辞令か。本当なら、「いいわねえ」と言う側にいたかも知れないキャプテンには、複雑な想いが迫ってくるのだった。

それにしてもこの家族は人懐こい人ばかりだ。女将さんといい、二年前のおやじさんといい・・。ほんとうに、立ち寄って良かった。

女将さんは、キャプテンが充分に水を浴びたことを見届けると、「ゆっくり休んでいって」と言い残し、店の中に戻って行った。

するとそれと入れ替わりに、モップを持った、高校生とおぼしき、髪を亜麻色に染めた少女が出て来たのである。彼女はキャプテンのすぐ近くまで来ると、バケツに水を汲んでモップを洗い始めた。その間ずっと無言で目を伏せたままだったが、顔は終始ニコニコしていて、一度だけ目が会った瞬間に、「こんにちは」と、小さく会釈した。

おそらく女将さんの娘なのだろう。きっと好奇心いっぱいで見物しに来たのだ。
「山道だったからね」
と、水を貰った理由をそれとなく伝えて、わざと彼女に良く見えるようにブレードを履き、ニィパッドを付けた。彼女は相変わらずニコニコして、その様子を珍しそうに眺めていた。

荷物を背負い支度が整うと、キャプテンは滑って駐車場を一回りし、「それじゃあ、どうもありがとう」とお礼を言った。彼女はモップの柄を立てたまま、笑顔でうなずいた。その照れくさそうな振る舞いが、とても柔らかな気持ちにさせてくれた。

ふと見ると、店の扉の向こうでは、女将さんも笑顔で手を振っていた。キャプテンはその姿に丁寧に挨拶し、再び127号の先へと向かうのだった。

滑り始めても、しばらくの間は二人の姿がちらついていた。たとえようのない懐かしさが、キャプテンの胸に残されていた。

「もっと、たくさん話しをすれば良かった・・」
そう想いながらも、足は前へ前へと進んでいた。
「あと一回くらい、あの子を笑わせてからでも遅くはなかったはずだ」
だがもう、引き返すことは出来なかった。

けっきょく、それから二時間ほど黙々と滑り続けていた。時おり強い陽射しが照って来ると、木陰を選んでは進んだ。車通りは少なかった。道の先で逃げ水が揺れていた。

少し急な上り坂に差しかかったとき、突然ブレードの挙動がおかしくなった。グラグラとよろめくような感じである。点検して見ると、ホイールのボルトが一つ外れて無くなっていた。そこで、平たんな場所まで片足で引きずって行き、工事現場の出入り口らしき広い場所で直すことにした。

座り込んで、予備のボルトと取り替えるていると、ゲートから土砂を積んだ大型トラックが現れて止まった。

「学生か?」トラックの運転手はいきなり大きな声でそう言った。キャプテンは声のした方向を見上げ、「社会人だ!」と、ちゅうちょ無く答えた。

「そうか」そいつはそう言うなり、にこりとして走り出して行った。そのすぐ後ろにもトラックが続き、同じようにキャプテンの横で止まって、今度は30代ぐらいの女の運転手が顔を出した。

「何処まで行くの?」。彼女はそう言って窓枠にひじをかけ、修理の様子を眺めていた。「かもがわ」と、答えると彼女は、「えーっ?」と驚いたが、4日かけて行くと言うことを伝えると、納得した様子に変わった。1日で行ってしまうと勘違いしたらしい。

彼女はしばらく話しをして、これから先の道路状況を細かに教えてくれた。そのあと「気をつけてね」と言い残すと、127号を東京方面に向かって、豪快なエンジン音と共に走り去って行くのだった。

キャプテンは、今まで邪魔にされ、敵だと想っていたトラック運転手に、思いがけず励ましの声をかけられたことで、ちょっと感動していた。彼ら以外にも、道路工事をしていたニッカポッカのコワモテ兄さんに、頑張ってな! などと声をかけられる場面もあって、こりゃあ考え直さなくちゃいかん、と独り納得していたのである。

