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「幻のBOSO100マイル .後編」1994

1 ・ 2 千葉 - 鴨川・ブレード走行記 (白浜でリアタイア)        目次 変調 待っていた男 失速 幻のゴール ゆくえ 昼食の間に天気は完全に回復し、再び強烈な陽射しの中を進むことになった。太陽を浴びると、また気分が悪くなってくるような気がした。 少し不安を感じながらも進んで行くと、道の先に見覚えの有る信号が現れた。二年前キャプテンと新妻君の脇で起きた、あの二重追突事故の現場だ。確かにここに違いない。まじまじと周囲を眺め、事故なんて起きそうに無いのになあ、そう想った矢先のことだった。横を通り過ぎた車が、またいきなり急ブレーキをかけたのだ。 「おい!?」とあわてて振り返ったが、幸い事故にはならなかった。またしてもブレード・ランナーが珍しくて前方不注意になったのだろうか。それにしても・・、なんだか嫌なポイントだ。 『湊川』の橋を渡り、右に大きくカーブする山沿いの道をたどると、やがて東京湾浦賀水道の海が見えてくる。遥か向こう岸は三浦半島横須賀の港だ。この辺りからずっと海岸沿いを滑ることになる。キャプテンは、すっきりしない気分を抱えたままではあったが、海を眺めることで力を回復出来ると信じていた。 その道は人の気配が無く、車だけが風を切って行く。歩道は、ゴム状の継ぎ目を飛び越える以外気を使うことはなく、滑らかな路面が続いていた。海側は断崖になっていて、そのギリギリに、幾つかのレストランや小さなホテルなどが建ち並んでいた。 しかし車が数台止まっているだけで、賑わいと呼べるものは感じられなかった。シーズンの盛りにはもっと人が訪れるのだろうか。どの店も、捕れたて新鮮魚介類の料理が売り物らしく、そのことを謳った看板が立てられていた。 「知る人ぞ知る、穴場と言った店が有るのかも知れないな」そんなことをぼんやりと考えていた。 道路から見える崖下の砂浜では、数人の人々が海水浴を楽しんでいた。海の家も無い静かな浜辺は、さながらプライベート・ビーチと言った雰囲気である。そんな光景が何度か現れては消え、『金谷』の辺りまでは、比較的楽しみながら滑って来ることができた。 どのくらいたったのだろう。かなり疲れを感じたところで、丁度よく木々に覆われた細い脇道を見つけた。迷わず滑り込んで、荷物を降ろすことにする。 そこには、心地よい風が吹き抜けていた。道の両側に古い小さな家が建ち並び、遠く水平

「幻のBOSO100マイル .前編」1994

1 ・ 2 千葉 - 鴨川・ブレード走行記 (白浜でリアタイア) 目次 八月の風 雷雨 デジャ・ビュ 休息 南房総フラワーラインを、独りのブレードランナーが滑って行った。車を走らせていた海水浴帰りの若い男女が、その姿を見たのだと言う。いや、見たような気がする・・、と二人は顔を見合わせた。そしてそれ以上のことは何も解らなかった。 彼はほんとうに、この道を来たのだろうか。その二人連れが、風を見まちがえたのではないかと想えてならなかった。その日は確か、八月一番最後の、一番熱い南風が吹き抜けていたはずなのだ。 * 目の前に、ゆっくりと一塊の黒い雲が流れて来るのを見ていた。 見晴らしの良い田舎道から眺めていると、雲は光って二度三度大きく振動し、それまで陽が照っていた大地へ、すーっと影を寄せてくるのだった。 後ろを振り返ると、まだ鮮やかな青い空も見えていた。しかし、それもやがて雲に覆われると、それまでじっと暑さに堪えていた木々が、風に煽られ、不安げな音を立て始める。裏返る木の葉が、まるで〃白目〃をむいているかのようだ。 雨は予想していなかった。 「まさか、朝からくるのか?」 そう想ってから数分もたたない内だった。一つぶ、二つぶと、大きな滴が音を立てて地面に落ち、さらに幾度かの雷鳴のあと、立て続けに雨が落ち始めたのだ。 キャプテンは慌てて、木々が覆いかぶさっている場所まで滑り、そこで休むことにした。その直後、あとから自転車に乗ってやって来た地元の少年らしい一群も、キャプテンを少し追い越したところで止まった。彼らの視線は、ブレード姿のキャプテンと暗くなった空とを行き来していた。 それからさらに雨は勢いを増し、ザザーッと言う、ドキドキするような激しい雨音と共に、舞い上がった水しぶきで、道の両側の畑が見えなくなった。そして不意に、冷たくなった風に運ばれて、辺りには雨と土ぼこりの匂いが立ち込め始めたのである。それは、長く続いていた夏の日照りの匂いでもあった。 キャプテンは雨の中を吹き抜けて来る風に、今日初めて心地よい気分を味わっていた。気温がぐんぐん下がって行くのが解る。温度計は30℃を示していた。今朝、キャンプ場を出発する時点で33℃を越えていたから、ずいぶん楽に感じられる。 いい気持ちだ。・・これだからやめられない。 雨と地面のいい匂いが、心の奥のたまらなく懐かしいものを呼び起こそう

