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「そして富士北麓に雨の降る・・」1992

<そして富士北麓に雨の降る・・> ★1992年10月24・25日。キャプテン高橋・遠藤・新妻の三人は、どしゃぶりの雨の中、河口湖・西湖・山中湖の三湖を巡る富士北麓ブレード走行を決行した。この先再びブレード走行が行われるのか否かは不明だが、ともかく、これが1992年最後のブレード走行であることには間違いない。 河口湖 〜 西湖 〜 山中湖・周回走行記    *目 次* 初めから波乱含み 降雨確立100パーセント! 冷たい雨が、・・そして降り続いた 西湖の食堂で雨宿り 何故に人は・・ 異常興奮の国道139号 晴れたら帰る時間だった ■ 初めから波乱含み ■ 目の前に立ちはだかる新宿の高層ビルの群れ。圧倒するような無数の窓明かり・・ 午後7時、三人は集まった。北海道から出て来たばかりの新妻君は、先ほどから見上げる高層ビル群に感動していた。 三人はこれから車で河口湖畔の民宿まで行き、そこを拠点として、富士五湖の『河口湖』『西湖』『山中湖』の三つの湖をブレードで周回走行しようとしているのである。 遠藤君は今年の夏ニューヨークへ行き、マンハッタンのスポーツショップ『パラゴン』で、カタログにも載っていない安いローラー・ブレードを購入していた。 荷物を車に積み込み、走り始めて間もなく、新妻君は放屁を始めた。ともかく止まらなかった。自ら「くせ!」と言うので、他の二人はこれはまずいと思い窓を開けるが、入り込む風にかき混ぜられてよけい匂って来た。仕方なく窓を閉め、澱んだ空気のままベンチレーターだけを頼りに、決して風を立てないよう小さく息をした。 実はこの荒れ気味の出発が、やがて訪れる、たまらん隊史上最悪のブレード走行を暗示していたのであった。 目の前に星は無く、月明かりも無い。昼間あれほど晴れていた空が、夜になって一面に暗雲を忍び込ませていた。 10時頃、河口湖畔の民宿『宮の下』に着いた。部屋の窓を開けると、小さな町の夜景が湖面に映り込んでいた。 時折り宿の前の道を車が通り過ぎる。その物凄い音以外はまったく静まり返り、すでに紅葉が始まっているらしい枯れた晩秋の匂いを漂わせていた。 三人は荷物を置くなり、すぐに風呂に飛び込んだ。家庭用サイズの小さな風呂だったが、冷えた体にはたまらなく気持ち良かった。 ■ 降雨確立100パーセント! ■ 天気予報を見ると、富士山の辺りは降雨確立100パーセン

「南房総に夏の終わりの夢を見た・後編」1992

      「南房総に夏の終わりの夢を見た」後編   >前編に戻る ★1992年8月21日(金)15時。キャプテン高橋とゴブリンズ新人・新妻英利は、ついに総武本線千葉駅から鴨川キャンプの拠点、民宿ウエダ(天津小湊町)までの162.2キロをローラー・ブレードによって走破する事に成功。これは前回の東京-富士間77.5キロを、84.7キロ上回る距離であった。 千葉 - 鴨川ブレード走行記 3日目 〜 4日目「鋸南町 〜 白浜 〜 天津小湊」 *目 次* あきらめるな道は必ず開ける 海岸線、防波堤を行く 昼飯はそばと決めていた ここは何処だ、遠いところだ フラワーライン、組曲惑星が聞こえた 旅館か民宿か、迷うところだ 気を許すな、音無き警鐘を思い出せ 赤い道は滑りやすい やっぱり昼飯はそばに限る たまらん隊がゆく・・ そして旅が終わった ■ あきらめるな道は必ず開ける ■ 8月20日。昨日トンネルに道を阻まれ、予定よりも大幅に遅れてしまった。千葉駅を出発して、60km進んだだけである。あと2日で100km行かねばならない。 新妻君は一時『岬』の女主人が言った近道も捨て難いと、迷い始めていた。肉体的疲労に加え、追突事故を目の当たりにしてしまったこと、トンネルの恐怖などが影響していた。 実はキャプテンも同じような心理状態にはあったのだが、この旅はただ目的地に着けば良いのではなく、162.2kmを走破しなければ意味が無いのだった。さらに、館山から白浜あたりまでの南房総を通らなければ、彼の想い描いたイメージは完成しない。彼は新妻君の決心がつくのを待った。しかし、もしどうしても駄目だと言ったならば、無理強いはするまいとも思っていた。 「でも、女主人の言うなりになったら、負けだな。ダメだったら、歩けばいい。行きましょう!」こう言って新妻君は気持ちを固めた様子であった。 あきらめる時は、にっちもさっちも行かないその現場で、はっきりケリをつけてからあきらめる。後は電車でもバスでも使えば良いのだ。途中であきらめてしまったら、可能性も幸運も使わない内に手放してしまうことになる。とは言え、キャプテンの心の中には、あきらめない勇気とあきらめる勇気とが互いに見え隠れしていた。 ・・と言うように、三日目は少しカッコつけた書き出しになってしまったが、実際は結構だらだらと出発したのである。 滑り出して、初

