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「湘南の海、エンドー苦難の道」1993

横須賀 - 茅ヶ崎・ブレード走行記

1993年。ゴブリンズ・ブレード隊、キャプテン高橋と遠藤忠隊員は、10月23日と24日の二日間に渡り、三浦半島の横須賀から茅ヶ崎まで、約75kmを無事完走したと発表。この完走によりキャプテン高橋の通算走行距離は359.4kmとなった。
              

うれしはずかし出発の時 

「だめだ、間に合わん!」
時計を見ると、7時55分。東急東横線の急行はたった今、
渋谷を出発したばかりだった。約束は横浜駅の改札に8時だが、この分では8時半ごろになってしまうだろう。昨晩、荷物の用意をしている内に夜が更けてしまい、キャプテンは今朝少し寝過ごした。しかし興奮のあまり眠れなくなった訳では無い。もう子供ではないのだ。

ドア際の窓から空を覗くと、雲は多めだが気持ちの良い秋晴れ。10月23日(土)、この週末の天気に問題は無い。ただ、なぜか寒さがとても心配だった。必要以上に気にしてしまったのは、第三次ブレード隊『富士五湖周回走行10.24』からちょうど1年、あの富士山麓の標高の高さと、降りしきる雨の記憶のせいに違いなかった。

予想した通り8時30分に横浜駅に着いた。改札を出ると、憮然とした遠藤隊員の姿が有った。「悪い、悪い。寝過ごした」仕方なくキャプテンは笑ってごまかすのだった。

日頃、野球の試合などでは、周囲から時間に厳格だと思い込まれているキャプテンだが、何を隠そう、中学・高校の6年間、常に遅刻回数・学年トップを誇って来たクセ者なのである。その頃の1年間の平均遅刻数は約70個。これは野球に例えれば『盗塁王』に匹敵するのはないかと一部ではささやかれているが、さて、どんなもんだろう・・

二人はそこから京浜急行に乗り換え、横須賀中央駅へと向かった。気温24.3度、まずまずの走行日和だ。このくらいの陽射しが有れば、走っている内に体温の上昇でちょうど良くなって来るはずである。間近に迫った出発に備えて色々と考えは及ぶ。もう一人の隊員、新妻氏は、なんだかんだと急用が出来て、今日は来れなくなった。

横須賀中央駅に着いた。電車を降りて、着替えようとトイレのドアの前まで行ったら、物凄い勢いで走ってきた男が二人を押しのけて先に入ってしまったのだ。かなり切迫していたと見える。

仕方なく、マクドナルドで食事をした後、遠藤隊員は店のトイレで、この肌寒い季節にショートパンツにはき替えて出て来た。

その様子を隣の席で見ていた女子高生達が不審そうに眺めている。ブレード隊、またもや場違いな店を作ってしまうのか?!、一瞬そんな緊張が走った。彼らは一度入った店には二度と入れないとまで言われているのだ。

国道16号の歩道まで出てブレードに履き変えることにするが、人目が気になる。着替えの場所に迷って裏道に入り、人気の無い駐車場で、コソコソ隠れるようにコスチュームに着替え始める。

すると「何者だ?」とばかりに、近くのガソリンスタンドのおっさんが近寄って探りを入れて来た。場合によっちゃあ警察も呼ばざるをえんぞ!と言う雰囲気だったが、何がなんだか解らない様子で戻って行った。

このように、絶えず偏見と疑いの目にさらされているゴブリンズ・ブレード隊・・
「ニューヨークじゃあ、こんなことは無いね。日本人は自分と違った行動をする者に、わけも無く目くじらを立てるんだ」と、キャプテンは事ある毎に、1回きり10日間しか行った事が無いのに、いきなりニューヨーク自慢を始めるのだった。

だが、遠藤隊員は黙ったまま、今回購入したニィパッドの初装備に余念が無い。
「エンドー・・、聞いてる?」

キャプテンは靴擦れに弱いので、足の指にワセリン、テーピングで入念に準備。いつものようにニィパッドから始まりエルボーパッド、ハンドギアにサングラス、そしてなんと言っても今回の目玉新装備はサングラスに取り付けるバックミラーである。

通常サイクリストがヘルメットに付けるもので、歯医者が使うミラーに良く似ている。あの形で自在に角度を変えられる物だと思えば良い。これは、後方からの車対策のためである。後ろを確認しようと振り向くと、バランスを崩したり、足元の段差に気がつかないことが多いからだ。