一年中、屋外で働く彼らにはむしろ、この灼熱の道路を滑ることの大変さが理解出来るのかも知れない。だからこんな酔狂な奴にでも、邪魔者扱いせず、寛大に相手をしてくれる・・。そう想うと、励ましてくれた彼らに対しても、ますますリタイアするわけにはいかないと言う気がしてくるのだった。

修理が終わり、再び滑りはじめる。そろそろ昼だったし、比較的気分も良かったので、「そば屋」を探そうと想った。しかし、途中は畑や田んぼばかりで中々見つからず、けっきょく、前回新妻君と入った「アジの天ぷら」と「アジフライ」を間違えた店までたどり着いてしまったのである。

だが、それもまたいいと想った。二年前と何処がどんな風に変わったのか、見て歩くのもいいだろう。

たとえば今日は、この先、明鐘岬の、あのおかしな男と女主人がいた『岬』と言う店を訪れるつもりなのだ。出発前、前回同行した新妻君が、「もし廃屋しか無かったらどうします?」と、冗談を言っていたが、それならそれもまた話しのタネになっていい。(南房総に夏の終わりの夢を見た:参照)

大盛そばと冷やしトマトを食べ終えて外に出ると、二年前有ったはずの、ミゼットなど軽クラッシックカーが無くなっているのに気づいた。しかしそれ以外は何も変わっていない、遠く海の見えるかずさみなとの食堂なのであった。
 


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1 ・ 2 千葉 - 鴨川・ブレード走行記 (白浜でリアタイア)        目次 変調 待っていた男 失速 幻のゴール ゆくえ 昼食の間に天気は完全に回復し、再び強烈な陽射しの中を進むことになった。太陽を浴びると、また気分が悪くなってくるような気がした。 少し不安を感じながらも進んで行くと、道の先に見覚えの有る信号が現れた。二年前キャプテンと新妻君の脇で起きた、あの二重追突事故の現場だ。確かにここに違いない。まじまじと周囲を眺め、事故なんて起きそうに無いのになあ、そう想った矢先のことだった。横を通り過ぎた車が、またいきなり急ブレーキをかけたのだ。 「おい!?」とあわてて振り返ったが、幸い事故にはならなかった。またしてもブレード・ランナーが珍しくて前方不注意になったのだろうか。それにしても・・、なんだか嫌なポイントだ。 『湊川』の橋を渡り、右に大きくカーブする山沿いの道をたどると、やがて東京湾浦賀水道の海が見えてくる。遥か向こう岸は三浦半島横須賀の港だ。この辺りからずっと海岸沿いを滑ることになる。キャプテンは、すっきりしない気分を抱えたままではあったが、海を眺めることで力を回復出来ると信じていた。 その道は人の気配が無く、車だけが風を切って行く。歩道は、ゴム状の継ぎ目を飛び越える以外気を使うことはなく、滑らかな路面が続いていた。海側は断崖になっていて、そのギリギリに、幾つかのレストランや小さなホテルなどが建ち並んでいた。 しかし車が数台止まっているだけで、賑わいと呼べるものは感じられなかった。シーズンの盛りにはもっと人が訪れるのだろうか。どの店も、捕れたて新鮮魚介類の料理が売り物らしく、そのことを謳った看板が立てられていた。 「知る人ぞ知る、穴場と言った店が有るのかも知れないな」そんなことをぼんやりと考えていた。 道路から見える崖下の砂浜では、数人の人々が海水浴を楽しんでいた。海の家も無い静かな浜辺は、さながらプライベート・ビーチと言った雰囲気である。そんな光景が何度か現れては消え、『金谷』の辺りまでは、比較的楽しみながら滑って来ることができた。 どのくらいたったのだろう。かなり疲れを感じたところで、丁度よく木々に覆われた細い脇道を見つけた。迷わず滑り込んで、荷物を降ろすことにする。 そこには、心地よい風が吹き抜けていた。道の両側に古い小さな家が建ち並び、遠く水平...