「湘南の海、エンドー苦難の道」1993

< 横須賀 - 茅ヶ崎・ブレード走行記 > 1993年。ゴブリンズ・ブレード隊、キャプテン高橋と遠藤忠隊員は、10月23日と24日の二日間に渡り、三浦半島の横須賀から茅ヶ崎まで、約75kmを無事完走したと発表。この完走によりキャプテン高橋の通算走行距離は359.4kmとなった。                    目次 うれしはずかし出発の時 三浦海岸! これを見に来た 遠藤殺しの坂が待っていた 史上最大のピンチである?! ついにブレード隊、初の野宿なのか・・? 二日目、最高の出発 湘南・超観光ルートを行く 日曜の午後の終わり ◇ うれしはずかし出発の時   ◇ 「だめだ、間に合わん!」 時計を見ると、7時55分。東急東横線の急行はたった今、 渋谷を出発したばかりだった。約束は横浜駅の改札に8時だが、この分では8時半ごろになってしまうだろう。昨晩、荷物の用意をしている内に夜が更けてしまい、キャプテンは今朝少し寝過ごした。しかし興奮のあまり眠れなくなった訳では無い。もう子供ではないのだ。 ドア際の窓から空を覗くと、雲は多めだが気持ちの良い秋晴れ。10月23日(土)、この週末の天気に問題は無い。ただ、なぜか寒さがとても心配だった。必要以上に気にしてしまったのは、第三次ブレード隊『富士五湖周回走行10.24』からちょうど1年、あの富士山麓の標高の高さと、降りしきる雨の記憶のせいに違いなかった。 予想した通り8時30分に横浜駅に着いた。改札を出ると、憮然とした遠藤隊員の姿が有った。「悪い、悪い。寝過ごした」仕方なくキャプテンは笑ってごまかすのだった。 日頃、野球の試合などでは、周囲から時間に厳格だと思い込まれているキャプテンだが、何を隠そう、中学・高校の6年間、常に遅刻回数・学年トップを誇って来たクセ者なのである。その頃の1年間の平均遅刻数は約70個。これは野球に例えれば『盗塁王』に匹敵するのはないかと一部ではささやかれているが、さて、どんなもんだろう・・ 二人はそこから京浜急行に乗り換え、横須賀中央駅へと向かった。気温24.3度、まずまずの走行日和だ。このくらいの陽射しが有れば、走っている内に体温の上昇でちょうど良くなって来るはずである。間近に迫った出発に備えて色々と考えは及ぶ。もう一人の隊員、新妻氏は、なんだかんだと急用が出来て、今日は来れなくなった。 横須賀中央駅に