準備が終わって、そこから10時出発。風が少し冷たい。街中では人の目がやけに気になった。正体を隠すスーパーマンの気持ちが良く解る。が、ともあれ、いよいよ湘南ブレード走行の始まりである。目的地茅ヶ崎駅まで一泊二日、およそ75km。

出発から30分経過。路面温度24.7℃。次第に体温が上がって来る。遠藤君も暑くなったのか、信号待ちでトレーナーを脱いだ。キャプテンは出発からTシャツ。最初は肌寒い感じだったが、今はちょうど良くなった。トレーナーではやはり暑いだろう。

それはいいが、キャプテンは寝違えたらしく右脇腹が痛い。「そんなとこ寝違えるものか?」遠藤隊員の疑問である。

途中から右に折れ134号に入る。京急線の鉄橋の下をくぐる。歩道は結構滑らかで申し分無い。このまま進んで行きたい。


 三浦海岸! これを見に来た 

10時47分。北久里浜駅前を通り過ぎる。横断歩道を渡る若者二人が、横目でブレード隊を一瞥して行った。この辺りは、道は広いが景色はちょっとした丘陵地帯と行った感じで、小さな山々がのどかなブレード走行の幕開けを感じさせた。

駅を出てから広い134号の歩道をずっと進んでいる。地元に住んでいる人には悪いが「倉庫や工場などのわびしい感じの風景から、突如青い海の海岸線に出くわして大喜びする」と言うコースを組み立てた。その久里浜船蔵町のコンビニの前で10分休憩。11時。路面温度28度。大型トラックの排気ガスがクサい。

そのまま真っすぐ進んで、久里浜港の辺りで右に折れる。滑り始めて1時間以上が経過し、人目を気にしなくなっている自分に気づく。すれ違う人々もまた意識するほど気にかけてはいないようだ。

商店街を抜けると、ちょっとした上り坂に差しかかった。ここまでは歩道率100%。一度、クリーニング工場から飛び出して来た男とぶつかりそうになったこと以外、危険な目には会っていない。

最初の上り坂が終わる。下り坂で下校中?の学生達を追い越す。11時50分。出発から約二時間、急に視界が開け、ついに最初の海が見え始める。三浦海岸だ。天気は上々、光る海、幾つものきれいなウィンド・サーフィンの帆が見えている。

美しい! これだ。これを見に来たのだ。
「たまらーん! これが、たまらん隊たるゆえんですか!」
遠藤隊員も気分を良くして笑っている。

こう言う風景に出くわすと一気に疲れが取れるのだ。ブレード走行の良さはこんな瞬間である。たとえば車を運転する人なら、こんな時、車を止める事がどんなに勇気のいることか知っているはずだ。ブレードなら風景をじっくり眺めながら長距離の移動が可能なのである。

ところが風景とは裏腹に、ここへ来て歩道がひどい路面に変わってしまったのである。激しい振動に足腰がかなり疲れて来る。とうとう長沢と言う所で休憩。遠藤隊員は、足だけでなく肩の痛みも訴え始めた。彼は荷物を背負っての走行が初めてなのである。

再び進み始めて間もなく犬とすれ違う。二人は少し緊張した。犬はブレードに対して異常なほどの恐怖を示すのだ。何故かは良く解らない。キャプテンは音のせいかと思ったが、遠藤説では、人間が、犬の認識とは掛け離れた異常な動きをするので、化け物を見るような恐怖を感じるのでは?と言う。犬によっては七転八倒の大暴れで吠えまくる奴もいるほどだ。

路面が悪いので、道を渡って海岸線の駐車場の中を滑る。しかしそこも決して路面が良いとは言えず、疲れる。

並んでいるのはほとんどがウィンド・サーファーの車。気温はちょうど良いくらいだった。滑っていると少し汗ばむくらいで、風も気持ち良い。海岸にはカイトを飛ばす者、バーベキューをする者などがいた。それから地引き網でも引いているのか、波打ち際に大勢人が集まっていた。

  
 遠藤殺しの坂が待っていた 

134号が山側にそれるのを前に、ファミリーマートでパンなどを買って、海辺で軽い昼食を取った。食事が終わって出発の用意をしていると、陰っていた陽射しがまた指し始めた。

滑り始めて海岸を離れたころ、また上り坂が始まる。海は見えなくなるが歩道は一応有ることは有る。ちょっと苦しいが大丈夫だろう。

「城ヶ島まであと7キロ」との表示が現れるが、たぶん城ヶ島には寄らない。上りで強い向かい風、苦しい。左には広い畑。右側はマンションが建つらしい土地の造成中だった。海が見えなくなって気が紛れず、思ったより疲れてくる。