「茨城46億年後の一期一会 .1」1996

1・ 2 ・ 3 ・ 4 ・ 5 ・ 6 ・ 7 <高萩 - 犬吠埼・ブレード走行記1 1日目前半> 1996年8月。ゴブリンズの夏季キャンプが、千葉県犬吠埼の長崎町で行われることになった。そこでゴブリンズ・ブレード隊の高橋文昭、新妻英利、森広康二の三名は、その四日前に茨城県高萩市を出発。犬吠埼・長崎町までの135kmを、4日間かけてインラインスケートのみで南下し、ゴブリンズのメンバーと落ち合う、と言う旅を計画した。 ◆ 主な登場人物  ◆  ブレード隊・キャプテン高橋  草野球チーム・ゴブリンズのキャプテン。34歳で初めての長距離ブレード走行を敢行。今回、通算走行距離1000km突破を目指す。  ブレード隊・新妻英利 隊員  伝説の第一次ブレード隊のメンバー。1995年カナダ・ロッキー山脈にて初の海外ブレード走行を試みるが、足のツメを剥がし100km地点でリタイア。  ブレード隊・森広康二 隊員  1996年からブレード隊に参加の新人。経験は浅いが、抜群の登坂能力とスピードを持つ。ブレード・アクセサリーに凝っている。  塚本じいさん  高萩の外装の汚いビジネスホテルのオーナー(現在廃業)。  水木海岸の少年  岸で駐車場の番をしていた愛想の無い高校生。  旅館須賀屋の女将  飛び込み客に面倒味が良い、 日立港近くの旅館の女主人。  旗振りの男  海岸で旗を振って客引きをしていた無数の人間の中のひとり。  ターザンの娘  あぶない格好でブレード隊に手を振っていたと言う少女。  民宿大竹の女将  茨城弁丸出しの美人ママ。  その女将の子供  出発時に見送りしてくれた疑り深い性格の女の子。  グリル鹿島の娘  バカッ丁寧な言葉使いの少女。  鹿島ガンプ  奇妙な質問を発し、自転車で延々とブレード隊を追いかけて来た不思議な人物。  旅館かわたけの女将  無理を承知で泊めてくれた太っ腹人情女将。  ◯◯ 高校サッカー部  『かわたけ』に泊まった礼儀知らずの合宿軍団。    1日目/1996年7月31日(水)「高萩海岸から日立駅前そば屋まで」 ◆ 不吉なる序章 ◆ この旅の始まり、不吉な出来事が起こった。ブレード隊三人が乗り込んだ列車が、ある時点から、「ガラガラ、ガツン!」「カン、カラン、ゴンッ!」と言う、石が車体にぶつかるような激しい音をさせ始めたのである。 初め...