「南房総に夏の終わりの夢を見た・前編」1992

「南房総に夏の終わりの夢を見た」前編 ★1992年8月21日(金)15時。キャプテン高橋とゴブリンズ新人・新妻英利は、ついに総武本線千葉駅から鴨川キャンプの拠点、民宿ウエダ(天津小湊町)までの162.2キロをローラー・ブレードによって走破する事に成功。これは前回の東京−富士間77.5キロを、84.7キロ上回る距離であった。 千葉 - 鴨川ブレード走行記 1日目 〜 2日目「千葉駅 〜 木更津 〜 鋸南町」 *前半 目次* 待ち合わせは千葉駅 快調な滑り出し16号 あまりに場違いな昼食 塩吹くキャプテン高橋 『すえひろ』で生き返る 場違いな宿、グランパークホテル 朝、雨が降っていた 救いのオヤジさんが現る あじフライとあじの天ぷらは違う 音無き警鐘が聞こえる 午後の海辺をブレード・ランナーが行く ノコギリ山に思わぬ敵が待っていた 岬で『岬』と言う喫茶店に引き込まれた さらに苦難の道は続く 民宿は旅のオアシスだ 後編へ・・ ■ 待ち合わせは千葉駅 ■ 嵐が幾つか通り過ぎる頃、空はどこか澄んで、別の季節の色を見せていた。6月の『東京—富士ブレード走行』から、約2カ月、常にキャプテン高橋の胸に去来していたイメージは、南房総のまぶしく輝く海、熱い夏の空気を切り裂く、ブレード・ランナーの姿だった。 8月18日火曜日、9時半。総武本線の終点、千葉駅のホームで、高橋、新妻の両者は、ブレード走行決行のために待ち合わせた。新人・新妻英利君は、果たして心強い伴走者となるのか、それとも単なる足手まといとなるのか、それは誰にも解らなかった。 天気は曇り気味。雨を予感させる黒い雲も漂っていた。南では台風が近づいていると言う。天候はどうなるのか、全く予測が立たなかった。 二人は『総武線千葉駅ホームの進行方向一番前』で会うことにした。気持ちを『前向き』にするため『一番前』を選んだのだ。しかし、ここは終着駅なので、折り返して電車が出発すると『一番うしろ』になってしまう欠点が有った。だが、そんな事にかまってはいられない。二人は勇躍駅を後にした。 ■ 快調な滑りだし、16号 ■ 16号沿いの歩道で用意をする。前回強烈な靴ずれの痛みに悩まされただけに、今回は、テーピング、ワセリン、ガムテープで、対策に万全を期す。用意が済んで立ち上がると、お巡りさんが自転車を止めてじっと見ているのに気づいた。二人は何も悪い

「道志渓谷に涼しい風が吹いていた」1992

<道志渓谷に涼しい風が吹いていた> ★1992年6月3日、ローラー・ブレードで東京八王子駅を出発したキャプテン高橋は、4日17時ついに山中湖及び富士山に到着。ずっと構想を練って来たローラーブレードによる東京-富士間80キロ走破を実現した。 八王子 - 富士吉田・ブレード走行記 *目 次* 我慢の準備期間 見送りは見知らぬおばさんだけ 体調悪し津久井湖で休憩 運命を変えた少女のひと声 心優しき人々 山岳走行の厳しさを思い知る 道志川渓谷の清涼感に救われる 直販のおばさんに救われる ビールに救われる! 君原走法に救われる オッパイを見た? 沿道の声援に力を得る 恐怖の山伏峠 白バイ、意外な声援に救われる 峠を越えると妙な男が待っていた 富士山麓に雷鳴とどろく ■ 我慢の準備期間 ■ 一昨年ニューヨーク、ピーター三好氏からローラー・ブレード、ゼトラ303を輸入して貰ったが、もっぱらビールの買い出しに用いる以外、使い道に困っていた高橋君は、昨年夏、「そうだ、これで富士山へ行こう!」と思い立った。 そこで、秋から冬にかけて用具を揃えながらテスト走行を重ね、四月、運び屋ピーター三好に、交換タイヤ608とベアリングを日本に持ち込んでもらい、渋谷ロフトでブレーキ・パッドを手に入れたところで、日が長くなる季節を待った。 ■ 見送りは見知らぬおばさんだけ ■ その年の健康診断では、心電図異状無し、肝機能もなんとか数値安定。しばらく悩んでいた腰痛も治った。 ブレード走行計画のことを何も知らない保健所の医者に、 「少し激しい運動をしてもいいでしょうか?」と尋ねると、 「死なない程度にね」と言う冗談っぽい答え。 これで医者のOKが出たも同然?、と勝手に解釈し、予定より一カ月遅れ、6月3日梅雨入り前の最後の晴天を狙って、午前11時頃八王子駅から一人、見送りも無く、おもむろに出発した。 駅前で出走用のコスチュームに着替えている時、おばさんが1人、眉間にしわを寄せて上から下までなめるように高橋君を見ていたが、やがて立ち去って行った。 キャプテン高橋、34歳。 ■ 体調悪し津久井湖で休憩 ■ 八王子から橋本まで16号を下る。歩道を通るが、トラックやオートバイの通りが激しく、神経を使う。16号から右に折れ相模湖・津久井湖方面へ向かう。 気温29℃晴天。1時間ぐらい滑ったところで、高橋君は持病の激しい頭