坂の途中、通り沿いの倉庫でトラックの誘導をしていた人に「何処まで行くんだ?」と尋ねられた。「茅ヶ崎まで」と言うと驚いていた。やはり不思議らしい。

風が強くなってきた。遠藤隊員が遅れ始める。ミラーごしに小さくなって行く。振り向くと50mぐらい離れていた。

坂道を上り切ったところに三差路が有り、真っすぐ行けば城ヶ島に着くのだが、海まで下ればまた上らなければならなくなる。多少行きたい気持もあったが、遠藤隊員の疲労を考慮しあきらめることにする。三差路を右に折れると、ようやく下り坂になった。右側の歩道を進む。

通り過ぎる車が二人を見ていた。驚いて指さしたり、笑っていたりしている。それはいいが、わき見運転で事故を起こさぬよう気をつけて貰いたい。こっちが心配になる。

遠藤隊員、ここへ来てかなり遅れ気味。疲労の色が濃い。ところどころ建物の間から海が見え隠れしているが、それも目に入らないようす。

間もなく恐ろしく長い下り坂が始まった。全然終わりが見えない。下りなら楽だろうと思われがちだが、けっこう疲れるものなのだ。と言うのも、絶えずヒールラバーでブレーキングしなければならず、同じ姿勢が延々と続いてしびれて来るからだ。

三崎口駅前を通り過ぎる。駅前は学生でいっぱいで通り過ぎるのに苦労する。ブレードを見た学生達は口々に「あれだったら楽だろうな」とか話していたけど、見た目ほど楽ではないんだよ。

学生達をかき分けながら進み、最後に二人の女子高生を追い越したら、突然「あっ、あっ、ローラー・ボードですか?!。待ってえローラー・ボードー!」と叫び、走って追いかけて来た。
すぐにあきらめるのかと思ったら延々と騒いで追いかけて来るのだ。キャプテンはそれまで疲れてダラダラ滑っていたが、急に一番カッコイイフォームをしてしまうのであった。

「いっしょに行きましょうよ〜。ローラー・ボードー!」と名称を間違えたまま叫んでいるので、後ろで遠藤が「ローラー・ブレードだよ」と訂正するのだった。

その女子高生を振り切った後、長い下り坂がようやく終わった。足が棒のようになってしまった。転倒しなくて本当に良かったと思った。が、坂が終わったと思ったら歩道が貧弱になり、また苦労する。穴の空いたどぶ板の上を滑ることになってしまった。この旅ではまだ滑りの快感が得られていない。

三浦市から再び横須賀市に入った。半島をぐるっと回って来たのだ。だんだん歩道が広くなって楽になる。遠藤はずっと遅れ気味だ。100mぐらい離れた。遠藤の疲労が激し過ぎる。このままでは速度が落ちるばかりだ。荒崎口を過ぎたところで少し早いが休憩。昼食休憩から約1時間。2時10分。葉山まで後9km。鎌倉まで14km。

  
 史上最大のピンチである?! 

休憩で、遠藤が極度の疲労感を訴える。足だけではなく肩も痛いと言う。重いデイパックを担ぎながらの走行に慣れていないのだ。キヤプテンは衝撃吸収中敷きが無いためだとも考える。舗装路面からの振動は疲労の大きな要因になってしまうのである。キャプテンは前回からソルボセインの中敷きを入れるようになって疲労が大きく軽減されたのだ。

ブレードを脱ぎ、水分を補給する。夏ほどでは無いが、発汗が多い。休憩を終え、また出発する。ちょっと寂しい商店街を抜ける。遠藤の疲労は15分の休憩では回復しなかったようだ。その後もかなり遅れがちで、次第にキヤプテンとの距離が開き始める。離れ過ぎて遠藤の姿を見失うと、そのたびに休んで追いつくのを待った。

葉山辺りまで来ただろうか。午後3時、やや町並みに海の気配が感じられるようになって来た。ようやく宿が探せる場所まで来たようだ。

だが、いよいよ遠藤の疲労は深刻なものになって行った。ペースが予想以上に遅くなっているのだ。とにかく宿のある場所までたどり着かなければならないと思った。しかし果たして宿に空きは有るのか? ブレード走行一番の?楽しみ、風呂とビールと夕食にはありつけるのだろうか?