「南房総に夏の終わりの夢を見た・前編」1992

「南房総に夏の終わりの夢を見た」前編 ★1992年8月21日(金)15時。キャプテン高橋とゴブリンズ新人・新妻英利は、ついに総武本線千葉駅から鴨川キャンプの拠点、民宿ウエダ(天津小湊町)までの162.2キロをローラー・ブレードによって走破する事に成功。これは前回の東京−富士間77.5キロを、84.7キロ上回る距離であった。 千葉 - 鴨川ブレード走行記 1日目 〜 2日目「千葉駅 〜 木更津 〜 鋸南町」 *前半 目次* 待ち合わせは千葉駅 快調な滑り出し16号 あまりに場違いな昼食 塩吹くキャプテン高橋 『すえひろ』で生き返る 場違いな宿、グランパークホテル 朝、雨が降っていた 救いのオヤジさんが現る あじフライとあじの天ぷらは違う 音無き警鐘が聞こえる 午後の海辺をブレード・ランナーが行く ノコギリ山に思わぬ敵が待っていた 岬で『岬』と言う喫茶店に引き込まれた さらに苦難の道は続く 民宿は旅のオアシスだ 後編へ・・ ■ 待ち合わせは千葉駅 ■ 嵐が幾つか通り過ぎる頃、空はどこか澄んで、別の季節の色を見せていた。6月の『東京—富士ブレード走行』から、約2カ月、常にキャプテン高橋の胸に去来していたイメージは、南房総のまぶしく輝く海、熱い夏の空気を切り裂く、ブレード・ランナーの姿だった。 8月18日火曜日、9時半。総武本線の終点、千葉駅のホームで、高橋、新妻の両者は、ブレード走行決行のために待ち合わせた。新人・新妻英利君は、果たして心強い伴走者となるのか、それとも単なる足手まといとなるのか、それは誰にも解らなかった。 天気は曇り気味。雨を予感させる黒い雲も漂っていた。南では台風が近づいていると言う。天候はどうなるのか、全く予測が立たなかった。 二人は『総武線千葉駅ホームの進行方向一番前』で会うことにした。気持ちを『前向き』にするため『一番前』を選んだのだ。しかし、ここは終着駅なので、折り返して電車が出発すると『一番うしろ』になってしまう欠点が有った。だが、そんな事にかまってはいられない。二人は勇躍駅を後にした。 ■ 快調な滑りだし、16号 ■ 16号沿いの歩道で用意をする。前回強烈な靴ずれの痛みに悩まされただけに、今回は、テーピング、ワセリン、ガムテープで、対策に万全を期す。用意が済んで立ち上がると、お巡りさんが自転車を止めてじっと見ているのに気づいた。二人は何も悪い...

「茨城46億年後の一期一会 .4」1996

1 ・ 2 ・ 3 ・ 4 ・ 5 ・ 6 ・ 7 <高萩 - 犬吠埼・ブレード走行記4 2日目後半> 2日目/8月1日(木)「大洗海水浴場から大竹海岸・民宿大竹まで」 ◆ 昼下がりの・・、大洗海岸 ◆ 昼食を終えたあと、ちょっと長めの昼休みと言うことになった。 森広君は汗に濡れたTシャツを脱いで日なたに乾し、上半身を焼き始めた。とにかくこの男は、すぐ赤く腫れてしまうくせに、一気に焼かないと気がすまないと言うやっかいな奴なのだ。それに引き換え、足の痛みで予想以上に疲労している新妻君は、海の家で有料のシャワーを浴び、気持ちの張りを取り戻そうと懸命である。 その間キャプテンは、海の家のベンチに座って、ワセリンや日焼け止めを塗り直したり、サングラスの汚れを落としたりしていた。その横を、海から上がって来た何人かの男女が通り過ぎて行く。午後の強い陽差しにみな目を細め、シャワー室に入って行くのだった。 何度か、店番をしているオバサン達のカン高い笑い声が聞こえて、また静かになった。そのあとは、通り過ぎる車と風の音しか聴こえて来ない。 「オレにとっては・・、ここは、日本の裏側だ」慣れ親しんでいる天津小湊や九十九里の海に比べると、ここは本当に見知らぬ海だった。 「これが大洗海岸と言うものか・・」どうしようもない寂寥感が胸に迫った。やっぱり、ゴブリンズキャンプは、犬吠埼ではなく天津小湊にした方が良かっただろうか、と想う。 ・・いや、だめだ。あの海には想い出が多すぎる。 やがて、シャワーを終えて来た新妻君が隣のベンチに座った。彼は自分の足に巻かれたテーピングを剥がそうとするが、すね毛が絡みついているのか、何度も「だあー!」と言う激しい悲鳴を上げていた。そのうちたまりかねて、アウトドア・ナイフで毛を切りながらテープを剥がす、と言う荒っぽい戦法に出た。 その時キャプテンは、彼の足首に大きな靴ズレの跡が有るのを見つけた。やはりツメだけではなかったようだ。それを見て、もうこの先、新妻君が復活することは無いだろうと想った。どんな治療を施しても、このまま延々と苦痛が続くだけであり、楽しいことはひとつも無い。ひょっとすると完走さえ危ないかも知れない。 「ワセリン塗っとけよ、ほら」と彼に差し出すと、意外なほど素直に受け取り、靴ズレの患部に塗り始めるのだった。ひとが薦めるものをことごとく拒絶するヘソ曲が...