「そして富士北麓に雨の降る・・」1992

<そして富士北麓に雨の降る・・> ★1992年10月24・25日。キャプテン高橋・遠藤・新妻の三人は、どしゃぶりの雨の中、河口湖・西湖・山中湖の三湖を巡る富士北麓ブレード走行を決行した。この先再びブレード走行が行われるのか否かは不明だが、ともかく、これが1992年最後のブレード走行であることには間違いない。 河口湖 〜 西湖 〜 山中湖・周回走行記    *目 次* 初めから波乱含み 降雨確立100パーセント! 冷たい雨が、・・そして降り続いた 西湖の食堂で雨宿り 何故に人は・・ 異常興奮の国道139号 晴れたら帰る時間だった ■ 初めから波乱含み ■ 目の前に立ちはだかる新宿の高層ビルの群れ。圧倒するような無数の窓明かり・・ 午後7時、三人は集まった。北海道から出て来たばかりの新妻君は、先ほどから見上げる高層ビル群に感動していた。 三人はこれから車で河口湖畔の民宿まで行き、そこを拠点として、富士五湖の『河口湖』『西湖』『山中湖』の三つの湖をブレードで周回走行しようとしているのである。 遠藤君は今年の夏ニューヨークへ行き、マンハッタンのスポーツショップ『パラゴン』で、カタログにも載っていない安いローラー・ブレードを購入していた。 荷物を車に積み込み、走り始めて間もなく、新妻君は放屁を始めた。ともかく止まらなかった。自ら「くせ!」と言うので、他の二人はこれはまずいと思い窓を開けるが、入り込む風にかき混ぜられてよけい匂って来た。仕方なく窓を閉め、澱んだ空気のままベンチレーターだけを頼りに、決して風を立てないよう小さく息をした。 実はこの荒れ気味の出発が、やがて訪れる、たまらん隊史上最悪のブレード走行を暗示していたのであった。 目の前に星は無く、月明かりも無い。昼間あれほど晴れていた空が、夜になって一面に暗雲を忍び込ませていた。 10時頃、河口湖畔の民宿『宮の下』に着いた。部屋の窓を開けると、小さな町の夜景が湖面に映り込んでいた。 時折り宿の前の道を車が通り過ぎる。その物凄い音以外はまったく静まり返り、すでに紅葉が始まっているらしい枯れた晩秋の匂いを漂わせていた。 三人は荷物を置くなり、すぐに風呂に飛び込んだ。家庭用サイズの小さな風呂だったが、冷えた体にはたまらなく気持ち良かった。 ■ 降雨確立100パーセント! ■ 天気予報を見ると、富士山の辺りは降雨確立100パーセン

「南房総に夏の終わりの夢を見た・後編」1992

      「南房総に夏の終わりの夢を見た」後編   >前編に戻る ★1992年8月21日(金)15時。キャプテン高橋とゴブリンズ新人・新妻英利は、ついに総武本線千葉駅から鴨川キャンプの拠点、民宿ウエダ(天津小湊町)までの162.2キロをローラー・ブレードによって走破する事に成功。これは前回の東京-富士間77.5キロを、84.7キロ上回る距離であった。 千葉 - 鴨川ブレード走行記 3日目 〜 4日目「鋸南町 〜 白浜 〜 天津小湊」 *目 次* あきらめるな道は必ず開ける 海岸線、防波堤を行く 昼飯はそばと決めていた ここは何処だ、遠いところだ フラワーライン、組曲惑星が聞こえた 旅館か民宿か、迷うところだ 気を許すな、音無き警鐘を思い出せ 赤い道は滑りやすい やっぱり昼飯はそばに限る たまらん隊がゆく・・ そして旅が終わった ■ あきらめるな道は必ず開ける ■ 8月20日。昨日トンネルに道を阻まれ、予定よりも大幅に遅れてしまった。千葉駅を出発して、60km進んだだけである。あと2日で100km行かねばならない。 新妻君は一時『岬』の女主人が言った近道も捨て難いと、迷い始めていた。肉体的疲労に加え、追突事故を目の当たりにしてしまったこと、トンネルの恐怖などが影響していた。 実はキャプテンも同じような心理状態にはあったのだが、この旅はただ目的地に着けば良いのではなく、162.2kmを走破しなければ意味が無いのだった。さらに、館山から白浜あたりまでの南房総を通らなければ、彼の想い描いたイメージは完成しない。彼は新妻君の決心がつくのを待った。しかし、もしどうしても駄目だと言ったならば、無理強いはするまいとも思っていた。 「でも、女主人の言うなりになったら、負けだな。ダメだったら、歩けばいい。行きましょう!」こう言って新妻君は気持ちを固めた様子であった。 あきらめる時は、にっちもさっちも行かないその現場で、はっきりケリをつけてからあきらめる。後は電車でもバスでも使えば良いのだ。途中であきらめてしまったら、可能性も幸運も使わない内に手放してしまうことになる。とは言え、キャプテンの心の中には、あきらめない勇気とあきらめる勇気とが互いに見え隠れしていた。 ・・と言うように、三日目は少しカッコつけた書き出しになってしまったが、実際は結構だらだらと出発したのである。 滑り出して、初