次第に陽が傾き気温が下がってくる。風が強く、体温が奪われる。

通常ブレードでは、軽く滑って1時間に10kmぐらいは行ける。それが今のところ1時間3kmのペース。宿が有りそうな葉山まで残り3km。そこでもし遠藤隊員が走行不能となり宿も無なかったとしたら、一番近い逗子駅までさらに6km、少なくとも1時間30分は滑り続けなければならないのだ。

しかしもう遠藤隊員はそんなに持ちそうにもなかった。それに、辺りも日が暮れ暗くなってしまうだろう。・・さすがのキャプテンも不安感に襲われる。

若干の下り坂。モーターボートのエンジンを3人の男達が運んでいた。その様子から、すぐそこまで海が近づいていることが分かった。やがて小高い丘の上の道に差しかかった。目の高さにリゾートマンションらしき建物が現れ、そのうしろは空だけしか見えなかった。ようやく海のすぐ近くまで来たのだ。

海に出る前に石垣に座って一度休んだ。
「もうこれ以上は速度を出せない」遠藤隊員が苦悩の表情を見せた。
「もうすぐ葉山だ。3時半過ぎたら宿を探しながら滑ろう」

キャプテンは時計を見た。3時10分を少し回っていた。4時頃まで見つけなければ泊まれない恐れが出て来る。向こう側の店の中で、二人の男が何を話しているのか、ガラス戸越しにブレード隊を指さしながら笑っていた。

風が強い。立ち上がるとその冷たさが身に染みた。休んでいる間に陽射しの力が弱まっていたのだ。陰になった部分はもはや暗い晩秋の気配である。

滑り始めて、リゾートマンションを左手に見ながら緩やかにカーブする。曲がり切った所でとうとう海が見えて来た。暗い水の色。夕日がギラギラと反射している。激しい風に波が恐ろしい音を立てる。

周囲の表示などから葉山の海辺であることが分かった。何とか葉山まではたどり着いたのだ。計画では逗子まで行くつもりだったが、今日はこれまでだ。

4時少し前。134号沿いに民宿を一つ見つけたが、ここは予約客でいっぱい。もう少し先まで行って見る。早くしないと間に合わなくなるから急いで探す。遠藤はもう疲れ果てて速くは滑れず、キャプテンが先に進んで探すことにした。

葉山御用邸の前に来た。ここら辺にはちょっと有りそうにもない。また戻らなければ。一人脇道に入って探し始めたキャプテンは、細い道の曲がり角で、突然現れた車と衝突しそうになり、とっさに生け垣に突っ込んで止まった。

「Are you OK?」
車の窓から首を出した運転手は外国人だった。彼は穏やかな調子で、聞き取れるようにゆっくりした英語でそう言った。

「オーケー・・、アイム、オーケー」
 左足を擦りむいただけだと想ったので、そう返事したら、
「Good・・」
と言って、何事も無かったように走り去って行った。

飛び出したこちらが悪かったのに、最後まで穏やかな態度だった。あの人自身の性格が穏やかだったのかも知れないが、これが日本人だったら恐らく、「バカやろう!気をつけろ!」と怒鳴られていただろう。とにかく日本人はすぐに怒る。しかも早合点が多い。もっと、ゆったりと大きな心を持とう、日本人・・

そんなことを考えている場合じゃなかった。じつは身動きが出来ないでいた。思ったよりダメージがあったのだ。見るとスネの辺りがスリ傷で血が吹き出ていた。何とか立ち上がり、よろよろと元来た道に戻る。

そしてまた海辺の民宿などをあたってみた。だが、どこもみな部屋はいっぱい。仕方なく少し海から離れた場所を探すことにした。間もなく後から来た遠藤に、両腕でバツの字を作って「ダメ」のサインを送ると、彼はさらにどっと疲れた様子だった。

やはり休日の観光地を甘く見てはいけなかった。本当に困ったことになりそうだった。もしかするとマジで野宿になるかも知れない・・


 ついにブレード隊、初の野宿なのか・・? 