「三年ぶり、ブレード走行熱海」1999

< 三年ぶり、ブレード走行熱海 > ★1996年の夏、高萩 - 犬吠埼の茨城走行が終了したあと、ゴブリンズの周辺は一変してしまった。レギュラーメンバーの約半分が、仕事のためハワイに移住してしまったのだ。もちろんチームは事実上活動休止。ブレード隊もバラバラになってしまう。・・ そ れから、約3年の年月が流れて、ゴブリンズは一人また一人と、再び仲間が集まり始めていた。 だが1999年5月2日、まだ何かが足りないキャプテン高橋は、ついに三年ぶりのブレード走行を行うため、一人列車に乗っていた。向かった場所は伊豆。出発地点は熱海。かつて1996年の春、森広隊員と滑った湘南ブレード走行(茅ヶ崎 - 熱海)の続編を決行するためである。 熱海の駅を降りたとき、時計は午前10時をまわろうとしていた。天気はこれ以上無いと言う快晴。陽差しがまぶしく、歩くだけで熱気を感じる。ただ、時折り吹く風はひんやりとして心地良かった。 駅前通りの坂を下って、途中、自家製パン屋で、アンドーナツと、カレーパンと、クロワッサンと、桃の天然水とを買った。パンは焼きたてでまだ暖かく、ふんわりとしている。 そこから土産物屋が並ぶ通りを抜けて海岸へ出る。右手方向の、これから向かおうとする135号線の先に目をやると、急な上り坂の道が、山の向こう側にまわり込んで見えなくなっていた。そこを、ゴールデンウィーク中の渋滞した車が、ノロノロとうごめいているのだ。 少し気が重くなっていた。もっと普通の日にすればよかったと想う。それでなくても伊豆は、道が狭い、アップダウンが多い、迂回路が無いと言うことで、ブレード走行禁断の地と言われ続けて来たところである。しかもあの車の数だ・・ しかし、このところ週末は雨続きで、連休に入ってようやく上天気になったのだ。これ以上待つと、次のチャンスはいつになるか解らない。 ともかく一服して、パンをおやつにしながらメールを書こうと想った。今回はゴブリンズへのモバイルメールで、ブレード走行のライブ中継をやろうと想っていたのである。 砂浜への広い階段を中ほどまで降り、海を眺めた。水ぎわをたくさんの人々が歩いていた。 その場で腰を降ろし、携帯電話とザウルスを取り出す。まぶしすぎるので、ツーリング用サングラスをかけた。そうして、5月の心地よい風に吹かれながら、メール文を考え始めるのだった。(このころ携帯メール...