最後の力を振り絞り、脇道の小さな坂を上って行った。

「必ずうまく行く!」
キャプテンはピンチの時いつもそうするように、心の中で念じていた。気持ちを奮い立たせると、不思議と道は開けて来る。

・・と、その時、目の前を通り過ぎる一人のオバサンを見つけた。直感的に、歩いて行くオバサンの後を追う。そして思い切って声をかけてみた。

「あのう・・、すみません。この辺で泊まれるところ知りませんか?」
キャプテンが尋ねると、そのオバサンは買い物かごを腕に下げたまま、しばらくキャプテンをいぶかしげに見ているのだった。
・・頬の辺りを、冷たい汗がつたう。

「夕飯は間には合わないけど、外で食べるので良かったら泊まれるよ」
「えっ?」
「ウチは民宿だから」

おお!、なんと言うラッキーであろう!?。民宿のオバさんなんですか?。良かった、助かった・・

「お願いします。泊めてください」
「何人?。朝食はどうする?。今ね、朝のおかず買いに行くとこなんだよ」
「二人です。朝食付きでお願いします」

「なにで来たの?」
キャプテンの格好を見ながらオバサンは言った。そこで足元のブレードを指さし、
「これで・・」と言うと、オバサンは理解できないようで、
「フーン・・?。車で来たのかい?」
と言う。キャプテンは今度は少し弱気になって、
「あの、これで・・」
と、少し足を上げて見せた。しかしその後ついに返事は無かったのである。

キャプテンは「付いといで」と言うオバサンの後を追った。ようやく追いついた遠藤隊員とも合流。小さなオバサンの後を完全装備の二人のブレード・ランナーがノロノロとついて行く。やがてオバサンは、何の変哲も無い一軒の住宅の前で止まった。

だいたい民宿と言っても、何となく旅館風に造り直してあるものだが、案内されたその「民宿」は、本当に民家のままだった。普通の家の玄関から入り、普通の家の二階に通され、普通に荷物を下ろした。

ただトイレと洗面所が二階にも付いていて、かろうじて「客室」の面影を感じさせる。もちろん客はブレード隊二人だけ・・

オバサンは留守番をしていたご主人にあれこれ指示を出すと、すぐにまた買い物に出掛けた。オバサンの威勢がいいので、最初はケンカしているのかと思った。
20分程過ぎて階段の下から「お風呂、沸きましたよ」と言う、やさしそうなご主人の声が聞こえた。

まずキャプテンが案内され湯船に浸かると、下の方はまだ水だった。さっき転倒した時のキズがひどく滲みたが、それでも少しずつ湯が沸き暖まって来ると、じんじんと気分は爽快になって行った。気がつけば喉がカラカラに渇いていた。「後はビールで仕上げるだけだ」そう思い、とても嬉しい気分になった。

二人とも風呂から上がると、夕食のために外に出た。ここに来る前、葉山御用邸の真ん前に有る定食屋に目を付けておいたのだ。行ってみると、店には酔っ払ったオヤジが二人いるだけだった。

店に入るなり二人はビール大瓶1本ずつを注文し、一気に飲んだ。それからキャプテンは鯵フライ定食700円、遠藤隊員はカツ丼800円を頼んだ。

宿に戻る途中雑貨屋に寄って、おやつを買うことにした。その店のオバサンはヤクルトを買えと言って聞かなかった。「プリンが食べたいんですよ」と遠藤が反論したが、スワローズ優勝記念で5個100円だから買え、と言って聞かない。キャプテンはもう逃げられないと観念、ヤクルトとアポロチョコを買った。

宿に戻ると、定食屋で飲んだビールが急激に効いて来た。意識がもうろうとして来たので、ヤクルトを飲み、古くなって粉を吹いていたアポロチョコを食べた後、キャプテンは早くも7時に布団に入ってしまった。

「こりゃあ、たまらん!」あまりの心地よさに、布団に入ったキャプテンは叫んだ。ここは天国なのかい?。・・いや、ここは民宿ですよ。

それから、強い風がいつまで吹いていたのか、そんなことは知る由もなかった。


 二日目、最高の出発 

そして翌朝目を覚ますと7時だった。約12時間も眠ったことになる。遠藤も8時には寝たと言うから彼は11時間である。二人は疲労と言うより過労だったのかも知れない。

窓を開けると、ひんやりとした懐かしい田舎の匂いが流れて来た。空には、見回したところ雲一つ無い。「快晴だな」キャプテンはつぶやいた。

遠藤隊員は、目を覚ましてからずっと「寒い寒い」を連発していた。平然としているキャプテンを見て「寒さに強いんですね」とやたら感心するのだったが、「何言ってんだ。キミは北海道出身だろ」と言うと、「いやあ、北海道は暖房設備が完璧だから・・」と、苦笑いで答えるのだった。

そう言えば、一年前の富士五湖走行で「北海道にくらべたら、東京の冬なんてちゃんちゃらおかしいよな」と、同じ北海道出身の新妻隊員と笑っていたことを思い出した。あの時も結局、現場に着いてから「寒い寒い」と言い始めたのは北海道出身の彼らの方だった。

朝食もまた普通の家の朝食。二人が呼ばれたところは「食堂」ではなく、この家の茶の間のテーブルだった。でも、なかなか美味かった。脇には普通にテレビが置いてあって、食べている間ずっと、おばさんは隣でテレビを見ながら話しかけて来た。

「あんたら、ずいぶんと早く寝たもんだねえ。こんな人たちゃ初めてだよ。ふっと見たら明かりが消えてるんだもんね。ふつうはさ、夜遅くまで起きてさ、しゃべったり遊びに出たりするもんだけどね。きっと昼間、よっぽど遊んだんだね」

オバサンは民宿始まって以来の豪快な客に感嘆の声を上げたのだった。確かに二人は、昨日、誰よりも激しい遊びを終えて来たのだった。

 「それに、自転車で来た人はいたけど、ああ言う愉快な物で来た人達はいないよ。道ばたで声かけられた人を泊めたのも初めてだし、これも何かの縁と言うものかね。まあ、あたしゃ収入が無いから、有り難い小遣い稼ぎだったけどさ」

その自転車で来たと言うのは女子学生二人連れだったと言うことだが、いったいどんな経緯でここに泊まることになったのか?と考えて楽しくなった。女子学生なのに、シャレた海辺のペンションではなく、こんな普通の家の、普通の老夫婦の民宿に・・

おそらく彼女たちにとって、絶対忘れられない思い出になったはずだ・・。そんな風に思いをはせるのも面白かった。

まあとにかく、ゴブリンズ・ブレード隊の訪問は、平凡な毎日を送るオバサンにとって、何から何まで驚嘆すべき初物づくしだったと言うわけである。それからしばらく三人であれこれ話をしたのだが、最後までご主人は奥の部屋に入ったきり出て来なかった。くゆらす煙草のケムリだけが見えていた。

食事を終えると、ゆっくり準備をすませ宿を後にする。本当に泊まるところが有って良かった。それに懐かしくて面白い人に出会うことも出来た。

もう、会うことは無いかも知れませんが・・
助かりました。ありがとうございました。
それでは、ごきげんよう!

10月24日、快晴。宿の前の路上で準備を済ませ九時出発。葉山御用邸のところで二股を左に折れ、葉山マリーナの有る海岸通りを行く。この通りの一色海岸は、キャプテンが中学生の頃、今はもう会うことの出来ない友達と訪れた、思い出深い場所だった。

そこを進むと間もなく左手に海が見え始める。同時に真正面には、雪を頂いた富士山がかなり大きくクッキリと現れてきた。眺めは良かったが、歩道が無く車の通りも多いので疲れる。ここで今回装備したバックミラーがついに威力を発揮した。振り向かずに後方を確認できる。

前から来た散歩中の犬が、ブレード隊を見て恐ろしげに後ずさりした。車に脅えながらスローテンポで滑って行き、再度134号湘南道路と合流、左に曲がる。海岸側に歩道は有ったものの、途中何回も海へ出る階段に行く手を塞がれたため、山側の住宅街を行くことにする。

その道もやがてコースからそれ、山へ登る道になってしまったので、再び134号に戻る。また海が見えた来た。今日は昨日以上に奇麗だった。午前の日差しがキラキラと輝く。

しばらくして、今回初めてのトンネルが見えて来た。伊勢山トンネル。だが近づいて見ると、直線でそれほど長くもない。サイクリング車も通り抜けているし、遠藤も強気なので、ここはブレードのまま行くことにした。トンネルの端のドブ板上をそろそろと滑って行く。

そこで後方から中年のサイクリストが、「お〜っ」と声を出し、追い抜きざまに笑みを見せて来た。少し話しをして「茅ヶ崎まで行く」と遠藤が言うと、「それで行くのか?!」と驚き、笑いながら走り去って行った。

トンネル走行はそれほど危険ではなかったが、反響する車の走行音が恐ろしかった。休日のためか、朝からの交通量の多さには辟易した。

二つ目のトンネルが現れた。短いトンネルだが、さっきよりも急な下り坂になっていた。しっかりブレーキングしなければ。なんとかトンネルを抜けると、材木座海岸に出ていた。