「湘南の海、エンドー苦難の道」1993

< 横須賀 - 茅ヶ崎・ブレード走行記 > 1993年。ゴブリンズ・ブレード隊、キャプテン高橋と遠藤忠隊員は、10月23日と24日の二日間に渡り、三浦半島の横須賀から茅ヶ崎まで、約75kmを無事完走したと発表。この完走によりキャプテン高橋の通算走行距離は359.4kmとなった。                    目次 うれしはずかし出発の時 三浦海岸! これを見に来た 遠藤殺しの坂が待っていた 史上最大のピンチである?! ついにブレード隊、初の野宿なのか・・? 二日目、最高の出発 湘南・超観光ルートを行く 日曜の午後の終わり ◇ うれしはずかし出発の時   ◇ 「だめだ、間に合わん!」 時計を見ると、7時55分。東急東横線の急行はたった今、 渋谷を出発したばかりだった。約束は横浜駅の改札に8時だが、この分では8時半ごろになってしまうだろう。昨晩、荷物の用意をしている内に夜が更けてしまい、キャプテンは今朝少し寝過ごした。しかし興奮のあまり眠れなくなった訳では無い。もう子供ではないのだ。 ドア際の窓から空を覗くと、雲は多めだが気持ちの良い秋晴れ。10月23日(土)、この週末の天気に問題は無い。ただ、なぜか寒さがとても心配だった。必要以上に気にしてしまったのは、第三次ブレード隊『富士五湖周回走行10.24』からちょうど1年、あの富士山麓の標高の高さと、降りしきる雨の記憶のせいに違いなかった。 予想した通り8時30分に横浜駅に着いた。改札を出ると、憮然とした遠藤隊員の姿が有った。「悪い、悪い。寝過ごした」仕方なくキャプテンは笑ってごまかすのだった。 日頃、野球の試合などでは、周囲から時間に厳格だと思い込まれているキャプテンだが、何を隠そう、中学・高校の6年間、常に遅刻回数・学年トップを誇って来たクセ者なのである。その頃の1年間の平均遅刻数は約70個。これは野球に例えれば『盗塁王』に匹敵するのはないかと一部ではささやかれているが、さて、どんなもんだろう・・ 二人はそこから京浜急行に乗り換え、横須賀中央駅へと向かった。気温24.3度、まずまずの走行日和だ。このくらいの陽射しが有れば、走っている内に体温の上昇でちょうど良くなって来るはずである。間近に迫った出発に備えて色々と考えは及ぶ。もう一人の隊員、新妻氏は、なんだかんだと急用が出来て、今日は来れなくなった。 横須賀...

「南房総に夏の終わりの夢を見た・後編」1992

      「南房総に夏の終わりの夢を見た」後編   >前編に戻る ★1992年8月21日(金)15時。キャプテン高橋とゴブリンズ新人・新妻英利は、ついに総武本線千葉駅から鴨川キャンプの拠点、民宿ウエダ(天津小湊町)までの162.2キロをローラー・ブレードによって走破する事に成功。これは前回の東京-富士間77.5キロを、84.7キロ上回る距離であった。 千葉 - 鴨川ブレード走行記 3日目 〜 4日目「鋸南町 〜 白浜 〜 天津小湊」 *目 次* あきらめるな道は必ず開ける 海岸線、防波堤を行く 昼飯はそばと決めていた ここは何処だ、遠いところだ フラワーライン、組曲惑星が聞こえた 旅館か民宿か、迷うところだ 気を許すな、音無き警鐘を思い出せ 赤い道は滑りやすい やっぱり昼飯はそばに限る たまらん隊がゆく・・ そして旅が終わった ■ あきらめるな道は必ず開ける ■ 8月20日。昨日トンネルに道を阻まれ、予定よりも大幅に遅れてしまった。千葉駅を出発して、60km進んだだけである。あと2日で100km行かねばならない。 新妻君は一時『岬』の女主人が言った近道も捨て難いと、迷い始めていた。肉体的疲労に加え、追突事故を目の当たりにしてしまったこと、トンネルの恐怖などが影響していた。 実はキャプテンも同じような心理状態にはあったのだが、この旅はただ目的地に着けば良いのではなく、162.2kmを走破しなければ意味が無いのだった。さらに、館山から白浜あたりまでの南房総を通らなければ、彼の想い描いたイメージは完成しない。彼は新妻君の決心がつくのを待った。しかし、もしどうしても駄目だと言ったならば、無理強いはするまいとも思っていた。 「でも、女主人の言うなりになったら、負けだな。ダメだったら、歩けばいい。行きましょう!」こう言って新妻君は気持ちを固めた様子であった。 あきらめる時は、にっちもさっちも行かないその現場で、はっきりケリをつけてからあきらめる。後は電車でもバスでも使えば良いのだ。途中であきらめてしまったら、可能性も幸運も使わない内に手放してしまうことになる。とは言え、キャプテンの心の中には、あきらめない勇気とあきらめる勇気とが互いに見え隠れしていた。 ・・と言うように、三日目は少しカッコつけた書き出しになってしまったが、実際は結構だらだらと出発したのである。 滑り出して、初...