海岸沿いには、広く人通りの少ない歩道が有った。左手にまぶしい海を見ながらその歩道を気持ち良く進む あまりに爽やかな風景だったので、早めの休憩を取ることした。砂浜よりも一段高い所にある駐車場で、荷物を降ろしブレードを脱いだ。

キラキラと輝く波間に、たくさんのウィンド・サーフィンが帆をゆらしていた。空はターコイズブルー。水平線に少し雲が有るだけ。風がやや強めだが寒くは無い。全身が光りに包まれ、ハレーションを起こしているような感覚だ。実に美しい。

「まだまだこの地球には、存続する価値が有る。そして人間にも・・」
海を見下ろしながらキャプテンはそう思った。

人間は地球上の風景を美しいと感じる心を持っている。なぜ、誰にも教えられること無く、「美しい」と感じることが出来るのか?。その謎がいつか解ける日が来ることを、今は信じることにしよう。

風がすっかり汗を乾かした。足の痛みも和らいでいる。ブレードを履き直すと二人は再び立ち上がった。

  
 湘南・超観光ルートを行く 

そこからまた海に沿って滑り始める。直ぐに由比が浜、そして鎌倉に入った。かなり速いペースだ。
トンネルの辺りでは神経を使い、どうなることかと思ったが、これでもう安心と言った感じ。

これからの心配は超観光コース、鎌倉-江の島間の観光客をどうかわして行くかだ。だが、それも思ったより簡単に解決した。海岸側には観光用に作られた石畳の歩道があり、人々はほとんどそちらを歩く。だから山側の歩道は人通りが少なく、そこを滑って行けばよいのだ。

そして、今日二回目の快感走行が始まった。左に海を眺めながら、途切れることの無い歩道を進む。夏よりずっと澄んで奇麗な海には、ウィンド・サーフィンのカラフルな帆が、いくつもスローモーションのように並んでいた。

その先にぽっかり浮かぶ江の島と、背景にはこれ見よがしの絵に描いたような富士が有る。そしてすぐ隣を江の電がのどかに走るのだ。

大昔・・、たとえば江戸時代のこの辺りの風景はどんなに美しかったことだろう。かつて日本は、例えようの無いくらい美しい国だったらしい。あの鑑真和尚が、あれほどの苦難を乗り越えてまで日本を訪れようとしたのは、そのあまりの美しさに憧れたからだと言う説は有名である。

そんな事を考えながら、そのまま稲村ガ崎、七里ガ浜を通り過ぎて行った。昼近くなって道路は渋滞し始めたが、そのおかげで激しい騒音を聞かずに済んだ。

前方に、歩道から海の写真を撮っている人がいた。キャプテンは気を利かしてレンズに入らぬようしゃがんで通り過ぎたのだが、その人は、キャプテンに気がついて振り向き、珍しそうにブレード走行の姿を撮影していたらしい。その様子を遠藤が後ろから見ていて、あとで話してくれた。

ところが、しばらく快感の滑りに嬉嬉としていたのだが、ふとミラーの中を見ると、遠藤隊員の姿が消えていた。立ち止まって振り返ると、100m程後方で遠藤隊員は疲れ果てていた。

遠藤はソルボセインの中敷きを装備していなかっただけでなく、タイヤチョイスをも間違えていたようだ。古く摩耗したタイヤを履いていたため、摩擦が大きくスピードが乗らないらしいのだ。しかも路面からの振動で足が痺れるようだと言う。

「水俣病状態だ」と、遠藤は言ったが、それは、チェーンソーの振動によって起きる「白蝋病状態」の間違いであった。すぐに彼は訂正した。

江の島への橋まで到着したが、橋は渋滞、車が島まで繋がっていたので、二人は島へは寄らず、水族館近くの食堂に入ることにした。そこでラーメンと肉そばを頼んだ。それにしても遠藤は相当疲労していた。

「よく、鴨川までブレードで行きましたね。キャプテンはそんなにスタミナが有るようには見えないのに」遠藤はそばを食べながらそんなことを言った。

昼食を済ませ、午後一時再び出発。サイクリングロードを探しながら進む。片瀬西浜のあたり、駐車場でスラローム・テクニックを磨いている若いブレード野郎達を見かけた。向こうも気がついたらしく、お互いに手を振って挨拶を交わした。彼らもやがて長距離ブレード・ランナーとなる日が来るのであろうか。それともただ「ご苦労な奴らだ」と思ったのだろうか。


 日曜の午後の終わり ◇

鵠沼に差しかかると、すぐにサイクリング・ロードが見つかった。全長12.5km。道幅も有り、なかなか滑らか。この先延々と車通りの無い道が続くことになる。

滑り始めてすぐ、人のいない鵠沼プール・ガーデンが現れた。正面には依然として富士が見えている。朝よりは霞がかっているが今日は一日中見えているようだ。その上の空がやけに大きく感じた。小さな雲が少しだけわだかまっていた。

サイクリングのカップルや親子連れ、ランニング中の人々とすれ違う。恐らくもう充分遊んだのだろう。海辺では沢山の人々が波を見ながらたたずんでいた。

ウェットスーツのままサーフボードを抱え、じっと立ち尽くす者。自転車のハンドルを握ったまま動かぬ男。散歩中の犬を連れている若い女性。海風に吹かれ目を細める犬。

全員が海を見つめたまま動かない。
「What do next?」
こんなシーンで、そう言う歌が流れるコマーシャルが、ずっと昔に有った。

日曜日の午後。少しだけ赤みを帯びた陽射しが降り注ぐ空。横須賀方面から飛んで来たらしいヘリコプターが三機、頭上を通り過ぎて行った。

そしてまた波の音だけになった。

鵠沼、辻堂を経て、茅ヶ崎に入った。サイクリング・ロードはまだ終わらない。いったい何処まで続いているのか。

様々な人々とすれ違う二人。浜で煙草を吸う人。サーファー。
そして海にはヨットが浮かんでいる。

一時間後、休憩を取っていると、若いスケート野郎が一人通り過ぎて行った。紐で縛る旧式の奴ではなく、バックルで絞める新しいタイプだ。タイヤは重厚ないい音をさせていた。「ローラーブレードじゃない。違うメーカーだな」遠藤が言った。

そいつは一度、散歩中のじいさんとからんで危うく転倒しそうになったが、何とか立て直して滑り去って行った。「あいつ、オレたちを意識しやがった!」。サングラスで目の動きは解らなかったが、明らかに前方不注意だ。

土地柄もあるが、ブレード野郎は確実に増えて来ている。だが、さすがにまだ路上で出会った奴はいない。果たしてこの日本の何処かで、長距離ブレード・ランナーとすれ違う日が来るのかどうか。

遠藤はこの快適なはずのサイクリング・ロードでも足の疲労感を訴えていた。ブーツ改良の必要も有るが、どうやら前回の富士五湖周回コースがあまりに楽すぎたようだ。車で移動したため荷物も少なかったし、普段の練習も後楽園スケート・リンクだと聞く。今回の旅で、彼は初めて路上長距離ブレード走行の激しさを味わっているかも知れない。

休憩を終え走り始めると、今度は外人ブレード野郎発見。そいつはキャプテンを見るなり少し驚いてから、手を挙げ挨拶をして通り過ぎていった。そこからさらに滑って、2時半ごろ終点に到着した。サイクリングロードの走行時間は約1時間30分だった。

サイクリング・サービス・ステーションで休憩と着替えをさせて貰った。管理人のオジサンに茅ヶ崎駅までの道順を教えて貰う。団地が見えるからと、教えられた通り134号の歩道橋の上ると、上から浜見平団地が見えた。

オジサンによれば、そこから駅まで歩いて8分ぐらいだと言うことだったが、実際には30分以上かかり、足を棒のようにして駅にたどり着いた。もしかすると、あのオジサンの言ったことはローラーブレードで8分と言う意味だったのかも知れない(?)。

駅のロッテリアで、キャプテンはチーズバーガーとロッテシェークを注文した。ずっとソフトクリームが食べたいと思っていたので、とりあえずバニラ味を口にしたかった。帰ったらステーキも食べようと思った。それからツナサラダと野菜ジュース。しかしなんと言ってもその前にビールだな、とも思った。

空気が少し冷たく感じる。ホームに立つと、ゆっくりと列車が滑り込んで来た。キャプテンには、その上り電車の空席が、穏やかな日曜日の終わりを告げているように思えるのだった。


ブレード走行・湘南
コース:横須賀-茅ヶ崎
日程:1993年10月23日(土)~24日(日)
天気:一日目晴れ時々曇り・2日目快晴
平均路面温度:25℃
走行距離:75km
述べ走行時間:約13時間
時速:5.8km
宿泊費:5000円(朝食付き)



ここから小田原まで、どのくらいかかるんでしょうね
 遠藤、茅ヶ崎駅へ向かう134号の途上で・・


まだ、終わったわけじゃない
 キャプテン、品川駅の立食いにてかけソバを注文。




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